おおよそ創作というものは、「創作脳」と「批評脳」で行うものだと考える。
「創作脳」というのは、あらかじめ頭の中にはっきりとしたイメージがあって、それに作業や制作物を近づけていくやり方のことだ。
対する「批評脳」というのは、あたかも初めて向き合うかのように、それを観た時の自分の心の動き、良いか悪いか、面白いかつまらないかを、いわば「批評的」に判断するものだ。
『かぐや姫の物語』のメイキング映像の1シーンに、僕は驚愕した。
高畑さんが、空の色味を決めようと、6パターンくらい描かせて、それをじっと、ずーっと見ている。
しかし正直、俺の目では6パターン全部、何がどう違うのかさっぱり解らない!
まるで今はやりの、色盲検査、逆か、色の見極め度テストを受けているようだ。
高畑さん、うーん・・・と悩んだ挙句、こう言うのだ。
「難しいですねぇ・・・」
そりゃそうだ!ほとんど一緒やないか!!
この時の高畑さんの脳は、間違いなく「批評脳」だったと思う。
ていうか、絵の描けない演出は、大抵「批評脳」じゃないかな?
「批評脳」もいい点がある。ゴールを設定していないから、どこがゴールでもいいのだ。
「このくらいでいいや」とすぐに思えてしまう。
しかし反面、ゴールがないとなると、こだわり始めたらキリがない。
恐らく高畑さんは、名作劇場など時間の全くない壮絶な作業を、この「批評脳」で切り抜けたのだと思う。
しかし予算と時間が無限にあると、もう歯止めが利かない。こうして『かぐや姫』は、膨大な予算と時間が湯水のごとく注ぎ込まれた。
まぁもともと『ホルス』を延々と作り続けた人だ。その切替えをずっと上手く(狡猾に)やってただけなのだろうが・・・。
宮﨑さんはもちろん「創作脳」だ。イメージが最初にあって、それをなぞるように描いている。
もっとも、最近ではそうでもなくなってきたようだが・・・。
僕も師匠からは「まずイメージありき!」と叩き込まれたので、「創作脳」を持つことになった。
若い頃はこれでブイブイ言わせたものだ。「なんでこれが解らんのや!!」と大喧嘩を繰り返した。
もう完璧に見えているのだ。でもそれにぴったり合わせる画力が自分にない。
もどかしい思いをした。
そこで段々と「批評脳」を採用するようになった。
この絵はイメージ通りではない、でも時間がもうない!じゃあこの絵は使えるのか?使えないのか?成立しているのか?商売になるのか??
そんな問答をリアルタイムで頭の中でグルグルと考えるようになった。
結局はハイブリッド、「創作脳」と「批評脳」をバランス良く使うのが、プロとしては一番いいのだろう。
決めるところはさっさと決め、ルーズなところも残しておく。商業ベースで作業するには欠かせないパワーバランスだ。
しかしこのバランスが崩れると、なんとも残念な結果となる。
いわゆる「ザル演出」、全然見てないという作業も往々にしてある。それでガッツリ演出料取っていくんだもんなぁ。
そういう場合は、僕はラッシュチェックで「もういい黙ってて」と言う。こんなところでちゃんとやってましたぜアピールすんな!
そしてその逆、何がどう違うねん!?という試行錯誤を延々繰り返して、結局1ヶ月かけて1カットしか上げてこないヤツ。
この程度のカットで1ヶ月!?この程度で!?どんな脳味噌しとんねん!と、呆れ返ったものだ。
どちらも、プロとしては失格だ。
趣味でやれ。
「創作脳」と「批評脳」、そのどちらかが強すぎても、ダメだ。
プロはこの両方を、バランス良く使いこなさなければならない。
「創作脳」というのは、あらかじめ頭の中にはっきりとしたイメージがあって、それに作業や制作物を近づけていくやり方のことだ。
対する「批評脳」というのは、あたかも初めて向き合うかのように、それを観た時の自分の心の動き、良いか悪いか、面白いかつまらないかを、いわば「批評的」に判断するものだ。
『かぐや姫の物語』のメイキング映像の1シーンに、僕は驚愕した。
高畑さんが、空の色味を決めようと、6パターンくらい描かせて、それをじっと、ずーっと見ている。
しかし正直、俺の目では6パターン全部、何がどう違うのかさっぱり解らない!
まるで今はやりの、色盲検査、逆か、色の見極め度テストを受けているようだ。
高畑さん、うーん・・・と悩んだ挙句、こう言うのだ。
「難しいですねぇ・・・」
そりゃそうだ!ほとんど一緒やないか!!
この時の高畑さんの脳は、間違いなく「批評脳」だったと思う。
ていうか、絵の描けない演出は、大抵「批評脳」じゃないかな?
「批評脳」もいい点がある。ゴールを設定していないから、どこがゴールでもいいのだ。
「このくらいでいいや」とすぐに思えてしまう。
しかし反面、ゴールがないとなると、こだわり始めたらキリがない。
恐らく高畑さんは、名作劇場など時間の全くない壮絶な作業を、この「批評脳」で切り抜けたのだと思う。
しかし予算と時間が無限にあると、もう歯止めが利かない。こうして『かぐや姫』は、膨大な予算と時間が湯水のごとく注ぎ込まれた。
まぁもともと『ホルス』を延々と作り続けた人だ。その切替えをずっと上手く(狡猾に)やってただけなのだろうが・・・。
宮﨑さんはもちろん「創作脳」だ。イメージが最初にあって、それをなぞるように描いている。
もっとも、最近ではそうでもなくなってきたようだが・・・。
僕も師匠からは「まずイメージありき!」と叩き込まれたので、「創作脳」を持つことになった。
若い頃はこれでブイブイ言わせたものだ。「なんでこれが解らんのや!!」と大喧嘩を繰り返した。
もう完璧に見えているのだ。でもそれにぴったり合わせる画力が自分にない。
もどかしい思いをした。
そこで段々と「批評脳」を採用するようになった。
この絵はイメージ通りではない、でも時間がもうない!じゃあこの絵は使えるのか?使えないのか?成立しているのか?商売になるのか??
そんな問答をリアルタイムで頭の中でグルグルと考えるようになった。
結局はハイブリッド、「創作脳」と「批評脳」をバランス良く使うのが、プロとしては一番いいのだろう。
決めるところはさっさと決め、ルーズなところも残しておく。商業ベースで作業するには欠かせないパワーバランスだ。
しかしこのバランスが崩れると、なんとも残念な結果となる。
いわゆる「ザル演出」、全然見てないという作業も往々にしてある。それでガッツリ演出料取っていくんだもんなぁ。
そういう場合は、僕はラッシュチェックで「もういい黙ってて」と言う。こんなところでちゃんとやってましたぜアピールすんな!
そしてその逆、何がどう違うねん!?という試行錯誤を延々繰り返して、結局1ヶ月かけて1カットしか上げてこないヤツ。
この程度のカットで1ヶ月!?この程度で!?どんな脳味噌しとんねん!と、呆れ返ったものだ。
どちらも、プロとしては失格だ。
趣味でやれ。
「創作脳」と「批評脳」、そのどちらかが強すぎても、ダメだ。
プロはこの両方を、バランス良く使いこなさなければならない。