かつて、今はとんでもなく偉くおなりになった、なったのか?某プロデューサーに「昔のアニメはあんなに良かったのに、どうして今はこうなんだ!」と息巻いた時、言われたのが「思い出補正」だった。

「監督は思い出補正が入っているから、昔の作品が良く思えるんですよ!」

ははぁー、俺のクリエイティビティもえらく低く見られてんなぁ、と、呆れ返った。
彼はあの頃からどんどんダークサイドに飲み込まれて行ったなぁ・・・。

俺の幼年期の感性を否定しているってことよね?それ、昔は幼稚だったけど、今は優秀ってこと?
いやいや、それ結局「今も幼稚だよねプププー」って言ってるようなもんやんけ。
たぶん彼はその辺は無意識で、そこまで慮る力はなかったのだろう。それがまた問題なのだが・・・。

因みにその彼は、今のアニメ市場を「低く見積もりすぎだ。僕の感覚で言うと、200万人くらい・・・?」とまで、のたまっていた。
じゃあその市場を全然拾えてないですね!おたくの会社!
えげつない商売ばっかりしやがって!!


まぁそんなことはともかく、「思い出補正」が入る場合もそりゃあるだろう。しかし、それとプロの審美眼は別物だ。
松ちゃんが良く、幼少期に夢中になった「『仮面ライダー』や『ジャイアントロボ』のDVDボックスを買って、観直しては、
「グズグズやん」
と、言うのと一緒。
思い出と評価は別次元のものだ。

僕にとっては、原田知世版の『セーラー服と機関銃』がそれだ。
編集はブツブツ、芝居はグダグダ、でも、それでもいいのだ。
僕は涙を流しながら観た。やはり80年代のドラマは、熱い。

でも、最後は技術じゃないんだよなぁ、とも思う。
クラシックが最新の録音技術、演奏技術を持ってしても、未だフルトヴェングラーを超えられないのと同様だ。

僕はいわゆる「進歩史観」を取らない。どの文化もどこかで頂点を極め、やがて停滞し、緩やかに衰退する。
かのプロデューサーは、間違いなく「進歩史観」の持ち主なのだろう。アニメはどんどん進化する!そしてこれからも!

と、言いながら続編ばかり代わりべったんに延々と作り続けているというね。
根は正直なんだね(笑)。


彼を遠くから見る度に、アニメの緩やかな衰退を強く感じる。
「思い出補正」でもなんでもいい、進歩史観を否定し、温故知新、過去から「熱」を感じ、それを今再現することが、重要な命題となっているのではないだろうか?