極寒の地、ロシア。地球上で最大の天然ガスの埋蔵量を誇るこの国のなかでも、今、最も注目されているのが、北海道の最北端の宗谷岬から、海峡を隔ててわずか43kmの位値にある全長約1000kmのサハリン島(樺太)だ。天然資源の宝庫で、その沖合に埋蔵する資源の総量は、石油に換算して450億バレル相当(2009年3月時点)といわれている。
この沖合で、主に原油を生産するピルトン・アストフ鉱区-A(以下「PA-A」)に続く形で、主に原油を生産するピルトン・アストフ鉱区-B(以下「PA-B」)、および主に天然ガスを生産するルンスコエ鉱区(以下「Lun-A」)の海上プラットフォームが建設され、2009年春から、LNG(liquefied natural gas:液化天然ガス)の出荷を開始した。
「サハリンII」というプロジェクト名によって建設された PA-A、PA-B、Lun-A それぞれの海上プラットフォームで生産された天然ガスは、全長約800kmの専用パイプラインでサハリン島の最南端まで運ばれ、LNG生産基地で液化されたLNGとして、日本および世界へと輸送され、2010年8月には、LNGの累計200隻出荷を達成した。
「2つのプラントのLNG生産量は年間960万トンで、そのうちの約6割が、日本の電力会社やガス会社などに供給されます」と三井物産エネルギー第二本部ロシア事業部サハリンII事業統括室の田中慶投資管理マネージャーは説明する。「日本のLNGの輸入量は年間約7000万トン。震災に伴う日本の2011年の追加LNG需要は、年間1100万〜1500万トン程度と想定され、来年以降はさらに増える見通しもありますから、日本の総LNG輸入量の約1割弱を賄う計算になります」(田中氏)。
サハリンIIプロジェクトによって開発されたこれらの施設の重要性は、その埋蔵量、供給量の多さだけではないと田中氏はいう。
「日本へのLNG供給量で最大を誇るカタールの場合、日本への輸送に片道15〜16日、オーストラリアだと10日、インドネシアでも6〜7日はかかります。しかし、サハリンからなら2、3日でくる。それだけ近い所にあると、万が一、何かあったときにすぐに持って来られる。その"安心感"が最大のメリットと言えるでしょう」(田中氏)
そのことは、実際には決してあってほしくなかった悲しい出来事だが、今回の東日本大震災で結果的に証明されることとなった。
一方、サハリンIIは、日本だけでなく、ロシアにとっても魅力的なプロジェクトだった。
天然ガス埋蔵量が世界一のロシアは、地続きのヨーロッパに対しては、パイプラインを使って輸出していた。しかし、天然ガスを液化して船で運ぶことができれば、日本や韓国、台湾など、資源を持たない国々への輸出も可能になる。また事業に関連する長期的雇用の創造、貴重な外貨獲得、産業発展に伴うインフラ整備等の利点もある。サハリンIIプロジェクトは、供給側のロシア、需要側の日本やその他の国々、双方に大きなメリットを産むプロジェクトだった。
だが、「1980年代後半からこのプロジェクトに取り組み始めた私の先輩方の苦労は、並大抵のものではなかったそうです」と田中氏が語るように、このサハリンIIプロジェクトの実現までには、想像を絶する困難が待ち受けていた。
まだ「ロシア」が「ソビエト連邦」だったころ、サハリンでの開発権(指定鉱区で資源を開発し、生産・販売する権利)の取得がみえてきて、三井物産とアメリカ企業2社という3社態勢も整った矢先、予想もしなかった事態が起こった。
ソ連が崩壊してしまったのだ。"国"が変われば、当然、状況も一変する。ここから、三井物産以外の参加企業(国)も二転三転し、サハリンIIプロジェクトは度重なる困難に見舞われる。
92年、シェルと三菱商事が加わり、2年後、サハリンII参加企業により「サハリン・エナジー・インベストメント社」を設立。96年、同社とロシア連邦政府との間で正式にロシア初の生産分与契約が調印された。その後も参加企業は変わったが、1999年には夏場限定の原油出荷を開始することができた。その後2000年、サハリンエナジー社の資本の出資比率は、シェルが55%、三井物産が25%、三菱商事が20%に調整された。以後、通年での原油出荷並びにLNG出荷に向けて工事が進められ、プロジェクトも軌道に乗ったかと思われた。
ところが、2006年、ロシア政府は「環境破壊」を理由に、サハリンIIプロジェクトの工事停止命令を発表した。冬季にはマイナス20度以下に達する厳しい気候・海象条件等の想定以上の困難から、工事の遅延とプロジェクト開発予算が増加する可能性が見込まれた矢先のことだった。
サハリンエナジー社と3株主はそれぞれが有する環境対策への知識と経験を生かし、またプロジェクトへの参画が決まったガスプロム社(ロシア)と協力し、環境対策計画書を作成し、最終的に必要となる許認可を取得することができた。これと同時にガスプロム社がサハリンエナジー社の株式を取得し、2007年、サハリンIIは、ガスプロム社50%+1株、シェルが27.5%−1株、三井物産が12.5%、三菱商事10%という出資比率のサハリンエナジー社によってプロジェクトを進め、2009年3月、ついにプロジェクトを完成させることができたのである。
※役職・所属は2012年3月時点のものです。