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高く晴れ上がる秋空が紫色を帯びた薔薇色に燃えるように染まっていく。重なり合った橙色の雲は縁を金色に光らせながら、ひんやりとした風に乗って空の旅を満喫している。今日最後の訓練を終えた小鳥は、流星と肩を並べてハンガーの前に立ち、言葉を交わすこともせず、薔薇色に燃える夕焼け空を仰いでいた。秋空を染める薔薇色はとても鮮やかで、見上げる二人の双眸まで焼き尽くしてしまいそうだ。
新田原基地で行われた格闘戦は、熾烈を極めたが流星の勝利で幕を下ろした。考える時間がほしいと、真由人の頼みを聞き入れた小鳥と流星は、彼を新田原基地に残して松島基地に帰投した。真由人が望んだ時間がどのくらいの単位なのかは分からない。1日かそれとも1週間か。もしかしたら世界が終わる日に答えが出るのかもしれない。ドルフィンライダーかイーグルドライバー。軽やかな白と青の翼と勇猛果敢な灰色の翼。果たして真由人はどちらの翼を選ぶのだろうか。
「……そろそろ宿舎に戻ったらどうだ?」
ここで初めて流星が小鳥に話しかけてきた。視線は合わさず流星は空を見上げている。隣に立つ小鳥を邪険にしているのではない。彼女が疲れているのではないかと心配してくれているのだ。小鳥と流星の間には、まだ気まずい空気が残留していたが、今はそれを気にしている時ではなかった。小松基地で石神に解雇を宣告された流星は、今もこうして松島基地に留まっている。どうやら石神はまだ堂上空将補に話していないようだ。
「いえ、もう少しここにいます。お気遣い、ありがとうございます」
「……好きにしろ」
僅か数秒で会話は途切れた。確かに小鳥の心身は疲弊していたが、それは流星も同じだろう。食事も睡眠も充分に摂らないまま、アグレッサーのパイロットと熾烈な空中格闘戦を繰り広げたのだから。松島基地に戻った小鳥は、飛行訓練の合間に時間を見つけては、真由人が帰ってくることを信じて、時間が許す限りハンガーの前で彼を待ち続けた。帰還した真由人が真っ先にハンガーを訪れると思ったからだ。そして小鳥がハンガーにいくと、そこには必ずと言っていいほど流星がいた。流星も小鳥と同じ考えにいきついたに違いない。
「――真由人は戻ってこないかもしれない」
「どういうことですか?」
小鳥が尋ねると、流星は一拍おいてから続きを話した。
「真由人はファイターパイロットになるのが夢だった。あいつの家は母子家庭で、真由人は母親を守るために、母親がいるこの国の空を守るために、強くなりたいと言っていた。守るための力を求めた結果、空自のファイターパイロットを目指したんだ。形はどうであれ、真由人は再びファイターパイロットに戻った。だからブルーインパルスに戻ってくるとは思えない」
小鳥は記憶を掘り起こす。彩芽が真由人にファイターパイロットを目指した理由を訊いた時、彼は「守りたいからだ」と言っていたと、小鳥は彩芽から聞いた。真由人がファイターパイロットになって守りたかったのは、たった一人で自分を育ててくれた母親だったということか。真由人はきっと松島に帰ってきてくれる。そんな小鳥の期待は急速にしぼんでいく。努力の末にやっと手に入れた夢を、簡単に手放す人間などいない。だから真由人は永遠にブルーインパルスに戻ってこないのだ。残酷な現実が小鳥の心に突き刺さった。
「――夕城」
流星が小鳥を呼んだ。俯いていた小鳥は流星を見上げた。端正な横顔は驚きの色を滲ませていて、切れ長の双眸は、薔薇色に燃える空の一点を凝視している。天界から降臨してきた、断罪の天使を目撃したのだろうか。流星の視線を追いかけた小鳥も驚きで瞠目した。こちらに向かって飛んでくる飛行物体が、二人の視界にはっきりと映っていたからだ。
それは断罪の天使ではなく、迷彩塗装のF‐15イーグル戦闘機だった。機体を茜色に染めたイーグルは、オーバーヘッドアプローチで外来機エプロンに着陸した。まさかと思った小鳥と流星は外来機エプロンに走る。二人が到着すると同時にイーグルのキャノピーが開く。後席に搭乗していたパイロットが、梯子でエプロンに下りてヘルメットを脱いだ。風でたなびく柘榴色の髪は、さながら静かに揺らめく炎のようだった。
「……鷹瀬さん?」
「……真由人?」
小鳥と流星が同時に名前を呼ぶと、柘榴色の髪の青年パイロット――鷹瀬真由人はにこりと微笑んだ。微笑みを消して表情を引き締めた真由人が、背後のイーグルを仰ぎ見る。その視線の先にいるのは操縦席に座ったままのパイロットだ。ややあってパイロットがバイザーを上げて酸素マスクを外す。飛行教導群アグレッサーを率いる猛者、獅堂大輔2等空佐の顔がその奥から現れた。獅堂2佐がイーグルに真由人を乗せて松島まで飛んできたということか。
「獅堂隊長。隊長や部隊の皆にいろいろと迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
真由人は獅堂2佐に向けて深く頭を下げた。果たして獅堂2佐は真由人の謝罪を受け入れるのだろうか。今まで固く引き結ばれていた獅堂2佐の唇が、言葉を紡ぐために開かれる。
「……俺もアグレスの奴らも迷惑だとは思っていない。俺たちはお前がブルーインパルスに必要なパイロットだと判断しただけだ。頭を上げろ、鷹瀬。お前が謝る必要はない」
獅堂2佐は真由人から外した視線を小鳥と流星のほうに向けた。
「夕城2尉、燕1尉。ドルフィンライダーの任期の3年が終わったら、俺は今度こそ必ず鷹瀬をアグレッサーに連れていくからな。これだけは覚えておけよ」
キャノピーが完全に閉じて獅堂2佐を包み込む。双発のF100‐IHI‐220Eエンジンから放たれる爆音が空気を振動させた。鮮烈さを増した排気炎が、迷彩塗装の機体を前方に押し出した。誘導路から滑走路にタキシング、800メートルほど滑走したところで、イーグルの機首が浮き上がる。背後に広範囲の陽炎を生み出しながら、薔薇色に燃える空の彼方に飛び去っていく鋼鉄の猛禽を、背筋を伸ばして敬礼した真由人は見送っていた。爆音は消え去りやがて深い静寂が訪れた。
「――お前はそれでいいのかよ」
静寂を切り裂いたのは流星の声だった。流星は目尻を険しく吊り上げた怒りの表情をしている。振り向いた真由人を流星は苛烈に睨みつけた。
「アグレッサーのファイターパイロットに戻れたっていうのに、どうしてブルーインパルスに戻ってきたんだよ! ファイターパイロットになるのがお前の夢だったんじゃねぇのか!?」
怒りと失望を掻き混ぜた流星の叫びは空に吸い込まれていく。真由人は黙って流星を見返していたが、少しして口を開いた。
「思い出したんだよ」
「思い出した……?」
「空という世界は自由で、戦いの空だけがファイターパイロットのすべてではないことを、俺に教えてくれた人がいたんだ」

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