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ブルーに来てほしいんだ
それは今から2年前のことだ。あの事故でF転とP免を通告されて、第306飛行隊を去った流星は、航空幕僚監部広報室広報班での短い勤務を得て、第11飛行隊に異動するらしいと、306からアグレッサーに異動した真由人は聞いた。航空自衛隊松島基地第4航空団所属、第11飛行隊ブルーインパルス。アクロバット飛行を専門とする飛行隊のことは知っていた。少し前に2番機パイロット抜擢の話がきていたからだ。人見知りが激しく無愛想な流星が、協調性と社交性を重要視する部隊でやっていけるのかと心配したが、真由人にはどうすることもできない。自分にできることはイーグルに乗って技術を磨き、日本の空を守ることなのだ。
「フェンサー、お前に会いたいって奴が来てるぞ」
2対2のACM訓練を終えて、救命装備室で装備を外していると、顔を覗かせた整備班長の高津1曹に真由人は教えられた。どこにいるのか尋ねると、ハンガーの外で待っているらしい。普通は飛行隊隊舎の応接室で待っていると思うのだが。どちらにせよ来客を待たせるのは失礼だ。真由人は急いで救命胴衣と耐Gスーツを脱ぐと、早足でハンガーの外に出た。
真由人に会いに来たと思われる人物は、エプロンで飛行後点検を受けている、迷彩塗装のイーグルを珍しそうに眺めていた。ダークブルーの部隊識別帽子に、灰色のピクセル迷彩柄の作業着を着た男性で、年齢は40代後半に見える。青い地球に六機のT‐4を表す金色の矢印、衝撃をイメージした赤色の縁取りの金色のストライプと翼のエンブレム、日の丸をイメージした白い縁取りの赤色の円の中心に、T‐4と同じ配色のイルカのキャラクターを置いたデザインの、ショルダーパッチが服の右胸と左肩につけられていた。間違いない。彼はブルーインパルスのドルフィンライダーだ。見つめる真由人に気づいた男性はにこりと微笑んだ。
「どうも初めまして。松島基地第4航空団第11飛行隊所属、夕城荒鷹3等空佐だ」
「新田原基地飛行教導隊所属、鷹瀬真由人1等空尉です。どのような用件で、私に会いに来られたのですか?」
「君は2番機パイロット抜擢の話を断ったそうだね?」
「えっ? はい、そうですが――」
責められているような気がしたので真由人は片眉を顰めた。
「いや、別に君を責めているわけじゃないんだ。もう一度考え直してほしいと思って、私は君に会いに来たんだよ」
「考え直してほしい? それはまたどうしてですか?」
「新しくブルーインパルスに入った、燕流星君から君のことを聞いてね。君は腕の立つ素晴らしいファイターパイロットで、人見知りが激しい自分が唯一信頼している友人だと、燕君は照れながら言っていたよ」
真由人は両目を丸くした。天上天下唯我独尊の塊のような流星が、まさか自分を褒めていたと聞かされて驚いたからだ。にこやかに笑んでいた夕城3佐は、いつの間にか表情を凜と引き締めていて、真っ直ぐに真由人を見つめていた。
「あの事故のことは鷹瀬君も知っているだろう? 燕君が負った心の傷はとても深い。私は傷を負った燕君を独りで飛ばせたくないんだ。彼には支えが必要だと思っている。だから友人の君にブルーインパルスにきてほしい。無理な頼みだと分かっている。でも燕君には鷹瀬君の支えが必要なんだよ。2番機パイロット抜擢の話、もう一度考え直してもらえないだろうか?」
ダークブルーの部隊識別帽子を脱いだ夕城3佐は、真由人に深く頭を下げてきた。しばらく思案した真由人は口を開いた。
「申し訳ありませんが、私にはファイターパイロットとしての責務と使命があります。ですから夕城3佐の頼みは聞くことができません。本当に申し訳ありません」
夕城3佐の言葉は確かに胸を打ったが、真由人は彼の頼みを受ける気はなかった。流星を思う気持ちは心にあった。だが真由人には成すべきことがある、執念にも似た譲れない強い思いがある。それらを放棄して、ブルーインパルスに行きたいという思いは湧かなかったのだ。鉄の箱に押し込められているような沈黙が流れる。ややあって夕城3佐が頭を上げた。夕城3佐の顔にはやはり落胆の色が滲んでいた。
「いや、いいんだ。君が謝る必要はない。最後に一つだけ言っても構わないかな?」
「はい」
「力だけで誰かを守れると思ってはいけないよ。君はファイターパイロットの責務と使命に囚われすぎていて、空を飛ぶ本来の意味を忘れてしまっているように見えるんだ」
部隊識別帽子を被った夕城3佐は、真由人に柔らかく微笑むと一礼してエプロンを立ち去った。遠くなっていく夕城3佐の背中を見ながら真由人は思う。確かに真由人は朱里を守るための強さと力を求めて航空自衛隊に入隊した。自らの意思で選んだその道が間違っていたとは思っていない。だが夕城3佐の言葉を反芻していると、その決断が間違っていたような気になってしまうのだ。
(――愛する者がいる国の空を守る。それのどこが間違っているんですか?)
もう見えなくなった夕城3佐の背中に向けて真由人は問うていた。

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