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RIDERS ON THE SKY 作者:蒼井マリル

第5章 ドルフィンとイーグル

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ファイターパイロットの誇り

 夕城3佐が訪ねてきてから数ヶ月後の4月。休暇を利用して新田原基地を発った真由人は、宮城県の航空自衛隊松島基地にいた。航空祭が開催されている松島基地はとても混雑している。仲の良さそうな恋人同士。遠方からやってきたバッグパッカーの若者。バスツアーで訪れた観光客たち。第11飛行隊の帽子を被った子供と手を繋いでいる夫婦。客層は実に幅広かった。

 飲み物を買いに向かった基地売店近くで、どことなく困った様子の女性が、落ち着きなく周囲を見回していた。往来する人々は誰一人として、彼女に救いの手を差し伸べようとしない。こんなに大勢の人間がいるのだから、自分の代わりに誰かが声をかけるだろう。そんな群集心理が働いているのだ。自衛隊員の任務は国民を守り助けること。真由人はさり気なく女性のほうに歩み寄った。

「勘違いでしたらすみません。何かお困りですか?」

「えっ? ええ、一緒に来た娘が待つ場所が、どこだか分からなくなっちゃって――」

「よろしければ俺が案内しますよ。自衛隊の基地には慣れていますから」

「それじゃあお願いしてもいいかしら?」

 詳しく話を訊いてみると、どうやらメイン会場のエプロンが、別れた娘との待ち合わせ場所らしい。人の波から女性を守るように歩きながら、真由人は彼女の世間話に耳を傾ける。彼女の愛娘は三沢基地に移動訓練している、第21飛行隊の学生パイロットで、父親と同じ部隊に入ることを目標にして、毎日頑張っているという。真由人が応援しますよと言うと女性は嬉しそうに微笑んだ。

 ややあって音楽とTRパイロットのナレーションが聞こえてきた。パイロットの紹介に流星の名前は入っていない。部隊に着隊したばかりだから、まだ見習いのTRパイロットなのだろう。プリタクシーチェックとエンジンスタートを終えた六機のT‐4は、温かな春風を身に纏い、滑走路を駆け抜けて春の青空に飛翔していく。真由人が歩く場所からは当然見えないが、コクピットに座るドルフィンライダーの全員が、空を飛べる喜びで笑っているような気がした。

 ダイヤモンド・テイクオフ&ダーティーターン。フォー・ポイント・ロール。サンライズ。時にはダイナミックで時には繊細なアクロバットを、六機のT‐4は一糸乱れぬ編隊飛行で実施していった。真由人と女性は足を止めて曲技飛行に目を奪われる。そのなかでも、天空のキャンバスに描かれた「サクラ」は、思わず目を見張るほど美しく、ドルフィンライダーたちが織り成す空の芸術を見た真由人は、己の魂が震えるのを確かに感じた。

 真由人の案内でエプロンに着いた女性は、背伸びをして視線を巡らせていたが、捜していた娘の姿を見つけたようだ。真由人に一礼した女性は、展示飛行に熱中する人の波を、泳ぐように掻き分けていった。女性の背中を見送った真由人は、再びT‐4が飛ぶ松島の空を仰ぎ見た。

 教官が操縦するT‐7初等練習機に乗って、初めて空を飛んだ時、キャノピー越しに見た青空は、突き抜けるように青くて綺麗だった。航空学生だった頃は純粋な気持ちで空を飛んでいたはず。だがウイングマークを得て、飛行訓練を重ねてファイターパイロットに近づくにつれ、真由人は「守るための力」を得ることだけを考えて飛ぶようになっていた。大空の盾となって日本の空と国民を守る。それが航空自衛隊のファイターパイロットに与えられた使命だからだ。

 いつの間にかその使命は身体の一部となり、精神の奥深くにまで根を伸ばして、心を縛りつけていた。ファイターパイロットの頂点を目指せば目指すほど、その根はさらに真由人の肉体と精神を締めつけて、心に残っていた大切なものを削っていった。大切なものこそが、あの時夕城3佐が言っていた、空を飛ぶ本来の意味だったのではないだろうか? 頭上を駆け抜けていくT‐4を見た瞬間、真由人は夕城3佐の言葉の意味を理解する。ブルーインパルスのT‐4に乗って、大空を自由自在に飛びたい。気づけば強い思いが魂の奥から溢れ出していた。

 航空祭が閉幕すると、真由人は基地東側にある、第11飛行隊の区画に足を運んだ。エプロンでT‐4の飛行後点検作業をしていた女性整備員に声をかけ、自分が新田原に勤める自衛官だということを名乗り、夕城荒鷹3等空佐に会わせてほしいと伝える。なぜか顔を真っ赤に染めた女性整備員についていき、鏡のように光る第11飛行隊隊舎のエントランスで、真由人は夕城3佐が出てくるのを待つ。しばらく待っていると、ダークブルーのパイロットスーツを着た夕城3佐が、正面の階段を下りてきた。エントランスに立つ真由人を見た夕城3佐は、日焼けした顔を嬉しそうにほころばせた。

「久しぶりだね、鷹瀬君。もしかして航空祭を見に来てくれたのかい?」

「はい。とても素晴らしい展示飛行でした」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。頑張って訓練したかいがある」

 深呼吸を一回。心に芽生えた決意を言葉に変えるために真由人は口を開いた。

「夕城3佐。2番機パイロット抜擢の話、受けようと思います」

 夕城3佐は目を丸くした。一度断った抜擢の話を受けると言われて驚いているのだ。もしかしたらエイプリルフールの悪戯だと思っているのかもしれない。彼に信じてもらうにはもっと強い言葉が必要だ。そう思った真由人は、息を吸い込み言葉を継ぎ足した。

「ファイターパイロットになって強くなる。俺はそれだけを考えて空を飛んでいました。でも、ブルーインパルスの展示飛行を見て、夕城3佐が仰っていた言葉の意味に気づいたんです。自由を求めて空を愛する。それが夕城3佐が言いたかったこと、空を飛ぶ本来の意味ですよね?」

 夕城3佐の表情と頷きを見た真由人は、己が導き出した結論が正しいことを確信した。

「君の申し出はとても嬉しいよ。でも、ブルーインパルスのドルフィンライダーになるということは、君は3年間イーグルを降りることになる。鷹瀬君はそれでもいいのかい?」

「イーグルに乗っていなくても、俺はファイターパイロットの誇りは失いません。大空の盾となって日本の空と国民を守る。それがファイターパイロットの存在意義です。流星は自衛官である前に一人の国民です。だから俺は全力で彼を守って支えたい。それに大切な友達を独りで飛ばすわけにはいきませんから」

 莞爾と笑い真由人は宣言する。

 心の中を熱く爽やかな風が吹き抜けたように感じた。
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