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真偽不明でしょうね。

 投稿者:(コテハンの)通ります  投稿日:2017年 7月10日(月)22時23分17秒
編集済
  情報の投稿された方が2名いるということ。現時点でそれだけ。鬼の首を取ったつもりなのか?
これ幸いと程の低いアンポンタンがいるだけです。

ちなみに、教学部レポートも最初は真偽不明だったけど
ね。

さらには、最高幹部の偽学会員発言も最初はガセネタて騒いでいたしねー。(笑い)


(無題) ?投稿者:爺
?投稿日:2017年 7月 8日(土)09時32分51秒   通報

各会合において、今後スマホの持ち込みは厳禁、発見した場合厳重な措置ならび
に除名もあり得るとの連絡が県長レベルの幹部に下りて来て、一部の会合ではさ
っそく伝えられたとのこと。
録音などで外部に内容が漏れることに神経を尖らせているようですが、何もやま
しいことがないならそもそもこんな話はないはずだし起こり得ない。

スマホ持ち込み禁止にしているなんて変だとしか思えないのですが@南九州


(無題) ?投稿者:禿
?投稿日:2017年 7月 8日(土)21時35分10秒   通報

会合のスマホ禁止の件
うちにも来ました
家に置いて来るかガラケーにして下さい、と
わけわかめ


 

ガセではなく

 投稿者:東新宿  投稿日:2017年 7月10日(月)22時16分30秒
  ガセではなくデマでしょ

これも工作員の仕業か(笑)
 

スマホ禁止例

 投稿者:通行人2  投稿日:2017年 7月10日(月)21時43分19秒
  地元の方面幹部に聞いてもまったく知らなかったし、板上でも「こちらにも流れてきた」という報告はほとんどないし、結局、ガセということでいいんでしょうかね?  

Twitterより。核兵器禁止条約、公明党はどうしたんだっけ?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月10日(月)21時24分48秒
  創価、わけの解らん団体になったもんだ。今日の聖教新聞は 大々的に「核兵器禁止条約採択」がトップ。SGIも積極的に参画してきた、戸田2代会長の戦いから60年の節目、等々書いている。だったら、自公政権が 参加しなかったこと、広島はもとより世界から奇異の目で見られていることも書けよ !

こんなこと、活動主力部隊の婦人部の方たちは何も知らない。政治活動とは公明への投票依頼をどれだけやるかというF活動だけのものであって、何の政治理念もなく 創価の思想と公明の実態の食い違いなんぞに興味もなければ気も付かない。やがて覚醒した会員が増えてきたら 公明なんか吹っ飛ぶ。
 

スマホ

 投稿者:東新宿  投稿日:2017年 7月10日(月)20時51分10秒
  結局のところスマホを会館に持ち込むと除名されるんですか?
 

小作人様

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月10日(月)18時54分26秒
  通報有難うございます。
この輩は掲示板の主旨にも外し、また、すでに使い古され、そして破折されたネタであることも知らず、ひたすら迷惑投稿を繰り返すアンポンタンです。
迷惑行為をして悦に入っている時点でこのアンポンタンの人間性がわかるものですが、当の本人は気づかないのでしょう。
せいぜい、迷惑行為を繰り返して醜い正体をさらけ続ければ良いと思います。
管理人はいつもどおり淡々と対応するのみです。
掲示板の皆様におかれましては、無視してください。
 

法華玄義・譚玄本序 1

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 7月10日(月)18時17分42秒
編集済
  此妙法蓮華經者。本地甚深之奧藏也。

この『妙法蓮華経』は、本地甚深の奥蔵なり。


『妙法蓮華経』は、
不磨不朽で、永遠の真実の教えが、そのなかに秘蔵されている宝庫のようなものである。

爾前の諸経、例えば『華厳経』では、
根本仏である毘盧舎那仏の内心の悟りである自内証が、
教えとしてそのまま明かされている。

言い換えれば『華厳経』は、毘盧舎那仏の本門の教えだけが明かされており、
教えを聞く者の理解を遥かに超えた内容であった。
理解できない教えは、衆生を教化教導する迹門の教えに欠け、
不完全で不了義の経典であるといわざるを得ない。

それ以外の『維摩経』『勝鬘経』などの諸経典にしても、般若の諸経典にしても、
どの経典も、肉身の釈尊が説いた四十余年にわたる教説が明かされているだけで、
肉身の釈尊の根源仏が説かれることがなかった。

これらの経典では、
衆生の教化教導を目的とする問いと答えから成る迹門の方便の教えが説かれ、
本仏である久遠実成の根源仏は秘匿されたままで明かされることがない、
不完全で不了義の経典であるといわざるを得ない。

これが「秘密」とされることである。
秘密の「秘」とは、『法華経』以前の諸経がいまだ説き明かしていないことをいい、
「密」とは、仏だけが知っており、仏以外の人・天・声聞・縁覚の四乗に、
蔵・通・別の三教の菩薩乗を加えた、七方便の人が知る由のなかったことをいう。

秘密にされ秘蔵されてきた真実の教えが、『妙法蓮華経』の開顕によって、
いまここで説き明かされ、本と迹とを具えることで大きな乗り物を構築し、
真実の教えに包摂し統括し、大乗仏教を完成するに至った。

すなわち、われわれの目の前に展開する現前の事象は、あるがままにある。
その在り方が、十如是がいうところの
そのもののすがた形(如是相)
そのものが本来もっている性質(如是性)
すがた形と性質とのよりどころとなる本質(如是体)
潜在的な能力(如是力)
それが顕在化したはたらき(如是作)
ものが生起し持続し変化し消滅する直接的な原因(如是因)
原因を助ける間接的な条件(如是縁)
原因と条件との和合によって生じる結果(如是果)
結果が具体的に現われ出る報い(如是報)
すがた形から報いまでの本末が無自性平等のまま、差別のままに等しい(如是本末究竟等)
とする、空・仮・中が相即相入し円融した真実のすがたをいう「諸法実相」にある。

現前の事象が真実のすがたのままにあるという、世間の有り様の本質は、
生起し持続し変化し消減する生住異滅にあり、生住異滅のままに現前している。

従って、空と仮とが止揚した中の有り様で成り立っている世間は、
永遠であることをいう、「世間相常住」という真実のすがたにある。

諸法実相にある世間の相の有り様は常住であるから、声聞・縁覚・菩薩の三乗を初めとし、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を含めた、九法界の衆生をそのまま包摂し、
誰でも仏になる可能性があるとする、「一仏乗」に収斂する教えが開顕され、
説き明かされたのである。

諸法実相である世聞の相という現象世界のなかにある一仏乗を包摂する秘密の教えは、
久遠実成の本仏を本地とする本門と、
本仏が応現したのが肉身の近仏釈尊であるとする迹門とが
同時・同所で開顕され、円融するところに顕現する。

『法華経』以前の諸経では、未だかつて明かされたことのなかった、
不二であってしかも円融であるこれらの妙理は、
根本仏の本地の悟りそのものである。

この本地の教えが、迹門の教えと並んで説かれ、
本と迹との間に断絶のない連続の同体として、『妙法蓮華経』に説き明かされたのである。



 

Twitterより。学会をよくするためには、勇気を持って上に言い切っていけ!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月10日(月)18時17分35秒
  学会をよくするためには、どんなことでも、勇気をもって上に言い切っていきなさい。そして上の人間は、そうした意見をよく聞いていけ!」
2007年 池田名誉会長 スピーチ
 

スマホ携帯

 投稿者:あたい姫=未来姿  投稿日:2017年 7月10日(月)14時35分17秒
  私もいまだにスマホ携帯は会館に持ち込みはいけない、と連絡は組織からありません。

普通、そういうふうに決まれば連絡がありますし、会合のときにも話されますが私の地区や支部、本部からも、なにも言われてないですね。
昨日はこちらをみて、えっ、とおもいすぐに信じてしまい、私は携帯がなかったら万が一なにかあったときに困るので書き込みをしました。
 

スマホの件

 投稿者:ごーごー  投稿日:2017年 7月10日(月)14時27分30秒
  スマホの会館内持ち込み禁止ってなんの話ですか?
詳しく教えてください。
 

削除

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 7月10日(月)14時09分34秒
編集済
  管理人様お手数かけました。  

権力者の声。

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年 7月10日(月)13時19分52秒
  内閣の改造で人身の一新をするのだそう。
替えて欲しい大臣も確かにいるが、国民の多くは、総理に替わって欲しいのですが…

あるラジオで「都議選の結果は、総理にお灸をすえたのではない。殺されかけたんだ」と。


こんな声が聞こえて来そう。
「他よりしっかりやってるよ。庶民のくせにうるさいな。俺は、偉いんだよ。楯突くと取り締まるよ」

新しい法律が運用される。

まさかとは思うが…
政権与党の支持団体の規律を乱すと、意見する会員を取り締まる為にも賛成したのではないかと思う。

先生が本当にお元気ならば、こんなにならないだろう…
 

形だけの閉会中審査

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月10日(月)12時42分6秒
  閉会中審査が始まった。

安倍首相、G20はもう終わっているので、帰って来られたにも関わらず欠席。
国民の声に答える気など、さらさらないと白状しているのと同じだ。

国会で、まともな答弁をまったくしなかった事が認められ、国税庁長官に大出世した佐川理財局長も欠席。

おまけに開会前、野党側が用意した資料を、出す出さないで揉め、30分ほど開会が遅れた。

政府側の答弁も、肝心なところでは百年一日の如く、記憶にない、の連発。話にならない。

都議選であれだけ惨敗したのに、まだ分かっていないようだ。本気の反省など、まったくしていない。

しかし、都議選と国政は別だ、などと嘯いていられるのも今のうち。
支持率、更に低下。
もう内閣改造程度で、乗り切れるものではない。

臨時国会が絶対必要。今日の閉会中審査は、ただのガス抜き、形だけ。

安倍首相他、重要人物全員を証人喚問した上で、臨時国会を開催しなければ意味はない。

 

不思議

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 7月10日(月)12時06分47秒
  御義口伝 方便品八箇の大事 第一 方便品の事
「口は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり、此の妙は前三教に未だ之を説かず故に秘と云うなり、故に知ぬ南無妙法蓮華経は一心の方便なり妙法蓮華経は九識なり十界は八識已下なり心を留めて之を案ず可し、方とは即十方十方は即十界なり便とは不思議と云う事なり」(714)

松野殿御返事(十四誹謗抄)「釈に云く阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し毘盧の身土は凡下の一念を逾えず云云」(1382)
〔妙楽大師の金錍論に「阿鼻地獄の依報であるその地獄の国土も、正報であるその地獄の衆生もともに尊極の聖人である仏の生命の中にあり、また毘盧遮那仏の身も、その仏国土も、凡夫であるわれら衆生の一念を越えて存在するものではない。すべて一念の心、生命の中にある」と釈している。〕

方便の方は十方
十方とは十界。

便とは不思議
つまり凡夫が見る時には
十方十界のそれぞれの法境法境としてのみ見て
その全てをひと思いの中に議することが出来ない。

全体の非二元は思議することができず
九識の妙法蓮華経の根本浄識から
思議できるパーツパーツ、業業、境境として
八識以下の十界を十方十界の便りとして
認識する。

この全体が南無妙法蓮華経という
思議でない一心の方便である。

心は必ず思議かというと
心は必ずしも思議ではない。

法とは説明されたもの
妙とは説明できないもの。

妙法とは不思議の一法としか言えず
その説明だけを信じても妙法ではない。

思議できる方便を借りながらも
思議ではないところの体感に意識を向ける。

あれとこれという二つ以上の物を比べる時初めて
時間や距離が仮に存在し、始まりや終わりが仮に生じる。

その二つ以上の物とは方便と方便である。

円(球)には全てが一心にあるので
二つ以上ということが無く
始まりも終わりも時間も距離もない。

始成正覚は未だ成仏があるということの
思議をするための方便である。

久遠実成にあっては
私とは別の特別な釈尊
私とは別の特別な日蓮大聖人
という分別、思議の一切が
ただ凡夫の迷いである。

思議に覆い隠されては不思議は観えない。

円のリズムとの融和満足が
自然不思議の回復力を活性化させる。

ナビ・ガイドのための分別と
即時体感の無分別の妙法との
往復の全体の南無妙法蓮華経としての
活性化の教団であることが理想だ。

分別に分別を重ねて
不自然に歪んでしまったものは
総括すべきであろう。
 

豪雨被害に創価不在だけど。

 投稿者:創価ウオッチャー  投稿日:2017年 7月10日(月)10時11分36秒
  一般紙(全国新聞)では、第一面より九州豪雨被害を発生直後から報道していますが、そちらさまの新聞は、小さな文字で第二面に以降に何度かコッソリ報道されていました。
本日の貴掲示板投稿を拝見していますが、「目の前の一人」に対する姿勢が創価学会組織にあるのでしょうか?非常に疑問です。

本日も報道にもならない第一面記事で驚いています。3日前の話は事後報告で済みます。
第四面の座談会44でも、原田会長、永石婦人部長と言われる方の発言が他人事です。

貴会が言われる率先垂範とか目の前の一人を云々は、現場に生きる者、生活している者に言っていることではないと思います。この座談会紙面の創価学会トップの方々が率先垂範され、災害現場に行かれて、激励されることが模範なのではありませんか?
 

twitterより。豪雨被害に総理不在だけど。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月10日(月)09時55分5秒
  九州北部豪雨で被害拡大も安倍首相は帰国せず! G20終わったのに北欧訪問続けるのは閉会中審査に出ないためか|LITERA/リテラ

http://lite-ra.com/i/amp/2017/07/post-3301.html
 

「日蓮久遠本仏論」についての一考察に対して 12

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 7月10日(月)09時48分30秒
  <松戸様>
大聖人がその如来を自身の内に顕現ないし体現したとすると、私たちの成仏も同じ形態になるのでしょうか。それとも大聖人とは別な形になるのでしょうか?

<一人のSGI>
全くの私見で書きます。

まず成仏というのも、一つの因果です。

因果の法則に「定業」と「不定業」というのがあります。

「不定業」というのは、因となるその行動の意図やインパクトが弱い時、結果が出るまでの間の行動の変化によって結果はどんどん変わっていくというものだと覚えています。

「定業」とは強い意志から起こる行為や、仏法に関する善悪の行動の因などが、直ちに結果を決定するというものです。

そして、先の「不定業」の中でも、同じ事を繰り返してやっていると、長い間には生命に深く刻まれていき、だんだんと「定業」に近づいていきます。性格形成の様なものです。
これは、善業でも悪業でも同じです。

これを仏道修行に当てはめてみますと、まず、私達が御本尊に題目をあげると仏界が湧現します。
(便宜的にこの成仏の仕方を「十界互具的即身成仏」と呼んでおきます。)

それが信心の強い意志であればあるほど直ちに「定業」の善業が積まれ、又、それを毎日繰り返す事によって仏界の境涯が確立していきます。
その確立された境涯は「定業」として生死を超えて続きます。
(これを三世間の内の「衆生世間的即身成仏」と呼んでおきます)

大聖人や釈迦などは「衆生世間的即身成仏」を遂げた人達ではあるが、「衆生世間的即身成仏」と言っても、「十界互具的即身成仏」の積み重ねで成就するものであり、それでも十界互具の生命であれば、長い間には魔に負けて境涯を低くする可能性もあるので、仏といっても、生命は絶え間ない「無明」との闘いでしょう。

釈迦も大聖人も私達も、同じ因果の法則に則って生きています。

ですから釈迦や大聖人の様な仏の生命を深く確立した人達は、いくつもの生死を超えて「仏界」の境涯を継続してきた偉大な覚者という形容があっていると思います。
私達も、その途上にいるという事ではないでしょうか。

私達も一回一回の人生において、それぞれの境涯のまま即身成仏を遂げる事を繰り返しながら、更に「仏界」を基調にした境涯を深く確立する為に永遠の生命を生きる、、それを可能にした大聖人はやはり、「末法の御本仏」です。

この件に関しては以上です。

煩雑で分かりにくいと思いますが、反論があればお知らせください。
 

「日蓮久遠本仏論」についての一考察に対して 11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 7月10日(月)09時40分41秒
  私事になりますが、私がこういう結論に達したのは実はそんなに昔ではありません。

つい最近まで「無作三身の自受用報身如来」「南無妙法蓮華経如来」「無始の古仏」「久遠元初の仏」などの「如来」や「仏」に帰命するという考え方はどうしてもしっくりきませんでした。

私は「如来」や「仏」とは、現実にもともとそういう人間がいるのか、はたまた架空の存在なのか、という疑問を消し去って、「普遍の妙法」「南無妙法蓮華経」という「法」のみに帰命することによって、凡夫の生命に「仏」の境涯が顕れ、「人法一箇」の「仏」と呼ばれる「教主」になる、、という考え方を何十年も支持してきました。

多分これは松戸様と同じ考え方であり、多数の学会員にも同じ考え方の人達がいると思われます。

しかし、この数年間、どうしても心にひっかかる言葉がありました。
「無作三身の自受用報身如来」という言葉です。
この如来が私の生命とどういう関係があるのかどうにも理解できませんでした。

十界互具の理論によって全ての生命に仏界が内在しているのは分かりますし、その仏界の智慧が報身だというのは理解できますが、その生命は「無作」(繕わないでもとのまま)にしてしかも「如来(仏)」だというのです。
自然体のままの仏であれば、修行はいらない「仏」ということになります。
だとすれば、結論としてこの「仏」は無始無終(永遠)に「人法一箇」を達成している事になります。

(余談ですが、天台の「本覚思想」はこの思想を理解はしたが、ここで踏み止まってしまい、この先の「無作三身の自受用報身如来」を現実の自分自身に顕現させる修行を排斥した結果、道を踏み外したのだと思います。)

しかし、現実の私達の生命は「修行」しないで「仏界」の境涯を拓く事は不可能なので、この「無作三身の自受用報身如来」「無始の古仏」というのは、全ての生命に内在しているとは言っても、どう見ても、明らかに凡夫の私達の生命と100%相似形ではありません。

それでも生命の奥深く潜在している、、ということになると、この理論を完結させるには「法」のみではなく、「人法一箇」がすでに完成した「無作三身の自受用報身如来」「無始の古仏」
という「仏の鋳型」「仏の霊」「生命の原型」を受け入れるしかないという結論に至った訳です。

<松戸様>
仏界を開くと、自身に現れて、人法一如になります。

<一人のSGI>
誤解を恐れずに言えば、「人法一箇(一如)」という義だけを論ずる場合
この過程では「法」を修行した結果として「仏」と顕れた生命に「人法一箇(一如)」が顕現する(それ以前には一如ではなかった)という点でこの場合の「人法一箇(一如)」の顕現は「因果異時」のみにならないかと危惧します。

先に書いた様に、私は「人法一箇(一如)」とは、内在している「無作三身の自受用報身如来」「南無妙法蓮華経如来」において「因果倶時」としてすでに達成はしているが、それを覚知するのが修行ではないかという立場です。

その修行とは「無始の古仏」を拓き顕す為の唱題行になります。
そして私達個身の「無作三身の自受用報身如来」「無始の古仏」を拓き顕す為の「縁」になるものが、まさしく御自身の生命に「無作三身の自受用報身如来」「無始の古仏」を拓き顕され続けた大聖人の「魂」であり「仏の生命」である「御本尊」だと思います。

私も、題目によって艱難辛苦を乗り越えていった、ダイナミックで思いやりのある人間・日蓮大聖人が大好きです。



 

「日蓮久遠本仏論」についての一考察に対して 10

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 7月10日(月)09時33分16秒
  松戸様へ

「日蓮久遠本仏論」についての一考察に対して 3 への回答    投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月 1日(土)04時26分13秒
://6027.teacup.com/situation/bbs/71510

大変遅くなりました。
上記の投稿への返信です。

<松戸様の投稿より抜粋>

主師親の三徳を具備する本因妙の教主であることについては、誰も異論はないと思います。

久遠実成の文底で見出せるのは「無始の古仏」(開目抄)で、仏界・仏性のことで、これは久遠仏を成仏に導いた本因即本果の妙法のことだと思います。これを「大聖人 = 文底の釈尊 = 久遠元初の自受用報身如来」とすると、何度も指摘していますが、普遍的な仏界・仏性が大聖人だけに乗っ取らてしまうという奇妙な解釈になります。

この大聖人限定主義の立場は、一人のSGIさんの中では一貫しています。

自身の内に人格的な要素を持つ仏とか如来(人)を開くということはありえません。あくまでも普遍的な法性・仏性・仏界(法)という性質・性分・生命状態ではないでしょうか。仏界を開くと、自身に現れて、人法一如になります。

久遠に人法一箇の「久遠元初の自受用報身如来」を想定するのは、神格化です。イエス・キリストが神の子で三位一体だとか、ダライラマが観音菩薩の化身だという発想と変わりません。権威正当化のロジックです。正宗教義では、大御本尊信仰の正当化に利用されていました。私自身としては、題目によって艱難辛苦を乗り越えて行ったダイナミックで思いやりのある人間・日蓮の方が好きです。

<一人のSGIの回答>
たぶん、松戸様は私の回答を読んで首をかしげるかと思われます。(笑)
外道みたいだと思われるかもしれません。
誤解の無い様に先走って説明をしておくと、この「久遠元初の自受用報身如来」は個々の生命と切り離されて存在することはなく、私達の生命の真実の一部であるので、万物の創造主であるキリスト教の神などとは、根本的に違います。

ここで、まず、私が思うところの「久遠元初の自受用報身如来」について説明します。

「久遠に人法一箇の「久遠元初の自受用報身如来」を想定する」と言っても、この如来は、ある生きている人物ではありません。
この存在は大聖人の生命だけに存在する「如来」ではなく、全ての生命に普遍に内在している「如来」です。

言葉が見つからないのですが、それでも敢えてその存在を表現するなら「仏の鋳型」「仏の霊」「生命の原型」とでもいいましょうか。
現実に社会の中にそのまま出てくる人物ではありませんが、仏道修行によって現実の個々の生命の上に顕現してくる仏の生命です。

そして、その生命は最高の人格的価値を、自然(無作)の形で保持しており、その優れた人格は、「慈悲」「勇気」「智慧」「生命力」などの仏界の境涯として現れます。

大聖人の仏法では、生命を語るところ(現実の人間ではなく「仏の鋳型」にしろ)、三諦なら円融(円融の三諦)、三身なら一身(三身即一身)と、三つの生命の側面を一つの生命体に集約していきます。

そして、その事により、この「久遠元初の自受用報身如来」の境涯は、普遍的な法性・仏性・仏界(法)という性質・性分(報身)であり、それを基調にしながらしかも「法、報、応の三身」を備えているという生命の原型(無作 - 繕わない)であることにより「無作三身の自受用報身如来」と言います。
普遍に存在しているので、時や場所を超越した「久遠元初の仏」です。

つまり、この「無始の古仏」も仏界・仏性を基調とする「報身如来」であるなら、それと一体の「応身如来」と「法身如来」がその生命の全体を形づくっているという事になると思います。

それによって「無始の古仏」とは、三身即一身の「仏」であるべきであり、ただ「普遍的な法性・仏性・仏界(法)という性質・性分・生命状態」、いわゆる「報身如来」の部分だけではないと思うのです。

但しここで忘れてはいけない大切な点は、全ての生命に普遍的に内在するこの「如来=仏」は、現実の個々の十界の生命に顕現する事でしかその価値は発揮できません。
いわゆる仏界も現実には九界の生命の中で価値を創造していくものだからです。

九界がなければ十界互具の上からも仏界の存在はないようなもので、この「無作三身の自受用報身如来」も現実の十界の生命を行き来している凡夫の生命の中にしか顕れませんし、それだけでは存在意義もありません。

「自身の内に人格的な要素を持つ仏とか如来(人)を開く」というのはたしかにオカルトっぽい(笑)ですが、私は実はこの成仏の義が大聖人の「事の一念三千の御本尊」の醍醐味ではないかと思っています。

ですから、普遍的な仏界・仏性が大聖人だけに乗っ取らてしまうという事ではなく、大聖人は、その「久遠元初の自受用報身如来」を、御自身の生命に顕現させ得た仏であるが故に「文底の釈尊」と呼称したのです。

「久遠元初の自受用報身如来」自体は現実の世界にいる生身の仏ではないので、人物として権威は持てません。
ですから、大聖人も「仏」の生命を顕したからと言っても、全ての存在の上に権威を以て君臨するという存在ではないのです。


 

紅の歌でおはようございます

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月10日(月)09時18分20秒
編集済
 

おはようございます。
さあ、いくぞー!
負けてたまるか。

これが私の原点、まちがいなし。
池田先生の世界広宣流布の原点でもあると思います。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、国連で核兵器禁止条約が採択、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月10日(月)08時54分7秒
  おはようございます。原田怪鳥様、国連で核兵器禁止条約が採択され、SGIが共同声明をされたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

あれれ、1面に大々的にブチあげるワリには、コンペートーからも、学会本部からも、誰も参加していないのは何故デスかぁ~(笑)

選挙で忙しかったからデスかぁ~? 安倍クンに忖度したんデスかぁ~? 安倍クンが怖かったからデスかぁ~?(爆)

なにより、原田怪鳥様、安保法案も、共謀罪法も、核兵器禁止条約も、アナタはナニ一つ声明も提言も、出されていませぇ~ん(笑)

世界宗教を目指す、創価学会の怪鳥職たるハラダさまが、そんなコトでイイんデスかぁ~(笑)

コンペートーからも、誰一人出席せず、創価学会本部からも、誰一人出席せず、SGIが参加したコトを、まるで我が身のようにブチ上げる(笑)

こ~いうのを、原田怪鳥様はじめ大患部の皆様方が、選挙で、某政党を貶めたように「手柄の横取り」って言うんデスよぉ~(爆)

原田怪鳥様、アナタも、創価学会の怪鳥であるならば、核兵器時代に対する意見を堂々と述べられたらいかがデスかぁ~(笑)

ナニ、「そんなコトは、平民がやるコトだ! 貴族の我々は、奥義『着信拒否』で対話もせず、現世を謳歌するのが極意だ!」

「ぐずぐず言う奴はさっさと除名して、文句を言わない羊の群れだけていけばいいんだ!」ってトコロですかぁ~(笑)


爆笑創作座談会も選挙が終わって、ネタに困ってないデスかぁ~(笑)

世界聖教会館のコトをあれこれと褒め称えていらっしゃいマスが、地上5階で地下2階、編集室・礼拝堂・顕彰室・展示室等、

会員の浄財で、ずいぶんと御立派なモノですねぇ~(笑)ちなみに、怪鳥様の浄財は、おいくらデスかぁ~? 5口じゃあダメですよぉ~(爆)

そして、これだけの御立派な施設に輪転機はナシ(大爆)

「言葉と生きていく」ではなく、「権力と生きていく」姿勢が見え見えデスよぉ~(爆)


まあ、原田怪鳥様、せっかく怪鳥様であらせられるのデスから、政策なり、核兵器禁止条約なりに言葉を発していただき、

「言葉と生きていく」御姿が見られるコトを、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

公明は護憲?だった?

 投稿者:  投稿日:2017年 7月10日(月)08時45分33秒
  出典=http://critic20.exblog.jp/26796589/#26796589_1 より抜粋

公明党の山口那津男が憲法改正について「政権が取り組む課題ではない」と断言した。さらに「与党の枠組みはただちに憲法の議論につながるものではない」と言い、発議は国会が行うもので政権与党が主導して行うものではないと言い切った。この映像は6日の報ステで詳しく紹介されたが、国民の世論と自民党内の論議に大きな影響を与える一撃だろう。昨年の憲法記念日にBSフジのプライムニュースで憲法論議があり、下村博文や辻元清美が出演して4党(自公民共)の間で論戦が行われた際、公明党の国重徹は、明確に9条1項2項はそのまま守ると言い、改正の必要はないと党の立場を明言した。5日の山口那津男の発言は、公明党のその基本姿勢に変化がないことを明示したものだ。世間では加憲派だとされる公明党は、実は、「新9条」を唱えて明文改憲するべく策動している佐藤圭(東京新聞)や鈴木耕(マガジン9条)やしばき隊などよりずっとファンダメンタルな護憲派だ。公明党の口から、この条文を変えろという改憲論を聞いたことがなく、憲法論議の現場では常にブレーキ役に回ってきた。

衆院選は1年後にある。自民党の衆院の現職議員は287人いて、小選挙区選出議員が224人もいる。その多くが2回生以下の選挙基盤が脆弱な安倍チルドレンであり、彼らは公明党の票の上積みがなければ議席を守れない者たちだ。山口那津男の発言の意味は小さくないだろう。少し脱線して私論を述べさせてもらうが、現在、マスコミの議論では、公明党は、都政は都民Fで国政は自民で二つの使い分けだと言われている。だが、そんな意味不明な使い分けを有権者が許すだろうか。
1年後、早ければ半年後かもしれない衆院選の東京の小選挙区で、公明党が今度は自民党の現職を応援しますなどと、そのような出鱈目な選挙運動をやって、有権者の理解と支持を得られるだろうか。半年後だろうが1年後だろうが、間違いなく小池百合子は国政新党で出陣するし、東京の小選挙区に新人候補を並べるだろう。それが有権者が求めている政治の絵であり、それをやらなければ小池百合子は世間の期待を裏切ってしまう。ポピュリストの小池百合子は、大衆とマスコミのニーズを掴む人気取りの政治しかできず、その軌道を外れれば忽ち失墜する。逆に言えば、現在の所与として、大衆とマスコミのニーズを掴んで自民党に勝利できるのは小池新党だけだ。民共の「野党共闘」では自民現職に勝てない。

その山口那津男の重大な発言を、NHKは5日6日の放送で伝えず、ネットの報道配信にも載せなかった。NHKの政治ニュースのサイトを確認すれば分かるが、記事が上がっていない。これは驚くべき隠蔽工作だ。
 

「あなたの宗教とは何か」 名代講義:

 投稿者:陰ながら  投稿日:2017年 7月10日(月)08時06分4秒
編集済
   「大白」2016年10月号掲載「池田SGI会長講義」の冒頭に、

「インド独立の父マハトマ・ガンジーは、ある時、人に質問されました。「あなたの宗教とは何か」と。ガンジーは、同じ部屋で休んでいた二人の病人にまなざしを向けつつ、語りました。「奉仕することが私の宗教です」。目の前にいる苦悩の人に奉仕することが、自ら信ずる宗教だというのです。」とあります。

 ガンジーも、病人の世話ばかりをしたのではないでしょうが、「奉仕することが私の宗教です」の一言に、「宗教は人間のため、行動こそ宗教の魂」と云う、彼の鉄の信念が伺えます。

 さて、講義の次の段で、池田先生自らの体験が語られます。

 「1960年 (昭和35年) 10月2日、私は世界広布の第一歩を踏み出しました。その時以来、[私は海外だからと言って、特別なことは何もしませんでした。] いつも、どこまでも「一人」を励まし続けた広布旅でした。いずこにあっても、「目の前の一人を大切に」と、励ましにつぐ励ましを重ねてきました。」と。

 「あなたの宗教とは何か」との問いに、先生は、ご一生の行動を通うして、「目の前の一人を大切にし、励まし続ずけることが私の宗教です。」と答えておられるように思われます。この先生の生き方は、日本国内、海外を問わず、相手がメンバーであろうと、なかろうと、大人であろうと、子どもであろうと、変わらない。

 1974年、先生が、初めて中国を訪問された折、北京の「児童節」の催しでの、一人の少女との出会いが、「新 人間革命」第20巻 「友誼の道」(p.50) に描かれています。

 「歌や踊りの会場では、髪に黄色いリボンをつけた涼やかな目の少女が、伸一の手をとって、席に案内してくれた。彼女は、はにかみながら尋ねた。「おじさんは、どこから来たのですか」 伸一は答えた。「日本から来ました。あなたに会うために来ました」 少女は微笑んだ。彼は、相手が大人であろうと、子どもであろうと、一瞬一瞬の出会いを大切にし、友情を結ぶために全力で対話した。」と。

 ところで、この名代講師の方は、講義のこの段で、何を云いたかったのでしょうか。

 引用された[私は海外だからと言って、特別なことは何もしませんでした]との先生のお言葉を通うして、現今、しばしば海外の組織を訪れる原田会長、谷川SGI-副会長らに、鋭い問いを投げかけているように、私には受け取れます。

 「あなた方は、海外の組織を訪問して、準備されたメッセージやスピーチを読み上げ、写真に写ること以外に、何をしましたか。一人の悩める会員の話しに耳をかたむけましたか」と。そして、「いったい、あなたにとって、宗教とは何ですか」と。

  猿が島様が、「独り言22」で、「先生はモノ言わぬが、確かに見ている --- 。私はそのように感じます。」と述べられていますが、私も、「先生はモノ言わずとも、フデはとらずとも、確かに我々に問かけている --- 。」と感じます。

 皆様は、この名代講義を、どう読まれましたか。



 

安倍デモ

 投稿者:安倍デモ  投稿日:2017年 7月10日(月)07時19分3秒
  地元組織では
安倍デモは、共産党が勝手に三色旗や牧口先生の写真を使いデモと話題になっている。

真実は、現役の学会員が参加している。
 

今週のことば 2017年7月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月10日(月)07時11分27秒
  光の未来部は
「法華経の命を継ぐ人」
全員がダイヤモンドだ。
真心の励ましの声で
宝の命を輝かせよう!
 

仮想仏から本仏の時代へ!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月10日(月)05時42分44秒
   おはようございます。

 「発迹顕本」に迫ってみたいと思います。大聖人の読み方は、「迹を発(開いて)本を顕す」でした。

 「仏とは生命なり」ですから、己心にも、組織体や社会にも「生命」は見いだせます。「迹仏」はその「生命体」の中に生まれる“仮想の仏”だと言っていいはずです。「本体」から生まれる「垂迹」です。とすると、「己心」の中に「迹仏」があるのは当然として、組織や社会の中にも“理想仏”としての「迹仏」があります。“理想像”と言っていいかも知れません。

 「三千世間」と開くか、「三千如是」と開くかの違いはあるにせよ、「生命」が「一念三千」であることは疑いありません。「三千」は十界すべてがある「十界本有」ですから、“理想仏”としての「迹仏」を生み出すというのは、どう見ても、その調和の全体にかなり“無理”がかかると見ていいのではないでしょうか。歪(ひずみ)が生じるということです。

 ◇◆◇起動の基軸は「喜び」◇◆◇
 “理想仏”は、時に、「一仏乗」であったり、多くは、人、天であったり、声聞、独覚、菩薩であったりするのでしょう。大きければ大きいほど人を引き付けます。なるほど、鎌倉や奈良の大仏が大きいのも頷けます。ところが、「十界本有」から見れば、このほかの三毒・四悪は圧迫されることになります。表(おもて)に出らこれません。

 「己心」にあっては、まだ“自己責任”で許されるところがありますが、これが「組織」あるいは「社会」となると、一時的には有益だったとしても、圧迫される側から見れば屈辱です。我慢です。裏を返せば、“理想仏”や“迹仏”は、他の九界の支持、貢献、あるいは支援によって成り立っているとも言えるわけです。それを無視すればいつしか“暴発”することも考えられます。十界は妙法蓮華経の変化相で、どの十界も平等に妙法蓮華経だからです。

 どの「生命体」も、起動の軸は“喜び”のようです。この娑婆世界では、そのように仕組まれているようです。“喜び”がなければ動きません。広い意味での「欲」の充足でしょうか。餓鬼は物を食して喜びます。畜生は身を護って喜びます。修羅は闘ったり、出し抜いたりして喜びます。人は平穏、天は高見に登って喜びます。声聞は法を、独覚は覚りを、菩薩は他の喜び、仏はそれ等衆生の喜びを得て喜びます。「法味」と言えるでしょう。

 「生命」は、三毒・四悪でももちろん、人、天、三乗、一仏乗を維持するにも、必要なのが“他者”のようです。“他者”の存在があって“自身”というのは成り立っているようです。

 というより、“他者”と“自身”はそもそもが究極の次元で一体で、“他者”を認識するからこそ、“自身”の認識が生まれるようです。「人を切ってはならない」というのもその由縁でしょうし、「一人を大切に」ということも、単に、勧善の標語などではなく、“他者”と“自身”が一体だという「生命の実相」(の認識)からくる、生命の法の実践論だと見ることが可能です。“他者”を切ることは、ほかならぬ“自身”を切るに等しいということなのでしょう。「不信」や「疑惑」を呼びます。「疑惑」は「無明」です。

 そうした“認識”の基盤というのは、己心にあっても、社会や国家といった組織生命体にあっても、共通するいわば「生命」の仕組みそのものであるようです。

 三毒・四悪は、他の喜びを奪って喜ぶところに特徴があるでしょうか。「他人の不幸は蜜の味」「隣の不幸は鴨の味」の格言もあります。それを科学は、脳内の「葛藤や身体的な痛みを処理する“前部帯状回”にあると分析しています。だが、それでは決して心底からの喜びとはなりません。ここに、人間の生きる道としての「仏道」が模索されてきた由来があると推察されます。

 天台智顗大師の考察に「根本浄識」があります。人間精神の基盤として「九識」を立て、五感に該当する眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五識を統率する意識を設定。さらにその基盤となる思慮識、その積算の蔵識、さらにその奥に根本浄識があると考察しました。「九識論」です。きっと、本当の喜びは「己心」の中の“清浄”にあると洞察したからに違いありません。

 「法華経の智慧」で学んだキーワードの一つに、「思い出す」があります。「智慧の世界」というのは、この「思い出す」のようです。

 ◇◆◇思い出す◇◆◇
 「思慮」を思い出す。積算の「蔵識」を思い出す。そして、清浄な「根本浄識」を思い出す、ということになりますか。釈尊の遺言――「自らを島とし、自らを依り処として、他を依り処とするなかれ。法を島とし、法を依り処として、他を依り処とするなかれ」(法華経の智慧⑤ 215㌻~217㌻)――の“島”も、この「根本浄識」を思い出すということにほかならないのでしょう。もともと内にあるものですから「思い出す」です。

 「根本浄識」と言っても“信心”です。「唱題行」というほかはありません。

 迹門の時代は、もちろん、迹仏が主役でした。それで衆生を引導できました。本門に入って主役は本仏に移ります。本仏は衆生です。「発迹顕本」とは、それまで主役だった迹仏が、一転、その座を本仏の衆生に譲ることを意味します。一人の人間にあっても、造り上げた“理想”が自身を引っ張るのではなく、その“理想”によって造り上げたものを含め、自分の中の十界三千のそのままに、自身を開花させるということになるでしょうか。

 それは、「憧れ」から「実質」への大転換と言えるのでしょう。「汝自身を知る」ことでもあるでしょうか。「迹仏」から「本仏」、「仏」から「衆生」のこの大河の流れは誰も止められません。

 法華経は、なかんずく本門は、この衆生こそ本仏であることを明らめる「法門」です。民衆こそが主役です。これは、既成の権威や組織信奉勢力が一番恐れる事態です。自分たちが主役ではなくなるからです。場合によっては組織も不必要になってしまうからです。民衆が積み上げた利益を奪えない、甘い蜜を蝕(むしば)めない。その民衆の“目覚め”が怖い。どうやら、ことの“本質”が見えてきました。

 悪世末法のこの娑婆で、人が人を支持、支援することはまずありません。「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(聖人御難事1190~1191㌻)です。もしあるとすれば、それは「共感」がある時です。「納得」がある時のみです。



 

世間の人は知らないらしい

 投稿者:  投稿日:2017年 7月10日(月)04時13分50秒
  キッコのブログより拝借
創価学会執行部が、バンバン査問&除名し
スリム化していることを知らないらしい
世間の人の方が、学会を理想化しているかも。
多数派になるということは大切なサジェスチョンです。
孤立しては行けません。
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きっこ? @kikko_no_blog
あたしの考えた「最後の手段」は、あたしたち無党派層が
みんなで創価学会に入信して、創価学会の中で多数派を作り、
支持母体である創価学会の総意として「安保反対」や
「憲法堅持」や「共謀罪廃止」を公明党に指示して行くという方法。
これなら都政だけでなく国政も市民の意思で動かせるようになる。

 

双方に誤解があるかもしれませんね

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月10日(月)02時01分26秒
編集済
  日蓮仏法2.0さん、私の名前が出ているのでご返事します  投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月10日(月)01時12分30秒

私は逆に、貴方が天台流の難解な訓詁注釈を並べていたので、もっと私たちの実践に即して論を展開すべきだという意味で投稿しました。
その一つが信心の血脈ですが、その前に、大聖人の天台に対する批判的評価は「本迹相対」ではなく、やはり四重興廃の最後の「観心」の立場からだということを指摘したかったまでです。
ただし、この天台流の観心に対し、大聖人の立場は下種仏法を提示する「末法の本門観心」だというのが、拙書の基本的立場になります。
私自身は逆に、天台や日寛教学等の煩瑣な議論を乗り越えて、もっと素直で実践的な日蓮仏法を求めています。
その意味で、>ちなみに、十界互具の凡夫本仏論も世界広宣流布を視野に入れると、有かも・・・と考えています<という評価、うれしいです。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1499582317&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

日蓮仏法2.0さん、私の名前が出ているのでご返事します

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月10日(月)01時12分30秒
  日蓮仏法2.0さん、私の名前が出ているのでご返事します。

あなたの書き込みを見て、最後まで読んだのは初めてです。

私は中卒の職人ですし、バカですから、さっぱり何を言いたいのか理解できません。

その上に、70歳半ばです、だらだらと、まとまりのない難しい語句を並べられても、読み切れ
ません。

パソコンでも、改行してくれてないので、マウスでドラッグするようにして読むほどきついこと
は有りません。

すぐに、どこまで読んだのか分からなくなり、全部よむ気力がなくなります。

それと、天台流の語句は分かりやすく、解釈するとか、言葉を添えるとか、任用試験並みの文章
で書いてください。

いくら正しい日蓮大聖人の、仏法を説いても、読めなければ、語句が分からなければ、ほかの、
ことに行くのは仕方ないです。

御書の平仮名化は私の今世最後の使命だと思っていますので、残り時間は限られています。

昭和40年代に先輩に言われました、「天台流の勉強はするな」と・・・

戸田先生の体験からか・・・、池田先生の人間革命から指導されました。

立正観抄が私の目に留まったのは、この御書を平仮名化していないことに気づいたからですよ。

ちなみに、十界互具の凡夫本仏論も世界広宣流布を視野に入れると、有かも・・・と
考えています。

まず、中学生が分かる文章を、「凡夫即身成仏論」・・・この論をときませんか。

グローバル化の時代です、・・・天台流も四重興廃も一心三観も本地難思の境智の妙法も従果
向因型も理解できる副会長が何人が、いらっしゃるでしょうか。

御義口伝講義の平仮名化と、立正観抄の平仮名化は終わりましたが、校正で時間を取られていま
す。

日蓮仏法2.0 ?投稿日:2017年 6月 3日(土)06時52分57秒

この程度↑の文章で、文字は12P、改行はA4で1Pで印刷できるぐらいでお願いします。
 

戸田城聖先生講演集下から

 投稿者:連絡の局  投稿日:2017年 7月10日(月)00時40分55秒
  昨日の投稿のつづきです。

 あなた方のためににやることが、結局は広宣流布のためであり、御国のためになるのである。

だから、皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい。豆腐のカスみたいなものをこっちによこして、自分がしあわせになって、そうして、そのカスで広宣流布をやるのだから、楽なものだよ。

そこで、幸福というものについて、一言教えておきましょう。それは、幸福には、絶対的幸福と相対的幸福という二つのものがある。

絶対的幸福を成仏というのであります。相対的幸福というのは、まだ成仏まではいかんやつ。ゆで卵でいえば、半熟ぐらいなものだ。相対的幸福というのは、私は、百万円の金がほしい。わしは、ああいうきれいな奥さんをもらいたい、わしは立派な子供をもちたい。ああいう家を建てたい、こういう着物を買いたい、その願いがひとつひとつかなっていくのを相対的幸福というのです。

 これはまだほんとうの幸福ではない。はやくいえば肺病がなおりたい。リューマチがなおりたい、ぜんそくがなおりたい・・・・。そういうのは、皆、相対的幸福というのです。

 そういうような幸福は、あまりたいしたものではない。しかし、それを幸福ものだと皆思い込んでいる。

 しからば、絶対的幸福というのは、なにものぞや。絶対的幸福というのは、生きてそこにいる、それ自体がしあわせなのだよ。便所へ行っていようと、台所へ行っていようと、どこにいても、それはしあわせでなくてはいけない。

 ところが、借金取りが来て、しあわせだって、そういうわけにはいきませんぜ。なに、借金取りがこようが、ウグイスの声だなんて。それはやせがまんというもので、ほんとうに借金取りにひどい目にあわないから、そんなことを言っているけれども、借金取りがくるような生活で、絶対的幸福だなんて、ありえようはずがない。

 それは、そんな人は、よっぽど悪い人です。病気で困っているのに、からだが苦しくてたまらないのに、おれは幸福だ、それはうそだ。着る物がないのに、おれは幸福だ、それはうそです。

 とくに女の人であるならば、同じ階級の人が、今はやりのなんとかいう羽織を着ているのに、自分は五十年前の、おばあさんの形見の羽織なんか着て歩いて、私はしあわせだといってもとおりません。夜こっそり質屋へ通って、その金であるふりをして着たって、それが幸福ではありません。

 絶対的幸福というのは、、金にも困らず、健康もじゅうぶんである。一家のなかも平和で、商売もうまくいって、心豊かに、もう見るのもの聞くものが、ああ楽しいな、こう思う世界が起こってくれば、この世は娑婆世界が浄土であって、それを成仏というのです。それを哲学語でいえば、絶対的幸福というのですよ。

 それは、なにものによって得られるか、相対的幸福感から、絶対的幸福感へといかなければならん。これは、この信心以外には、ほかの信心では絶対できないことだ。

 それを教えるのに、私は大わらわになっているのだから、疑わずに、信じて、そうして、そういう生活になってもらいたいと思う。

昭和30年1月23日
西日本三支部連合総会
大阪中之島中央公会堂
 

那覇市議選 公明党7名全員当確!!

 投稿者:通ります  投稿日:2017年 7月10日(月)00時25分15秒
  正義は勝つですね おめでとうございます 沖縄公明党!

那覇市議選 公明党 7名全員当選確定!
https://www.nhk.or.jp/okinawa2/senkyo/
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月 9日(日)23時59分36秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が健康長寿であります様に
会長、副会長の指示により
イジメられている
査問、役職解任、除名させられた
真面目で誠実な会員の方々が
大活躍されます様に

日本国中に起こる災害は
政治、官僚機構、マスコミによる複合汚染が原因だと思います
早く機能する様に
御題目をおくります
おやすみなさい
おやすみなさい
 

戸田城聖先生講演集下から

 投稿者:連絡の局  投稿日:2017年 7月 9日(日)23時57分41秒
  昨日の投稿で入力ミスがございました。一部訂正いたしましたのでご了承願います。

 

お詫び・訂正その十七

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月 9日(日)23時32分45秒
  レ・ミゼラブル05 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2014年12月14日(日)21時48分30秒

レ・ミゼラブルのストーリー展開がわからない方のために数分間のyoutubeを。ファンテーヌの苦闘と小説・映画全編にわたる主人公が網羅されています。小説本文解説をつけながら、短めに説明していきます。
2012.12 イギリス映画「レ・ミゼラブル」
https://www.youtube.com/watch?v=dmHcDWrMH-8

 ジャンバルジャンは、X-MENの狼男ヒュー・ジャックマンが好演し、ファンテーヌは、バットマン「ダークナイト・ライジング」の女怪盗に出演していたアン・ハサウェイが演じています。以外にボイン?(笑)彼女の演技も良かったですね。この映画でアカデミー助演女優賞を受けています。今年の年末は2012.12イギリス映画「レ・ミゼラブル」DVDを借りて、宿坊の掲示板書き込み(当方リライトのレ・ミゼラブル)と先生の指導(河内平野さまの書き込み11/8・11/12・11/14・12/13)を読みながら、年末を過ごしてみては?では本文を。 **で囲ったところは、当方が注釈をいれたものです。

P.105 -9- *下線は当方で付けました* *ファンテーヌ 第一部補足*
『 どこの小都市も、そしてなかでもモントルーュ・シュール・メールには、地元で稼いだ1500ルーブルでつましく暮らしながらも、パリに出掛けて年に20万フランを使い果たす若者たちが大勢いた。世の中の大多数を占めている、中流階級の連中だ。気力に欠け、だらしなく、ぱっとせず、わずかな土地と、愚かさと知恵を少しだけ持ち、家のなかでは偉そうにふるまい、酒場では上流階級の紳士のふりをして「うちの地所が、森林地帯が、使用人が」と言いたがる。劇場では演目の意味をわかっているふりをするために女優に拍手を送る。ずうずうしく、詮索し、タバコを吸い、あくびをもらし、酒を呑み、鼻を鳴らし、ビリヤードをやり、大型四輪馬車を降りる乗客をじろじろと眺め、カフェにたむろし、宿屋で夕食をたべ、テーブルの下にいるイヌに骨をやり、愛人に食事をごちそうしながらもケチ臭く、ファッションにはカネをつぎ込み、他人の不幸を喜び、女を嫌い、古いブーツをすり減らしながらもはきつづけ、パリで広まっているロンドン風の流行を真似る一方で、ポンタ・ムーソン経由でパリの流行を模倣し、歳を取るとともに愚かさがひどくなり、働かなくなり、ろくなことをしなくなり、人畜無害な存在になり下がるのだ。
 先にのべたようなこと(*ファンテーヌが身を売り始めたこと*)があってから9ヵ月前後たったころの、1823年の一月初旬。雪模様の夜に、おしゃれ好きで怠け者の“野望にみちた”一人の男が、寒い時期にはぴったりの大きく暖かいマントに身をつつんで立っていた。舞踏会用ドレスを着て肩を露出し、頭に花飾りをつけた女が、軍人が集まるカフェの窓のまえをうろうろしているのを、眺めて楽しんでいたのだ。これが流行りだからと、男はタバコを吸っていた。
 女が前を通り過ぎるたびに、男は浮かれ気分で彼女に向かってタバコの煙を吐いた。「哀れな顔をしているな!」「隠したってむだだ!」「歯が抜けているのはわかっているぞ!」といった具合にバカにしながら。この紳士面をした男はバマタボアといった。雪模様のなかを行ったり来たりしている、暗く化粧を塗りたくった幽霊のような女は彼を無視し、ちらりとも視線を向けず、木々の下を行き来しながら警備をする兵隊のように黙ってうろうろしていたので、このろくでなしは腹を立てたのだろう、女が向こうを向いた瞬間にこっそりと背後に近づき、笑い声をがまんしながら、しゃがんで歩道の雪を掴み、肌が露出している彼女の背中にそれを投げつけた。ヒョウのように相手は怒鳴ってうなり声をもらし、向き直って男に跳びつき、顔を引っ掻き留置場のクズしか口にしないようなじつに恐ろしい罵声をあびせた。前歯が二本欠けた大きな口から、ブランデー焼けした声が響く。女はファンテーヌだった。


 この騒ぎを耳にしてカフェから軍人たちが出てきて、二人のまわりに集まり、ひとの大きな輪ができた。男なのか女なのか見分けがつきづらい喧嘩をしている二人を取り囲んで、笑い、冷やかし、驚いている。男らしいほうは身を守ろうとしたものの帽子を叩き落とされ、女らしいほうは相手を蹴ったり殴ったりしている。彼女は帽子をかぶっていなくて、金切り声をあげ、前歯が抜け、髪もまばらで、怒りと恐怖で真っ青な顔をしている。
 野次馬の中から急に背の高い男が進み出て、泥にまみれたサテンの服の袖をつかみ、言い聞かせた。「こっちへ来い!」女は相手を見上げた。急に大声が止んだ。ファンテーヌは相手がジャベールなのに気づいた。そうこうしているあいだに、雪を投げつけた男はこっそり逃げ出していた。


 ジャベールは野次馬を追い払い、ひとの輪から逃れ、哀れな女を引き連れて広場の片隅にある警察署へと足早で向かった。ファンテーヌは反抗せず、陰鬱な表情でついていった。二人ともだまったまま、ひどくうかれた野次馬が、冷やかしを言いながらついてくる。猥褻な事件は、人間の心の奥底に潜んでいる無慈悲な部分を刺激するのだ。(中略)
 警察官たちのブーツの泥で汚れた床の上でしゃがんだまま、両手を摺り合わせながら、彼女は膝で這うようにして警部のほうへにじり寄った。「ジャベール警部」ファンテーヌは懇願した。どうか、お慈悲を。わたしが悪いんじゃありません。最初から見ていたら、なにがあったのかおわかりになったはずです。神にかけて誓いますが、わたしは悪くはありません。わたしはなにもせず、誰の邪魔もせずにおとなしくしていたっていうのに、見知らぬあの紳士に背中に雪を投げつけるがあるのですか?あんなことをされたから、わたしはかっとなって組みついたんですよ。たしかに、こちらも悪かったかもしれません!でも、そのまえに「哀れな顔だ!」とか「歯がない」とか罵られました。歯が抜けていることぐらい、自分でもよくわかっています。でも、どうしようもない。そして考えました。「この紳士は、自己満足のためにこんなことをしているんだろうな」って。でも、それから雪を投げつけてきたんですよ。ねえ、ジャベールさん、親愛なる警部さま!わたしが100フランを用意しないと、小さな娘が捨てられてしまうんですよ、それを考えてください。ああ!神さま。娘と一緒にいられないなんて。わたしは下劣な女かもしれません。でも、娘はまだ幼いのに、預け先の夫婦は放り出してしまうつもりで、そんなことになったら、この真冬の空の下でどうやって生きていけばいいんですか。つらい状況だということが、わかるでしょう。娘が一人前になっていたら自活できたかもしれませんが、まだ幼いのです。お慈悲をお願いします、ジャベール警部・・・
 床に突っ伏し、すすり泣きで身をふるわせ、目から涙をあふれさせ、服がずり落ちて首のまわりの肌が露出し、両手をきつく握りしめ、乾いた短い咳をもらしながら、とぎれとぎれの苦しそうな声で訴えた。(中略)
 「さて」ジャベールが言った。「話は聞いた。ほかに言いたいことはないか?では、すぐに監獄送りだ!懲役6ヵ月と決めた!神でさえ、それを変えることはできない」~「神でさえ、変えることができない」と神妙な声で繰り返すと、ファンテーヌは刑がきまってしまったのだと知った。ぶつぶつとつぶやきながら、床に座り込む。「お慈悲を!」ジャベールはそっぽを向いた。
 警察官たちが左右から、彼女の腕をつかむ。この騒ぎの少し前、誰にも気づかれずにある男が警察署に入って来ていた。彼はドアを閉め、そのまえで立ったまま、ファンテーヌの身の上話を聞いていたのだ。立つものかともがいている女の腕を警察官たちが左右からつかんでいると、男は陰から進み出て言った。「ちょっと待ちなさい!」ジャベールは顔を上げ、マドレーヌ市長に気づいた。帽子をぬいで、いらだたしそうなようすでお辞儀をする。「失礼いたしました、市長 -」“市長”という言葉が、ファンテーヌに不思議な影響をもたらした。土のなかからよみがえる亡霊のように急に立ち上がると、両手で警察官たちを押しのけ、邪魔されないうちにマドレーヌへとまっすぐ歩み寄り、荒々しい表情でじっと睨みつけて言った。「ああ、あんたが市長かい!」それから不意に大笑いしたかと思うと、マドレーヌに唾を吐きかけた。マドレーヌは顔をぬぐい、命令した。「ジャベール警部、この女を釈放してくれ」ジャベールは全身が麻痺したような喪失感を味わった。驚きのあまり目がくらむ。何も考えられず、声が出ない。衝撃があまりにすさまじかったからだ。だから、何も言えないままだった。(中略)「これで話は終わりだ」「しかし・・・」「引き上げたまえ」ジャベールは顔を一発殴られたような衝撃を感じ、ロシア人兵のように蒼白な顔で立っていた。市長に一礼すると、部屋から出て行った。
 ドアのそばに立っていたファンテーヌは、警部がそばを通っていくのをぼんやりと見つめていた。二人が議論しているあいだ、不思議な気分を味わっていた。とまどいながら話を聞き、警戒しながら二人を見ていた。マドレーヌの話をひと言ひと言噛みしめているうちに、胸のなかの憎しみの闇が消え去り、そこになんというか言葉にならない信頼感と愛情による喜びの温もりが湧きあがった。

 ジャベールがいなくなると、マドレーヌは彼女に向きなおり、涙をこらえるようなつらそうな表情でゆっくりと話し出した。「あなたの話は聞いた。おっしゃったような事情は、まったく知らなかったのだよ。話は事実だろう。あなたが、うちの工場から追い出されたことさえ知らなかったのだ。なぜ、直接訴えてこなかったのだね?それはともかく、あなたの借金はわたしが処理する。お子さんがここに来られるように、または、あなたが子どものもとに行けるように手配する。この街でも、パリでも、好きなところで暮らしなさい。二人のことは、わたしが支援する。なんなら、あなたはもう働かなくてもいいんだ。必要な費用は援助するからね。そして、もう一度まっとうな、幸せな生活を送ってほしい。それと、もうひとつ聞いてくれ。言ったことがみんな本当なら、まちがいなく、あなたはいままでずっと神にとって貞節で正直な生き方をつづけてきたのと変わりないのだよ。ああ、大変だっただろうね!」
 哀れなファンテーヌにとって、想像もつかない状況だった。コゼットと一緒に暮らせる!無慈悲な生活のまっただなかにいたのが、不意に天国に連れてこられたような気分だった!自分に話しかけてくれている男をぼんやりと見返しながら「ああ!ああ!ああ!」と声をもらすことしかできなかった。手足から力が抜け、マドレーヌの前に跪き、彼がやめさせようとするまえに相手の手を握って唇を押しあてた。そして気を失った。』

* 2012「レ・ミゼラブル」では、ファンテーヌの出来事は警察署の中ではなく、広場での出来事として展開されています。また、ファンテーヌを救い出したマドレーヌ市長とは、ご承知の通り、ジャンバルジャンなのですが、映画のシーンにあるとおり、荷馬車の下敷きになっていたフォーシェルバンを助けるところをジャベールに見られて、[マドレーヌ=ジャンバルジャン]とジャベールは認識して、パリの警視庁に告発します。しかし、シャンマティーユという人物がジャンバルジャンとして捕らえられており、ジャベールは自分がマドレーヌ市長を誤解していたとして罷免するよう懇願して去っていきます。*

* ジャンバルジャンは、悩み苦しみます。* P.137~
「 自分自身に吐き気がして、卑怯な考えを頭から振り払った。自問自答をつづけた。わかっているのか、“目的をはたす”というのはどういうことだと、自分に厳しく尋ねた。人生を賭けて、目的を追い続けてきた。でも、それはどんな“目的”だ?自分の名前をごまかすことか?警察の手から逃れることか?いままで頑張ってきたのは、そんな取るに足らないことのためなのか?たったひとつだけの、大きな目的のためだったんじゃないのか?自分の身の安全ではなく、魂を救うことが目的だったんじゃないのか?正直でまっとうな人間になりたかったんじゃないのか?正義を守る人間に!何よりもそれが、あの司教から諭され、ずっと胸に抱き続けていた目的じゃなかったのか?過去のドアを閉めて、何もなかったことにしたいのか?しかし、偉大なる神のもとで、ドアを閉じてごまかそうなんて無理だ。それどころか、不名誉な行いによって、またドアをひらいてしまった!またしても盗みをはたらこうとしている。それも、はるかに憎らしい盗人に!誤解され、自分の身代わりに罰せられそうになっている人間の暮らしを、人生を、平安を、居場所を奪おうとしている。やっているのは、暗殺者のようなものだ!殺し、それも、自由を奪われた男を精神的に葬り、ガレー船という生ける地獄に送り込み、死の恐怖にさいなまれる暮らしに追いやろうとしているのだ。逆に、自首して、とんでもない誤解のために捕われている男を救い、こちらが本物だと正し、ジャンバルジャンとして罪をつぐなうことこそ・・本当によみがえり、自分がいた地獄から永遠に逃れる道のはずだ!いまいちど、あの地獄へ身を投げることで、本当にそこから脱出できるのだ!ほかに手段はない。そうしないかぎり、自分がやってきたことはみんな無駄になってしまう!」

*この葛藤シーンは、youtubeで。
 https://www.youtube.com/watch?v=d2sanq2SM0k

*そして、裁判所から病院のファンテーヌのところへ向かい、ジャベールが現れます。
 コゼットをマドレーヌ(ジャンバルジャン)が連れて来ると信じていたファンテーヌでしたが、それが報われずにファンテーヌは逝去します。*
p.199~
『しばらくしてからファンテーヌにかがみ込み、ささやきかけた。何を言ったのだろう?苦境におちいった男は、死んだ女に何を告げたのだろう?どんな言葉を口にしたのだろう?それを知る者は、この世にはいない。亡くなった女は、それを聞いたのだろうか?ひよっとすると、悲しい幻が奇跡によって現実となったのかもしれない。ひとつだけ、はっきりしていることがある。病室でことの成り行きを見守っていた、たった一人だけの目撃者の修道女が、ジャンバルジャンがファンテーヌの耳元に何かをささやいたとき、死の淵を超えて青白い唇と暗い瞳に何とも言いようのない笑みがぱっとうかんだのを、この目で見たと断言したのである。ジャンバルジャンは母親が寝ている子どもの姿勢をなおすように、枕の上にファンテーヌの頭を載せ、寝巻きの紐をむすびなおし、ナイトキャップのなかに髪をまとめた。それが終わると、彼女の瞼を閉じた。ファンテーヌの顔がすぐに、不思議な光につつまれた。死は偉大な輝きへの入り口にしか過ぎない。

 ファンテーヌの片手が、ベッドの横にたれ下がっていた。ジャンバルジャンはそれを握り、うやうやしく掲げて、そっとキスをした。それから立ち上がり、向きなおってジャベールに言った。「よし、では同行しよう」ファンテーヌは共同墓地の、誰もが入れられ貧しい者の去り行く場所である、無料墓所に葬られた。ありがたいことにどこに埋葬されても、神は魂のありかを知っている。ファンテーヌは誰ともわからない者たちのならぶ闇のなかに、埋葬された。共同墓地の穴のなかに投げ入れられたのである。彼女がかつて使っていたベッドのような墓に。』

*レ・ミゼラブル 五部形式の第一章 ファンテーヌはここで終わります*
*2012「レ・ミゼラブル」では病院の窓からジャベールから逃れるために海に落ちるシーンで終わりますが、小説でジャンバルジャンは、再びトゥーロンの監獄(造船所)へ送られ新しい囚人番号9430号となって強制労働の終身刑となります。*
https://www.youtube.com/watch?v=ykrB0YbvglA

* しかし、トゥーロンの監獄(造船所)に軍艦オリオン号が修理のために入港し、乗組員の事故(帆桁に宙吊り)を救出する9430号(ジャンバルジャン)は、身代わりとなって、海に転落し行方不明となります(11月17日)。そして、ジャンバルジャンは、その年のクリスマスに、ファンテーヌとの約束を果たすため、テナルディエの宿屋を訪れてコゼットを救出します。これまでの展開は小説では、すべて1823年中の出来事です。
つまり、ファンテーヌが身を売り始めた9ヵ月後の1823年1月に、ジャンバルジャンがファンテーヌを助け、裁判で無実のシャンマティーユを救い、トゥーロンの監獄(造船所)に終身刑の囚人となり、11月には海に落ちて姿をくらまして、12月24日にはコゼットを救出する。一念が定まれば、なんと短期間にすべてを解決できる!人生に不可能は無いということです*

[コゼットの境遇]
https://www.youtube.com/watch?v=Wa5Lur6IvCw

* テナルディエ夫婦とはどんな人物だったのか?また、コゼットの恋人となるマリウスとエポニールの三角関係、マリウスの父とテナルディエの関係等、ユゴーはこの小説で、大変にドラマチックな展開をしています。私は学生時代に大学の図書館でレ・ミゼラブルを最初に読みましたが、文語体で難解でした。厚い本で先生の全集の2~3冊ぐらいありましたが、今、文庫本の口語体訳を読んで、先生の思考に深く感動しています。若い時代に良書に触れていくことの大切さをしみじみ感じました。*
* 次回からは、テナルディエについて、まとめてみます。ジャベールもそうですが、人生の出会いとは、かくも複雑に重なるのかというストーリー展開でユゴーはすごいと思いました。おもしろいです。是非、本を読んでください*


この本文の引用は、会則規定の

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。


この箇所、「同苦」の意味を考え込めたのですが、誠実にして真面目な会員にはなかなか理会出来ないかもしれません。

なぜならば、経験が無いから。または、そのようなところには行かないし、縁しないように(関わらない)避けるから。さらには、感度が悪く理解出来ないから。面倒臭いことは嫌いだから。いい人でいたいから、沈黙を旨にスルーする。見た目は誠実にして真面目に見えますね。絶対に声は掛けないし関わりも持たない、ニッコリ微笑みながらサッーに居なくなるような方達です。これは批判ではなく、私がまとめた記録(聞書)によります。

レ・ミゼラブル全編のテーマは、貧困・困窮・混乱・失意、それを救済する行動とは?
希望・勇気・未来などなど、語らない、沈黙する者はこれを理会出来るか?

誠実にして真面目な大幹部の皆さまは、本も何度も読まれているはずですから、 益々誠実にして真面目に訪問激励もされながらご活躍のこととお慕いしています。

本年11・18記念日には、誠実にして真面目な大幹部の皆さま方が大折伏して100万人以上の青年部が入会して、大人材が末端組織の隅々まで現れて、黄金の三年を締め括る大成果が発表されることと思います。私も草葉の陰でお慕いしています。

 

お詫び・訂正その十七

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月 9日(日)23時32分12秒
  レ・ミゼラブル05 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2014年12月14日(日)21時48分30秒

*さて、選挙も開票を待つばかり、レ・ミゼラブルのストーリー展開がわからない方のために数分間のyoutubeを。ファンテーヌの苦闘と小説・映画全編にわたる主人公が網羅されています。小説本文解説をつけながら、短めに説明していきます。
2012.12 イギリス映画「レ・ミゼラブル」
https://www.youtube.com/watch?v=dmHcDWrMH-8

 ジャンバルジャンは、X-MENの狼男ヒュー・ジャックマンが好演し、ファンテーヌは、バットマン「ダークナイト・ライジング」の女怪盗に出演していたアン・ハサウェイが演じています。以外にボイン?(笑)彼女の演技も良かったですね。この映画でアカデミー助演女優賞を受けています。今年の年末は2012.12イギリス映画「レ・ミゼラブル」DVDを借りて、宿坊の掲示板書き込み(当方リライトのレ・ミゼラブル)と先生の指導(河内平野さまの書き込み11/8・11/12・11/14・12/13)を読みながら、年末を過ごしてみては?では本文を。 **で囲ったところは、当方が注釈をいれたものです。

P.105 -9- *下線は当方で付けました* *ファンテーヌ 第一部補足*
『 どこの小都市も、そしてなかでもモントルーュ・シュール・メールには、地元で稼いだ1500ルーブルでつましく暮らしながらも、パリに出掛けて年に20万フランを使い果たす若者たちが大勢いた。世の中の大多数を占めている、中流階級の連中だ。気力に欠け、だらしなく、ぱっとせず、わずかな土地と、愚かさと知恵を少しだけ持ち、家のなかでは偉そうにふるまい、酒場では上流階級の紳士のふりをして「うちの地所が、森林地帯が、使用人が」と言いたがる。劇場では演目の意味をわかっているふりをするために女優に拍手を送る。ずうずうしく、詮索し、タバコを吸い、あくびをもらし、酒を呑み、鼻を鳴らし、ビリヤードをやり、大型四輪馬車を降りる乗客をじろじろと眺め、カフェにたむろし、宿屋で夕食をたべ、テーブルの下にいるイヌに骨をやり、愛人に食事をごちそうしながらもケチ臭く、ファッションにはカネをつぎ込み、他人の不幸を喜び、女を嫌い、古いブーツをすり減らしながらもはきつづけ、パリで広まっているロンドン風の流行を真似る一方で、ポンタ・ムーソン経由でパリの流行を模倣し、歳を取るとともに愚かさがひどくなり、働かなくなり、ろくなことをしなくなり、人畜無害な存在になり下がるのだ。
 先にのべたようなこと(*ファンテーヌが身を売り始めたこと*)があってから9ヵ月前後たったころの、1823年の一月初旬。雪模様の夜に、おしゃれ好きで怠け者の“野望にみちた”一人の男が、寒い時期にはぴったりの大きく暖かいマントに身をつつんで立っていた。舞踏会用ドレスを着て肩を露出し、頭に花飾りをつけた女が、軍人が集まるカフェの窓のまえをうろうろしているのを、眺めて楽しんでいたのだ。これが流行りだからと、男はタバコを吸っていた。
 女が前を通り過ぎるたびに、男は浮かれ気分で彼女に向かってタバコの煙を吐いた。「哀れな顔をしているな!」「隠したってむだだ!」「歯が抜けているのはわかっているぞ!」といった具合にバカにしながら。この紳士面をした男はバマタボアといった。雪模様のなかを行ったり来たりしている、暗く化粧を塗りたくった幽霊のような女は彼を無視し、ちらりとも視線を向けず、木々の下を行き来しながら警備をする兵隊のように黙ってうろうろしていたので、このろくでなしは腹を立てたのだろう、女が向こうを向いた瞬間にこっそりと背後に近づき、笑い声をがまんしながら、しゃがんで歩道の雪を掴み、肌が露出している彼女の背中にそれを投げつけた。ヒョウのように相手は怒鳴ってうなり声をもらし、向き直って男に跳びつき、顔を引っ掻き留置場のクズしか口にしないようなじつに恐ろしい罵声をあびせた。前歯が二本欠けた大きな口から、ブランデー焼けした声が響く。女はファンテーヌだった。


 この騒ぎを耳にしてカフェから軍人たちが出てきて、二人のまわりに集まり、ひとの大きな輪ができた。男なのか女なのか見分けがつきづらい喧嘩をしている二人を取り囲んで、笑い、冷やかし、驚いている。男らしいほうは身を守ろうとしたものの帽子を叩き落とされ、女らしいほうは相手を蹴ったり殴ったりしている。彼女は帽子をかぶっていなくて、金切り声をあげ、前歯が抜け、髪もまばらで、怒りと恐怖で真っ青な顔をしている。
 野次馬の中から急に背の高い男が進み出て、泥にまみれたサテンの服の袖をつかみ、言い聞かせた。「こっちへ来い!」女は相手を見上げた。急に大声が止んだ。ファンテーヌは相手がジャベールなのに気づいた。そうこうしているあいだに、雪を投げつけた男はこっそり逃げ出していた。


 ジャベールは野次馬を追い払い、ひとの輪から逃れ、哀れな女を引き連れて広場の片隅にある警察署へと足早で向かった。ファンテーヌは反抗せず、陰鬱な表情でついていった。二人ともだまったまま、ひどくうかれた野次馬が、冷やかしを言いながらついてくる。猥褻な事件は、人間の心の奥底に潜んでいる無慈悲な部分を刺激するのだ。(中略)
 警察官たちのブーツの泥で汚れた床の上でしゃがんだまま、両手を摺り合わせながら、彼女は膝で這うようにして警部のほうへにじり寄った。「ジャベール警部」ファンテーヌは懇願した。どうか、お慈悲を。わたしが悪いんじゃありません。最初から見ていたら、なにがあったのかおわかりになったはずです。神にかけて誓いますが、わたしは悪くはありません。わたしはなにもせず、誰の邪魔もせずにおとなしくしていたっていうのに、見知らぬあの紳士に背中に雪を投げつけるがあるのですか?あんなことをされたから、わたしはかっとなって組みついたんですよ。たしかに、こちらも悪かったかもしれません!でも、そのまえに「哀れな顔だ!」とか「歯がない」とか罵られました。歯が抜けていることぐらい、自分でもよくわかっています。でも、どうしようもない。そして考えました。「この紳士は、自己満足のためにこんなことをしているんだろうな」って。でも、それから雪を投げつけてきたんですよ。ねえ、ジャベールさん、親愛なる警部さま!わたしが100フランを用意しないと、小さな娘が捨てられてしまうんですよ、それを考えてください。ああ!神さま。娘と一緒にいられないなんて。わたしは下劣な女かもしれません。でも、娘はまだ幼いのに、預け先の夫婦は放り出してしまうつもりで、そんなことになったら、この真冬の空の下でどうやって生きていけばいいんですか。つらい状況だということが、わかるでしょう。娘が一人前になっていたら自活できたかもしれませんが、まだ幼いのです。お慈悲をお願いします、ジャベール警部・・・
 床に突っ伏し、すすり泣きで身をふるわせ、目から涙をあふれさせ、服がずり落ちて首のまわりの肌が露出し、両手をきつく握りしめ、乾いた短い咳をもらしながら、とぎれとぎれの苦しそうな声で訴えた。(中略)
 「さて」ジャベールが言った。「話は聞いた。ほかに言いたいことはないか?では、すぐに監獄送りだ!懲役6ヵ月と決めた!神でさえ、それを変えることはできない」~「神でさえ、変えることができない」と神妙な声で繰り返すと、ファンテーヌは刑がきまってしまったのだと知った。ぶつぶつとつぶやきながら、床に座り込む。「お慈悲を!」ジャベールはそっぽを向いた。
 警察官たちが左右から、彼女の腕をつかむ。この騒ぎの少し前、誰にも気づかれずにある男が警察署に入って来ていた。彼はドアを閉め、そのまえで立ったまま、ファンテーヌの身の上話を聞いていたのだ。立つものかともがいている女の腕を警察官たちが左右からつかんでいると、男は陰から進み出て言った。「ちょっと待ちなさい!」ジャベールは顔を上げ、マドレーヌ市長に気づいた。帽子をぬいで、いらだたしそうなようすでお辞儀をする。「失礼いたしました、市長 -」“市長”という言葉が、ファンテーヌに不思議な影響をもたらした。土のなかからよみがえる亡霊のように急に立ち上がると、両手で警察官たちを押しのけ、邪魔されないうちにマドレーヌへとまっすぐ歩み寄り、荒々しい表情でじっと睨みつけて言った。「ああ、あんたが市長かい!」それから不意に大笑いしたかと思うと、マドレーヌに唾を吐きかけた。マドレーヌは顔をぬぐい、命令した。「ジャベール警部、この女を釈放してくれ」ジャベールは全身が麻痺したような喪失感を味わった。驚きのあまり目がくらむ。何も考えられず、声が出ない。衝撃があまりにすさまじかったからだ。だから、何も言えないままだった。(中略)「これで話は終わりだ」「しかし・・・」「引き上げたまえ」ジャベールは顔を一発殴られたような衝撃を感じ、ロシア人兵のように蒼白な顔で立っていた。市長に一礼すると、部屋から出て行った。
 ドアのそばに立っていたファンテーヌは、警部がそばを通っていくのをぼんやりと見つめていた。二人が議論しているあいだ、不思議な気分を味わっていた。とまどいながら話を聞き、警戒しながら二人を見ていた。マドレーヌの話をひと言ひと言噛みしめているうちに、胸のなかの憎しみの闇が消え去り、そこになんというか言葉にならない信頼感と愛情による喜びの温もりが湧きあがった。

 ジャベールがいなくなると、マドレーヌは彼女に向きなおり、涙をこらえるようなつらそうな表情でゆっくりと話し出した。「あなたの話は聞いた。おっしゃったような事情は、まったく知らなかったのだよ。話は事実だろう。あなたが、うちの工場から追い出されたことさえ知らなかったのだ。なぜ、直接訴えてこなかったのだね?それはともかく、あなたの借金はわたしが処理する。お子さんがここに来られるように、または、あなたが子どものもとに行けるように手配する。この街でも、パリでも、好きなところで暮らしなさい。二人のことは、わたしが支援する。なんなら、あなたはもう働かなくてもいいんだ。必要な費用は援助するからね。そして、もう一度まっとうな、幸せな生活を送ってほしい。それと、もうひとつ聞いてくれ。言ったことがみんな本当なら、まちがいなく、あなたはいままでずっと神にとって貞節で正直な生き方をつづけてきたのと変わりないのだよ。ああ、大変だっただろうね!」
 哀れなファンテーヌにとって、想像もつかない状況だった。コゼットと一緒に暮らせる!無慈悲な生活のまっただなかにいたのが、不意に天国に連れてこられたような気分だった!自分に話しかけてくれている男をぼんやりと見返しながら「ああ!ああ!ああ!」と声をもらすことしかできなかった。手足から力が抜け、マドレーヌの前に跪き、彼がやめさせようとするまえに相手の手を握って唇を押しあてた。そして気を失った。』

* 2012「レ・ミゼラブル」では、ファンテーヌの出来事は警察署の中ではなく、広場での出来事として展開されています。また、ファンテーヌを救い出したマドレーヌ市長とは、ご承知の通り、ジャンバルジャンなのですが、映画のシーンにあるとおり、荷馬車の下敷きになっていたフォーシェルバンを助けるところをジャベールに見られて、[マドレーヌ=ジャンバルジャン]とジャベールは認識して、パリの警視庁に告発します。しかし、シャンマティーユという人物がジャンバルジャンとして捕らえられており、ジャベールは自分がマドレーヌ市長を誤解していたとして罷免するよう懇願して去っていきます。*

* ジャンバルジャンは、悩み苦しみます。* P.137~
「 自分自身に吐き気がして、卑怯な考えを頭から振り払った。自問自答をつづけた。わかっているのか、“目的をはたす”というのはどういうことだと、自分に厳しく尋ねた。人生を賭けて、目的を追い続けてきた。でも、それはどんな“目的”だ?自分の名前をごまかすことか?警察の手から逃れることか?いままで頑張ってきたのは、そんな取るに足らないことのためなのか?たったひとつだけの、大きな目的のためだったんじゃないのか?自分の身の安全ではなく、魂を救うことが目的だったんじゃないのか?正直でまっとうな人間になりたかったんじゃないのか?正義を守る人間に!何よりもそれが、あの司教から諭され、ずっと胸に抱き続けていた目的じゃなかったのか?過去のドアを閉めて、何もなかったことにしたいのか?しかし、偉大なる神のもとで、ドアを閉じてごまかそうなんて無理だ。それどころか、不名誉な行いによって、またドアをひらいてしまった!またしても盗みをはたらこうとしている。それも、はるかに憎らしい盗人に!誤解され、自分の身代わりに罰せられそうになっている人間の暮らしを、人生を、平安を、居場所を奪おうとしている。やっているのは、暗殺者のようなものだ!殺し、それも、自由を奪われた男を精神的に葬り、ガレー船という生ける地獄に送り込み、死の恐怖にさいなまれる暮らしに追いやろうとしているのだ。逆に、自首して、とんでもない誤解のために捕われている男を救い、こちらが本物だと正し、ジャンバルジャンとして罪をつぐなうことこそ・・本当によみがえり、自分がいた地獄から永遠に逃れる道のはずだ!いまいちど、あの地獄へ身を投げることで、本当にそこから脱出できるのだ!ほかに手段はない。そうしないかぎり、自分がやってきたことはみんな無駄になってしまう!」

*この葛藤シーンは、youtubeで。
 https://www.youtube.com/watch?v=d2sanq2SM0k

*そして、裁判所から病院のファンテーヌのところへ向かい、ジャベールが現れます。
 コゼットをマドレーヌ(ジャンバルジャン)が連れて来ると信じていたファンテーヌでしたが、それが報われずにファンテーヌは逝去します。*
p.199~
『しばらくしてからファンテーヌにかがみ込み、ささやきかけた。何を言ったのだろう?苦境におちいった男は、死んだ女に何を告げたのだろう?どんな言葉を口にしたのだろう?それを知る者は、この世にはいない。亡くなった女は、それを聞いたのだろうか?ひよっとすると、悲しい幻が奇跡によって現実となったのかもしれない。ひとつだけ、はっきりしていることがある。病室でことの成り行きを見守っていた、たった一人だけの目撃者の修道女が、ジャンバルジャンがファンテーヌの耳元に何かをささやいたとき、死の淵を超えて青白い唇と暗い瞳に何とも言いようのない笑みがぱっとうかんだのを、この目で見たと断言したのである。ジャンバルジャンは母親が寝ている子どもの姿勢をなおすように、枕の上にファンテーヌの頭を載せ、寝巻きの紐をむすびなおし、ナイトキャップのなかに髪をまとめた。それが終わると、彼女の瞼を閉じた。ファンテーヌの顔がすぐに、不思議な光につつまれた。死は偉大な輝きへの入り口にしか過ぎない。

 ファンテーヌの片手が、ベッドの横にたれ下がっていた。ジャンバルジャンはそれを握り、うやうやしく掲げて、そっとキスをした。それから立ち上がり、向きなおってジャベールに言った。「よし、では同行しよう」ファンテーヌは共同墓地の、誰もが入れられ貧しい者の去り行く場所である、無料墓所に葬られた。ありがたいことにどこに埋葬されても、神は魂のありかを知っている。ファンテーヌは誰ともわからない者たちのならぶ闇のなかに、埋葬された。共同墓地の穴のなかに投げ入れられたのである。彼女がかつて使っていたベッドのような墓に。』

*レ・ミゼラブル 五部形式の第一章 ファンテーヌはここで終わります*
*2012「レ・ミゼラブル」では病院の窓からジャベールから逃れるために海に落ちるシーンで終わりますが、小説でジャンバルジャンは、再びトゥーロンの監獄(造船所)へ送られ新しい囚人番号9430号となって強制労働の終身刑となります。*
https://www.youtube.com/watch?v=ykrB0YbvglA

* しかし、トゥーロンの監獄(造船所)に軍艦オリオン号が修理のために入港し、乗組員の事故(帆桁に宙吊り)を救出する9430号(ジャンバルジャン)は、身代わりとなって、海に転落し行方不明となります(11月17日)。そして、ジャンバルジャンは、その年のクリスマスに、ファンテーヌとの約束を果たすため、テナルディエの宿屋を訪れてコゼットを救出します。これまでの展開は小説では、すべて1823年中の出来事です。
つまり、ファンテーヌが身を売り始めた9ヵ月後の1823年1月に、ジャンバルジャンがファンテーヌを助け、裁判で無実のシャンマティーユを救い、トゥーロンの監獄(造船所)に終身刑の囚人となり、11月には海に落ちて姿をくらまして、12月24日にはコゼットを救出する。一念が定まれば、なんと短期間にすべてを解決できる!人生に不可能は無いということです*

[コゼットの境遇]
https://www.youtube.com/watch?v=Wa5Lur6IvCw

* テナルディエ夫婦とはどんな人物だったのか?また、コゼットの恋人となるマリウスとエポニールの三角関係、マリウスの父とテナルディエの関係等、ユゴーはこの小説で、大変にドラマチックな展開をしています。私は学生時代に大学の図書館でレ・ミゼラブルを最初に読みましたが、文語体で難解でした。厚い本で先生の全集の2~3冊ぐらいありましたが、今、文庫本の口語体訳を読んで、先生の思考に深く感動しています。若い時代に良書に触れていくことの大切さをしみじみ感じました。*
* 次回からは、テナルディエについて、まとめてみます。ジャベールもそうですが、人生の出会いとは、かくも複雑に重なるのかというストーリー展開でユゴーはすごいと思いました。おもしろいです。是非、本を読んでください*


この本文の引用は、会則規定の

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
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は、該当していません。


この箇所、「同苦」の意味を考え込めたのですが、誠実にして真面目な会員にはなかなか理会出来ないかもしれません。

なぜならば、経験が無いから。または、そのようなところには行かないし、縁しないように(関わらない)避けるから。さらには、感度が悪く理解出来ないから。面倒臭いことは嫌いだから。いい人でいたいから、沈黙を旨にスルーする。見た目は誠実にして真面目に見えますね。絶対に声は掛けないし関わりも持たない、ニッコリ微笑みながらサッーに居なくなるような方達です。これは批判ではなく、私がまとめた記録(聞書)によります。

レ・ミゼラブル全編のテーマは、貧困・困窮・混乱・失意、それを救済する行動とは?
希望・勇気・未来などなど、語らない、沈黙する者はこれを理会出来るか?

誠実にして真面目な大幹部の皆さまは、本も何度も読まれているはずですから、 益々誠実にして真面目に訪問激励もされながらご活躍のこととお慕いしています。

本年11・18記念日には、誠実にして真面目な大幹部の皆さま方が大折伏して100万人以上の青年部が入会して、大人材が末端組織の隅々まで現れて、黄金の三年を締め括る大成果が発表されることと思います。私も草葉の陰でお慕いしています。

 

(無題)

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年 7月 9日(日)23時22分36秒
  大聖人の時代から、
間違った時流の改革が広宣流布の戦いだったと思います。

また、在りのままで行くのが、
正法を修行する者の在り方ではないでしょうか?

「何でも聞いてあげる。何でも言わせてあげる。
学会も、何でも語り合える雰囲気を大切にしていきたい。
そうでないと伸びないし、発展は続かない。
何でも語り合える雰囲気、これを学会は根本にすることを宣言しておきたい」

      (1998年6月20日 第23回本幹スピーチ)

新聞に、わが友に贈るを書いている人、これを再掲してください。

しかし、アラシ、攪乱工作を認める事とは違います。
 

同盟題目23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月 9日(日)22時53分21秒
  亡くなられた方々に追善のお題目を送ります。

被害に遭われた方々に生きる希望が届きますように。
 

スマホの件

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 7月 9日(日)22時25分4秒
  やはり、どうにも引っ掛かってしまうというよりは、あまり拘泥しないほうがいいのでは?

どこかの地域で実際にそのような通達があったとして、他にもっと注視すべき案件から目をそらすデコイ(おとり、釣り餌の類い)にされて情報操作に踊らされぬよう気をつけねば……。

情報を寄せてくださった方に他意はないものと信じるが、一瞬の隙を突いて撹乱・扇動へ転化する手口もより巧妙になってきていると、警戒感を強めるに越したことはない。
 

トゥ・レイト・フォー・グッドバイ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月 9日(日)21時53分22秒
  元職員のブログが更新されています。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-111.html

確か池田先生は公明に「安国だけでいい。立正はなくてもいい」と言われていませんでしたか?
言うならば、別に学会員でなくてもいいということ。昔は非学会員も公明党に多くいましたよね。
それだけ安国は大事だということなのではないでしょうか。

゛でももう、サヨナラには遅すぎる そうさ、もう、サヨナラには遅すぎる゛
゛お前が遠く飛び立ってしまってから、ずっと俺はお前のもとに飛んで行きたかった゛
゛今俺は、お前が俺にとってどんな意味を持っていたか知っている゛
『トゥ・レイト・フォー・グッドバイ』ジュリアン・レノン
https://m.youtube.com/watch?v=aQs1Ynq0rlk
ジョン・レノンの第一子。ビートルズの『ヘイ・ジュード』は両親の離婚に傷つく彼にポール・マッカートニーが贈った曲。
 

過疎地の男子さんに

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 7月 9日(日)21時29分51秒
編集済
  全面的に同感。この情報が本当なら、会合中に壇上でスマホでゲームをやっていた常習者の有名な

信濃町界隈の最高幹部をまず処分しないと(笑)

今はどうか知らないけれどかなりの確立で複数の方々に目撃され確認されていますけど(苦笑)

某主任副会長。まぁそんな事してる奴ってお一人しかいませんが。。。。。。


>スマホ持ち込み禁止が本当なら  投稿者:過疎地の男子  投稿日:2017年 7月 9日(日)

>高校生から若い世代、未来部や青年部が会館に訪れる機会は確実に減るね。
>スマホ持ち込み禁止するような場所に行こうとは、誰も思わないよ。

>若者にとってスマホはある意味、命の次に大事な、生きていくのに欠かせないツールなのに(そ>れがいいか悪いかは別にしてだけど)、それがちっとも分かってない。

>未来を支えてもらわなければならないはずの10~30台の世代のことを大切に出来ないくせに、
>「青年学会」とは聞いて呆れる。

>そんな通達出す前に、部員さんの前でスマホいじってる青年部の職員幹部を綱紀粛正したらい>かがか?
 

しばらくぶりです

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 7月 9日(日)21時04分2秒
  しばらくぶりです

環境がいろいろ変わりました
「次のステージ」へ移り変わったのかその準備期間なのか御本尊様のみぞ知るところかな

見落としがあるかもだけど、僕宛のもので返信していないものに近日中に返信しようと思います

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

わが友に贈る 2017年7月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月 9日(日)20時53分53秒
  万里の外から
幸福を集める信心だ。
確信と祈りと行動で
和楽と安穏の園を
近隣・家庭に広げゆけ!
 

石井デージン

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 7月 9日(日)20時48分48秒
編集済
  やっと 本日被災地入り w
大物だよね~ w   しっかり頼みますよね~
↓↓↓
twitterより。公明党の石井啓一ってこんなんですか?
投稿者:ツイート人
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71543
 

内閣支持率急落

 投稿者:臨時広報  投稿日:2017年 7月 9日(日)20時28分2秒
  支持率31.9% 第2次安倍政権で最低
日本テレビ系(NNN) 7/9(日) 19:45配信

 安倍内閣の支持率が、第2次安倍政権発足以来、最低を更新した。NNNが7~9日に行った世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比7.9ポイント下落して31.9%となり、2012年12月の第2次安倍政権発足以来、最低を更新した。一方、「支持しない」は前月比7.4ポイント増え49.2%に上っている。
 

“魔”を打ち破る『強情な信心』が未来を開く

 投稿者:mission  投稿日:2017年 7月 9日(日)20時15分14秒
編集済
  《あたい姫》様、何故「自己責任」になるのか?↓
今回の「スマホの持ち込み禁止」は、脅迫的に強制されて無く「会合に行かない」という選択肢が残されてるからです。
《あたい姫》様が『自分の行動にも注意を』と書いてある様に、今回の場合は上からの命令を素直に聞き入れる事で、自己尊厳を放棄したのと一緒なんですね。

でも決して『悲しくなる』事はありませんょ。
《あたい姫》様が『奴隷やロボットではない!』と気付けた事、見逃がさなかった事が大切なのです。

《みんなかまぼこ様》打ち出しを下に流すかは、その地域を統監している幹部によると思われます。ここの掲示板でも お二人、他のツイート欄でも結構おられました。
でも「職場内で禁止」では無く「家に置いて来るorガラケーならOK」は有り得ませんょね。


【自分ができないことを人に強制する。それが独裁者です】
(御書の世界(上)第七章 師子王の心)

【仏法は勝負です。常に障魔との戦いです。魔の狙いは広宣流布の前進を妨げることにある。あらゆる手段を使って巧妙に学会の団結を乱そうとします。
魔は戦おうという人の生命力を奪い、やる気をなくさせようとする。
こちらの一念が定まらないで逃げ腰になれば、魔はますます勢いづいてきます。それを打ち破るのは題目であり、微動だにしない強盛な信心の一念しかありません】
(小説 新*人間革命 2巻 勇舞 187P)

【この世は善と悪との永遠の闘争劇。善人は悪鬼に狙われる。
「悪鬼」とは、生命論的にいえば人間の福徳や生命力を“奪う”宇宙の悪しき働きのことといえよう。
『善』に生きているからこそ「悪」が攻撃するのである】
(1989.12.24文京*台東*北*板橋区代表者会議)

【いかなる「権威の服」にも、頭を下げる必要はない。『人間』が基準である。『信心』が基準である。
立場に驕る人々を、いたずらに増長させては、たがいに不幸となる】
(1989.7.27創立606周年開幕記念支部長会)

【正義を主張するのに、だれ人にも遠慮する必要はない。黙っている義務もない。
私どもは、広布のため幸福のために、戦う権利がある】
(1991.3.9第一回中国総会)
 

創価学会以外におけるスマホ持ち込み禁止令

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 7月 9日(日)20時07分38秒
  私はIT系の職場勤務の技術職だけれど、情報セキュリティに厳しいこの業界では職場へのスマホ持ち込み、私用PC持ち込み厳禁。まあ、会合へのスマホ持ち込み禁止は時代の流れでしょうかね。それで、会社での禁止令は服務規程だから、逆らえば即クビ。創価学会の場合は会則違反で除名。これも、時流なのでしょうね、と自分に言い聞かせています。  

池田大作本仏論の経緯・顛末

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月 9日(日)19時52分28秒
編集済
  現在の創価学会、何故変わったのだろうと自分なりに御書
を読んだりWebの情報を調べていると、下記のようなYahoo知恵袋
の情報にたどりつきました。

”池田大作本仏論の経緯・顛末(創価学会本仏論の変遷と日蓮本仏論をも棄て去る現在)をわかりやすく説明します”

https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n182712

以前この掲示板に書いたように池田先生は大好きです。
自分のお父さんのように思ってます。

過去を振り返っても、何度も池田先生のスピーチや書籍で
はげまされたことでしょう。

池田先生が御本仏かどうかとなると、私にはわかりません。

この記事を読んでみると、現在の教義の変更の原因が
そういうことなのかも知れないと思えてきました。



みなさんはどう思うでしょうか。

戸田先生との約束を果たし世界中に大学を作り、世界のリーダーと対話をした
池田先生はすごいなと思ってます。

それを実現するためには、いろんなことがあったでしょう。
誤解されたり、中傷されたり、裏切られたり。
政治的なやりとりもあったかも知れません。

でも、私の人生の思い出の中に、笑顔の池田先生がいらっしゃる
それで十分です。
 

スマホ禁止は本当?

 投稿者:みんなかまぼこ  投稿日:2017年 7月 9日(日)19時24分43秒
  スマホ禁止の情報は本当でしょうか。
つい先日、「登録すれば会合に新聞を忘れたなんて事もなくなりますね」と、話しを聞いたところでした。

 

法華玄義・譚玄本序 0

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 7月 9日(日)18時52分8秒
  譚玄本序は、智顗自らが『法華経』の中から文言を抜き出し、
それを編集して『法華経』の精髄を示すことを意図して叙述した序文である。
章安灌頂の私序に対して本序とされる。

『大正蔵』巻三十三に収蔵される『法華玄義』では、
灌頂の「私序王」に連続して「譚玄本序」が記述され、
智顗の序文とは判別がつかなくなっている。

従ってここでは、「譚玄本序」という見出しを創設することによって、
大師智顗の序文であることを明示した。

なお「譚」とは、談と同義で、叙や述に通じ、話し語るの意味をいう。
譚玄は、玄について論じるの意味で、ここでは「妙法」について、簡潔に論じている。



譚玄本序
譚玄本序

此妙法蓮華經者。本地甚深之奧藏也。
この『妙法蓮華経』は、本地甚深の奥蔵なり。

文云。是法不可示世間相常住。
文にいわく、「この法は示すべからず」と。「世間の相は常住なり」と。

三世如來之所證得也。
「三世の如来の証得するところなり」と。

文云。是第一寂滅於道場知已。
文にいわく、「これ、第一寂滅にして、道場において知りおわる」と。

大事因縁出現於世。
「(一)大事の因縁もて世に出現す」と。

始見我身令入佛慧。為未入者四十餘年。
「始めて我が身を見て仏慧に入らしむ」と。「未だ入らざる者のために、四十余年」と。

以異方便助顯第一義。今正直捨方便但説無上道。
「異の方便もて第一義を助顕す」と。「今は正直に方便を捨て、ただ無上道を説くのみ」と。

所言妙者。褒美不可思議之法也。
いうところの妙は、不可思議の法を褒美(ほうみ)するなり。

又妙者十法界十如之法。
また妙は、十法界・十如の法なり。

此法即妙。此妙即法。無二無別故言妙也。
この法はすなわち妙、この妙はすなわち法にして、二なく別なし。ゆえに妙というなり。

又妙者。自行權實之法妙也。故舉蓮華而況之也
また妙は、自行の権実の法妙なり。ゆえに蓮華を挙げて、これを況(たと)うるなり。

又妙者。即迹而本即本而迹。
また妙は、迹に即して本、本に即して迹、

即非本非迹或為開廢(云云)。
すなわち本にあらず迹にあらず。あるいは開廃をなす、云々。

又妙者。最勝脩多羅甘露之門。故言妙也。
また妙は、最勝の修多羅にして、甘露の門なり。ゆえに妙というなり。

釋曰。妙無別體。體上褒美者敘妙名也。
釈していわく、妙に別体なし。体の上の褒美は、妙の名を叙ぶるなり。

妙即法界法界即妙者敘體也。
妙はすなわち法界、法界はすなわち妙は、体を叙ぶるなり。

自行權實者敘宗也。
自行の権実は宗を叙ぶるなり。

本迹六喩者敘用也。
本迹の六喩は用を叙ぶるなり。

甘露門者敘教也。
甘露門は教を叙ぶるなり。





 

374919さんと同じような者は、体制側から守ってもらえる!!

 投稿者:選挙学会  投稿日:2017年 7月 9日(日)18時38分14秒
  週刊新潮(新潮社)17年7月13日号
 “安倍官邸御用達”ジャーナリスト・山口敬之氏の「準強姦」と官邸によるもみ消し疑惑について、この問題を牽引してきた「週刊新潮」(新潮社)が、今週発売号で見逃せない新情報を伝えている。それは、“安倍官邸の謀略機関”こと内閣情報調査室(内調)が、被害者女性・詩織さんのバッシング情報を垂れ流していたという疑惑だ。

 念のため振り返っておくと、2015年4月、山口氏はアルコールで意識を失った詩織さんをホテルに連れ込み、避妊具さえつけずレイプに及んだ。詩織さんは警察に被害を訴え、その後、捜査を進めた所轄は逮捕状をとり、成田空港で山口氏を逮捕すべく待ち構えていた。ところが、突然そこに上層部から「山口逮捕取りやめ」の連絡が。「週刊新潮」の直撃に対しこの判断を出したのは警視庁の中村格氏(当時・刑事部長)であることを本人自ら認めている。

 中村氏は、菅義偉官房長官の片腕と言われるエリート警察官僚で、今度の人事で警察庁長官へのルートでもある警視庁総括審議官に出世するのではないかといわれている人物だが、それはともかく、このあまりに不自然な逮捕取りやめと不起訴処分には、官邸の関与が疑われていた。

 さらに「週刊新潮」の続報では、山口氏がこのレイプ報道の対応を内調のトップで“官邸のアインヒマン”との異名を持つ北村滋内閣情報官に相談していたことまで明らかになった。山口氏は「週刊新潮」の取材メールに対して誤って、こんな文書を送信しているのだ。

〈北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。
〇〇の件です。取り急ぎ転送します。
 山口敬之〉(〇〇は詩織さんの苗字が記されていた)

 そして、今週の「週刊新潮」の記事によると、この北村氏が率いる内調が、詩織さんの背後に、民進党人脈がいるとのバッシング情報を流していたというのだ。
 

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