察して欲しいのに「言われないと分からない!」と主張されると脱力します。
いわゆる「察してちゃん」に該当する私ですが今回は察してちゃん側の意見を書こうと思います。
言いにくいから気がついて欲しい
- 相手を傷つける言葉を伝えて悪者になりたくない。
- そもそも相手とこれ以上関わりたくない。
- 口に出すのが恥ずかしいから言いたくない
「察してくれ派」VS「ちゃんとハッキリ言って派」だったら、察して派は部が相当悪いです。ハッキリ言った方が相手に伝わるし、ちゃんと主張するという行為をしたという点で誠実です。
一方察して欲しい派は、自分の都合ばっかりしか考えてないし、主張もしないくせに不服そうだからタチ悪いですよね。根性なしだし、偽善者だし、誠意もないです。
そこは認めます。
察しが悪い人のデリカシーのなさが嫌になる
察してくれという態度で感じ取ってくれたら有り難いですが、口でハッキリ言うのって割と最終手段に値します。
言いたくないから気がついてくれのシグナルを投げているのに気がついてくれない鈍感さにただでさえウンザリするのに、口でハッキリ言えと言われるとデリカシーのなさにさらにウンザリするのです。
言いたくないのに言わされた気持ちでいっぱいになります。
空気の読めなさ、しつこさ、アホさ、鈍感さ、デリカシーのなさが憎くなってきます。
言いにくいことを言わなかった逃げ腰だった自分が悪いという自覚がある分、察して欲しかったとも主張しにくいです。
「言いたくないこと言わせてゴメンなさい」と謝罪して欲しいものです。
はっきり言え派から言わせれば、「分かんないから声に出して欲しいって言ってるのに何で謝らないといけないのよ!根性なし!」という声が容易に想像つきます。
さらなる察しの悪さを感じてウンザリするのです。
ハッキリ言って欲しい派の人の嫌いなとこ
「ハッキリ言って欲しい派」のハッキリしているところじゃなくて、執念深く追い回すとこが嫌いなのです。尋問に根性とか出されると嫌になります。
つまり「ハッキリ言って欲しい派」がアッサリしてくれることがありがたいのです。
そうしたら察する、察しないとか関係なくなりますからね。
察して欲しい側の言い分は自分勝手極まりないですね。
弱く卑怯で自分中心です。
「ハッキリ言って欲しい派」が頑張って掴まえて本音を吐かすことができても、問題は解決するどころか関係性は末期状態になってます。
「察して欲しい派」にとっては、しつこく追い回されて嫌なことを強制的にされたと思うからです。つまりハッキリさせようとすればするほど、嫌われいく行動になるんです。
だから口でいくら話し合おうとしても、もうダメなんです。
正しい間違ってるの問題でなく気持ちの問題でアウト。
世の中の理不尽のひとつです。
最後に
察して欲しい人は察して欲しい人同士、ハッキリ言って欲しい人はハッキリ言って欲しいもの同士で仲良くするのがベストです。
水と油のようなもので、そもそもの相性が悪いのですから、無理にひっつこうとすると事故に繋がります。
気持ちをぶつけ合って、本音で話し合って、でもどうにもならない人間関係というのがこの世に存在します。
そういう場合はお互いが嫌な思いをしないように、適度な距離感に保って無理に親睦を深めない方が平和だということがあります。結果それがお互いを尊重する術になるのです。