日本語の乱れ、「ら抜き言葉・すいません」気になりますか?
日本語が乱れて来たと言われて久しいのですが、
皆さん、どの程度気になりますか?
「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?
例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか?
本来は「すみません」が正しいのに、
「すいません」と使われるのをどう思いますか?
ちなみに私は前者の場合、気にはなりますが仕方がないなと思ってしまいます。
何故なら某コンビニのCMで
「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、
「たべれる」と入力すると「食べれる」と漢字変換されるところを見ると、
これはもう江湖に認容されていると判断せざるを得ないからです。
後者については、回答が寄せられてからおいおい述べたいと思います。
実は「すいません」と使う私に注意してくれた方がおられまして、
後にその方から酷い仕打ちを受けまして。
それで日本語の乱れってそんなに許されないことなのかと思い、
この質問をさせて頂いた次第なのです。
尚、お礼に数日かかるかもしれませんのでご承知置き下さい。
投稿日時 - 2002-09-25 21:09:12
再びNo.7、No.17の者です。
何度もおじゃまして す「み」ません。
No.19の方へ。
>No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、
質問から外れていくようなので詳しくは述べませんが、手元の辭書には文法の教科書とはまた違った記述が書いてあり、文法とやらに從っても、結局のところ「するまい」が誤っているのかははっきりしません。
(質問より。)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、
このような歌を唄うことが好きな方(←もしいたら。)へのアドバイスです。もし「食べれる」は間違った表現だと言われたら、
「これはあくまで歌に合わせて唄っているんだし、『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。」
と答えましょう。
私は文法の教科書を讀んで、改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ、と思いました。
・「變化しない部分を語幹と言う」と書いてあります。
しかし、「投げる」という語だと、
「なげ-ない」「なげ-ます」「なげ-る」「なげ-るとき」「なげ-れば」「なげ-ろ」
と、「なげ」は共通しているので「なげ」が語幹かと思うと、「な」だけが語幹だと言います。
・五段活用動詞で「ない」が後ろに附く形と「う」が附く形は違いますが、これを同じ未然形としてまとめてよいのか、という疑問が湧きます。
例えば「飛ぶ」という動詞では、「とば ない」と「とぼ う」は、活用語尾が「ば」(ア段)と「ぼ」(オ段)で異なりますが、それをまとめて未然形にしています。
それらは文語の文法に從ったなど理由はあるんでしょうけど、まじめに讀むほど疑問だらけになると思います。
他にもいろいろ言いたいことがたくさんあるんですが、キリがありません。
他の方がおっしゃるように、言葉を整理してみた結果が文法であるはずです。
しかし言葉を整理した結果にすらなっていないようです。
文法の教科書の立場で日本語を見ると、なんだか現實に使われている日本語はとても間違っているように思ってしまいます。
教科書に「投票すまい」や「これる」が誤りだ、などと書いてあっても、
「本當は正しい表現ではないだろうか」
と教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。
文法の教科書は、そのうちコロッと態度を變えて、
やれ、可能の意味で「こられる」というのは間違っているだの、「すごいきれいだ」は正しいだの言い出すでしょう。
>「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?
人には、自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。そのようなことを思い起こします。
「みだれ」というのとは違いますが、なんで モーニング娘。というのは最後に「。」(句點)が附いているのか(句點のように見えて實は句點ではないのか)、理由はあったとしても、私は【はっきり言って】なじめないですね。
しかし、私がなじめないからと言って誤りと言うこともできません。
これくらいで回答は終わりにします。
投稿日時 - 2002-09-28 03:13:06
深夜にもかかわらず、三度のご回答を有難うございました。
文法…難しいですね。言語学者の間でさえ、白黒付け難い面が多々あるのではないでしょうか。
>『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。
この「例外」というのがまた厄介なんですよね。
例外ならば滅多になかろうものなのに、やがて例外が通常を支配していってしまう。
それがやがて>改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ
という事態に変遷されていくのでしょう。
「語幹」とか「未然形」についてはコメントを控えさせて頂きます。
何だかついて行けない・・・(涙)。
>教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。
そう言い切るのも何だか虚しいですねぇ(笑)。
>自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。
それなんですよ、厄介なのは。
自分はそれでいいと思っていても、他人の言葉遣いがどうしても許せない。
許せないだけならまだしも、それを逆恨みして事に移したりする輩がいたりする。
それが怖いのなら相手に合わせればいいのでしょうが、
そこまでする必要があるのか?
ちなみに「モーむす」の最後に句点が付いているのは、
「モーニング娘」では姓名判断上宜しくないからだそうです。
そんなこと、私にとってはどっちゃでもいいことなんですけどね。
投稿日時 - 2002-09-28 12:35:47
ANo.21
このQ&Aは役に立ちましたか?
12人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
回答(24)
ANo.24
No.8のSpurです。
追加質問があるようなので、再度登場です。
>「その言い方は間違っている」とその都度注意しますか?
いいえ。何も言いません。
>「日本語をキチンと使えないようなこんな人間とは付き合いたくない」と言って、
>去って行きますか?
自分の部下であったり、これから育てて行きたい相手だった場合は、やはり注意して直してもらうかも知れません。
そうでなければ、その本人が恥を書くだけで、私が困るわけではないので、あえて注意はしないでしょうね。
その程度のことであれば、心の中で、「無知なヤツ」などと思い、付き合い方、話し方のレベルをその人に合わせて落とすでしょうね。
>最近の教師と生徒間の会話は信じられないですね。
同感です。会社内でも同じですよ。先輩や上司と話しているとは思えない者もいます。
>ところで、「先にも書きましたが」という一節が気になるんですが、
私が書いた2行目です。
同じスレッド内で同じようなことを、もう一度言うので、「先にも書いた」と書きました。
このスレッドではなく、もっと前の、別の問題であれば、「先にも」ではなく、「先日も」、「先回も」、「以前にも」と書きます。
>過去の質問か何かでSpurさんと討論したことがありましたっけ?
この掲示板は、Qに対するAやアドバイスを書くところであり、討論する場とは考えていませんので、討論になりそうになったら、そのスレッドに書き込みをすることは中止します。
投稿日時 - 2002-10-05 00:40:47
ANo.23
#20ですが、再登場です。
「とんでもない」は、
「とんでも+ない」ではなくて、
「とんでもな+い」なので、
「ない」を丁寧にした「ありません」や「ございません」を付けるのは誤用なのです。
「みっともない」を「みっともございません」と言わないのと同じです。
丁寧に言いたい場合は、
「とんでもないことでございます」ですね。
さらにP.S.
なんだかうるさそうにいろいろ書いてしまいましたが、
私の言う「許せない」というのは、
「自分は絶対に使わない」
「子供たちにも使わせない」ということであって、
よその人が使っていても、
間違いを指摘したり、やめさせようとしたり、そういうことは一切しませんので。
単に自分の中だけで許せない、というか居心地が悪いだけなんです。
投稿日時 - 2002-09-28 20:51:27
何度もお呼び立てして申し訳ありません。
「とんでもないことでございます」が正しいのですか!長ったらしい・・・。
私、そういう言い方をしている方を見聞したことがないです。
今日も料亭で食事する機会があって出掛けたのですが、
そこの仲居さん、「とんでもございません」とお客さんに言ってました。
「本当は《とんでもないことでございます》って言うんですよ」
と、思わず声を掛けそうになりました(汗)。
間違った言い方をしている人を見掛けても、なかなか他人にまでは指摘できないものですね。
せめて自分の家庭内だけでもお互いに注意しあい、
切磋琢磨して美しい日本語を伝承していきたいものです。
投稿日時 - 2002-09-29 17:27:22
ANo.22
こんにちは。
私の母は、文法のミスや漢字の読み間違いに厳しい人だったので、成長の後は他人の言葉が気になって仕方がありません。もちろん、ら抜き言葉は使いません。(と思いますが、無意識に使っていたらどうしよう)
いちいち数え上げていたらキリがありませんが、ここ最近一番気になっているのは、自分の子供もしくはペットに対して「~してあげる」という言い方です。
これは相手に対して使う言葉(お子さんに食べさせてあげて下さい)であって、自分の子供、ましてペット(うちの犬に餌をあげる)に使うなんて・・・。絶句。
でもこの「あげる」は確実に浸透しているようで、gooの「出産・育児」「ペット」のカテゴリでは絶句し続けです。
投稿日時 - 2002-09-28 17:38:30
ご回答を有難うございました。
お母様が厳しいお方だったとか。
本当はそうやって正しく・美しい日本語を子・孫に伝承して行くべきなんですよね。
そうでないと廃れていってしまいます。
自分の子どもやペットに「~してあげる」、これもよく耳にしますね。
私も使いません。育ててるのに・ペットとして飼ってるのに、
主従が逆転してるのはおかしいと思います。
子どもやペットを大切に思う気持ちはよく判りますけどね。
投稿日時 - 2002-09-29 17:16:48
ANo.20
#14ですが補足させてください。
私が否定している誤用は「ら抜き」だけではなくて、他にもい~っぱいあるのですが、
たぶん挙げたらキリがないのですが、いくつか挙げれば、
「とんでもございません」
「ちょうどからお預かり致します」
「お荷物の方、ご注文の方、お会計の方」などのホーホー言葉、
「たにんごと」、「じゅんぷうまんぽ」、
他にもどなたかが書いていらっしゃいましたが、
「○○で何々」、などなどです。
kyoko-fanfunさんのご質問に「ら抜き」と「すいません」が挙げられていたので、
その二つについて書かせていただきました。
投稿日時 - 2002-09-27 23:29:44
再度のご回答を有難うございました。
「とんでもございません」は誤用なんですか!?
ひゃあ、私、お客さんに対してしっかり使っております。
どう述べるのが正しいのでしょうか。教えて頂けますか?
「ちょうどから~」というのは私も常々変だと感じておりまして、
私は金銭を授受する仕事に従事しておりますけれども、
「ちょうど頂きます」と受け答えしています。
ちょうどではない額の時には、「○○円お預かりします」と。
「~の方」も好きではないし、使いません。必要以上の言葉であって、余分だと思うのです。
「じゅんぷうまんぽ」・・・これはもう日本語教育の貧しさというしかないですね。
「いっきいっかい」とか「いちやを報いる」なんていうのもありますね。
「○○で何々」は途中を略した言い方ですので、
間違いではないと思いますが、略さないのが丁寧だと捉えています。
他にもい~っぱいあるそうですが、また教えて頂けたら参考にしたいですし、
この際色々考え直してみたいと思います。
投稿日時 - 2002-09-28 12:18:22
ANo.19
再びNo5の者です
No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、確かに、中学で教わったのはかなり前の話ですので、記憶もあいまいだったのかも知れません。
このように、知らず知らずのうちに、文法上は誤った言葉遣いをしていることが多いということを、改めて考えさせられました。
投稿日時 - 2002-09-27 19:38:12
再度のご回答を有難うございました。
普通の人が国語の文法を習うのは学生の時だけでしょうし、
しかも年配の方になればなる程遠い過去のことになりますから、
習った文法が変わって来てしまっているということは大いに有り得ますね。
要は、その移り変わりを容認できるか・できないかにあるのではないでしょうか。
文法の誤った言葉遣いは何が何でもけしからん!と
おっしゃる方も中にはおいででしょぅから。
そもそも文法とは何ぞや?
そんなに重視しなければいけないのか?という疑問にも発展しそうですし。
投稿日時 - 2002-09-28 12:01:28
ANo.18
他の方も言われているように、言葉は移り変わるもの。
文法が先にあるんじゃなくて、言葉が先にあるんです。言葉を整理してみた結果が文法であって、文法が先にあってしゃべってるわけではないですよね。『言葉が乱れている』というのは、主客転倒だと思います。だから、状況に応じて失礼のないようにしゃべれば別に気にしなくていいんじゃないでしょうか。
> 実は「すいません」と使う私に注意してくれた方が
> おられまして、後にその方から酷い仕打ちを受けま
> して。
というのはひどいですね。
投稿日時 - 2002-09-26 11:20:13
ご回答を有難うございました。
>文法が先にあるんじゃなくて、言葉が先にあるんです。言葉を整理してみた結果が文法であって、
あ、そうですよね。文法というのは後から整理されるものですよね。
誰だって(えーっと、「食べる」の已然形だから・・・)なんて考えながらしゃべってはいませんよね。
ということは、文法通りにしゃべるのではなく、まずはその時代や風潮に併せて口にしても構わないんですよね。
それが間違ってるとか乱れてるとかは、後で整理してみて文法にかなってるのかそうでないのか、
それはもう言語学者さんにお任せってことで。
これはいいアドバイスを頂きました。主客転倒だと開き直ることも視野に入れていこうと思います。
投稿日時 - 2002-09-28 11:47:49
ANo.17
既に回答したものです。
「すいません」だってかまわない、と思っている方へのアドバイスです。
「『すみません』が正しく、『すいません』は間違っている」
と言う人は、
言葉は移り變わるものだ、と言われても納得しません。
そのような人に對しては次のように反論してください。
「『すみません』という言い方も正確ではありませぬ。正しくは『すみませぬ』ではありませぬか。」
更に言えば、何がすまないのかきちんと主語を言う必要がある、とつけくわえるとよいでしょう。
#############################
>「投票すまい」は誤りで、「するまい」が正しいんですか。
No.5の「まい」の件ですけど、
私が使った文法の教科書によると、「する」に「まい」がつくときは、「しまい」が正しいそうです。
「するまい」も誤りだそうです。
文法の教科書の記述にも「ゆれ」があるのかもしれませんね。
(ご質問より)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、
「しゃべれる」は「しゃべる」の可能動詞ですね。
「たべれる」は「たべる」の可能動詞と思ったのではないでしょうか。
投稿日時 - 2002-09-26 04:01:41
未明にもかかわらず、再度のご回答をありがとうございました。
せっかくアドバイスを頂きましたが、そのように逐次説明していたら日が暮れてしまいます・・・(笑)。
それだけならまだいいんですが、その夜密かに放火でもされたら大事ですし・・・(涙)。
「投票するまい」も誤りなんですか?ありゃりゃりゃ、こりゃ一体どう口にしたらいいんでしょう。
あれだけ綿密に教科書検定してるというのに、
記述されている文法って本当に正しいんでしょうかね?
何だか私の足元が大きく揺らいでるような感じがしてきました。
私なんぞは割と単純というか素直というか無頓着というか、
教科書に誤ったことは書いてないと思い込んでる人間ですので。
投稿日時 - 2002-09-28 11:38:17
ANo.16
「ら抜け言葉」は、わたくしは使いません。
他人が使うのを聞いた場合、その人の教養の度合いを想像します。というのは冗談ですが、「ら抜け」は方言から広まったものだとも言われています。
小学生のころは「食べらんない」「見らんない」などと、「れ」を「ん」に置き替えて言っていました。
「正しい日本語」は、ない。「美しい日本語」なら、ある。という意見をお持ちの方もいますね。言葉は生き物と言われています。
先日「歌謡チャリティーコンサート」を見ていたら、司会の久保純子が曲紹介の時に
『××さんで○○』と言いました。
この「だれそれ『で』なになに」という曲紹介、大嫌いです(笑)。
ちゃんと「だれそれ『の歌で』なになに」と言うべきです。「だれそれ『の』なになに」でもいい。
最近のアナウンサーって、昔ほど厳しい訓練を受けずに配属されてしまうんです。NHKでも研修期間は短くなりましたから。トホホです。
「サ行」が不明瞭だとか鼻濁音もできないヤカラは、アナウンサーになりたいなんて考えてはいけません(笑)。視聴者が迷惑します。
昼のテレビニュースでは「史実」なのか「手術」なのか「事実」なのか、わからない時がありますね。「サ行」のときに舌を噛んでいるような発音。
自分の声を録音して聞いてみたことないのかなー???
投稿日時 - 2002-09-26 01:47:12
深夜にもかかわらずのご回答をありがとうございました。
冒頭の「わたくし」からしてオッ・・・。
HNの「グータラ」からはとても想像が及ばないような品格を感じました。
>「ら抜け」は方言から広まったものだとも言われています。
そうなんですか、それならばわたくしは大切にしたいと思いますね。
方言って大好きなんです。温かくて柔らかくて故郷の風という感じがしますから。
>「正しい日本語」は、ない。「美しい日本語」なら、ある。
なるほど、そうですね。東の方では正しくても、
それが西の方でも正しいかというと、決してそんなことはないですものね。
乱暴に聞こえさえしなければいいのかなぁ?
>「だれそれ『で』なになに」という曲紹介、
考えたこともありませんでしたが、嫌いな方もみえるんですね。
こうなるとアナウンサーたる者、余程鍛錬を積まないと
どこでどう非難されるかもと戦々恐々しなければ・・・?
それはオーバーとしても、昨今のアナウンサーの質の低下には辟易しますね。
言葉の泰斗でしょ?アナウンサーって。
>「史実」なのか「手術」なのか「事実」なのか、
ありますねぇ、そういうの。
その他にも「栄養出張」なんていう言い間違いも!
「栄養が」どこへ「出張」するんだ!?なんてツッ込みたくなります。
もう一度「させしすせそさそ」と早口訓練をして欲しいですね。
投稿日時 - 2002-09-28 11:27:56
ANo.15
ご承知のように、言葉は移り変わるものです。
我々は自分が日本語を覚えた時代を絶対視しがちですが、その前の時代では言葉の意味や活用も違っていたし、将来も違ってくるでしょう。
たとえばよく槍玉に挙げられる「全然」ですが、歴史的には参考URLのように意味が変遷しています。
こうなると「正しい日本語って何?」という話になります。
と言いつつ私は個人的に「“すごい”気になる」という用法が嫌いで「“すごく”気になる」に訂正したくなるのですが、他人が使っているのをあえて指摘しようとはしません。
それよりもネットに跋扈している、過度の略語や無意味な伏字のほうが気になります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=284937
参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=126309
投稿日時 - 2002-09-26 00:09:11
深夜にもかかわらずのご回答をありがとうございました。
参考URL、どちらとも読みました。
かの文豪も「全然~肯定文」を使ってたんですか!?
それが正しかったというか、一般的な用法だった訳ですね。
言葉の意味や活用における著しい変遷の見本みたいなものですね。
無意味な伏せ字・・・私も「ミニ○トップ」などと書き込んでしまいました。
このサイトを利用されている諸先輩方々がこうされているようなので、
そうしなければならないものと思い込んでいましたし、
このコンビニに対して「間違った日本語で歌うな」
と批判していると採られてはマズイかな?
と思ったので伏せ字を使った次第なのですが、それこそ無意味でした・・・。
それでは私も今後はやめるようにしたいと思います。
投稿日時 - 2002-09-27 22:40:18
ANo.14
私が許せないのは「ら抜き」の方です。
一部の方言をのぞいては許せません。
若者同士の間で自然発生する、仲間うちでだけ通用する文化ですらないと思っています。
「ら抜き」にくらべれば、
「みたいな~」や、「チョー○○」の方が、ずっと創造性を感じます。
言語は流動的で、時代とともに変化していくものだとはわかっていますが、
日本語を扱う商売の人、たとえば作家、役者、教師、アナウンサーなどは、
その言語の変化に、最も鈍感であるべきだと思っています。
日本の人口の99%が使い始めた時点で、
初めて、言葉のプロである彼らが変化を受け入れて、
そこで「元は誤用であったが一般化した」と言ってよいのだと思います。
ところが国営放送のアナウンサーでさえ「ら抜き」でしゃべっています。
本当に不愉快だし、私は絶対に使いません。
SMAPも大好きなのに、
「何かを信じて来れたかな」と歌われると、トホホ。
「生きて来られた」と歌う松田聖子にはホッ。
誤りのニュアンスを熟知した上で、わざと表現方法として使っている方もいるのですが。
(たとえば『動物のお医者さん』の佐々木倫子さんは、
ハムテルには「食べられる」、チョビには「食べれる」と言わせています。
ハムテルとチョビの言語能力の差を表現しているのだと思います)
劇団テアトルエコーでロングランしていた「ら抜きの殺意」、おもしろかったです。
(永井愛著、文庫化しています)
「すいません」については、まったく気にならないです。
確かに目上の人に対しては失礼かもしれませんが友達同士ならOK。
「あんがと」とか、「あたしんち」とかと同じ、
単なる発音上の変化に過ぎないと思うので・・・。
投稿日時 - 2002-09-26 00:04:16
深夜にもかかわらずのご回答をありがとうございました。
厳しいご意見ですね。
>仲間うちでだけ通用する文化ですらない んですか。
でも
>「みたいな~」や、「チョー○○」の方が、ずっと創造性を感じます。
ですか。そういう捉え方もあるんですね。
「すいません」に関しては気にならないんですか?
何ゆえ「ら抜き言葉」に対してだけはそんなに否定的に思われるのか、
ちょっと理解できないのですが・・・。
何だかひとつのことにだけ異常に(こんな言い方して申し訳ありません)
揚げ足を取っていらっしゃるような気がしないでもないんですが・・・。
あ、こんな言い方したからって、
katoriさんを非難しているのではありませんから、誤解なさらないで下さいね。
>日本の人口の99%が使い始めた時点 に至って初めて容認されるべきですか。
そこまでパーセンテージが上がればさすがに認めざせるを得ませんね。
言葉の先達者であるべきアナウンサーには、美しく正しい言葉使いをして欲しいものです。
香取君にしても、ベラベラ英語の勉強もいいのですが、日本語の勉強もして欲しいですね。
投稿日時 - 2002-09-27 22:25:39
ANo.13
「すいません」という言い方を広めたのは、こぶ平のお父さんである林家三平で「奥さん。どうーも。すいません。」というのを繰り返していました。
テレビでも、最近は「ら抜き表現」をするひとも増えてきています。
昔はドイツ語の語尾がRで終わるときに、「ヴィルデル」のようにひどく巻き舌音でしたが、最近は「ヴィルダー」と発音されます。このように、日本語でも、変わっていくのだと思います。
たぶん、その上司は、林家三平が嫌いなのだと思います。
参考URL:http://www.geinin.jp/prof/hy_sanpei_3.html
投稿日時 - 2002-09-25 23:24:04
深夜にもかかわらずのご回答を有難うございました。
そういえば林家三平さんでしたね!
参考URLによると彼は東京出身なのに、どうして標準語から外れた言葉を広めたんでしょう。
「すいません」を使う人は東京以外の方だとばかり思っていました。
ドイツ語は確かにレロレロというような発音が多いですよね。
お堅い感じがするドイツ人も、やはり発音しやすい言葉のほうがいいんでしょうか(笑)。
日本語だって変化していくのが自然かもしれませんね。
ところで、私に注意したのは「その上司」ではないんです・・・。
どういう人ということは少々披露しにくいので勘弁して下さい。
多分このサイトも読んでると思うし、更なる酷い仕打ちが心配ですので。
投稿日時 - 2002-09-27 15:06:55
ANo.12
こんばんわ ←この ”わ”はネットの時しか使いませんが、結構ネットだとこう書く人もいますよね。
私は38歳男性の関西人ですが、ら抜き言葉は特に今に始まったことでもないと思います。
他の方も書かれていらっしゃるように、言葉は絶えず変化するものでしょう。
”すいません”と聞きなれている私はかえって”すみません”の方が不自然に感じてしまいます。
ちょっと前までは ”全然美味しい”とか”全然”肯定的に使うを言い方は間違いだとの意見がすごく多かったのに、最近は当たり前のように肯定に使う人が多いですよね。
私も短縮後を自分で使う気になれませんが(”明けおめ”とかです)聞いた時に判らないと、若者の言葉を理解できません。
それから他にも 目上の人にたいしては”いらっしゃいます”が正解ですが、本来目下のものに対して使う”おられます”も混同している人が多いですよね。
これも私は気になりません。 殆どそうなってしまってますから1部の接客業などに勤めてる方以外では、意味すら知らない人が多いみたいです。
教科書どおりの言葉しか通じないなら、世代を超えた会話が成り立たなくなってしまいますね。
いろいろご投稿以外のことも書いてしまいましたが、すいません→すみません の内容で、それほど酷いことをされる内容では無いでしょう。
余程由緒のある職業や付き合いでない限りは、充分に許される範囲だと思います。
投稿日時 - 2002-09-25 22:33:51
早速のご回答を有難うございました。
「こんばんわ」が正しいのか「こんばんは」が正しいのか。
あれれ???後者でいいんですよね?何だか頭が混乱してきました(笑)。
関西の方は「すいません」が圧倒的に多いですよね。
私は名古屋人なんですが、名古屋でも「すいません」です。
私は毎月約400軒を訪問してお客様と接する仕事に従事していますが、
「すいませんは間違いだ」と注意されて以来、
「すいません」と使うお客様が多いのかそれとも「すみません」が多いのか、
ジーッと耳を澄ませて聞き入ってみたんです。
その結果、たまたまその面談中にその言葉を使う場面に至らなかったお客様もいらっしゃいましたが、
圧倒的に「すいません」が多かったのです。
圧倒的どころか、「すみません」はたったのおひとりだけでした。ということは、
少なくともここ名古屋においては「すいません」が標準語というか
基本的な言葉であると結論付けてもいいと思うんです。
「全然」の後が肯定文になる使い方。私も最初はかなり抵抗があったのですが、
ごくたまに口から出てしまい、(あ、私も毒されちゃったな)と自己嫌悪・・・。
「あけおめ」等の短縮形は、もしかして今のように長文が可能ではなかった頃の
携帯電話のメールを打ち込むのに無理矢理短縮形を考案し、
それが会話においても使われるようになった、と考えるのはこじつけでしょうか。
「おられる」は目下の者に使う言葉なんですか!?あらら、私も混同していました。
以後注意します。教えて下さってありがとうございました。
投稿日時 - 2002-09-27 10:45:34
ANo.11
「ら抜き言葉」については,可能・受身・尊敬を区別するための必然的な変化と考えています.
「すみません・すいません」は音便の範囲内でしょう.
「すいません」を注意した件と酷い仕打ちは無関係と思いますよ.
投稿日時 - 2002-09-25 22:31:45
早速のご回答を有難うございました。
「ら抜き言葉」は必然的な変化、ですか。
なるべくして変化しつつあるという訳ですね。
ンー・・・私には100%そう言い切れる金科玉条がないのですが、
そういうふうに割り切ればいいんでしょうか。
何だか言語学者の方から叱られそうな気がしないでもないんですが。
「すいません」は音便の範囲。そうですよね。
実は「すいません」でいけないのならと、試しに「すみません」と使ってみたのですが、
「すみ」より「すい」のほうが遥かに発音しやすいんですよね。
「み」は唇をくっつけないと発音できませんが、
母音の「い」は「す」のついでに簡単に発音できますもん。
言葉が変化して行くというのは、そういった理由が最も大だと思います。
>「すいません」を注意した件と酷い仕打ちは無関係と思いますよ.
そうかもしれません。注意を受けた直後に仕打ちを受けたものですから、
ついそれに関連付けてしまっただけなのかも。
でも、「ら抜き言葉殺人事件」にもあるように、
今は些細なことを逆恨みしてとんでもない仕打ちに出る人が多いですからね。
たかが言葉、されど言葉なのかもしれません。
投稿日時 - 2002-09-27 10:23:37
ANo.10
こんばんわ。「すいません」と「すみません」の違いなんて気にもとめなかったのですが「すみません」の方が正しいのですね。一つ賢くなりました(^^;
こういう日本語の乱れは気にしだすときりがありません。私の場合は、学校でアナウンサーの先生の講義を受講した事がきっかけで気になり始めました。
私が気になる「日本語の乱れ」は、
☆~~のほう 例・「お鞄のほうお持ち致します。」
「お会計のほうが\3000になります。」など。
「ほう」という言葉は基本的に方向を示す言葉だそうです。
☆なんか・・ 例・「なんか今日暑いよね。」
この「なんか」には全く意味がないのです。でもついつい使いまくってしまう。
☆とか 例「これとかってどう使うの?」
「ポテトとかはよろしかったですか?」
あいまい表現だそうです。
このように気になりだすときりがありません!!特に「バイト敬語」とよばれるものなんて日本語は乱れまくっているのです。ファーストフード店で買い物すると何回「~ほう」といわれることか・・・。
長くなりましたが、私の考えとしては、極力正しい日本語を使うべきだと思います。許されない事ではないと思いますけど、間違った日本語より正しく美しい日本語を喋りたいですものね。
でも、元アナウンサーの先生とはまともに会話できませんでした・・・。私の日本語間違いだらけですもん・・・・・。
投稿日時 - 2002-09-25 22:27:34
早速のご回答を有難うございました。
「すいません」という言い方が間違ってることを知らなかった
というか、考えもしなかったのは私だけではなかったようでホッ・・・?
「~のほう」という言い方も「~とか」というのも、
単刀直入・ストレートに物を指すのを無遠慮だとする
日本の美徳感覚から発生したもののようですね。
ただ、それが最近はやたら耳障りにも聞こえるようになったのはどうしてなんでしょう。
欧米文化が席巻するようになり、あいまいな表現はあまりしない諸国の伝達方法が
古来のものより取り入れられているからかもしれません。
温故知新ともいいますから、日本古来の良い部分を生かしながら
新しい使い方をしていくのが理想なのでしょう。
今はその過渡期なのかもしれませんね。
tarohiko48さんが先生とまともに会話できなかったのなら、
私なんぞはまともどころか言葉に窮してしまうに違いありません。たははは・・・
投稿日時 - 2002-09-27 10:07:12
ANo.9
ファッションと同じようなものです。ファッションも「綺麗な服を着ていたい」と思う人もあれば「服なんか着ていればいい」という人もいます。日本語も「綺麗な日本語を喋っていたい」と思う人もあれば「日本語なんか通じればいい」という人もいます。価値観の違いなので、人それぞれではないでしょうか。
僕も別に他人がなにをどう喋ろうが興味ありません。ただ、僕自身は綺麗な日本語を喋ろうと心がけています。「食べれる」などとは絶対に言いませんし、そもそも略語も美しくないので喋りません。「デジカメ」「ケータイ」ではなく「デジタルカメラ」「携帯電話」と喋ります。あと会社でも、社内でしか通用しないいわゆる社内用語は使いません。綺麗な日本語を喋って損はないわけですから。得もないかもしれませんが。
投稿日時 - 2002-09-25 22:26:29
早速のご回答を有難うございました。
ファッションと同じ、ですか。
綺麗な服を着ようと心掛ける人と、何でも構わないと無頓着な人。
ウーン、私も身に付ける物にお金をかけたくない人間なので、これは少々こたえました。
略語も美しくない。そうですよね。
私自身は使わないというより、理解できなくて使いようがないというか・・・。
若い方たちが早口&略語でしゃべっているのを聞くと、
まるで異国に紛れ込んだような錯覚に陥ったりして?
「ケータイ」はもはや定着しそうな勢いですね。広辞苑に載るのも時間の問題かも?
「デジカメ」も、「それはどんな亀なんだ?」
と孫に聞いたお年寄りがいらっしゃるとか聞きましたし・・・。
綺麗な日本語をしゃべって損はない、そうですよね。
得もないかもしれませんが、汚いよりも綺麗なほうがいいですよね。
投稿日時 - 2002-09-26 21:33:51
ANo.8
「ら抜き言葉」は、私の中では許されないものです。
「すいません」は、親しい間柄なら良いのですが、初対面や、目上の人に使うと失礼になります。
また、極端な短縮語や、自分たちだけのローカルな単語も、仲間内で使う分には何も言いませんが、自分達の以外の人に使えば、通じないのは当たり前なのに、それを「流行語」と勘違いしているアホが多すぎます。
タメ口も同じですね。
日本語は本来表現能力に優れたすばらしい言葉なのに、それを「乱れて」使っておもしろがっているのは、やはり許しがたいですね。
でも、先にも書きましたが程度問題で、仲間内では良いと思いますよ。
それを、仲間以外の人との話しに使ってはいけません。
でも、彼らは区別も出来ないのです。仲間か目上かの・・・
投稿日時 - 2002-09-25 22:18:46
早速のご回答を有難うございました。
「ら抜き言葉」は許されないものなんですか。
Spurさんの友人・知人が、それや「すいません」を使っていたらどうされますか?
「その言い方は間違っている」とその都度注意しますか?
「日本語をキチンと使えないようなこんな人間とは付き合いたくない」と言って、
去って行きますか?
それもまた厳しいものがあると思うのですが・・・。
最近の教師と生徒間の会話は信じられないですね。
学問を教えてくれている先生に対しての言葉遣いとは
到底思えない会話にビックリです。
ところで、「先にも書きましたが」という一節が気になるんですが、
何のことを指してるんでしょう?
過去の質問か何かでSpurさんと討論したことがありましたっけ?
投稿日時 - 2002-09-26 17:54:57
ANo.7
「すみません」はもともと
動詞「すむ」+助動詞「ます」+助動詞「ん」
ですが、現在は一語として認識されているようです。
したがって、「すいません」という言葉も、一語として認識されています。
恐らく、大抵の人は「『すむ』の否定だ」という意識はないと思います。
ですから、ほとんどの人は「みだれ」と言う以前に、そもそもそのような議論の對象とも思ってないんじゃないでしょうか。
(もっともここの回答者の方々は言葉に敏感な方が多いでしょうから、違うかもしれません。)
私も「みだれ」とは思わないですね。
>例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか?
不愉快(ふゆかい)に感じることはありませんが、違和感を覺えることはあります。
「これる」(「くる」の可能)・「見れる」(「見る」の可能)・「食べれる」は全然違和感を感じません。
「考えれる」・「あけれる」(「あける」の可能)は違和感を覺えます。
「投げれる」はまあ中間でしょうか。
「ら拔き」と言われる言葉づかいについては、
別に「ら」が拔けたのではなくて、もともとそのような可能動詞があるんだ、だから問題ない、
という考えたかたもあるようです。
例えば、五段活用動詞「書く」の可能動詞は「書ける」です。これは何かが拔けたわけではありません。
これと同樣に、一段活用動詞「見る」の可能動詞は「見れる」だ、というわけです。
この考え方についての私の意見は控えます。
投稿日時 - 2002-09-25 22:17:12
早速の回答を有難うございました。
「済む」の否定形の「済まない」だから「済みません」が正しいということ、
私もある方から注意してくれたのがきっかけでふと気付いた次第なんです。
確かに「すいません」は誤りだ、と。
一概に「ら抜き言葉」といっても、確かに違和感のある場合とそうでない場合があるんですね。
これはちょっとした発見でした。
その辺りの区別がつかなくて、もしくは考えもしないで
何でもかんでも「ら抜き言葉」になってるのかもしれませんね。
大変参考になりました。
投稿日時 - 2002-09-26 17:43:00
ANo.6
乱れ?言語は、言い易い・しゃべり易い方に変化していくのが普通ではないでしょうか?「すいません」皆で言えば、怖くない。「すいません」・「食べれる」・「しゃべれる」など、ほとんどの方が使う様になれば、それが文法になるはず。ある番組で「最近、若者の間でか行変格活用の’来る’を五段活用でしゃべる人が増えた」と批難している方がいましたが、言語学者は「未来には、すべて五段活用に集約される」と言ってました。古文法の「活用」にくらべ、現在ではかなりシンプルになっているでしょう?
投稿日時 - 2002-09-25 22:04:39
早速のご回答をありがとうございました。
>「すいません」皆で言えば、怖くない。「すいません」・「食べれる」・「しゃべれる」など、ほとんどの方が使う様になれば、それが文法になるはず。
すみません。思わず笑ってしまいました。
確かにほとんどの方が使うようになれば、
最後まで抵抗・憤慨・非難していた方も染まってしまいますもんね。
ところで、「か行変格活用の’来る’を五段活用でしゃべる」
の意味がよく判らないですが・・・。
「終止・連体・仮定・命令・・・」とかいうののことでしょうか?
遠い遠~いその昔、現代国語の授業で習ったような寝てたような(笑)。
投稿日時 - 2002-09-26 17:36:02
ANo.5
ら抜き言葉に関しては、40代の私はあまり使わないのですが、60歳代の私のかかりつけのお医者さんは「今度いつ来れる」などと、ら抜き言葉をよく使われます。他にも、選挙が近づくと新聞の投書欄に「こんな候補には投票すまい」という表現が目立つようになりますが、これも、中学生の時に文法の時間では「すまい」は誤りで、「するまい」あるいは「しまい」が正しい表現であると教わりました。
このように、あらを探すつもりで文法上誤りと思われる表現を探せばきりがありませんし、日常会話というものは、なかなか文法どうりには行かないものではないでしょうか。こんなことを書き込んでいる私も、この文章の中で、文法上は誤った表現をしているかもしれません。もししていましたらお許しください。
ただ、私がいちばん不愉快に感じるのは、ほかの方の回答にも書き込んだ内容ですが、自分の両親のことを第三者に「おとうさん」「おかあさん」と伝える点です。これは「父」「母」と、きちんと言うべきと思います。
投稿日時 - 2002-09-25 21:55:50
早々のご回答をありがとうございました。
「いつ来れる」そういえば私も使ってます。
「来られる」だと「いらっしゃる」という尊敬語にもなりそうですよね。
医師が患者に「いらっしゃる」では威厳がないと
その60代の先生は感じておられるのでもないんでしょうが。
「投票すまい」は誤りで、「するまい」が正しいんですか。
そういえばこれも私、使ってます(汗)。
自分の親の事を「おとうさん、おかあさん」これは見苦しいですね。
この言葉には「お」と「さん」という尊敬語が二つも含まれてますから、
それを他人に使うのは誤りという以前に見苦しいと思います。
私が許せないのは、TVに写る人たちがたまに使っていることです。
そういうのを見て育つ子ども達に良い訳がありません。
特に、子ども達のあこがれの的となるアイドルさんには
留意して欲しいものですね。
投稿日時 - 2002-09-25 22:54:06
ANo.4
島田荘司著
"ら抜き言葉殺人事件"
お暇なら読んでみて(^_^ )ノ
参考URL:http://www6.big.or.jp/~akiku/mystery-ML/kansou/kansou1.html
投稿日時 - 2002-09-25 21:40:11
早々のご回答をありがとうございました。
参考URL読みました。被害者の名前が私と同じなので思わず「ウッ・・・」
残念ながら、なかなか読書をする時間が取れないんです。
いつか映画化されたら是非観てみたいと思います。
それにしても、「ら抜き言葉」に対して執拗に憤慨する方もおられるからこそ
こういう小説が書かれるんでしょうね。
やっぱ私も「すいません」は止めようかな・・・(笑)
投稿日時 - 2002-09-25 22:42:58
ANo.3
#2です。度々すみません。
ところで、このすみませんですが、
すいません、の場合、意味が微妙にかわってくるような気がします。
あと、すんません。って感じでいうのもあると思います。
これは、挨拶も、「おっす」と同じ対象の相手でしょう。
言葉は相手との関係に則した使い方があるわけで、
すいません、っていうのは、相手との関係があまいときだと思います。
投稿日時 - 2002-09-25 21:28:06
何度でもご回答にいらして下さい。いろんなご意見を伺いたいのですから。
さて、「すいません」は相手が親しい場合に限る、ですか。
そう言われてみるとそうかもしれませんね。
親しくない人・目上の人には「すみません」、
というか「申し訳ありません」が妥当ですね。
もっと丁寧に言えば「申し訳ございません」になるんでしょうけど・・・。
投稿日時 - 2002-09-25 22:36:54
ANo.2
乱れ乱れというけれど、言葉というものは生物と同じで進化していくものと思います。
古語から現代語にはどのように変わっていったのでしょう?
今の国語の教科書が乱れていない言葉だとすると、古語は乱れていた?
そんなことは無いとおもいます。
外国語だって、国間にいたってはスペルは同じでも発音がまったく違いますよね。
あれも進化の過程かと思われます。
1000年後には日本語はどのように変わるのでしょうね。
投稿日時 - 2002-09-25 21:20:25
早々の、しかもこれまた
「グルメな映画」でもご回答頂きましてありがとうございました!
さて、私も全くそう思います。
その時代時代によって変化していくのが当然の流れだと思います。
今時、「お主、今何と申せられた!?許せぬ。覚悟いたせ!」
なんて口にする人はいませんよね。
「すいません」という間違った言い方をする私には
口もききたくないなどと言う人は無視していればいいんでしょうか。
投稿日時 - 2002-09-25 22:31:44
ANo.1
自分は秋田の田舎者ですが、こちらでもら抜きは
あたりまえのようになってきてるかと思います。
自分もら抜き言葉つかってますし、
相手がつかってても気になりません。
相手に「すいません」と謝られても
不愉快には感じませんね・・・これがおかしいことなのは
わかってますけども・・・まあ、私の意見はこんなところです。
投稿日時 - 2002-09-25 21:17:15
早速の回答を、しかも直前には
「グルメな映画」にもご回答を頂きましてありがとうございました!
おかしいことはわかってるけど、気にならないし不愉快にも感じないんですね。
大抵の方はそうなんだろうと思います。
だって「最近の日本語はおかしい!」と声を大にしてわめいても、
一人だけで非難しててもどうにもなりませんもの。
私も「すいません」って使ってていいんですよね?
投稿日時 - 2002-09-25 22:23:33