東中野氏の徹底検証 7 |
被害者の「出産ラッシュ」? |
東中野修道氏『南京虐殺の徹底検証』より ちょっと横道にそれるが、『ニューズウィーク』の「レイプで生まれた子供たち」 (1996年9月25日号)が報じたように、ボスニア紛争中に強姦された女性はEU(欧州連合)によると二万人であった。そのため、被害者の出産ラッシュと、捨て子という悲惨な問題が後を絶たなかった。アフリカのルワンダでも、それは同じであった。 しかし南京では、『南京安全地帯の記録』に見られるように、被害者の出産ラッシュという記録がない。言われるような二万人強姦事件がなかったことを、それがまた暗示しているのではないか。 (同書 P273) |
「南京における救済状況」(ベイツ) 1938.2.14 3.医療 強姦された女性に感染した性病の問題は、いまや深刻になっている。われわれは直ちに医療サービスを広げて、それらの世話や自由な治療ができるようにしてやることが求められている。 強姦された未婚の娘を連れて、堕胎してもらいにやってくる母親の問題はさらに痛恨事である。 大学病院は現在まで、そのようなサービスは拒否せざるをえないできた。しかしその結果、家族は若い女性の健康を取り返しのつかないものにしてしまう手段にうったえることになる。 (「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P181) ベイツより妻リリアへの手紙 1938.2.13 前から予見できた問題が出始めている。ある婦人がきょう大学に娘を連れてやってきて、婚約中である娘の堕胎を哀願された。彼女は、日本兵に強姦されて妊娠したのである。 (「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P333) |
中国の両親は1人しか子どもをもたない場合がますます増えており,しかも両親の大多数はそれが男の子であることを望んでいる。
実際,中国の家庭では,男の子を求める社会的な,実体は身内からの強力な圧力がある。選別的な堕胎や女の子の「間引き」が一般的である。
笠原十九司氏「南京難民区の百日」より そしてさらなる別の不幸は、長期にわたって何回も犯されたため、妊娠してしまった女性も多かったことである。女性にとって強姦を拒否して抵抗することは、殺されることを意味する状況下にあった。スマイスは調査結果もふまえ南京では数万人の女性が強姦の犠牲になったとみている。そして後日になっての観測であるが、 強姦された女性のうち一〇人に一人の割合で妊娠したとみる。 母親が強姦された未婚の娘をつれて、堕胎をしてもらうために鼓楼病院にやってきたが、それを拒否せざるをえなかった病院の側も痛恨の思いであった。 しかし、その結果、家族は無理な堕胎をこころみて娘の健康を取り返しのつかないものにしてしまう悲劇もおこった。また、妊娠を知った未婚の女性にはショックのあまり、自殺してしまうものもでた。 さらに後日のスマイスの観察によれば、この時の妊娠で生まれた子どもは例外なく溺死や窒息死、あるいは捨て子にされ、ハーフが育てられることはなかった。日本軍の婦女凌辱は、あとあとまでも残酷な悲劇を残したのである。 (「南京難民区の百日」P315) *「ゆう」注 中の段落は前述のベイツの記述を元にしたものと思われます。「スマイスの観察」については元となった資料を確認できませんでしたが、十分にありうる話であると考えられます。 |
「レイプで生まれた子どもたち」より(1) アレンの実母はイスラム教徒で、ボスニア頭部ミリェビナ村の出身。九二年四月、セルビア人勢力がこの村を制圧した後、隣人のセビリア人男性にレイプされ、しゃべったら殺すと脅された。レイプと殴打はその後もずっと続いたという。 同年一〇月、彼女はゴラジュデに逃げたが、もう中絶するには遅過ぎた。途方に暮れ、川に飛び込んで死ぬことも考えたという。そんな彼女が生きていけるのは、いつかレイプ犯に復讐できる日が来ると信じているからだ。 (「NEWSWEEK」日本語版 1996.9.25 P36) |
「レイプで生まれた子どもたち」より(2) EU(欧州連合)によると、ボスニア紛争中にレイプにあった女性は推定二万人。ボスニア内務省の発表では五万人に近い。 こうしたレイプによって生まれた子の数は誰にもわからない。みんな、この話題には口を閉ざしているからだ。 (中略) だが、沈黙は必ずしも子供たちのためにならない。親に見捨てられた子供の多くは、官僚主義に阻まれて行き場を失っている。 たとえば、イスラム系の援助団体ヒューマン・リリーフ・インターナショナルが面倒を見ていた九人の孤児には、外国から養子の申し出が相次いだ。だが、ボスニア政府は孤児たちを国の管理化におくと主張、今年五月に子供たちを工業都市ゼニファに移してしまった。 同孤児院の院長アイサ・クリツオ(57)は、子供たちの出生の秘密を明かすのを拒否している。子供たちにも名前と誕生日、国籍しか教えないという。 (「NEWSWEEK」日本語版 1996.9.25 P36) |
「レイプで生まれた子どもたち」より(3) 人権擁護団体とルワンダ政府によれば、レイプされたツチ族の女性が産んだ子供は、二〇〇〇〜五〇〇〇人にのぼる。ほとんどは、生まれてすぐに孤児院の前に捨てられた。夫や家族を殺した男にはらまされた子を、みずから育てようという女性は少ない。 内戦で荒れたキガリ中央病院でもたくさんの赤ん坊が生まれた。九四年八月からの四ヵ月だけで、レイプされて妊娠したツチ族女性は三〇〇〜四〇〇人。その六割が性器を切除されていた。 みんな中絶を望んだが、ルワンダでは中絶は非合法だ。 「子供に罪はないのだから」と、産婦人科局長のグラッドストーン・ハビマナは諭したという。「それでも彼女たちは『家族を殺した男の子を育てる気にはなれない』と言い張る。そして出産した翌朝にはたいてい姿を消してしまう」。九五年一月から四月までに、この病院だけで八〇人近い赤ん坊が置き去りにされた。 (「NEWSWEEK」日本語版 1996.9.25 P37) |
「レイプで生まれた子どもたち」より(4) アレンの実母をレイプしたとされる男は、今もミリェビナに住んでいる。だが、彼はレイプの事実を否定。「なぜ彼女をレイプしなくちゃいけないんだ。そんなに魅力的な女じゃない」と、彼は笑う。「なぜそんなことを言うのか、おれの目を見て説明してほしい」 それこそ彼女の望むところ。旧ユーゴ戦争犯罪法廷(オランダ・ハーグ)で彼と対決したいと、彼女は言う。 (中略) だが、この男が罰せられる日は来そうにない。戦犯法廷はもっと大物の犯罪者を告発するのに忙しく、それさえも立件に手間取っているのが現状だ。戦犯第一号として起訴されていたドゥシャン・タディッチの場合も、レイプ容疑は取り下げられた。被害者が証言台に立つのを拒んだからだ。 (以下略) (「NEWSWEEK」日本語版 1996.9.25 P36) |
(2003.5.6記。 2003.5.31、笠原氏「南京難民区の百日」の記述を追加。2004.11.20、一部修正)
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