絶交のリスクを背負っても友達になろうとしますか?
社交的な人には理解しがたい話かもしれませんが、絶交のリスクを背負ってもその人と友達になろうとしますか?
例えば二人のうち片方が相手と友達になりたくても、片方は相手と友達になる気は初めから無い場合、友達になりたい方はアプローチが逆効果であることがあると思います。
下記の二択ではみなさんはどちらを選びますか?
本当にこんな事あるの?と思う方は想像で回答下さい。「友達」では無くて「恋人」でも良いです。
1.相手と友達になろうとする。しかし、相手に気に入られなかったら絶交される。
2.相手と友達になろうとしない。しかし、今の知り合い程度の関係は問題なく継続する。
私の場合は1が多いのですが、2を選ばざるを得ないときもあります。
私個人の都合になってしまいますが、人の手伝いや町内の活動で数年掛けて作った”いてくれて助かる人”という立場は壊したくないので、ある程度妥協も必要になります。
投稿日時 - 2015-07-31 03:27:21
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回答(10)
ANo.10
ANo.9
宗教や政党を考えてみますと、すでに親しい関係である肉親や社会的関係を裏切ってライバルや異端児扱いとなる宗教に属する意味があるのかわかりません。
それでもする場合は新しい人間関係に強く惹かれたからでしょう。結局は恋愛も宗教も自分で決めるもの。その時の自分の気持ちが傾けばそちらに流れます。
気持ちを引き止める現在の人間関係とのプラスマイナスと秤にかけます。それは理論的に正しいのかもしれませんが感情面は恋に落ちるなど理論が通じないところで起きますのでコントロール不可能です。
投稿日時 - 2015-08-01 05:26:31
ありがとうございます。
投稿日時 - 2015-08-01 07:09:43
ANo.8
ANo.6
ANo.5
ANo.4
認識の違いかもしれませんが、「絶交」っていうのは「交わりを絶つ」という意味ですから、絶交したら友達どころか知り合いでさえなくなるのではないでしょうかね。私にもいますよ、絶交した人は。たぶんもう一生会うことも話すこともないでしょうね。私も会いたいとも声を聞きたいとも思わないし、相手もそう思っているでしょう。
もちろんその絶交した相手とも、最初から絶交するつもりなんかはなくて付き合い始めたわけです。付き合っている中でトラブルが発生して「あいつとはもう付き合えない」となったわけで、そういうリスクって人付き合いをする以上必ず発生するのではないでしょうかね。
仕事に例えていえば、誰だってアルバイトみたいな短期で考える仕事を除いては辞める前提で就職はしないですよね?でも就職してみたらすげーブラックだったとか、社風が自分に合わないとか人間関係がこじれたとかいろいろあって辞めることもあるじゃないですか。「あなたは退職のリスクを抱えてまで就職しますか?」と聞かれても困っちゃうじゃないですか。
「出会いは別れの始まり」という言葉もあります。絶交という程には至らなくても、お互いの環境が変わって疎遠になることはいくらでもあると思います。
社交的な人と内向的な人ではそこらへんの順番が違うんじゃないかなーって気がします。
投稿日時 - 2015-07-31 11:49:14
ありがとうございます。
>認識の違いかもしれませんが、「絶交」っていうのは「交わりを絶つ」という意味ですから、絶交したら友達どころか知り合いでさえなくなるのではないでしょうかね。
はい。そうです。絶交されるよりは知り合い程度でいる方が良いでしょう。
でも知り合い程度でいるよりは友達になりたいと自分は思ったとします。
このまま、知り合いの関係を続けるか、それとも知り合いですら無い絶交されるリスクを背負って、遊びに誘ってみるかという二択です。
相手を誘わない場合、例え友達になれなくても、絶交されることはそんなに無いと思います。
よく言えば安全な方向の選択です。
「出会いは別れの始まり」というのはなんとなく分かる気がします。
内向的な人は周りに人が少なく、人に嫌われることを「こういうこともあるさ」と割り切る事がなかなか難しいのかもしれませんね。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/162382/m0u/%E5%86%85%E5%90%91%E7%9A%84/
>興味や関心が自己の内面に向けられ、主観的、内気・孤独で思慮深い反面、実行力・社交性に乏しい性格特性。⇔外向性。
私自身内向的だから、人に気に入られるために休日は人のために働いているんだなあと気づきました。なんとなく逆説的な気がします。
投稿日時 - 2015-07-31 20:57:39
ANo.3
ANo.1