投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(231)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(1)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月14日(金)19時20分27秒
   「提婆達多品」ということですか。鳩摩羅什訳だけにあります。  

法華玄義・譚玄本序 5

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 7月14日(金)19時11分55秒
編集済
  所言妙者。褒美不可思議之法也。

いうところの妙は、不可思議の法を褒美(ほうみ)するなり。


『妙法蓮華経』の表題が示す「妙」は、
衆生と衆生を構成する要素と、衆生を取り巻く世界との一切の有り様が、
衆生の認識を超えた「不可思議」の有り様にあることを誉め讃えている。

陰 (色陰・受陰・想陰・行陰・識陰)と
十二(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根と
    色境・声境・香境・味境・触境・法境の六境)と
十八(十二入に眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識 の六識を加えたもの)
からなる「陰入界」は、因と縁とが複雑に和合して生住異滅するから、
固定的不変な独自の実体のない「空」の有り様にある。

陰入界は、眼の前に明らかに現前するが、本質は空にあるから、
仮にそれと名づけられた「仮」の有り様で現前する。
しかもこの空と仮にある世界は、空と仮でありながら、
空と仮とを超えたありのままのすがたでさながらに現象している。これが「中」である。

空の有り様は、そのまま仮と中との有り様を包含し、
仮の有り様は、そのまま空と中との有り様を包含し、
中の有り様は、そのまま空と仮との有り様を包含し、
自身を含めた世界はそっくりそのまま、自身の前に実相として現前する。

自身を含めた世界が、そっくりそのまま実相として現前するという、
一切が存在し現象する万法の有り様は、
こころのはたらきである一切の思議を超えた不可思議であり、
一切の言説を超えた不可説である。

『妙法蓮華経』の表題がいう「妙」は、
八万四千の経典のなかで、宇宙の根本原理を、「妙」の一語で表出した最初であり、
『妙法蓮華経』以外に、
「妙」の有り様が不可思議であり、不可説であると表出した経典は存在しない。
ここに『妙法蓮華経』が、諸経の王といわれる由縁が存在する。



 

解散総選挙か?

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 7月14日(金)18時35分15秒
  安倍内閣が急速に弱体化して、やけっぱちの解散総選挙に撃って出る可能性無きにしも非ず。永田町界隈の事情通はお盆が明けて、9月の政局に不確定要因を見る。都民ファーストならぬ、国政版の小池新党、国民ファーストが結成されて、既成の自民党を分裂されるやも知れず。民進党右派も離党して、あるいは国民ファースト、民進党右派新党、維新の会、公明党の新保守連合政権が誕生するやも知れず。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。永田町界隈の一寸先は闇。  

雌伏68の謎ー2

 投稿者:五分の魂  投稿日:2017年 7月14日(金)18時33分56秒
  2017年3月1日
創価新報
弟子の道 小説「新・人間革命」に学ぶ

【新聞小説として連載日本一 後継の友と対話する思いで】

1993年8月6日。

池田先生は、恩師との思い出を刻んだ天地・長野で、ペンを執りました。

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。

平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」

そして、学会創立記念日の同年11月18日付から、 小説『人間革命』の続編として

『新・人間革命』の連載が聖教新聞紙上でスタートしました。

当時、先生は65歳。それは、「限りある命の時間との、壮絶な闘争」との決心で臨む、

師子奮迅の言論闘争の新たな幕開けでもありました。

『新・人間革命』は「福光」の章がつづられていた2011年11月3日付で

連載が、4726回に。

山岡荘八氏の『徳川家康』の4725回(余話も含む)を超えて、 新聞小説史上、

連載回数が日本一となりました。

その後も最多の記録を 更新し続け、本年2月18日付で連載は6000回に。

小説『人間革命』の1509回と合わせると、7500回を超える大長編小説

となっています。

先生が、「新聞の連載は、過酷だ。ひとたび始まれば、多忙だろうが、

体調が悪かろうが、締め切りは容赦ない」とつづった通り、 半世紀にわたる

ペンの闘争は、人類の宿命転換を懸けた民衆運動のただ中での、心身を酷使する

大激闘となりました。小説で描かれるのは、広布後継の師弟の道。

信心で宿命を乗り越えた無数の庶民の群像。

先生が小説に託した世界の友への希望の言葉は、まさに命を削るような日々の中で

紡ぎ出されたのです。

第1巻の「はじめに」で、先生は”完結までに30卷を予定"と明記されました。

その第30卷の連載が、本年1月1日付から「大山」の章として始まっています。

先生はつづりました。

「信仰とは何か、正義とは何か、そして師弟とは何か。その真髄を、日本はもちろん

全世界の後継の友と、小説の執筆を通して対話できる日々は、何と幸せか」と。

人類の幸福と平和を築くため、新時代の青年への指針を示すため、先生は今もペンを執り、

同志に勇気と希望を送り続けています。

【人間主義の哲学は世界へ 師の偉大さを宣揚しゆく】

民衆勝利のドラマをつづった大叙事詩。

小説『新・人間革命』の書籍は、国内の発行部数だけで5000万部(単行本・

文庫本の合計)を超える大ベストセラ―となっています。

そして今や、広く全世界で読み親しまれています。

1995年に初の外国語版として英語版で第1巻が発刊されて以来、今日までに、

フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、韓国語、中国語、

オランダ語、デンマ^―ク語、インドネシア語、タイ語、ギリシャ語と、

13言語に翻訳され、23ヵ国地域で出版されています。

同書の第一稿が記された 93年8月6日に先生と会見した、インド・ガンジー

研究評議会議長のラダクリシユナン博士は、 後に、嘲筆を重ねる先生の偉業を

讚えて言いました。

「これは創価学会の、民衆勝利の歴史を小説化した偉大な書であり、完成した暁には、

不滅の古典となり、傑出した文学作品として世に残っていくに違いありません」

「先生の小説『新・人間革命』は、創価の同志にとつての「信心の教科書」であり、

魂の広布史をつづった「不朽の歴史書」でもあるのです!」

「師弟不二という、まことの後継の弟子の戦いを書き記さなければ、戸田先生、

さらには牧ロ先生の本当の偉大さを宣揚することはできない」

この思いで、先生が心血を注いで書きつづる同書は、まさに今、混迷の時代を照らす

幸福への指針として、世界中で輝きを放っています。さあ、今日も先生と対話する

思いで小説を研さんし、文字一文一字を心に刻みながら、未来の世紀へ、師弟の

精神を受け継いでいきましよう。

「精神の正史」ここに 弟子の実践で継承を

小説『新・人間革命』の執筆について、かつて池田先生は随筆で“全同志の一人一人に

感謝と励ましの手紙をつづる思いで取り組んでいる”と記されました。

今や広宣流布は世界同時進行です。あの地この地で奮闘する友へ、先生は毎日、

希望の指針を贈られています。

2010年以降、先生が直接、会合に参加されないようになったことで、

『新・人間革命』の意義は一層、大きくなりました。

先生は小説で、創価学会の精神の正史(せいし)と、自身の心境をつづられながら、

「今」の読者に力強くメッセージを発信されているのです。

時代が進めば、小説で描かれている当時のことを知る人は減っていきます。

もちろん、その場に居合わせた人の証言は貴重ですが、『新・人 間革命』が

つづられることで、折々の広布史や学会精神が“先生の思いとともに”永続的に

伝わっていくここが重要な点です。

言い換えれば、『新・人間革命』は、後世の学会員の依処(えしょ)となる“文証”

とも言えるでしょう。ゆえに、私たちが今しつかり学んでいくことこそが、

「学会の永遠性」の確立につながっていくのだと確信します。

―聖教新聞の連載と合わせて、これまで出版された小説『新・人間革命』について、

どのような姿勢で読んでいけばよいでしようか。

いきなり全30卷を通して読むのは大変かもしれません。

まずは、どの巻でも、どの場面でもいいので、自分が身近に感じるシーンや、

現在、住んでいる地域、 故郷などが描かれている部分を深く読み込んでいくことです。

例えば海外への足跡は、誰も知らないその国の”広布の第一歩”が記されています。

日本国内でも、草削期の友の奮闘を通して、先生にしか書けない”原点”が

とどめられています。

その史実を学びながら、前後の背景を読み進めていくとよいでしょう。

私の青年部時代は、まさにそれが『人間革命』でした。

ちょうど第10巻の「大阪の戦い」について連載されていた1978年、

私は関西の地で教員をしていました。印象的だったのは、先生と一緒に当時、

広布に走った方々が、口々に"こんな思いで大阪に来られていたのか"と

感動していたことです。

そして、「先生は、この会場の、ここで指揮を執(と)られたのよ」と

うれしそうに教えてくれました。小説を読んで初めて知った師の深き心。

そして、それに応えようと、さらなる拡大を誓う同志の姿、『新・人間革命』は、

つづられていくほどに、師弟勝利の歴史が深められていくのだと思います。

―自分の座右の一節を求め、学んでいくことが大切なのですね。

もう一つ大事なのが、連載された時期を確認すること。

なぜなら、先生は”執筆時”の心情をも記されているからです。

例えば2011年9月1日から連載された「福光」の章。

これは同年3月11日の東日本大震災で被災した東北を中心に描かれています。

先生は苦難に向き合う友へ光を当て、全魂(ぜんこん)を込めて励ましを

送り続けられました。

その文文が、どれほど友の希望となったことでしょう。

現在、掲載されている「大山」の章もまた、私たちはこの心で読んでいきたいと思います。

一方で、読み手によって捉(とら)え方が異なるということも留意しておきたい。

”反転攻勢”の歴史について、当時を直接、知る人と、そうでない人とでは格段に

受け止め方が違うでしょう。

しかし、人人にとって、それを、これからどう学び、受け継いでいくかが

重要になります。

先生は第1巻の前書き(「はじめに」)で、後世のために師弟の「真実」を

「正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながら」

力の限り記しゆくと決意されています。

青年部の皆さんには、第28卷あたりからの宗門事件に関しても、よく研さんして

もらいたいですね。

今の靑年部は「大山」の章で描かれる1979年以降に誕生したメンバ―がほとんどです。

”正義” ”共戦”の継承は大切なテ―マです。

同じく第1巻の「あとがき」には、次のようにつづられています。

「師の偉大な『構想』も、弟子が 『実現』していかなければ、すべては幻となってしまう。

師の示した『原理』は『応用』『展開』されてこそ価値をもつ」と。

これからの時代は、完結に向かう『新・人間革命』を、弟子の立場でどう深め、

実践していくかが鍵(かぎ)となります。

いかに自分たちの血肉とし、後世に正しく伝えていくか。

その意味で皆さんは、使命ある"新・人間革命世代" と言えるでしょう。

また、新聞連載を読む上で、私は 毎日の”切り抜き”も大事だと思います。

前後のつながりを意識し、体像を押さえていくことが大きな意味をなすからです。

ちなみに”挿絵(さしえ)”があるというのも、連載のよいところでしよう。

私は、いまだに 『人間革命』第10卷の”切り抜き”を持っています。

もう40年近く前のものですが、わが「青春の宝」です。

きょうも小説『新・人間革命』が掲載された聖教新聞が届けられる。

このかけがえのない日日を、池田先生と共に勝ち飾り、師弟共戦の金字塔を

築いていきましょう。

引用終わり。


如何でしょうか。

池田主任副会長が小説 新・人間革命についてどのようにお考えであるかが明確に

書かれています。

「『新・人間革命』は、後世の学会員の依処(えしょ)となる“文証”とも言える」

とまで言われています。

「文証」ですよ。「文証」。

フィクション性などあって「文証」と言えますか?

また、『先生は第1巻の前書き(「はじめに」)で、後世のために師弟の「真実」を

「正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながら」 力の限り記しゆくと

決意されています。』とも書かれています。

新・人間革命とはかくも峻厳な小説なのです。

改めて、雌伏68について考えましょう。

池田先生を会長辞任に追い込んで師弟の道を踏み外した当時の執行部。

そして、宗門の圧力に屈する形で、自分たちが作成した「恩師の二十三回忌に想う」

という一文を、池田先生が執筆されたものとして聖教新聞に掲載した当時の執行部。

このことについて、池田先生は、「私は知らないよ。これで収まるのであれば、

それでいいだろう。しかし私はあなたたちの言いなりになったことだけは、

ハッキリ覚えておくよ」と厳しく言われました。

このような事実があるにもかかわらず、どうして、雌伏68で池田先生自ら、自分が

執筆したかのように書かれるのか?

これを「おかしい!」と思うのは極めて自然なことではないでしょうか?

この雌伏68に込められたメッセージをどう読むか? これは大変難しいと思います。

私は単なる掲載事故やミスではないと思います。

ここに書かれていることは、単なる小説上の脚色等の類ではなく、この上なく重大な

「弟子の裏切り」の歴史を、一つなかったことにする「歴史の消去」です。

会員は新・人間革命を池田先生からのお手紙として、微塵も疑うことなく学会の正史、

精神の正史として受け止め、読んでいます。その上で、雌伏68が池田先生の本当の

お心ならば、池田先生は当時の弟子の裏切りを新・人間革命の最終巻で「許された」

ということになります。「間違いなく裏切りはあったけれども、それを許した」という

ことになるのです。

池田先生が著者で、訂正発表がないならば、このように帰結せざるを得ません。

何か別の考え方があるなら是非教えて頂きたいと思います。

あれだけ、厳しく当時の最高幹部を本部幹部会で糾弾して来られた先生。

「ハッキリ覚えておくよ」と言い切られた先生が、自ら心血を注いで書き続けられ、

しかもその最終巻である第30巻で、史実を曲げられてまで弟子の裏切りをさらっと

水に流されるとは私には到底思えないのです。

ましてや、新・人間革命は池田先生の、そして創価学会の魂の、そして、真実の歴史が

綴られているのですから、雌伏68ほど、その一貫したテーマ性に反した内容は他に

見当たりません。

私はこの板での投稿で、雌伏68は新・人間革命が第三者の執筆によるものであることの

証拠になると書きました。

それは、上述のような思索の結果です。本当は、私もそうは思いたくない。

でも、そう思わざるを得ない。そして、もしも、第三者の手によるものであるならば、

これほど池田先生を、そして会員を馬鹿にした仕業はありません。

大罪中の大罪であり、あらゆる意味で万死に値するといっても過言ではない

天魔の所為です。

たら、れば、もしもの話などしたくない。史実を知る者は雌伏68で苦悩のどん底に

落とされています。どうして、会員をこんなに苦しめるのですか?一体、どうして。

そして、一体誰が、この謎を解き明かしてくれるというのですか?

私は一体どうすればよいのですか?
 

雌伏68の謎-1

 投稿者:五分の魂  投稿日:2017年 7月14日(金)18時33分17秒
  先日の総県長会での会長談話が聖教新聞に紹介されていましたが、

新・人間革命は「池田先生が命を削って書いて下さっている」と

断言され、随所に新・人間革命の内容を引用して「指導」されて

いるのですから、本部が雌伏68を問題視することはありません。

内容が史実と異なっていても、徹頭徹尾「池田先生のご判断で書かれた」

という姿勢を貫くと思います。

虹と創価家族様は、雌伏68問題を掲載事故と捉えられていますが、

果たして事故でしょうか?

本当に事故やミスであれば、筆者である池田先生から速やかに訂正記事が

出るはずですが、それは出ていません。

当時の執行部が池田先生に泥をかぶせる形で作成した「恩師の二十三回忌に想う」

には池田先生は一字一句たりとも筆を入れられてはいません。

これは、当時の森田理事長が大百蓮華誌上で「告白」している歴史的事実ですので、

これを池田先生が執筆されたものとして書かれている雌伏68は事実と異なり、

新・人間革命はフィクション小説だということになります。

仮に執行部が小説 新・人間革命をノンフィクション小説と位置づけて

いるならば、筆者からのコメントがなくても、訂正記事を出します。

しかし、それもない。

ということは、池田先生も執行部もフィクション小説であることを認めて

いることになります。

しかし、新・人間革命はノンフィクションの学会の正史であるとの内容の

記事や談話はこれまで幾度となく聖教新聞や創価新報にも掲載されてきました。

例えば、本年2月に創価新報に掲載された、池田先生の御長男でもある

池田博正主任副会長のインタビュー記事があります。

小説 人間革命、新・人間革命について、記者のインタビューに答えられる形で

語られた内容となっています。

以下に、そのインタビュー記事の内容を紹介します。

これを読んで、皆さんはどのようにお考えでしょうか?

――――

2017年2月1日 創価新報

小説『新・人間革命』「大山」の章の連載が、本年の元旦から始まりました。

「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の 『弟子の道』を書き残さ

なければならない」同小説「はじめに」から)との思いが込められた

池田大作先生の執筆闘争も、いよいよ第30巻となり、“総仕上げ”を迎えています。

師の人生を "追体験" 誰もが「山本伸一」に池田先生は、小説『新・人間革命』

第1巻の「はじめに」で、"完結までに30巻を予定"と書かれています。

ついに、その第30巻の連載が、本年の元日から始まりました。

昨年夏、池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始された軽井沢の長野研修道場を

訪れました。

研修道場には、最初の執筆の日に記された「全30冊の予定なり」との直筆原稿が

展示されていました。

当時、先生は65歳。一般的には、"定年"を過ぎ、退職 という人生の一区切りの

年齢でもあります。その時点で、 先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、

新たな挑戦を宣言されたのです。

前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」

と記されています。

先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると

感じます。

連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。

そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。

―池田先生が小説を書いた直接的なきっかけは、戸田 先生の小説『人間革命』

にあります。その意味で、池田先生の『人間革命』『新・人間 革命』は、

“師弟の物語の続編"と言えるのでしょうか。

戸田先生は、逝去の8力月前、軽井沢の地で、池田先生に語りました。

「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、

恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」と。

この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、”続編"を執筆することを固く

決意されています。

一方、『新・人間革命』 は、戸田先生の理想を、弟子山本伸一がどう実現していくか

ということに力点が置かれている。また、伸一と共に、世界の後継の弟子たちが、

どのように戦ったかということに光を当てています。

池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「(戸田) 先生亡き後の広宣流布の世界への

広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えた」と記しています。

半世紀にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、全国、海外各地を駆け巡る

激務の中で続けられてきました。

先生は、日々の連載を通して、今の同志への激励や指針を贈っています。

毎日、 戦いながら書き、同志を励ましていく。

先生にとって小説の執筆は、"人生の大きな 柱"だと言っても過言ではありません。

―なぜ『続・人間革命』ではなく、『新・人間革命』というタイ卜ルにされたのでしようか。

池田先生の『人間革命』の結びは、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の

会長に就任する場面で終わります。

一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5力月後、海外初訪問のシーン

から始まっています。これは、『新・人間革命』 が、単に歴史的事実を追うものでなく、

「世界広布」を主題としているからではないでしょうか。

戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。

いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。

そこに「新」という一字の意義があると言えるかもしれません。

―創価の師弟の歴史をつづるに当たり、「小説」の形態を取った理由とは?

池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「私の足跡を記せる人はいても、

私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と

書かれています。

小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。

そして小説だからこそ、主人公の人生を「追体験」できます。

「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生の生涯そのものですが、

弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言える。

「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思いを重ね合わせ

ながら、共戦の道を歩むことができるのです。大発展するインド創価学会の

メンバーの合言葉は、「アイアムシンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」です。

先生の『新・人間革命』 を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を

追体験しながら、"今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おう" と立ち上がっています。

―現在の第30巻の連載は、海外でも大きな反響を呼んでいると聞いています。

各国・地域のSGIメンバーからは、連日、連載中の 「大山」の章を、即日で翻訳して

ほしい"という要望を たくさんいただいているようです。

池田先生の今の思いを ”同時共有したい”というのが、海外の同志の率直な思いです。

先生の日々の連載を、日本語でリアルタイムで学ぶことができる私たちは、

求道の心 を燃やして真剣に拝していきたい。今はまさに”黄金の時"です。

次に続く。
 

内閣支持率急落、危険水域か

 投稿者:臨時広報  投稿日:2017年 7月14日(金)16時33分44秒
  安倍内閣支持29.9%に急落
2次以降最低、不支持48.6%

時事通信が7~10日に実施した7月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比15.2ポイント減の29.9%となった。
 

ナゼ、本幹での怪鳥指導が違ったカタチで報道される?

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月14日(金)16時13分25秒
  本日の政教珍聞4面、本部幹部会から、原田怪鳥様の指導として、ハッキリ掲載されているこの文面

>一、初めに、九州北部を中心とする西日本での記録的な豪雨に当たり、被災者の皆さまに心からお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧を、衷心よりお祈り申し上げます<
(政教珍聞7月14日、4面より抜粋)

しかし、実際での、本幹の映像音声では、この部分は無く、

「さて、東京都議選の大勝利、大変おめでとうございます(拍手)」から始まる。

いったいナゼだろう? 本幹で、実際にこの言葉を言ったのか? 言わなかったのか?

仮にも、創価学会が制作した、原田怪鳥様の御指導である。カットする理由はドコにも無い。

では、実際は、この言葉を言ってなくて、後から加筆したのだろうか?

真実は、実際に本幹にリアルタイムで参加された会員の中にある。ぜひとも真実を明らかにしていただきたいものだ。

それが、怪鳥様の仰る「誠実の行動」ではないだろうか?

もし、加筆されたとしたら、誰かが忖度したのか? 怪鳥様から直々の指示があったのか?

いずれにしても、九州の地で苦しむ同志を、これはどバカにした行為であることは間違いないだろう。

もし、カットされたのなら、創価学会のトップである怪鳥様の御指導を何故カットするというハナシであろうし、

加筆されたのであれば、九州の地で苦しむ同志のことなど、歯牙にもかけていないという証明にもなるだろう。

もし、リアルタイムで、本幹に参加された方が閲覧しているならば、ぜひとも真実を明らかにしてもらいたいと切に思う。



 

子宮頸がんワクチン問題です。

 投稿者:広島福山平こうじ44  投稿日:2017年 7月14日(金)16時01分58秒
  お邪魔します。長文すみません。2つの真実を知ってください。
「女性応援する」と豪語している平和の党が利権のために女性を食い物にする。
「子宮頸がんワクチン」ですが、まだ未成年の少女がお腹に大きな傷を残しました。
千人以上の被害者がいます。これが血税を使った無償化で行われました。これを提案推奨したのは公明党です。
この党は税金の無駄遣いで国の借金を一番増やしている党です。
この党だけメディアは真実を報道しません
。新聞利権やCM利権があるからです。国民は真実を知らされていません。
このワクチンですが「その効果は証明されていません」厚生労働省の公式ページにあります。
効果の証明されないワクチンが何故無償化になるのか。
きちんと安全をチェックしない薬が公明党のゴリ押しで利権にされ多くの犠牲者を出しました。
しかしこの党は説明責任も責任の所在もありません。
裁判に突入したそうです。未だに税金で無償化されています。
これが普段から女性を応援すると豪語しているところの対応でしょうか。
日本国民はとかく偽善面や綺麗事に流され易いようですが、この体質が被害者を多く生む根源だと思います。
「右へ倣え」「事なかれ主義」「長いものには巻かれろ」は彼らが風潮化したご都合主義論です。
詐欺に遭って泣き寝入りすると次々と新たな詐欺がやって来る。
これが正論です。多くの国民が利権の奴隷化されつつあります。拡散を希望します。
#女性 #薬害 #子宮頸がんワクチン #公明
http://victim084.jugem.jp/?day=20170522
http://victim084.seesaa.net/article/victim084_2017060911.html

また、
外国人参政権はどこも行っていません。
国籍取得制度があるからです。日本には外国籍の人に生活保護を受けさせる制度があります。
これを行うと貧困国から浮遊国への大移動が起こり、それを国民の血税で養います。
だからどの国もやらないのです。
この2つが同時に行われるとカルトなどによって悪用される可能性が出てきます。
国民は不正が起こらないように見守る必要があります。
とにかく下記を読んでください。#外国人参政権 #生活保護 #創価 #公明
http://victim084.seesaa.net/article/victim084_20170711.html

http://victim084.jugem.jp/?day=20170711

http://victim084.jugem.jp/

 

▼創価学会中枢幹部が都議選大惨敗に「ざまあみろ」

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2017年 7月14日(金)15時30分26秒
  週刊文春の最新号に興味深い記事があった。
http://bunshun.jp/articles/-/3236
自民党内、地方、公明から同時多発で噴出
安倍首相にNO!
▼創価学会中枢幹部が都議選大惨敗に「ざまあみろ」

当該箇所を抜粋すると以下の通り。
……………………………
強引な政権運営を統けた結果、支持率の大幅下落を招いた安倍首相。
事ここに至って、"身内"からも立て続けに「NO」を突きつけられている。
「これまでにないほど、公明党、そして支持母体の創価学会内で“安倍アレルギー”が強まっています」
創価学会関係者はそう明かす。そのきっかけとなったのが、首相の発言だった。
「公明党抜きで勝利するいい機会だ」
都議選における公明党と都民ファーストの会との選挙協カを受け、六月十四日、首相は二階俊博幹事長らにそう指示を出した。首相は周囲に「公明党は自分の選挙のことばかりだ」と苛立ちを露わにしていたという。
「それに対し、山口那津男代表以下、公明党執行部は安保法案やカジノ法案で強行採決を重ねる首相の政権運営に我慢を強いられてきた。そうした中での発言に『誰のおかげで選挙に勝ってきたんだ』という声が上がったのです。菅氏と太いバイプを持つ学会中枢も、菅氏に『自民は二十議席台に落ち込む』と伝えたそうです」(同前)
 その菅氏は、都議選の当日も「三十議席台半ばはいける」と強気だったが、結果は二十三議席という歴史的惨敗。
「ざまあみろだな」
 都議選後、創価学会幹部らが集まった宴席で、菅氏と太いパイプを持つ学会中枢はそう言い放ったという(創価学会広報室は「そのような事実はない」と発言を否定)。
首相周辺が嘆く。「臨時国会に党憲法改正案を提出するという首相のシナリオも、これで厳しくなってきました。公明は本音では改憲に反対。学会票のカを改めて見せ付けられた今、その意向をないがしろには出来ません」
……………………………

菅官房長官に「自民は二十議席台に落ち込む」と伝え、都議選後、創価学会幹部らが集まった宴席で、「ざまあみろだな」と言い放ったという「菅氏と太いバイプを持つ学会中枢」って誰だろう??

菅氏と太いパイプを持っていて、選挙の情勢分析・票読みのプロといえば、あの人しかいないな。
「公明党、政治資金(調査研究費)の9割を占める謎の企業」――(株)JTCと深い関係にあったと言われるあの人だろうな。
http://eiji008.blog19.fc2.com/blog-entry-37.html

広報室は「そのような事実はない」と否定しているのに、週刊文春編集部は「▼創価学会中枢幹部が都議選大惨敗に『ざまあみろ』」と見出しに立てている。よほど自信がある証拠だな。

山口代表も井上幹事長も、いつ総選挙があってもおかしくないと言い出した。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017071300894&g=pol
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO18858910U7A710C1PP8000/

「都民ファースト」の若狭勝衆院議員も、年内に国政進出、「国民ファースト」があり得るとの見方を述べている。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/09/story_n_17442638.html

サンデーモーニングで岸井氏も、こう述べている。
「まだわからないが、政界再編ということでいえば、年内にも自民党分裂さえあり得る。かなり激しい動きになってくると思う。都民ファが国政に出るかどうか、それがきっかけになると思う。」
https://twitter.com/wanpakutenshi/status/883870612292198401

こんな下半期の政局予想の中にあって、あの人の言い放った「ざまあみろだな」は、果たしてどんな意味を持ってくるのか?? 今後も、信濃町の動きに注目だな!!!
 

(無題)

 投稿者:人力車  投稿日:2017年 7月14日(金)12時38分59秒
  「動物農場」のボクサー

力持ちで働き者の馬、ボクサーは「僕がもっと働けば」と頑張りすぎて倒れてしまう。豚は、ボクサーに良い治療を受けさせると言って、トラックに乗せた。トラックの行き先は食肉工場だった。

悲しくなりました。

 

おすすめブログ2つ

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 7月14日(金)12時37分48秒
編集済
  ブログ「蓮の落胤-創価学会、話そうか」から抜粋

http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/03/04/170637
2017-03-04
創価学会の教義変遷と宗創問題

東京大学法華経研究会は、日蓮正宗と創価学会に関連する何冊かの書籍を出版していますが(私は1975年に出版した「創価学会の理念と実践」という書籍を保有しています)、彼等が書籍を執筆する過程で日蓮正宗及び創価学会の実際の歴史を知ることになったであろうことは容易に想像できます(この辺りの部分も宮田教授のHPにそれとなく記載がある)。創価学会は、早い段階から(第一次宗創問題前から)自分達が教義的に危うい立場にあることを認識していたのです。第一次宗創問題、昭和52年路線の時点で池田大作と創価学会の首脳部は教義上の矛盾を十分把握していました。


http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/03/06/190105
2017-03-06
第一次宗創問題と山崎正友

多くの人を巻き込み、家族、地域、社会に多大な爪痕を残した宗創問題。山崎正友一人でできることではありませんし、山崎一人の責任でもありません(主犯の一人ではあります)。宗創問題の中身も教義論争ではありません。教義にあてつけた痴話喧嘩と利害衝突です。創価学会と日蓮正宗が争う必要などありませんでした。
ちなみにですが、山崎正友の配下で「裏の仕事」をしていた人達の一部は、今も信濃町とその周辺で元気に生活しています。「偉大な先輩」が残した財産のお陰ですね。


http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/03/08/203957
2017-03-08
宗創問題と石田次男(1)

山崎、福島、原島等の造反組、竹入、竜などの政治家造反組が口汚く罵られる中、石田は明確な造反者であるにもかかわらず、表立って非難されることは殆どありません。それどころか、創価学会を離れた後も、聖教新聞社から嘱託で給料を貰い続けていたらしいです。

石田は創価学会離反後、創価学会と日蓮正宗の双方を「教義的」に批判し続けます。正信会の盟友らしく、創価学会(池田大作)と日蓮正宗(日顕)、その両方に対して否定的な立場をとりました。正信会をべた褒めしていたのかと言えばそうではなく、真摯な学究者として、言うべきことを言う人物であったようです。

石田は間違いなく第一次宗創問題における第一級の当事者です。それでいて何故か創価学会から非難されることはありません。1980年代に、創価学会(池田大作)、日蓮正宗(日顕)、その他宗教を、あくまで教学的に批評し続けた石田。彼と真っ向勝負できなかったあたり、第一次宗創問題が単純な教義紛争でなかったことの証なのかもしれません。


http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/04/08/010652
2017-04-08
公明党は右傾化したか

「広布の礎、文化活動」という戸田城聖の講演(昭和30年、鶴見支部第四回総会、星薬科大学講堂)の一部を以下に紹介します。この講演は創価学会初の選挙に先立つもので、文化部員(地方選挙立候補者)の出陣のあいさつと言っていいかもしれません。

“広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、または、これに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども、会社の小使といえども、皆、御本尊様のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、また、この御本尊様のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。
 これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない。そこで、この一端として文化部が創設され、文化活動のうちの政治活動が、最初に打ち出されたのです。”

“ただ、ここに一言ことわっておかなければならないことは、文化部員の闘争は政治のための政治ではないということです。ある人は、そういうのもならば、創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、ひとりが社会党であり、ひとりが自由党であり、ひとりは民主党であり、なかには共産党がいても、いっこう、さしつかえないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからです。
 この意味におきまして、このたびは、どうか、じゅうぶんに悔いなき闘争ができるようにと、日夜祈っているしだいであります。”

--------------------------------------------------------


「蓮の落胤-創価学会、話そうか」
こちらのブログ、わかりやすく書かれていて、頭の中が整理されるのでおすすめです。

54年は日蓮正宗の教義が生んだ悲劇だと思います。違いますかね?

日蓮正宗が教義を変えればいいんですよね。

創価学会にアドバイス、教義保留にしておけば、もう遅いか。

戸田先生
「一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、ひとりが社会党であり、ひとりが自由党であり、ひとりは民主党であり、なかには共産党がいても、いっこう、さしつかえないのであります。」

池田先生はチームプレーがいいだろうとしたけど、それは一時のことでしょ。十分使命を果たした。

結果的に、互いに手を切ることが出来ず、国民に迷惑をかけているので、チームプレーを一時選んだ先生は、国民の敵になります。お前らのせいで。

2008年10月の本部幹部会「私が亡くなったら、選挙も無いよ」、先生も紛らわしいこと言うので悪いのだけど、私が責任を取ると思っているかもだけど、先生が責任を取れる問題ではないよね。


もう一つおすすめのブログ
「気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2016/09/05/201154

こちらもわかりやすく書かれています、でもちんぷんかんぷんが多い。でも面白いので皆さん読みましょう。
 

第2弾として、取りあえず 予算委員会閉会中審査

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月14日(金)12時19分32秒
  安倍首相、予算委員会の閉会中審査に出ることになった。

さも重大な決断を、首相自らが下した様な言い方をしているが、出るのが当たり前だ。
主犯の首相が、今まで逃げ回っていた事自体が異常なのだ。

しかし自民党は、質疑時間の与野党配分を1対1にしろと、文句をつけている。
そもそも与党の質問など、ヤラセの八百長質問しか出ないので、聞いてもしょうがない。非常に退屈な時間だ。

普段は、野党8割与党2割なので、少しでも野党の追及を逃れようとする、姑息な作戦にしか見えない。
そんなやり方では、イメージの回復など望むべくもなく、益々自ら墓穴を掘る事となり、私には好都合な事だ。


公明党の井上幹事長、いつ選挙があってもおかしくない、と言い始めた。

通常であれば衆院選、来年9月以降のはずだったが、そうは行きそうにないという事だ。

創価学会の選挙支援は、半年ぐらい前から始まる。しかし解散の日時が、まだ特定されていないということになると、夏季友好期間明けぐらいに、念の為、またまた選挙体制に突入という事もあり得る。

昔、衆院が解散するという予想が外れ、選挙体制延長、更にまた予想が外れて再延長、結局2年間ず~っとズルズル選挙体制のまま、という事があったが、同じ様な事がまた繰り返されるかも知れない。

現場学会員の苦労など、どこ吹く風。
自分達の為と言うべきところを、広宣流布の為と言い繕い、全員当選大勝利を目指して、また発破をかけまくるのだろう。

だが、そうなればもう終わりだ。

日本全国に、師匠叛逆執行部打倒の三色旗が、翩翻と翻る日も近い。




 

虹の創価家族さんへ

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月14日(金)12時04分56秒
編集済
  私も、お考えに大賛成です。
志を同じく、共に闘わせていただけたらと思います。

>広宣流布の師匠である池田先生をリスペクト(尊敬・尊重)し、世界平和を目指す方は同志です。

>池田先生が大好きな方なら必ず共闘できます。
 

二十一世紀への対話 104

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月14日(金)10時43分25秒
  ◆ 10 自殺と安楽死

【池田】 かねてから博士は「愛する人たちや自分自身のために、死ぬことのほうがより小さな悪である」との結論に達した場合、人間は自殺する権利をもつと述べておられます。しかし、私は、自らの生命を断つということは、生命の尊厳という、人間にとって最も大事な理念に反することになると考えるのですが、いかがでしょうか。

【トインビー】 私は、他人の生命を奪うことは、最大の悪であると思っています。ただ自らの生命を断つかどうかの決定については、私の見解では、各個人の熟慮のうえでの判断に任せなければならないと考えます。同様に、自殺を認めるか否かについても、それぞれのケースで、事情によって異なってくるはずです。
もしある人が正気を失ってしまったとして、そのうえで自殺を図ろうというのであれば、私は、それは防げるものなら防いでやるべきだと考えます。また、たとえその人が正気であっても、人生の何かの困難にぶつかって、衝動的に自殺しようとしているらしいという場合、これもできれば防いでやるべきだと思います。それは、当人がその時点では人生を耐えがたいものに感じても、別な人々の判断では、自殺を防いでやれば、やがてはその困難な出来事も解決するはずだ、と思われる場合のことです。
死を取り消すことはできないということからいえば、自殺はできるだけ防いでやったほうがよいということになります。これは、死は取り消せないということから、死刑の執行は差し控え、戦争は放棄すべきだというのと同じ理屈です。いかなる場合でも「生命あるかぎり希望あり」という格言が当てはまるかぎり、自殺であるにしろ、仲間の手を借りるのであるにしろ、故意に寿命を縮めるのは望ましくありません。
ただし、寿命はまだあっても、もはや希望はない、という場合もあります。そのような場合、その人が正気を保っているかぎり、私は、当人が熟慮のすえ、なお死を願うというのを、邪魔してはならないと考えます。このような状況にある人が、もしも安楽死を願うのなら、私は、その願いはかなえてあげるべきだと思います。また、その人が自殺を選ぶというのなら、それも決してひきとめるべきではない、と断固主張したいのです。

【池田】 私は、苦痛と快楽は、論理的には補完し合うものであり、倫理的には同次元のものであると思っています。いいかえれば、苦痛は快楽の対極にあるということです。
私はまた、人間は快楽――たとえば麻薬に溺れることなど――のために生命を犠牲にすることは、戒めるべきだと考えています。私のこの考えが正しいとすれば、人間は、苦痛から逃れるために生命を犠牲にすることも、また戒めるべきではないでしょうか。

【トインビー】 私は、安楽死とは、ある人を罰するためでもなければ、その人から他の人々を守るためでもなく、本人自身への慈愛の行為として一個の人間を殺すことであると定義づけています。
たとえ正気の人でも、これ以上生き続けることに耐えきれなくなって、死を望んだり、殺してほしいと願うことは、ありうることです。肉親との死別、自己の能力の喪失などが、その人の人生を耐えがたいものにしたという場合もあるでしょう。また、他人の重荷となって生き続けることは、自分としては人間の尊厳と相容れないと感じる、という場合もあるでしょう。あるいはまた、もしかして、本人の個人的意見としては、熟練を要する治療や看護を他の患者たちに使えばもっと有益なはずなのに、それを自分が独占するのは、やはり自己の人間としての尊厳に背くと感じる、という場合もあるかもしれません。
このような人が死なせてほしいというのに、その要求を拒むべきでしょうか。私は拒むべきでないと信じます。そういう状況にある人の要求を拒むことは、私は、その人の尊貴な権利である人間の尊厳性を侵すことになると信ずるのです。
さらに、肉体的または精神的に、あるいはその両面で耐えきれないほど苦しんでおり、しかも正気を失っているという人の場合、問題はもっとむずかしくなります。この場合は他の人々――医師、政府、友人、親族など――が、患者のために決定を下してやらなければなりません。同じような状況でも、相手が人間以外の動物なら、われわれは躊躇せずに殺して、苦痛を取り除いてやるでしょう。人間にはこれと同じ権利がないのでしょうか。人間にもその権利がある、とわれわれがなかなか口に出していえないとすれば、それはわれわれが一人の人間を殺すことを、一匹の動物を殺すことよりも重大な行為とみなしているからです。しかし、もしその病人が耐えがたいほど苦しんでいて、しかも治癒の見込みもなく、苦痛を和らげてやる見込みすらないという場合、そのような躊躇はかえって臆病であり、非難されて当然ではないでしょうか。
さらに、こうした場合、その病人を殺すことはためらうとしても、ではその病人を生かし続けないようにするということは、躊躇する必要があるでしょうか。最近、医学は、本来ならば死を免れないはずの病人を肉体だけ生かしておくという、これまで知られなかった方法を発見しました。この新たに発見された医学の技術を、寿命を延ばしてやることが慈悲どころか、無慈悲に思われるような人々に応用するのは、医学の濫用ではないでしょうか。このような場合、その患者を死なせてやるほうが、間違いなく道理にかなっているはずです。とはいえ、ある人を生かしておくだけの力がわれわれにありながら、みすみすその人を死なせてしまうのは、倫理的にいって、その人を殺すも同然のことではないか、という疑問も残ります。
このように、すでに正気を失っており、そのため安楽死を頼むことも断わることもできないという人の場合、安楽死が正当視されるかどうかは、きわめてむずかしい問題です。したがって私は、こうした場合、最も異議の少ない解決法は、責任ある人々からなる委員会を設けて、それぞれのケースについて個別に決定を下すことだと信じるのです。そのような委員会の編成は、法律によって規定しなければならないでしょう。ただし、そのように法律的に形成される委員会の下す決定は、前もって法律で規定してはなりません。
 

淫行解散02

 投稿者:選挙学会  投稿日:2017年 7月14日(金)10時40分55秒
  権力握ると、なんでも出来る世の中なんですね・・・

cyzowomen.com     2017.7.12(2)

カルチャー東京新聞社会部記者・望月衣塑子さんインタビュー(後編)
東京新聞・望月衣塑子記者が語る、安倍政権の裏側――記者がスパイのように……

望月衣塑子さん
 現在、女性の新聞記者は増えてきたものの、その割合は全体の2~3割程度だという。男性ばかりの環境で、積極的に相手に食い込んで取材をしていると話題の東京新聞社会部記者、望月衣塑子さんに、今の政権やメディアの問題点を聞いた。

■日本のマスコミは、なぜ詩織さん事件について騒がないのか?
――元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に「レイプされた」として、ジャーナリストの詩織さんが被害届を出した件についても、裏で安倍政権が山口氏のために動いている疑惑があるとも聞きますが、どうなのでしょうか?
望月衣塑子さん(以下、望月) どういう過程でなぜ、逮捕が取りやめになったのか、その経緯は、まだはっきりわかりません。詩織さんのお話では、2人が出会ったのは、2015年3月末、詩織さんが働いているバーに山口氏がお客として来たことがあったようです。翌日、山口氏は詩織さん、TBSのNY支局員とともに食事をします。詩織さんは当時、フリーランスとなって仕事を始めるかTBSで働くかで悩んでおり、山口氏にTBSのワシントン支局で仕事ができないかという相談をしています。その後、山口氏と詩織さんは東京・恵比寿にある2軒のレストランで会食をした後、詩織さんが意識を失い、気付いた時には、ホテルで「レイプをされていた」と訴えています。詩織さん自身は、非常にお酒が強く、取材時に同席されていた友人の話でも、「ワインを2人で何本空けても、詩織さんが酔いつぶれたのは見たことがない」というのです。詩織さんは、「これで就職が決まるかどうかという面接も含んだような飲食の席で、緊張しているのに、大量にお酒を飲み、吐くまで泥酔するということ自体できない」とも話していました。
 また、関係者に取材したところ、事件が起きた日に山口氏と詩織さんが訪れたレストランは、山口氏のお父さんも愛用している「値段のないレストラン」だったそうです。山口氏のお父さんは、有名な元野球選手の顧問弁護士などもやられている方だと聞いています。
 そして、逮捕状が出て執行される予定だった15年6月8日、詩織さんの担当警察官は成田空港の出口で山口氏が降り立つのを待っていたところ、「逮捕はするな」という指示を受けました。TBSの元ワシントン支局長が逮捕されるということで、高輪署、警視庁の捜査一課、広報課にも根回していたにもかかわらずです。逮捕は見送られ、任意での聴取となりました。任意の聴取になった契機は、当時、警視庁の刑事部長だった中村格氏が「山口氏の身柄を取るな」と指示したとされており、「週刊新潮」(新潮社)の取材に中村氏は「(逮捕の必要がないと)私が判断した」と話しています。

詩織さんの件で、新たな事実が浮き彫りになる可能性も

――そうしたことを、詩織さんが顔や実名を出して訴えたのは、大きなリスクを伴いますし、非常に勇気ある行動だと思いました。
望月 そもそも詩織さんの事件は、山口氏が当時TBSワシントン支局長でありながら、「週刊文春」(文藝春秋)に「ベトナムに韓国軍の慰安所があった」という内容の記事を書いたため、会社から日本に呼び戻された際に起きています。山口氏は4月23日に支局長を解任されて営業に異動、その後、自ら会社を辞めています。警察も初めは「TBSワシントン支局長が相手では難しい」「準強姦(ごうかん)罪は動画がないと起訴は難しい」などと、被害届を受けたがらなかったらしいのですが、山口氏が営業に異動になった後、詩織さんや彼女の友人の供述や、タクシーのドライバーの証言、ホテルの防犯カメラに映っていた詩織さんが山口氏に引きずられているように見える動画などの証拠が集まるようになり、捜査が本格化していったそうです。
 詩織さんは準強姦罪の不起訴不当を訴え続けていますが、ジャーナリストとして活動するために、検察審査会に訴えたわけではないと言います。本来は、フリーランスのジャーナリストとしてやっていきたいのですが、この問題で自分が実名で声を上げずに示談で済ませてしまったら、ほかの性被害者の人がもっともっと声を上げにくいような世の中になってしまうのではないかと思ったそうです。一時期は、性被害者の団体に入って、そこの団体をサポートしようとも考えたそうなのですが、やはり日本の社会や法律を変えるために、自分が実名で出ていくことを選んだのだと思います。彼女は、市井の被害者ですが、戦っている相手のバックには、山口氏がかつて深く食い込んでいた安倍首相はじめ、強力な安倍政権があると感じており、権力を敵に回すのはとても恐ろしいはずです。28歳の女性にその覚悟ができるのは本当にすごいことで、かなりの覚悟と勇気が必要だったでしょう。しかし、話を聞くほど、彼女には自分のこと以上に、社会を変えていきたいという使命感のようなものが強くあると感じました。
 一方、山口氏は、詩織さんの実名告発会見を受けて、フェイスブック上で「私は法に触れる事は一切していません。ですから、一昨年の6月以降当局の調査に誠心誠意対応しました。当該女性が今回会見で主張した論点も含め、1年余りにわたる証拠に基づいた精密な調査が行われ、結果として不起訴という結論が出ました。よって私は容疑者でも被疑者でもありません。もちろん、不起訴処分の当事者は皆、検察審査会に不服申立する権利を有していますから、申立が行われたのであれば、私は今まで通り誠心誠意対応します」と反論しています。
 事件に関し、先日「ニューヨーク・タイムズ」の記者と話したところ、「アメリカだと、このような事件は政権が崩れるほどの超政治問題になるのに、日本のマスコミはなぜ騒がないのか」と、何度も何度も繰り返し質問されました。加計学園の疑惑はテレビで扱っていますが、詩織さんの場合は日本テレビ以外のテレビ局では、ほぼ放映されていません。取り上げない大きな理由のひとつには、一度不起訴になった人はたくさんいるので、なぜ、あえてこの件を取り上げるのかという指摘があり、新聞で書くにも壁があるのは確かです
 しかし、この件に関しては、複数の国会議員が疑問視しており、今後、国会の場なども含めて議題として取り上げられ、新たな事実が浮き彫りになってくる可能性もあります。

女性だからグイグイ質問できる部分がある

――取材対象である政治家には男性が多い中、女性だからやりづらいと感じたことはありますか?
望月 体力勝負になるところやセクハラ的なものがあるなど、大変さもありますが、基本的には女性も男性も「これを取材したい」「報じなければいけないと」いう思いでは同じだと思います。ただ、どちらかというと女性だからグイグイいける、女性の方が単刀直入に聞いていけるのかなと思うことはあります。例えば、菅官房長官の会見だと、普段から菅さんと付き合いのある記者さんたちは「あまりご乱心させてはいけない」と気に掛けている面もあると思うのですが、私にはそのような配慮は、付き合いがないからこそ、ありません。毎日取材で顔を見せて会っていたら、私のようには、なかなか追及しづらいのだと思います。人それぞれですが、男性でガンガンストレートに聞く人は少ない印象です。でも稲田朋美防衛相の失言時は、防衛記者クラブでの質問は、男性記者がかなり執拗に追及していたと感じました。官邸の会見でも「ジャパンタイムズ」の男性記者は問題だと感じた場合、「それおかしいでしょ!」とストレートに怒りをぶつけていました。
――「菅官房長官が警察組織を使って、望月さんの身辺調査をするよう命じた」という報道もありましたが、実際に危険な目に遭ったりはしていませんか?
望月 疑惑について次々に質問を重ねているので、何か動きがあるのかもしれませんが、目に見える形にはなっていないので、今のところ危険な目には遭っていません。目立つと、やはり危ないことに巻き込まれる可能性は出てくるとは思っていますが、前川さんや詩織さんの話を聞くにつけ、私でなくても結局、誰かが声を上げなければいけなかったのではと思っています。日本の政治や社会を作っていくのは、政治家ではなく、私たち国民の意識なのだということを改めて認識していく必要があると思っています。
――新聞記者として、今後はどのような報道をしていきたいですか?
望月 加計疑惑をみると、現状は、官邸・内閣府と文科省の双方が「言った」「言わない」の議論に陥っているかのように見えますが、現時点で「加計ありきで進んでいたのではないか」という国民の疑念に対し、政府は納得のいく説明や客観的な資料をまったく示せていません。報道によって、政府がどのように何を説明でき、何を説明できていないのか、これを繰り返し繰り返し紙面やSNSなどを通じて、有権者である国民に伝えないといけないと感じています。
 06年の第一次安倍政権時に教育基本法が改正され、「愛国心」や「伝統」「公共の精神」が盛り込まれ、ナショナリズムが喚起される方向に変わったように思います。私が取材している武器輸出の問題でも、第二次安倍政権の閣議決定により、武器を他国に売らない国から、武器を売って稼ぐ国づくりへ大きく転換させようとしていることが見えてきます。
 2年前に筑波大学の学生新聞が行ったアンケート調査では、軍事研究賛成派の学生が反対派を上回ったという結果が出ています。筑波大はどちらかというと政府系の研究所やシンクタンクが多いということもありますが、そのような結果が出たのは衝撃的でした。今年になって、日本の科学者を代表する団体である「日本学術会議」で、軍事研究を禁止する1950年・67年の声明を継承していくとする決定が出たことを受け、同大の永田恭介学長は「軍事研究を禁止するルールを作っていく。学生とは一から議論していきたい」と会見で発表しました。NHKで一部報道されていましたが、名古屋大の大学院生らの中には「(実際の)戦争が起こらないのであれば、助成金をもらっていてもよいのではないか」「国防のためには軍事研究は必要だ」と言う学生もいたそうです。
 私が子どもの頃は、戦争の悲惨さを訴える番組がよく放送されていた記憶があります。でも、戦争を経験した世代が亡くなり、戦争の記憶が生々しく語り継がれていく機会が減っているという現状があります。今の若い学生さんほど、戦争に対するリアリティを持てないのでしょう。世代間の差が見えます。ここをどう埋めていけるか、戦争の記憶を引き継いだ私たち大人に課された課題だとも感じています。
 国民は身の回りの生活が干上がってくると政治に怒りを持つけれど、自分たちの周りが豊かなうちは、ちょっとくらい国の方向性が右や左にそれようが、実感としてはよくわからないのかもしれません。日本経済団体連合会(経団連)に属する大手企業の幹部たちも、話を聞くと、みんながみんな安倍首相の国家観がよいと思っているわけではないことがわかります。ただ、経済効果を数字で出し、株価を維持することが大切だと考える経営者は多く、富の格差が広がっていることは明らかですが、今は有効求人倍率の数字などは良く、経済成長が大きく後退しているようには見えないので、今の政権に対して経済界も妥協しているのかなと、取材していて実感します。でも、この国の形をつくるのは、私たちの民意です。今の政権の抱えている問題点について、一人でも多くの人たちに考える契機を持ってもらえるよう願っています。?(姫野ケイ)

望月衣塑子(もちづき・いそこ)?1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。また09年には足利事件の再審開始決定をスクープする。東京地裁・高裁での裁判担当、経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材している。二児の母。趣味は子どもと遊ぶこと。



 

淫行解散?

 投稿者:選挙学会  投稿日:2017年 7月14日(金)10時37分48秒
  どこかの宗教団体の最高幹部様同様に、どこにでも有る話ですが・・・

cyzowomen.com     2017.7.12(1)

カルチャー東京新聞社会部記者・望月衣塑子さんインタビュー(前編)
東京新聞・望月衣塑子記者が語る、安倍政権の裏側――記者がスパイのように……
?安倍晋三首相のスポークスパーソンである菅義偉官房長官の記者会見で、何度も食い下がって質問を続けるひとりの女性記者が注目を集めている。その取材の様子が話題となり、最近はテレビや雑誌にもたびたび登場している東京新聞社会部の記者、望月衣塑子さんだ。なぜ菅官房長官にしつこく質問するのか、政治取材の現場はどういうところなのか、そして安倍政権の裏側について、望月さんに聞いた。
■記者クラブの会見では、指名される人が決まっている
――菅官房長官への記者会見で毎回食いついていますが、望月さん以外の記者は、あまり切り込んだ質問をしていないように見受けられます。安倍政権に批判的な質問をしてはいけない“暗黙の了解”のような雰囲気が記者クラブにはあるのでしょうか? また、そもそも記者クラブとは、どういう集まりなのでしょうか?
望月衣塑子さん(以下、望月) 記者クラブとは、総理大臣をはじめ各官庁、政党を担当している(大手メディアのテレビや新聞などの)政治部記者が入っている記者会で、そのうちの大きなひとつが「内閣記者会」(官邸クラブ)です。最初は私も「批判的な質問をしないのが普通なのかな?」と思っていたのですが、菅官房長官の会見では、手を挙げている記者の質問には、批判的な内容でも全部きちんと答えています。一方、安倍首相の記者会見では、司会者は絶対に安倍首相のお気に入りの記者しか指名せず、NHKなどは手を挙げてもいないのに指されると聞きました。菅官房長官の会見に関しては、官邸クラブが中心ではありますが、フリーの記者でも金曜午後は入れるようになっており、ある程度開かれてはいます。
 かつては政権に批判的な記者の質問も多かったと聞きましたが、最近は、あまり官邸に抵抗できないという空気感がクラブにあると思いますね。加計学園疑惑の話は、マイルドな聞き方をされていますし。
――望月さんは政治部ではなく、社会部の記者ですよね。ほかの部の記者でも入れるんですか?
望月 明確に記者会所属の記者しか出てはいけないという規定はないので、内閣記者会に会社が登録し、国会記者証を持っているなどいくつか条件をクリアしていれば、フリーの記者も含めて会見には入れます。官邸は週刊誌などのマスコミも、どんどん来ていいというスタンスとも聞きますが、内閣記者会側が既得権にこだわっており、フリーの記者が金曜日の午後会見以外に出ることには否定的だと聞いています。
――官邸クラブの記者は、政府の「御用記者」のような感じなのでしょうか?
望月 政治部と社会部では、目指している方向が、そもそも違うのだと思うので、批判的な質問をしない政治部記者が問題だとは思いません。政治部記者の中では、社会部的な疑惑の追及より、北朝鮮や中国との関係をはじめとする国際情勢や、経済政策などの政治情勢がどんどん動いていくから、それを日々追って、菅長官のコメントを取ることの方が重要なのだとも思います。
 だから、稲田朋美防衛相など、選挙での政治情勢に影響する失言などには、とても敏感だし、ツッコミも入るのですが、加計疑惑や下村疑惑(下村博文議員が加計学園から闇献金を受けたといわれる疑惑)などの社会部的な疑惑をいちいち掘り下げていくという雰囲気ではないのだと思います。政治部記者としては、日々目まぐるしく回っていく政治をどうフォローしていくかが主眼で、疑惑の追及が重要ではないというスタンスなのかもしれません。そのため、疑惑を掘り下げている社会部の記者こそが、怒りをもって追及していけるのだと思います。

同じ回答しかしない政治家を、国民に見せることが大事

――望月さんは、会見時に菅官房長官に何度も質問をされていますが、それに対し、菅官房長官は質問の答えになっていないような回答ばかりされていますよね。
望月 今では、その様子を国民に見せることが必要だと思っています。国民は、何を質問しても、菅官房長官がうろたえて同じ答弁を繰り返すのを見て、「さすがに『加計ありきでない』という言い訳は苦しいよな」と思い始めているのではないでしょうか。
――NHKや民放をはじめとしたテレビには、すべてをきちんと放送できない事情があるのでしょうか?
望月 これは、私がテレビ関係者から聞いた話ですが、例えば、国会が開いている間は加計学園疑惑がこぞって放送されていました。しかし、国会が閉じてしまうと加計疑惑について報道するかどうかは各局の判断になるそうで、そこから、各局の政権に対する忖度のスタンスがよくわかるというのです。ある番組ではトップで扱っているものが、別の番組では三番手扱いのニュースになっているとか。また、ある民放局では、コメンテーターに官邸の見解を話す人を入れるよう、上から指示が来たという話があるとも聞きました。
 テレビと比較すると新聞は、そのようにあからさまな圧力は受けていません。数年前、衆議院議員選挙を前に、萩生田光一官房副長官が民放各局の番組担当者や編集局長などに宛てて、「公平中立、公正な選挙報道を」という内容の文書を送りつけています。このように政権が選挙報道側に規制を前提とするような圧力をかけることはありませんでしたから、極めて衝撃的な文書であり、安倍一強の下での政権のテレビメディアへの関与、圧力があからさまになった出来事でした。しかし、そのときも、すぐに騒ぎにはなりませんでした。やはり、テレビは電波を総務省に握られている(電波法に基づいて放送免許を与えられている)ことも関係あるのかもしれません。
 本来は、このような圧力があったら、テレビメディアは断固として闘うべきでしょうが、それはなかった。逆に、あの萩生田文書を契機に、テレビメディアの忖度が急速に進展していったのではないかという気がしています。これは民主主義や言論の自由にとって大きな危機だったと感じています。

官邸が記者をスパイのように使っている!?

――なんだか独裁国家のような感じですね。
望月 恐怖政治のようにも見えるかもしれませんが、問題とされるべきは、政権だけでなく、メディア側の姿勢にもあると思います。関係者を取材すると、官邸側は反政権的な官僚や政治家、マスコミ関係者などについて、出身官庁からの情報など、あらゆるチャンネルを使って調べているとも聞きます。韓国・釜山の総領事の森本康敬氏が異例の交代となった背景には、マスコミ関係者と森本氏が会食した際、政権に批判的な発言をしたことが、官邸に伝わったためとも聞きます。ある元自民党議員は、取材に対し「政治部記者に官邸批判をしていたら、その話がすべて官邸に筒抜けになっていて恐ろしかった」とも言っていました。前川喜平・前文科省事務次官は、一部メディアで報道が出る前に、新宿のバー通いについて官邸の杉田和博副長官から指摘を受けていました。
 どこのメディアでもそうですが、その部署に50人の記者がいれば50人分、取材対象から聞き取った内容のメモができます。マスコミのある社では、かつてはそのメモを記者全員で共有していたそうですが、今は「反政権的なことを言っている官僚や政治家がいます」と、官邸サイドにその話が筒抜けになるのを防ぐため、キャップやサブキャップ以外にメモをシェアしない形を取るようになったとも聞きました。これは、政権が怖いということ以上に、権力側に気に入られ、権力に食い込もうとするがために、記者が自ら進んでメモを権力に差し出していると推測させることを示しています。こういう状況は、かなり危機的ではないかとも感じます。どんな立場にいようと、最後はメディア、そして記者は権力の監視・チェックをし、権力の暴走を防ぐために存在するということを肝に銘じる必要があると思っています。
――権力を監視するはずの記者が、その役割を果たしていないということでしょうか?
望月 記者としては政権の内部に食い込みたいから、そのメモを官邸サイドに渡すのでしょうが、結局それは、官邸が記者をスパイのように使う材料にもなっているわけです。前川前次官に聞きましたが、文科省の文化功労者選考分科会の委員の人選で、閣議決定が必要なものがあったため、事前に官邸にお伺いを立て、人事のリストを見せた時、杉田副長官から「この学者は安保法制反対の学者の会にいるよね」とか「この人は政権にあまり賛成していないね」と指摘を受けたと話していました(杉田副長官は否定)。前川氏は、「要は、委員のメンバーからは外せと言いたかったのでは」と話していました。この話を菅官房長官にぶつけると、「それはない」と激しく否定し、指摘されたことをとても嫌がっていました。内閣人事局を掌握し、2014年以降、霞が関の部長級以上の官僚5,600人の人事権を握るようになったことは、今の政権の力の源泉です。その内幕のような話は、最も触れてほしくない部分なのでしょう。
 前川氏によると、安倍政権前のかつての自民党でも似たようなことはあったが、審議会の人事に少しくらい反政府側の知識人がいても、官邸がそこまで口出しをすることはなかったそうです。民主主義的な議論をするには、ある程度、さまざまな立場の意見がある方が、議論に多様性があっていいじゃないですか。でも今、安倍首相の作り出す会議は、みんな安倍首相の色に染まった人ばかり。加計学園の民間の諮問会議のメンバーしかり、「NO」と言う人は周りに絶対寄せ付けたくないという感じがあります。メディアの使い方にしてもそうです。本来は国会の場など誰に対しても開かれている公平な場でこそ、自らの狙いや心情を打ち出してしかるべきなのに、読売新聞の一面で憲法改正議論を5月3日に出して、国会で「読売新聞を読んでください」と言い放ったり、改憲案を秋の臨時国会で提出することを「正論」懇話会が主催したイベントで言ったりとか、そういうのは非常におかしな話だなと思います。

今、政治がどうなっているのか知ること

――おかしなところが多い今の政権に対して、国民はただ見守ることしかできないのでしょうか?
望月 まずは知ることです。今、政治がどうなっているのか知ることで、選挙の際の一票につなげてください。支持率の低下は、政権にとって大打撃なんです。加計疑惑の中身をきっちりと知れば、今の政権がなんでもありのおかしな政権になりつつあるのではないか、という疑念が解消されるか、逆に疑念が深まるかということが、少しずつ見えてくると思うんです。人事権を握られた現在、霞が関の官僚はひたすら忖度に動いてしまい、「総理が言っているんだから」で済まされ、本来は司司であるべき官僚の姿勢さえもゆがみかねないという、政治の現状を理解することができてくると思います。官僚側に立てば、反対意見を述べて自分たちが左遷されるのが一番怖いということなのでしょう。
 かつて、小泉政権下で打ち出した教育政策が、当時文科省の一課長だった前川氏の考える教育理念・政策の在り方に合わないと、ご本人がブログを書いて反論していたことがあったようですが、小泉改革の中でも、彼が左遷されることはありませんでした。今は、そういうことがあるとすぐに、課長は飛ばされてしまいます。ものを言えない空気が霞が関官僚の中に漂っていて、官僚の間に不満もたまっていると思います。?(姫野ケイ)



 

どこも一緒ですね、、、

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2017年 7月14日(金)10時28分41秒
  原原時々様の投稿の通り。どこも一緒。
本気で青年を育てようと思っていないのでしょう。

地区の目標は紙面上達成すればOK

そうすれば上から煩く言われない。毎日毎日 煽られなくて済むし、少しは疑問もあるけれど 報告で達成しとけば 幹部が誉めてくれる。私一人が何か言ったところで何も変わらない。青年は育たないけれど うちだけじゃないし。歓喜も感動もないけれど
私が我慢すれば丸く収まる。
そんな中間幹部の心の小さな悪が地区やブロックという現場の最前線を飲み込んでいっている現状です。

広宣流布という崇高な目的を掲げていれば 手段などなんでもいいという間違った価値観。
目的は手段を正当化するとの考えを池田先生はハッキリと否定しています。

「目的の正しさは、それを実現する過程で用いられる手段によって裏づけられ、証明されなければならない」

時と共に輝きをますトインビー対談の一節です。

いかに広宣流布を叫んでも地区が苦しむやり方は間違っています。
会員が苦しむ正義の戦いなどありません。

 

もりかけ解散

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年 7月14日(金)09時56分32秒
  総理国会で説明。何か秘策があるのだろう…
野党の追及に

「そんなに言うんだったら、解散して信を問いましょうよ」なんて逆ギレしたふりしての解散ありそう。

泥舟も今ならまだ、ギリ浮いてるか。笑笑

 

SaySaySayさんへ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月14日(金)09時49分1秒
  メッセージありがとうございます。

私はタイの全員集合みたいなときに

”今日が人生最後の日だったら、そんな遠くの会館に
わざわざ会員さんの歌って踊ってをみに行きますか?
AKB48が来て歌って踊ってなら行きます”

と言っちゃいました。怒られそうですが、それは
正直な気持ちなのでしかたないですよね。

組織にとって価値あることが、必ずしも自分に
とって価値あることとはかぎりません。

あと、猫は大好きです。自分で勝手にバンコクの
猫侍と言ってます。(^^)





 

ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月14日(金)08時44分21秒
  虹の戦士さん、スティーブ・ジョブズ‘Stay hungry. Stay foolish.’をありがとございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72085
原原時々さんへのヒントかメッセージがここにあるような気がします。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72081
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72082

>「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。<

→このことを普段は忘れているのですが、時々思い出して真剣に考えます。そのきっかけになったのが「7・17」の裏側にある「1・17」阪神大震災でした。
『あした死ぬかもよ?』(ひすいこたろう)という本を定期的に通う書店で見た時も思い出してはリスタートしています。

打ち出し??? そんなのを何十年もやって来て効果はどうだった??? なぜ学会は落ち目になった??? 近年それが加速しているのはなぜ??? これからもそれで行くのか??? イケると思っているのか??? そんなことをしている場合か??? それで後悔しないのか???

>自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。<

→「価値創造」とは何か??? 池田先生は小説『新・人間革命』のなかで「(池田先生が)実質主義でやって来たから学会は発展した」と言われていましたが、今の組織に実質主義はあるか??? 「発展の因」はあるか??? 衰退の因しかないのではないか???

原原時々さん、「STBを見せれば入決」ですか? 裸の王様は喜劇か悲劇か?
私の地域では昔「本部長と握手したらニューリーダーになる」という時期がありました。後に名簿作成時、本部長は誰と握手したか忘れてしまい、各地区リーダーに訊いて回っていた時には呆れて開いた口が塞がりませんでした。(そんなのが嫌いな私の地区では握手ツアーはやらせなかった。突っぱねた私にまで訊いて来た。)

>そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。<

→本当に大事なことは何??? そんなショーモナイもんに付き合っている暇はあるか???
これを『いい子症候群~期待に応えすぎる子どもたち』はやってしまい、また人にもやらせてしまい、負の連鎖が続く。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00010004-benesseks-life

「手紙をポスティングをしたら訪問座談会ということで、座談会参加人数にカウント」なら宿坊に来た方がよっぽど良い。御書・仏法・師弟・トインビー対談も学べる。

“僕の立場になって考えてみてよ それとももう喋れなくなるまで、僕はずっと話し続けなくちゃいけないのかい?”
“自分の立場だけで物事を見ていたら 僕らの愛だってそのうち消えてしまうかもしれないよ”
“でも、僕らならうまくやれる 解決できる きっと何とかできるはずだよ”
“自分の言葉を考えてみて 間違っているかもしれないのにきみは目を背けている”
“僕の話をよく聞いてくれよ 僕らならうまくやれる きっと何とかできるはずだよ”
“人生はとても短いから 争ったりなんかして、問題を起こしている暇なんてないんだ”
“前からそんなの馬鹿げたことだって思っていたんだ”
“だからもう一度、きみにお願いをしてみるよ 僕の立場で考えてみてよ”
“僕が正しいかどうかはそのうちわかることさ でも、僕らならうまくやれる”
“きっと何とかできるはずだよ”
『ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=Qyclqo_AV2M

P.S.
CAT48ですか。こんなに居ても「猫の手も借りたい」とは思わないが……え? 猫って手を貸すんですか? 猫っかぶりじゃなくて?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72074
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72053
猫の勝手気ままな生き方が好きです。「猫はええのぉ」というCMもありましたが。ジョブズの生き方は猫型だったでしょうか。権力の犬になり下がった奴らを見るとそう思う。
 

虹と創価家族様へ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月14日(金)08時43分24秒
編集済
  ありがとうございます。

うまく自分の言葉で表現できませんが
さまざまな情報の闇の中で
自分にとって最後の光がみえてきたようです。
これも、この掲示板のおかげです。

ありがとうございました。


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、第26回本部幹部会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月14日(金)07時49分59秒
  おはようございます。原田怪鳥様、世界広布新時代、第26回本部幹部会でのありがたぁ~い御指導、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、ナニより原田怪鳥様御自身が、「誠実」の行動で仏縁を広げようとされてマスかぁ~、ってコトなんデスよぉ~(笑)


九州での土砂災害にお見舞いを言ったはいいが、原田怪鳥様は全然行かれてないデスねぇ~(笑)

その後は、ただちに都議選勝利の話題、大上段から檄を飛ばすだけしかされなかった怪鳥様、(笑)

大阪で、一軒一軒、会員宅を回られた師匠の戦いを引き合いに出すのは、なんだかなぁ~って感じデスよぉ~(笑)

ナニより、怪鳥様自身が、今回の都議選でも、全然、見えてましぇ~ん(笑)

自身や執行部の大患部サマは動かず、ただ叫ぶだけ、汗を流すのは会員だけってコトですかぁ~(笑)

>苛烈な獄中闘争を戦い抜かれ、出獄された先生が、”最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つ!”と正義の獅子吼を放たれた<
(政教珍聞7月14日4面より抜粋)

ココも予想通りデスよぉ~(笑) 正しくはこうでぇ~す(笑)

「最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が必ず勝つという信念で、やろうではありませんか!」
(民衆こそ王者Ⅴ、P166より抜粋)

「大御本尊様を受持しきったものが」がカットされてマスねぇ~、これのドコが「誠実の行動」なんでしょうかぁ~(笑)

「信念で、やろうではありませんか」もカットされてマスねぇ~、ナニか意味があるんデスかねぇ~(笑)


ナニより1面使って、怪鳥様はじめ大患部の御指導を載せるワリには、「折伏」の文字はまったく無く、「御書」の文字もまったく無い(笑)

御聖訓の引用らしきものが一編、「御書」と言わず、御聖訓と言ったのが一編と、寂しい限りでぇ~す(笑)

「御書根本」が創価学会の魂じゃなかったんデスかぁ~(笑)

おまけに引用した御文が、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書P1361)

ってのは、ナニかのブラックジョークですかぁ~(爆)


原田怪鳥様、ガンジーまで引き合いに出して、「誠実」を語るならば、まず、怪鳥様御自身が「誠実」であってくださぁ~い(笑)

奥義「着信拒否」で、対話を拒否されるのは「不誠実」デスよぉ~(笑)

怪鳥様宛の手紙に返事をしないのは「不誠実」デスよぉ~(笑)

意見を言う者を「査問・処分」するのは「不誠実」デスよぉ~(笑)

師匠の言葉を、カットし、改竄するのは「不誠実」デスよぉ~(笑)

どうか、原田怪鳥様が、「誠実」に対応していただけるコトを、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

ドント・ストップ・ミー・ナウ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月14日(金)07時35分40秒
  >ベストセラー『日本会議の研究』の著者で、最近は森友学園などさまざまな案件について積極的に発言している菅野完さんのTwitter(@noiehoie)が7月12日、突然更新されなくなった。菅野さんによるとアカウントが「機能制限」を受け、投稿ができない状態になっているという。何が起きたのか。<
https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170713?utm_term=.mcnB9nO3V#.uuMqYmO3k

『いい子症候群~期待に応えすぎる子どもたち』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00010004-benesseks-life
これが今の学会の『大問題』であると思う。
『新・人間革命 第27巻』「若芽」の章で、池田先生は子供に、自分の意思で判断、行動させようとします。空気なんか読ませるのではなく。その点、菅野さんは素晴らしい。

“今夜俺は本当に楽しい時間を送るつもりさ。生きてるって実感してる。”
“天と地をひっくり返してやるさ。エクスタシ―の中で漂っているんだ。”
“だから今俺を止めないで。俺を止めるなよ。だってこんなに楽しんでいるんだから。”
“楽しいんだ。さあ 俺は進んでいく。何も俺を止められない。”
『ドント・ストップ・ミー・ナウ』クイーン
https://www.youtube.com/watch?v=HgzGwKwLmgM

カウントダウン!!! 7・17横浜座談会まであと3日!!!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-112.html
 

わが友に贈る 2017年7月14日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月14日(金)07時23分39秒
  地域を照らす希望の太陽
ヤング・ミセスの皆様!
いつもありがとう!
明るく仲良く励まし合い
幸の光彩を広げよう!
 

虹の戦士様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 7月14日(金)07時10分20秒
編集済
  >『雌伏68問題』の問題はとても重要なことだと思います。
私も先生の真実の歴史を知らない幹部や会員のひとりかも
知れません。<

おはようございます。
投稿をお読み頂きまして誠にありがとうございました。

『雌伏68問題』は、現在の創価学会を考える上で大切なポイントになります。
これほどわかりやすい掲載事故は他にないからです。
山友裁判での、先生の裁判証言が偽証となってしまうのが雌伏68の内容だからです。

『雌伏68問題』は本部職員全員を試します。
掲載事故を放置すれば、『池田先生の裁判証言は偽証』と学会本部が言っているようなもの。

文証を見せ本部職員一人ひとりにお聞きしたい。
「池田先生が山崎正友の恐喝裁判で、嘘の証言をされたのでしょうか?」と。
「あなたは雌伏68の掲載事故を放置して、何も感じないのでしょうか?」と。

掲載事故を放置する本部職員は、まさに54年問題を繰り返しています。
一日も早く、雌伏68の訂正をするべきではないでしょうか。

重ねて念を押したいのが、新・人間革命を池田先生が書かれていない事に、何も問題は御座いません。
しかし、間違いがあったなら訂正するのが筋です。
そうしなければ池田先生に汚名を被せて、永久に迷惑をかけ続けてしまうからです。


PS:ご質問について

日顕宗の坊主や講員の多くは池田先生が嫌いなのです。
池田先生を尊敬・尊重せず、先生を師匠とする学会員を馬鹿にします。
自分は、このような坊主や講員の集まりを、日顕宗と位置付けています。

広宣流布の師匠である池田先生をリスペクト(尊敬・尊重)し、世界平和を目指す方は同志です。
先生の平和思想をリスペクトできる人とは、宗派・国籍・人種を越えて友情を結べます。
もしその中に、日蓮正宗の方がいるなら、友情を結び共に世界平和を目指します。

創価学会と日蓮正宗は、あくまで別の宗教法人と見てゆくべきだと思います。
故に、「日蓮正宗創価学会にもどると」いう考えは、自分の中に御座いません。

教義の高低浅深や正邪については、この掲示板で質問しては如何でしょう。
教宣の武将が、山ほどいらっしゃいます。
その中で、虹の戦士様の目指すべき道を思索しては如何でしょうか。

前にもお話しましたが、池田先生が大好きな方なら必ず共闘できます。
そして共に久遠の弟子です。


 

青空への道

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月14日(金)05時45分25秒
編集済
  おはようございます。




「日蓮世界宗」への道、自分にとっては
何か違うようなきがする

だからといって、日蓮正宗への道も
何か違うようなきがする

そんなとき、ふと、大好きなアップルの創始者
スティーブ・ジョブスさんの演説を
思い出しました。
---------------------------------

今日が人生最後の日だったら・・・。



”私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。”

この言葉について、私はこう思いました。

仏法でみれば、人生最後の日は人生最初の日に続くんだと
---------------------------------
もしかしたら、私は教義とか教祖とかご本尊とか言葉に
囚われていたのかもしれません。

幸せになるには、まわりに幸せな人たちがいる世界

大切なのは、イマジン・ハッピー・ライフなんだ

ふと気がつくと、青空に続く道を歩きはじめていました
誰かの声が聴こえたようです

'Stay hungry. Stay foolish.'

みなさんありがとうございます。

---------------------------------
 

お詫び・訂正その二十一

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月14日(金)01時10分28秒
  レ・ミゼラブル07
投稿者:The logic in the place
?投稿日:2015年 1月24日(土)22時24分31秒

若き日の読書 1978.08.24 第三文明社 P.147~P.158より
貧しい人びとへの共鳴  ユゴー『レ・ミゼラブル』
「 ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』をはじめて読んだのは、私が十四、五歳のころであった。『?無情』と題した黒岩涙香の抄訳と、豊島與志雄の完訳が出ていたが、私は豊島の完訳を選んだ。全三巻、原稿枚数四千枚にのぼるという大作である。『レ・ミゼラブル』は、一般には、原題より主人公ジャン・ヴァルジャンのほうが有名であった。あるいは、『?無情』という黒岩涙香のつけた題名によって、広く知られていた。
 私の記憶では、たしか三回、読み返している。「日記」をくると、昭和二十五年(1950)八月三十日に「レ・ミゼラブルを読み終わる」と末尾に一行の記述があった。
 これが三回目の読了であるが、真夏のある夜、雑司ヶ谷の墓地へ行って蓆の上に座り、月光の下で、懐中電灯をつけながら読んだこともあった。人気のない墓地の静けさが、絶好の読書空間を提供してくれたのである。
「二度読む価値のない本は、一度読む価値もない」という名著の定義があるが、私は『レ・ミゼラブル』を三度読み、なお時のたつのさえ忘れ去っていたわけである。
 それから二ヶ月ほど経ったころであろうか、映画化された『レ・ミゼラブル』が上映されていた。私も早速、新橋の映画館へ観に行ったことが「日記」に記されている。

抜粋しましたが、以下長文で先生はレ・ミゼラブルについて述べていますので、全集または単行本を探して読んでください。

私の主張は、師匠が20代までに三度読んだのであれば、弟子は師匠の言葉に甘えてダラダラ本を読むな!という事です。スピーチに甘えて、『先生はこう語った』などとメッセンジャーボーイのような指導しか出来ない県幹部以上のバカになるなと言うこと。また、官製?審査会規定?などという会員も知りえないおかしな会則(内規)を振り回し、会員を余所者にしたり、除名したいり愚弄する輩は弟子ではない訳で、師匠が三度読んだのであれば、弟子は6回、12回と倍以上読んで、師匠が言わんとしていることを深く読めということです。

えっとね、DVD「レ・ミゼラブル2012」借りて来て、視聴する。
次に、同年に角川出版が出した文庫本「レ・ミゼラブル(上・下)」を買って読む。
そして最後に、1987年改訂版岩波書店の文庫本「レ・ミゼラブル(一・二・三・四)」を買って読む。この岩波書店の文庫本が豊島與志雄の完訳本です。厚さ2cm以上が四冊です。先生は、20代のときに、これを(改訂前はモロ文語体)三度も読んだんです。私も昭和54年代に大学図書館で読み
ました。半年かかりました(笑)。でも、涙が出ます、それだけユゴーの言わんとしている歴史背景と情景が理解できます。
この豊島與志雄の完訳は、本当に感動しました。だから、先生は本部幹部会のスピーチで強く訴えたのではないですか?バカ弟子は、まったく本を読まず、「先生はかくの如く語った」程度で終わらせているから、『スリー・セブン・フォー・ナイン・ワン・ナイン』なんて言われる訳なんですね。ジャンバルジャンとは大違いです(笑)。

ーーーーーーーーーーーー
この本文の引用は、会則規定の

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。

ーーーーーーーーーーーーーー

尚、解説で
「バカ弟子は、まったく本を読まず、「先生はかくの如く語った」程度で終わらせているから、『スリー・セブン・フォー・ナイン・ワン・ナイン』なんて言われる訳なんですね。ジャンバルジャンとは大違いです(笑)。」
との記述は、誰を指しているのか?心当たりのある方はご指名下さい。少なくとも、この掲示板に投稿される方では有りません。私も、今の創価学会の極善弟子の中には居ないと思います。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月13日(木)23時42分7秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が健康長寿であります様に
会長、副会長の方々が真面目な会員をイジメないように
おやすみなさい
 

(無題)

 投稿者:原原時々  投稿日:2017年 7月13日(木)23時28分1秒
  成果報告は、凸凹があってしかるべきだと思います。
しかし、未達成の組織はどこかの段階で目標達成されたことに改ざんされてました。
そんなことしたら、実態がわかならいじゃん。
誰のための報告?
中間幹部はどっちを向いてるんですか。
目標達成のために、報告に入れる解釈がどんどん拡大されていきます。まるで、憲法解釈みたいに。
会えなくても、手紙をポスティングをしたら訪問座談会ということで、座談会参加人数にカウントします。
STB を見せただけで、入決にカウントします。
 

(無題)

 投稿者:原原時々  投稿日:2017年 7月13日(木)23時16分52秒
  うちの県の青年大会、打ち出しが毎週のように変わってます。大丈夫なんでしょうか?
私たち婦人部は、その打ち出しに右往左往。
中間は県からの日替わりの打ち出しをそのまま、下に流すだけ。もっとちゃんと意見してほしい。
言えば何でもできると思ったら大間違いですよ。
打ち出しは、言ったもの勝ちか。
追加追加、変更変更で流れてくる打ち出し。
地区で考えても結局、上からの変更連絡。
地区で真面目に考えるだけ損。
おかげで地区は考えることができなくなりましたよ。
何が『地区発』の戦いでしょうか。地区発の戦いなんて今では、座談会の日程を決めるくらいですよ。










 

同盟題目23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月13日(木)23時00分42秒
  よろしくお願いします。会員をいじめないよう、学会の正常化を祈ります。
 

二十一世紀への対話 103

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月13日(木)22時30分5秒
  【トインビー】 私は、あらゆる国々で、死刑が廃止されるよう望みます。それには、二つの説得力ある理由があります。
その第一は、どんな人間にも他人の生命を奪う権利は、道義上まったくないということです。
おっしゃる通り、死刑廃止は、同時に戦争の放棄を必要とします。一方では、ある人間が他人や人間社会に対して何らかの重罪、たとえば殺人を犯した場合、このたった一人の人間を、できるかぎり非人道性の少ない方法で死刑に処すことさえ私たちの権限にないとしておきながら、他方、戦争にあっては、最も残酷で最も野蛮な手段をもって、無数の人間を殺傷することが正当視されるというのでは、それこそ非論理的な話です。しかも兵士たちは、個人的には何の私怨ももたないいわゆる敵兵を、命を賭しても殺すよう強制されるまでは、かつて人間同胞に何の罪を犯したこともなかったのです。戦争は、人々を殺すだけでなく、人間を無理やり殺人者に仕立てあげます。そして、この二つの罪悪を、個人の次元だけでなく、集団的に犯させるのです。
死刑と戦争を廃止すべき、第二の説得力ある理由とは、一度殺してしまった生命は、再び元へ戻すことができないということです。たとえその人が度重なる重罪を犯した人であっても、生命あるかぎりは、道徳的に更生する可能性があるものです。


【池田】 死刑廃止には、それと同時に戦争放棄が必要だという点で、私たちの意見はすでに一致しています。この戦争放棄ということに含まれますが、とくに私が主張したいのは、核兵器を使用することだけは断じて許されないという点です。もし死刑が許されるものとするならば、戦争を起こし、核兵器を使用する魔性の人こそ、死刑に処せられるべきでしょう。といっても、私が死刑を認めるというのでないことは、よくおわかりいただけると思います。私は、人々が、核兵器による大量殺人という、最大の罪悪を抹消すべき強い姿勢に立ち、その根を断ち切るべきだといいたいのです。
私は、現在、死刑廃止の方向が各国で模索されているのは、非常によい傾向だと思っています。しかし、もう一歩、死刑に値するような犯罪を生まない社会を築いていく努力が、続けられなくてはなりません。そのためには、どうすれば今日の生命軽視の風潮が抜本的に改められるかを、考えることが先決でしょう。
ただ、現実の問題としては、いわゆる凶悪犯に対していかなる姿勢で臨むかということも、考えなければなりません。これについては、私は、どんな犯罪者に対しても、忍耐強くその良心を呼び覚ましていく努力が必要だと思います。この努力をせずに、国家が凶悪犯を死刑に処すならば、国家自体が殺人を行なっていることになりましょう。どうしても社会的制裁が必要な場合でも、死刑以外の手段が講じられるべきだと考えます。


【トインビー】 ある国で死刑が廃止されたからといって、では、有罪と決まった犯人にも十分な個人的自由が与えられてよいかというと、決してそんなことはありません。何の罪科もない一般市民が道義的・法的な権利としてもっていると同じだけの自由が、犯罪者に与えられてよいはずはないのです。殺人犯にも生き続ける権利があるというのであれば、同じく無事の隣人たちには、殺人犯によって殺される危険から保護される権利がある、といわなければなりません。したがって、殺人犯として服役中の者は、釈放しても他の人間に害を加える恐れが、もはやまったくないと思われるまでは、刑期を解くべきではありません。ただし、この場合、あくまでもその恐れがないと思われる、ということであって、そこに確実性はないわけです。
犯罪者を刑に服させることの目的は、報復をめざすものであってはなりません。むしろ、どこまでも犯罪の予防をその目的とすべきであり、さらにこの消極的な目的を超えて、積極的に教育し、更生させることをめざすべきです。刑務所は、できうるかぎり、犯罪者に自力更生の道を教える、学校のような存在にすべきです。しかし、これは、はたしてどこまで可能なものでしょうか。教育の効果は、自発性の度合いに比例するものです。他の人間関係と同様、教育にあっても、強制は抵抗を生みがちです。刑務所という名の学校も、やはり客観的にみて、また服役者自身の意識からいって、強制が最大限行なわれ、強制がもたらす怒りが極限に達している学校なのです。

【池田】 あらゆる刑は報復的なものでなく、予防を目的とするものでなければならないとする博士の御意見に、私も賛成です。また、服役者の教育は強制をともなうゆえに、効果を生むことはむずかしいという御指摘も、まことにその通りであると思います。この囚人教育がもっている限界を乗り越える唯一の道は、教育者の並々ならぬ情熱と慈愛であり、そこから、服役者との間に真に人間的な心のつながりをつちかうことではないでしょうか。
ともあれ、死刑の廃止、死刑を必要としない社会を実現させるには、仏教で説く“慈悲”の精神がすべての人々に行きわたり、確立されることが望まれます。それによって初めて、人間が真の意味での生命の重みを認識し、生命の尊厳に目覚めることができると信ずるからです。

 

シンクロニシティ1

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月13日(木)21時59分38秒
  元職員のブログが更新されています。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
『「沖縄・那覇座談会」の報告(後編)』
「こっそり書き換えられた」話がこちらにも出ています。それと久しぶりに聞く言葉「イケディアン」。

“この世の出来事を繋いでる あるひとつの根本原理”
“この世の中の「見えない何か」と この自分との結びつき”
“あまりに微かなものだから 感じることさえ殆どできず 口ではとても説明できず”
“科学的にも受け入れられない 理窟にも全く合わない”
“脈絡なく繋がっているのに どうやっても変えられない”
『シンクロニシティ1』ポリス
https://www.youtube.com/watch?v=HsKz1FBPTxc
『シンクロニシティ2』ポリス
https://www.youtube.com/watch?v=o5FPPoLqkCk

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

因果応報

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2017年 7月13日(木)21時53分5秒
  ある討論番組の冒頭で、ナレーターが、「安倍政権の現状は、因果応報なのか、それとも栄枯盛衰なのか?」と言っていたのが可笑しかった。公明党は運命共同体となるのか?  

池田先生のスピーチに学ぶ【世界広布は普賢菩薩の守護、権力の魔性を描いた『動物農場』】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月13日(木)20時52分41秒
  池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)①

■学会は不変の王道を歩む

「世界広宣流布」は御本仏の御遺命である。それを現実に行っているのはSGI(創価学会インタナショナル)である。御本仏は、どれほどお喜びであろうか。この誉れは無上であり、永遠である。

「御義口伝」には「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」――この法華経を全世界に行じていくことは、普賢菩薩の威光ある優れた力によるのである。この経が世界に広宣流布することは、必ず普賢菩薩の守護によるのである――と仰せである。

ここには甚深のお心が拝されるが、普賢菩薩の「普」とは、″あまねし″と読む。普遍性のある″不変の真理″(不変真如の理)を意味すると「御義口伝」には説かれている。また「賢」とは、″かしこし″と読む。「御義口伝」では″智慧の義″(随縁真如の智)とされる。

「普」が普遍にして変わらない仏法の真理を意味し、「賢」は、その真理にもとづいたうえで、たとえば、その国と社会、その時代、その状況によって、自在に発揮するべき智慧を意味すると拝される。

「菩薩」とは、民衆と社会の中に飛び込んで戦う″慈悲の行動者″とも言えよう。

ともあれ、世界への広宣流布には、″英知の力″が不可欠である。普遍性のある哲理と、豊かな知恵の両方があって初めて、多種多様な民族、歴史、伝統をもつ世界の人々の心をとらえることができる。また、あたたかい慈愛、人間性あふれる行動があってこそ「菩薩」の働きとなる。

人類普遍の聖典たる御書を根本とせず、変転する状況に追随する無節操は、「普=あまねし」の正反対である。文化、学問への偏見や、広布のための柔軟な知恵を嫌う硬直性は、「賢=かしこし」の正反対である。無慈悲や人間蔑視、権威主義、弘法の行動なき安直さと傲慢は、「菩薩」の正反対である。

万が一にも、そのような傾向性が出てくれば、世界広宣流布ができるはずがない。御本仏のお心を踏みにじってしまうことになろう。

こうした点からも、SGIが進めている献身の弘法、そして仏法を基調にした文化・平和・教育の推進の運動が、どれほど正しい軌道であるかを確信していただきたい。

■権力の魔性を描いた『動物農場』

イギリス(スコットランド)のある哲学者の言葉に「無知は恐怖の母」とある。
知らないから恐れるし、惑う。英知の光で闇を払ってしまえば、何ものも恐れることはない。迷う心配もない。その「英知」のために、きょうも少々、語っておきたい。

イギリスの作家ジョージ・オーウェル(一九〇三年~五〇年。管理社会の暗黒の未来を描いた小説『一九八四年』で著名)。彼の代表作の一つに、寓話『動物農場』がある。(工藤昭雄訳、『世界文学全集』69所収、筑摩書房、参照)

長年、「人間」という暴君に支配され、しいたげられていた動物たちが、ついに革命を起こす。
「動物に自由と平等を!」――イギリスのある農場に起こった、この″民主革命″は成功した。人間の農場主は追い出され、新たに「動物農場」の旗揚げをした。

彼らは、皆で決めた「動物主義」の原則にしたがって、自治を始めた。皆、幸せだった。誇りに燃えていた。

「すべての動物は平等である」。この永遠の指針のもと民主的な理想郷をつくるのだ! 人間たちからの逆襲も、全員の奮闘で見事、撃退した。

ところが――時とともに、平等の原則は崩れてくる。

それまで、動物みんなの合議で運営されていた農場が、いつしか、リーダーを自認する豚たちの手で、何もかも決定されるようになっていった。
初めはささいな変化だった。全員のためのミルクが、ある朝、こっそり消えたのである。

やがて真相がわかった。豚たちが、自分のエサにまぜていたのだ。彼らは皆のリンゴも横領していた。豚たちは弁明した。詭弁では、だれもかなわない。

――われわれ豚は、リーダーとして頭脳労働をしている。農場の未来は、すべてわれわれ豚の双肩にかかっている。そこで、いやいやながらも、ミルクをたくさん飲み、リンゴを食べて、栄養を取り、諸君の福祉に努めねばならないのだ、と。

自分たち″豚族″を敬い、大事にしてもらいたい。ミルクとリンゴをかすめとったように見えるかもしれないが――事実そのとおりなのだが――それもすべて農場のためだというのである。

ひとのいい動物たちは、皆、だまされた。
いったん、こうなると、あとは歯止めがきかない。豚は″特権階級″になった。堕落するのは早かった。人間たちが残した豪華な家で眠り、禁じられている酒を飲み、昼間から酔っぱらっていた。苦しい仕事は、すべて他の動物たちにやらせ、自分たちは何といっても豚なのだから、偉いのだと胸を張った。

本来、他の人よりも苦労するゆえに、リーダーは尊敬を受ける。大切なのは、立場ではなく行動である。ところが、豚たちは、俺たちは特別なのだから、何もしなくても、また何をしても許され、尊敬されるべきなのだというのである。

とうとう彼らは、根本原則の「動物主義」を勝手に修正した。

「すべての動物は平等である」――このあとに、豚たちは、こっそりと、こう書き加えたのである。「しかし、ある動物(豚のこと)はほかのものよりも、もっと平等である」

自分たちの都合に合わせて、規約を少しだけ変更する。これが権力のじ常套手段である。よく理解しないと、だまされてしまう。

その″ほんの少しの変更″が悲劇的結末へとエスカレートしていく。そうなっては手遅れである。悪の芽は早いうちから徹底的に摘まねばならない。

他にも「どんな動物でも酒を飲むべからず」は「どんな動物も過度に酒を飲むべからず」に、

「どんな動物もベッドに寝るべからず」は「どんな動物もシーツをかけたベッドに寝るべからず」に、

「どんな動物もほかの動物を殺すべからず」は「どんな動物も理由なくしてほかの動物を殺すべからず」に、

こっそり書き換えられた。そして豚たちだけが酒を飲み、安楽なベッドに寝、処罰と称して動物を殺した。
 

twitterより。地元で処分された人曰く、罪人反逆者扱い。遠藤文書ほんとやと確信。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月13日(木)17時30分39秒
  知人の地元で処分(解任)された人がいたらしい。その知人曰く、「そらもう、恐ろしいような状況。罪人か反逆者扱い。」「遠藤文書、あれ、やっぱほんとやな」「身近で目のあたりにして、確信したわ」と言っていた。  

法華玄義・譚玄本序 4

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 7月13日(木)17時03分57秒
  始見我身令入佛慧。

「始めて我が身を見て仏慧に入らしむ」と。


世世生生にわたって、私(釈尊)の教化教導を享受してきた多くの人たちは、
いま始めて私の身体(目の前にいる釈尊)に、
久遠の昔に成仏した本仏釈尊の仏身である法報応の三身を顕らかに見、
本仏釈尊の働きの分身である、無量の過去から現在に至る諸仏を見て、
本仏釈尊の所説のすべてを素直に信じ受けとめて、仏の悟りの智慧である仏知見に入らせた。


為未入者四十餘年。

「未だ入らざる者のために、四十余年」と。


それでも入ってくることができない者には、私(釈尊)が、
四十余年にわたって、内容の程度を下げた教えを説いた阿含時から、方等時を経て、
般若時まで、説示を受ける者の機根の向上に応じて教化教導の内容を次第に高めて、
対機説法を続けてきた。


以異方便助顯第一義。

「異の方便もて第一義を助顕す」と。


三乗に対する方便とは異なる、天や人や多くの衆生たちの心底の意向に呼応した、
仏塔や廟の建立、形像や仏像や仏画の製作、花や香や旗や天蓋や音楽、
一度だけの南無仏などのいろいろな方法によって、
天や人や多くの衆生を救い取る、並ぶもののない最も勝れた真実の道理を明らかにしてきた。


今正直捨方便但説無上道。

「今は正直に方便を捨て、ただ無上道を説くのみ」と。


そうであるから、時を移すことなく、いまこの場で、
声聞は阿羅漢を究極とし、縁覚は辟支仏を究極とする二乗の方便の教えを捨て、
悟りの完成にだけ努力する菩薩も含む三乗の教えも捨て、
その上、三乗とは異なる、天や人や多くの衆生の心底の意向に呼応した、
塔廟、形像や仏像や仏画、花や香や旗や天蓋や音楽などのいろいろな方便も含めて、
一切の方便を投げ捨てて、真実に生きる一仏乗におのれの身心を投げ出して帰入せよと、
無上道を説くだけである。



 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 7月13日(木)16時53分55秒
  ・苦しんでいる友に幸せになってもらいたい、友の悩みを何とか解決してあげたいとの思いが生きる勇気となり、希望の光明となって、幸福の大道がともに開かれていく、その生き方のなかにこそ、最高の人間性の輝きがある。
・未来を開き、平和な社会を築いてゆくのは、人間である。人材である。次の時代を担う人材を育て、社会に、世界に送り出すことができるかどうか。それは、時代の命運を決する勝負とさえいえるだろう。
・子供が悩んでいる時こそ、親といわず周囲の先輩たちから、励ましのメッセージを贈ることが大切である。そんな子供を見たときは、真っ先に飛んでいってあげたい。未来を開く旗を持つ若者が続々と輩出することを祈りながら、私達は全魂を尽くしたい。
 

橋渡し?

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 7月13日(木)15時09分45秒
  保有・非保有国を橋渡し
公明新聞:2017年7月13日(木)

公明党の核廃絶推進委員会(座長=浜田昌良参院議員)は12日、参院議員会館で会合を開き、7日に国連会議で採択された核兵器禁止条約について外務省から報告を受け、NGO関係者らと活発に議論した。党広島、長崎県本部の県議、市議も出席した。

冒頭、同推進本部顧問の斉藤鉄夫幹事長代行(広島県本部代表)は、核兵器禁止条約の採択について、「核廃絶への思いが国連の下での国際条約となって実を結んだことは、一歩前進だと評価したい」と述べた。

また、公明党が、昨年の先進7カ国(G7)外相会合の広島開催や、オバマ前米大統領の広島訪問実現など、核保有国を含む世界の政治指導者に核兵器の非人道性への共感の輪を広げていくことに取り組んできたと強調。その上で「核保有国、非核保有国の橋渡しを改めて行い、『核兵器のない世界』への具体的歩みへ取り組む」と語るとともに、「今日の議論がNGOの皆さんと共に、今後に向けた再出発にしたい」と力説した。

会合では、公明党の渡辺好造広島市議が、日本政府が提案している、核保有国、非核保有国双方の有識者による「賢人会議」を広島・長崎で開催するよう政府に要望。NGO関係者は、「核廃絶を実現していくために、日本政府も積極的に関わるべき」と訴えた。
 

トットと臨時国会開け!

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月13日(木)12時13分56秒
  安倍政権、今だに臨時国会を開催しようとしないが、これは憲法違反だ。

衆参いずれかの議院の、四分の一以上の要求があったのは、紛れも無い事実。政府には臨時国会を招集する義務がある。

確かに憲法には、いつまでに開けという規定はないが、自民党独自の改憲草案には、20日以内と書かれている。
自分達が20日以内と決めたのに、それも守らないとすれば、自民党の改憲草案っていったい何なんだ、という事になり、全く信頼に値しない代物、という事になるだろう。

自民党のこの改憲草案は、現在も撤回されていないし、それどころか公式文書、歴史的文書と位置づけられているが、これでいいのか?
期限の20日以内である7月12日は、もう過ぎている。

自公政権には、2015年安保法案の後にも、都合よくこの53条を解釈して、結局臨時国会を開かなかった、という前科がある。

憲法には、意外な感じがするが、破った場合の罰則は特に定められていない。
つまり、主権者たる国民が無関心にスルーしてしまえば、政府の憲法破りがそのまま通るという事だ。

逆に、主権者たる国民が大いに怒れば、政府は絶対に従わざるを得ない。

他ならぬ憲法が保障しているのだ。大騒ぎして臨時国会を開催させれば、もうこっちのものだ。

安倍政権など、一時だけのあだ花。
最悪の反面教師として、国民の記憶の片隅に残るぐらいが関の山だ。
 

ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月13日(木)10時55分55秒
  『共謀罪に問われたらどうする?新宿を反対派がジャック、対策法を配布―法律施行日に』
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20170712-00073192/
>〇もし共謀罪が適用された場合はどうする?
『ブッ飛ばせ!共謀罪』百人委員会が作成した、共謀罪が適用された場合の対応策がかかれたフライヤーも配布された。それによると、
・警察が事情を聴きたいと言ってきたら
→応じる必要はない。聴取に応じると、話したことを逆手に取られ、逮捕される危険性がある。
・応じてしまった場合
→弁護士の選任を強く要求する。聴取の内容をメモする
・逮捕された場合
→日本国憲法37条3項、38条1項に基づき、黙秘し弁護士を呼ぶこと
・「共謀」を見ていたとして捜査に協力を求められた場合
→捜査への協力は強制力はなく、意に反して協力する必要はない。
・弁護士の知り合いがいない場合
→救援連絡センターに連絡(03-3591-1301)
などの対応を推奨している。

共謀罪法が成立した以上、その濫用を許さないよう、有権者やメディアによる政府や捜査機関への監視することが、重要なのだ。

『無理やり質問終了…「共謀罪」と治安維持法、似ている?』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170712-00000016-asahi-soci

『インタビュー:20年改憲日程の実現、厳しく=自民・船田氏』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170712-00000084-reut-asia

カウントダウン!!! 7・17横浜座談会まであと4日!!!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-112.html

“僕は独りだった 遠くまで「探す」旅に出た “その先で何が見つかるかわからずに”
“別な道を行けば もしかしたら その先で違った考え方も わかるんじゃないかって”
“突然 現われたきみ 思わず 口にした僕”
“きみが必要なんだ きみがいないと一日だってダメなんだ”
『ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=2yG1vFJTBWg
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「爆笑創作『手柄の横取り』座談会」はいかがデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月13日(木)08時13分33秒
  おはようございます。本日の政教珍聞4面、いつもの爆笑創作座談会デスが、今後は『手柄の横取り』も加えなければいけませんねぇ~(笑)

>原田 1945年に広島・長崎で核兵器が使用されて以来、70年以上にわたって核兵器の廃絶を求めてきた世界の被爆者の方々、そして連帯をしてきた国際社会による努力の結実です。SGIも、市民社会の代表として交渉会議に参加するなど、条約成立に尽力してきました。核兵器の廃絶に向けた大いなる一歩と言えます。<

>原田 池田先生は、学会の平和運動や国連支援の取り組みは、「立正安国」の現代的な展開の一つであると語られています。7月16日は「立正安国論」提出の日でもあります。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書P31)と仰せの通り、私たちは草の根の「一対一の対話」を軸に「民衆の連帯」を拡大し、「平和の潮流」をさらに広げてまいりましょう。<
(7月13日政教珍聞4面より抜粋)

原田怪鳥様、べた褒めデスねぇ~(爆)

では、では、原田怪鳥様、こんなにべた褒めされる条約会議に、学会本部からは、いったい誰が参加されたんデスかぁ~(爆)

日本からは被爆者の方々が出席されたのみで、国としての参加はナシ、コンペートーからも誰も参加していないデスよねぇ~(笑)

SGIは参加したかもしれませんが、そのことをもって、「創価学会はやってまぁ~す」というのは無理がありマスよぉ~(笑)

先日も言いましたが、こういうのを、世間では『手柄の横取り』って言うんデスよぉ~(大爆)

いやいや、『二枚舌を使う』とも言いますねぇ~(大爆)


何よりも、原田怪鳥様、アナタが参加するべきではなかったんデスかねぇ~(笑)

ナニ、「バカ者!、オレは選挙で忙しいんだ!、創価学会にとっては都議選が全てだ!、だいたい、安倍クンがダメって言ってるだろ!」

「政府だって参加してないのに、のこのこ顔をだしてみろ!、どんな『難』が起こるかわからないだろっ!、『時流』を読めよっ!、」

原田怪鳥様、こんなトコロですかぁ~(大爆)

「四表の静謐」を祈るから、権力にスリ寄って、コバンザメ状態なんデスかぁ~(笑)

「一対一の対話」を否定し、奥義「着信拒否」を連発し、「民衆の連帯」どころか、「欲望の連帯」で保身に走り、

「平和の潮流」どころか、「査問・処分の潮流」を広げている怪鳥様はじめ執行部の面々じゃあないんデスかぁ~(大爆)

明日からも、どんな自語相違が飛び出すか? 期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

虹と創価家族様へ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月13日(木)07時29分45秒
編集済
 

おはようございます。

『雌伏68問題』の問題はとても重要なことだと思います。
私も先生の真実の歴史を知らない幹部や会員のひとりかも
知れません。

現在、池田先生のことを知ろうと思えば思うほど謎に思えて
くるのです。

なぜなら世界広宣流布という言葉が池田先生の
意志と現在の「日蓮世界宗」とはちがうものに
思えるからです。

”SGIの事情に詳しい学会関係者は、「欧州のトップに学会本部から派遣された人が就き、和気あいあいとしていた組織を、日本的組織にしようとしている」との見方を示した。

?海外には、日本の学会本部のこうした方針に同調しないSGI幹部もいて、「もし名誉会長がいなくなってしまったら、海外のSGIが暴走して、歯止めが利かなくなるリスクがある。その前に手を打たなければ……」。本部中堅幹部は危機感を募らせている。”

http://diamond.jp/articles/-/93269?page=2

創価学会、国内低迷・海外躍進で「世界宗教化」に野心
週刊ダイヤモンド編集部


現在の私はどうしたらよいのかわからない状態です。
私の疑問に思ってることです。

みなさんのご意見よかったら教えてください。

1.日蓮正宗と日顕宗はちがうのでしょうか。
2.日蓮正宗の教義はまちがっていますか。
3.日蓮正宗創価学会にもどることは悪いことでしょうか。
現在の「日蓮世界宗」よりはよいと思うのですが。

この掲示板の目的は池田先生、でも私の疑問は
関連してくることかなと思って投稿しました。

なぜなら、私が入信したのはいまとなっては
幻の日蓮正宗創価学会、折伏してくれた人も
私が折伏した両親や縁ある人も日蓮正宗創価学会
のときだからです。私の原点です。

現在の混乱の「日蓮世界宗」ではありません。
 

わが友に贈る 2017年7月13日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月13日(木)07時10分0秒
  「善友をもつことが
仏道修行の全て」と。
互いに触発し磨き合う
創価家族のスクラム固く
成長と充実の人生を!
 

黄金柱様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 7月13日(木)05時55分2秒
編集済
  >やはり思う事は、余りにも先生や創価の真実の歴史を知らぬ幹部が多過ぎる事ことでしょうか!<

虹の投稿をお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
おっしゃる通りです、先生の真実の歴史を知らない幹部や会員が多すぎます。

ましてや、『雌伏68問題』については、新・人間革命をそのまま信じてしまうと、後々大変な事になります。

池田先生が『山友裁判で嘘をついた』という事になってしまうからです。
また、第二次宗門問題の時に言った日顕の『前は学会は謝ったじゃないか』という言い分を認める事にもなります。

今後、日顕宗や仏敵から攻め込まれるきっかけにもなりかねません。
なによりも、事実を知った時の会員の気持ちはどうでしょう。

だからこそ、『雌伏68問題』については、創価学会として公式に訂正し、原稿差し替えをするのが将来的に一番安全ではないでしょうか。
雌伏68の後半に森田理事長の言葉をそのまま引用し追加訂正するべきです。

『雌伏68問題』を このまま放置せず、池田先生の汚名を晴らして頂きたいですね。
池田先生の正義を守り勝ち取ってこそ、先生の弟子と言えると思います。



【保存用文証】新・人間革命 雌伏68 事実の改ざんについて(まとめ)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71236



 

二十一世紀への対話!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月13日(木)05時53分47秒
   おはようございます。まなこさん、ずっと、ありがとうございます。

 99回目の抜粋です。

*****

【トインビー】 われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです。=略=

 私は、宗教こそ人々に完全な自由を与える領域であると考えます。政治や経済の分野では、今後はおそらく、自由が大幅に制限されざるをえなくなるでしょう。人々の生活は、物質面では、私企業の存続を不可能にするところまで、安定化を図らざるをえなくなるでしょう。しかし、精神面での生活は、安定化を必要としません。したがって、物質面を安定させなければならないような世界においては、信教の自由を保持することが、かつてなかったほど重要性をもってくるはずです。


【池田】 宗教的信仰が争いの原因だからといって、信仰そのものをなくせば解決できるという考え方は間違いである――という点について、私たちの意見は一致しました。
 私は、こうした問題は、信仰と現実政治との関係を明確に区分することによって、初めて解決されると考えます。そのうえで、さらにどの宗教が優れているかという宗教的信仰の問題は、あくまで人間精神の問題として、精神の次元でその勝劣浅深が争われるべきでしょう。その手段は、決して権力や武力、暴力の助けを借りるのではなく、教義自体の哲学的明晰さ、深遠さを理論的に立証することでなければならないと思います。(二十一世紀への対話 99   投稿者:まなこ   投稿日:2017年 7月 8日(土)15時15分52秒)

*****

 実に深い宗教、社会、文明への洞察だと思います。
 ①宗教をもたない限り人間ではない。
 ②その選択は優れた宗教か、劣れる宗教か。

 ③世界は物質面で私企業の存続を不可能にする →社会主義国家への進展 →そこでは信教の自由がかつてないほど重要になる。
 ④信仰心が争いの原因だからといって、信仰そのものをなくせば解決できるというのは間違い →信仰と現実政治の明確な区分があって初めて解決される。
 ⑤宗教的信仰の問題は、決して権力や暴力の助けを借りるのではなく、教義自体の哲学的明晰さ、深遠さを立証することでなされるべき。

 まさしく「立正安国論」の骨格です。約半世紀も前に語られていた内容です。


 

五分の魂様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 7月13日(木)05時47分8秒
編集済
  >私が最も我慢ならないのは、このような嘘を平気で流す現執行部の「体質」です。先生の大阪大会での歴史的発言から、大御本尊の「大」の字を削って音声まで改竄したり、何に怯えているのか知りませんが、少なくとも獅子王たる姿でないことは明らかです。<

虹の投稿をお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
五分の魂様の師弟観溢れるご投稿に感銘しております。

『雌伏68問題』について少なくとも、原田会長と秋谷元会長は当時者ですので、何も知らないはずは御座いません。

原田会長と執行部がこのまま放置するなら、残念ながら創価学会の運営に携わる資質はないと言われても仕方がございません。

理由は明確です。

このまま放置すれば、池田先生は『山友裁判で嘘をついた』という汚名を被せられてしまうからです。
ましてや、第二次宗門問題の時に言った日顕の『前は学会は謝ったじゃないか』という言い分を認める事にもなります。

池田先生の汚名を放置して良いのでしょうか?
日顕宗や仏敵に、先生攻撃の材料を与えて良いのでしょうか?

『新・人間革命は池田先生が書かれている』という限り、『雌伏68問題』の傷は大きくなると思います。



【保存用文証】新・人間革命 雌伏68 事実の改ざんについて(まとめ)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71236




 

同苦するということは

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 7月13日(木)01時55分30秒
  同苦するということは、その生命の鍛錬の先にあるものは

自身の境涯を無限に広げることを意味する。

境涯が広がるとは、自他彼此の境目が無くなるということ。

僕は、彼であり、彼は、僕である。

全ては、僕自身であり、僕は、何者でもない。全てであるという感覚。

僕は、善であり、悪でもある。

それをありのままに感じ、そして体感していく。そういうこと。

全てが、新しく、新鮮であり、全てが瞬間、瞬間、それを感じ、体感する。

それを味わう。それが生命の本質。
 

その光は・・・

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 7月13日(木)01時27分35秒
  その光との最初の出会いは、

ある時、唱題の時、突然、懐かしさがこみあげ、涙が溢れるという体験だった。

なぜ、涙が出たのか、なぜ、何に感動したのか、わからなかった。

後に、父も、また同じ経験をしたことを聞いた。

不思議な感覚である。温かい光のようなものを御本尊に感じたというものだ。

そして、有り難くて有り難くてと、感謝と感動の涙に溢れるというものだ。

ただ、それは、常にというわけではない。

また、草創期のおばあちゃんの言葉で、御本尊様が大聖人のように感じられる。

これと、同じような感覚だろうか。

年に1回、あるかないかの、歓喜のお題目という感じだろうか。

そして、それは、御本尊に唱題するとき、その御本尊に感じたものだった。

それが、ある時、変わった。

日顕に破門された時、闘ったその功徳として、以前、投稿した通り。

三類の強敵と闘う功徳により、僕は、その御本尊にのみ感じていた、その光を自身の胸中に感じ取れる功徳をいただいた。

だが、まだ、その光は微かであり、お題目がたくさん上がっている時にしか、感じられなかった。

そして、時は過ぎ、今、有り難いことに、その光を感じ取る機会は、日増しに増え、そして、はっきりと感じるようになってきている。

そして、色々なことが見えてくるようになった。

胸中の、その光は、イメージとして、時には胸中の先生として、時には大御本尊として、常に常に、共にある。

生きていく上で、今の世界は、本当に息苦しい。僕のような人間では、耐えがたい。

けれども、八風にどんなに翻弄されても、苦しくても、辛くても、この胸中の師匠の生命に触れる時、全ては癒される。

こんなに、有り難い、太陽なような生命が、自身の胸中にある。

苦しければ、苦しいほど、それに同苦する胸中の師匠の慈悲が、深い慈悲が、傷ついた心を癒してくれる。

いったい、この光は、この師匠の生命は、なぜ、この身、この胸中にあるのか。

そして、その光、胸中の光に感謝すると、感謝の想いが、反射するようにかえってくる。そして、生命の共鳴が生まれる。

共鳴は、いつしか、光と自分との境界を無くし、一体となっていく。

不思議な感覚。意識が光の粒子となって、広がっていく。

素晴らしい、本当に。

胸中に、光があることは、素晴らしい。

皆が、それに気づき、そして、その光を体感できるように、そう、常に祈っている。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月12日(水)23時46分55秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が健康長寿であります様に
真面目な会員が、査問、役職解任、除名の指示を
会長、副会長方がなさらぬ様に
おやすみなさい
 

/1327