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RIDERS ON THE SKY 作者:蒼井マリル

第6章 ターンアラウンド

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悪夢のスクランブル ☆

 2013年1月。石川県航空自衛隊小松基地・第6航空団第306飛行隊に所属する流星は、同僚の隊員と一緒に警戒待機アラート任務に就いていた。対領空侵犯措置を行うため警戒待機任務に就く人員と航空機は、飛行隊が通常の訓練で使用している列線とは違う場所に整備された待機室とハンガーで待機し、パイロット・航空機整備員・武器弾薬整備員・飛行管理員が24時間態勢で勤務に臨む。それが警戒待機任務だ。

 パイロットたちが待機する待機室は八畳ほどの狭いスペースで、リラックスできるようにソファ・テレビ・DVDなどが設備されている。警戒待機任務中はいつでもスクランブルに向かえる準備を整えたうえで思い思いに過ごす。なのでパイロットはいつでも飛び立てるように、パイロットスーツと耐Gスーツを着用したままとなるのだ。

「おめでとうございます」

 不意にシュガートーストのように甘く柔らかい声が耳朶に落ちてきたので、顔の上に載せていた雑誌を除けた流星は、閉じていた双眸を片方だけ開けた。栗色の髪を短く刈り込んだ童顔の青年が、微笑みを湛えながら流星を見下ろしている。青年が言った「おめでとうございます」の意味がまったく理解できない。組んでいた両脚を解き、長椅子の上に横たえていた身体を起こした流星は、真っ直ぐに青年を見返した。

「何がおめでたいのか、オレにはちっとも分からないんだが?」

「隊長から聞きましたよ! 鷹瀬さんと一緒にアグレッサーにこないかってスカウトされたそうじゃないですか! さすがは第306飛行隊のエースパイロット! ますます尊敬しちゃいますよ!」

 些か興奮気味に喋る青年の名前は早見昶1等空曹。与えられたTACネームは「オータム」で、半年前に第306飛行隊に着隊したイーグルドライバーである。昶は常に敬語を使い謙虚な姿勢を崩さない。彼が言うには先輩に敬語を使うのは当然のことらしい。確かにまっとうな考えだとは思う。だが昶に敬語で話しかけられるたびに、流星は全身を羽毛でくすぐられているような感覚を覚えてしまうのだ。

「……自分のことでもないのに、どうしてそんなに喜ぶんだよ」

「僕は学生の頃からずっと燕さんに憧れていたんです! だから喜ぶのは当然ですよ!」

 山口県防府北基地・航空学生教育群に幹部候補生として入隊した流星は、フライトコースA・アルファに振り分けられた。まるで身体の一部であるかのように操縦桿とスロットルを操る流星は一目置かれ、同期からは「天才パイロット」と呼ばれていた。そしてウイングマークを取得した流星は、小松基地に陣する第6航空団第306飛行隊に配属され、「シューティングスター」のTACネームを与えられる。

 それから「Alert Readinessアラート・レディネス」でありながら、航空総隊戦技競技会と呼ばれる模擬空中戦のメンバーに選抜され、航学の同期である鷹瀬真由人と共に、第306飛行隊二連勝の一翼を担った。その輝かしい実績を買われた流星は、空中戦の敵役として教導する飛行教導隊アグレッサーから誘われたのだった。

「そうだ! 今度部隊の皆さんでお祝いの飲み会をしましょうよ! 可愛い女の子もたくさん呼びましょう! 燕さんはどんなタイプの女の子が好きなんですか?」

「お前だ」

「……はい?」

 瞬間昶の動きがぴたりと停止する。長椅子から立ち上がった流星は昶に迫ると彼を壁際に追い詰めた。身を乗り出して壁に片手をつき、互いの鼻先が触れ合いそうな距離まで顔を近づけ、頬から首筋へゆっくりと手を滑らせる。赤くなった耳朶のすぐ近くで、熱い吐息を織り混ぜた愛の言葉を囁くと、昶は電流が流れたようにびくりと身体を震わせた。

「オレが好きなのはお前だよ。……駄目だ、もう我慢できない。キスしてもいいか?」

「はいいいっ!? 駄目です!! 駄目です!! 駄目です!! たっ、確かに僕は燕さんが好きですけれど、それは憧れているだけで、恋愛感情じゃないんです!! でも燕さんが望むのなら、僕は喜んで貴方の思いを受け入れます!! 受け留めます!! 禁断の世界に足を踏み入れます!!」

「――は?」

 今度は流星が動揺する番だった。実はあれこれうるさい昶を黙らせる目的でとった行動だったのだが、どうやら彼はこれが冗談だと分からず、真に受けてしまったらしい。昶は完全に本気モードだ。鼻息を荒くした昶が迫ってきた。尋常ではない迫力に気圧された流星は、先程まで横たわっていた長椅子の上に押し倒されてしまった。

 馬乗りになった昶は流星が着ている救命装具のバックルを外し始めた。己が身の危険を感じた流星は、カウンターの中にいる青白い顔をした飛行管理員ディスパッチに助けを求める視線を向ける。だが彼は眼鏡越しに流星を冷たく一瞥しただけで、すぐにパソコンの画面に視線を戻した。ベストの隙間から潜り込んできた手が胸を撫でる。交代要員の二人も笑いを堪えながらテレビを見ているだけで助けは期待できない。――自分の身は自分で守るしかない。流星は恋する乙女のような表情をした昶の額を指で弾き、乱暴に彼を押し退けた。

「馬鹿野郎! 冗談に決まってるだろうが! オレにそんな趣味はねぇよ!」

「えぇ? そうなんですか……?」

 なぜか残念といわんばかりに眉尻を下げた昶が双肩を落としたその直後だった。飛行管理員の前に置かれた電話が鳴り響いた。飛行管理員が素早く受話器を耳に当てる。蛍光灯に照らされていても青白い顔が、次第に険しさを増していく。電話が鳴った段階で流星たちパイロットも整備員も、スクランブルがかかると予期して準備に入っている。つい先程まで弛緩していたアラートハンガーの待機室は、瞬時に極限まで引き絞られた弓弦の如く、ぴんと張り詰めた緊張感で満たされた。

 中部航空方面隊の防空司令所からスクランブルが下令され、飛行管理員が「ホットスクランブル!」と一声した。声が放たれるや否や流星と昶は待機室を飛び出し、アラートハンガーに通じるドアを開けてハンガーに駆け込んだ。

 サイレンが鳴り響くハンガーでは、二人と同じように待機室から飛び出してきた整備員と武器弾薬整備員たちが、二機のイーグルの発進準備を整えていた。イーグルの兵装は610ガロンハイGタンク・AAM‐3・90式空対空誘導弾・AIM‐7スパロー中射程空対空ミサイル・M61A1・20ミリ機関砲のフル装備だ。

 機体は直ちにエンジンを始動できる状態で格納されているので、流星と昶はそれぞれ1・2番機に走り寄り梯子を駆け上がった。整備員が梯子を外すのを確認。流星は右手の人差し指を掲げると同時にスターターレバーを掴んで引いた。

 鋼鉄の猛禽に熱き生命の脈動が駆け抜ける。人差し指と中指を掲げた流星は、リフトレバーを引き上げた。覚醒した双発のジェットエンジンが放つ咆哮がハンガーの空気を震わせた。ここまで約2分。領空は国際法で海岸線から12マイルと定められている。だがマッハ1近くで侵攻してくる機体は、1分間に約10マイルの速さで接近してくるため、1分1秒を争って対処する必要があるのだ。

 双発のエンジンが始動後、整備員によりイーグルのミサイルに取りつけられていた安全ピンが抜かれる。整備員と共に所定の準備を迅速かつ確実に終え、流星は1番機をタクシーアウトさせた。通常は風上に向かって離陸するが、スクランブルの場合は風向きにかかわらず、直近の滑走路方向からアフターバーナーを使い一気に離陸する。滑走路に1番機をタキシングさせた流星は、左右のスロットルレバーを最大推力の位置まで押し上げた。それと同時に強く踏み込んでいたブレーキを開放、鮮烈なオレンジ色の閃光が辺り一帯を熱く眩く染めあげる。

『アルタイル01、クリアード・フォー・テイクオフ!』

 流星を乗せた1番機は滑走路を蹴り上げるように離陸すると、ハイレートクライムで高度1万フィートの空まで一直線に飛翔した。続いて昶が乗った2番機もハイレートクライムで上昇してくる。アフターバーナーを開放したまま高度2万5000フィートまで上昇。次いでスロットルレバーを押し下げてアフターバーナーを切り、垂直姿勢だった機体を水平に立て直す。流星は航空交通管制圏・進入管制区管制官と交話した後、航空警戒管制部隊の要撃管制官へ管制を移管される。パイロットはここで初めて国籍不明機の詳細を伝達されることになるのだ。流星は気持ちを引き締め無線を待った。

『アルタイル01、ベクター・トゥ・ボギー。1グループ、ハイスピード。ブルズアイ3‐0‐0、フォー0‐4‐0、ノースウエストターゲット・エンジェルス20。フォロー・データリンク』

 早期警戒管制機エーワックスが敵機らしき反応を捉えたらしく、防空管制所の要撃管制官が口頭で指示を伝えてきた。データリンクを備えているので通信機に文面が流れ、状況表示画面にAWACSより転送されてきた目標が表示された。

 データはAWACSのレーダー回転数に合わせ6秒ごとに更新されている。「ボギー」は敵味方不明機。「1グループ」はAWACSのディスプレイ上での反応が一つという意味だ。「ブルズアイ」は空域に設定した参照点で、そこから見た方位と距離を示している。「フォー」のあとは距離で単位は海里、つまり40海里を指している。そして「エンジェル」は1000フィート刻みでの高度を指し、北西の目標は20000フィートを示している。

 指令を受けた流星は、ウィルコの代わりにマイクスイッチを二度押すジッパーで応え、対象機に向けて最短ルートで飛行した。防空管制所は全国に点在するレーダーサイトを使い、要撃戦闘機の位置と対象機の位置を補足する。要撃戦闘機は防空管制所からのデータリンクによって誘導されるため、無線通信はほとんど行わない。F‐15の場合だとターゲットの情報がレーダースコープ上にシンボルで表示されるので、パイロットはそれを見ながら機体を操縦する。ターゲットまでの距離が狭まってくると、自機のレーダーでも索敵を行うが、レーダーコンタクトのあとロックオンすると、データリンクからの情報は消え自己誘導に移るのだ。

 しばらく飛び続けていると、テン・オクロック、10時の方向に二つの黒点が見えた。1番機を2番機の真横に動かした流星は昶にハンドシグナルを送った。無線での会話は侵入機に傍受される恐れがある。それにこちらの接近に気づかれれば、先制攻撃される可能性もあるからだ。侵入機と思しき黒点は日本列島を沿うように北西へ飛行している。黒点から目を離さずに流星は思案した。黒点は白鳥のように優雅に飛んでいる。まだこちらには気づいていないのだ。ということは――無線が傍受されている可能性は低い。

『アルタイル01、目標発見タリホー! 侵入機ボギー10時方向!』

『識別せよ!』

(赤いリボンと八一の文字に星のマーク……? あれは中国空軍のJ‐10Aだ!)

 J‐10A殲撃ジャンジ10型は、1986年に独自開発された中国の第4世代戦闘機で、翼端部を斜めに切り落としたデルタ主翼とカナード翼が特徴の単座型戦闘機である。23ミリ機関砲やPL‐8および、R‐73赤外線誘導空対空ミサイルなどの兵装で、優れた格闘性能を有する機体と正面からぶつかるのは自殺行為に等しい。そう判断した流星は無線を介して昶に伝えようとした。視線の向こうを飛ぶ二機のJ‐10Aの機首が揺れる。向こうもこちらの存在に気づいたに違いない。

『オータム! ここはいったん高速旋回で距離を取るぞ! オレについてこい!』

『はっ――はい! 了解です!』

 流星は操縦桿を倒し高速旋回で相手との距離を一気に開こうと試みた。確認のため後方を振り返った流星は瞠目する。なんと二機のすぐ後ろにJ‐10Aが張りついていたのだ。流星と昶は左右の高速旋回を繰り返し、J‐10Aを振り切ろうと奮闘するが、まるで蝶と戯れる子犬のように二機はしつこく追従してきた。「専守防衛」を信条とする流星たちが、攻撃できないのをいいことに遊んでいるのだ。ややあって流星たちの後方に張りついていた二機のJ‐10Aは、唐突に機首を翻すと緩やかに降下旋回しながら離れていった。

『アルタイル01、侵入機は中国のJ‐10A戦闘機と判明』

『了解。侵入機は針路を変えて佐渡島方面に向けて直進している。領空まで20マイル。接近して変針通告せよ』

『アルタイル01、了解。これより変針通告に移る』

 流星は1番機を編隊から離れたJ‐10Aの後方上空に占位させた。昶には写真撮影を指示した。相手政府に抗議するための証拠を残すためだ。よって迎撃機は二機発進するのが普通となる。

『貴機は日本の領空20マイルまで接近中だ。ただちに針路を変更しろ』

 流星は国際緊急周波数を使用して、侵入機のパイロットに変針通告を伝達した。だが二機のJ‐10Aは彼の通告を無視して、更に領空7マイルまで接近した。誘導して強制着陸させろと要撃管制官からの指示がくる。エレベータ・ダウン、1番機をJ‐10Aの真横に占位。次に流星は機体を左右にバンクさせて左方向に離脱する。これは「迎撃機の誘導に従って追従せよ」との意味であるが、やはりJ‐10Aはこの機体信号にも従わなかった。

 現場指揮官から警告射撃の許可が出たので、流星は1番機をJ‐10Aと平行になる位置まで移動させた。最後の警告手段の警告射撃は、万が一にも命中しないように、目標と平行になる位置へ機体を動かしてから射撃しないといけないのだ。流星は操縦桿のトリガーに人差し指を添える。曵光弾を含む銃弾を空に放とうとした。

『危ない!!』

 悲鳴に近い昶の叫びが耳朶を打つ。間髪入れずにもう一機のJ‐10Aが、真下から突き上げるように急上昇してきた。急いで緩降下する2番機と上昇してきたJ‐10Aの軌跡が交錯する。2番機の垂直尾翼がJ‐10Aの主翼の片側を切り裂く。主翼を裂かれたJ‐10Aは、左右に揺れながらも2番機の後方へ占位すると、さっきの倍返しだと言わんばかりに23ミリ機関砲を連射したのち、一瞬で巨大な火の球となり爆散した。

『昶!!』

 後方を振り返った流星は2番機の姿を捜した。根元から垂直尾翼を失った2番機は、左右に揺れ動きながら高度を下げている。流星はスロットルレバーを押し下げて速度を落とし、海面に向かって降下を続ける2番機を追いかけようとした。

 瞬間RWRの警報がいきなり鳴り響く。流星は反射的に操縦桿を倒した。振り向いた視界に映るのは、流星が変針通告をしたJ‐10Aだ。仲間を失ったパイロットが放つ剥き出しの憎悪が流星の背中を刺した。アフターバーナーを開放、流星はイーグルを左右に横滑りさせながら、相手を振り切ろうと試みる。相手が攻撃してこないのは射撃の機会を窺っているからか。それともこちらを嬲ってから撃墜するつもりなのか。J‐10AはAAMを搭載していたか? 流星は侵入機を発見した時を思い出そうとするが、凍りついた思考は動かない。だから鳴り止まないRWRの警報音も無視するしかなかった。

 1番機とJ‐10Aの軌跡が何度目かの交錯をしたその瞬間、流星は操縦桿を手前にまでいっぱい引き寄せた。あたかも立ち泳ぎをしているかの如くイーグルは空中で静止する。意表を突かれたJ‐10Aはたちまちオーバーシュートした。素早く操縦桿を倒し、スロットル全開で海面に向かってパワーダイブ。海面ぎりぎりでエレベータ・アップ、超低空を横滑りしながら全速力で逃走を図る。上空を振り仰ぐと、J‐10Aは機首を押さえるようにこちらを追従していたが、しばらくすると唐突に反転旋回し、中国本土のほうへ飛び去っていった。

 アンチコリジョン・ライトの赤い光が次第に遠ざかっていく。やがてJ‐10Aは再び黒点に姿を変えると雲海の彼方に消え去った。燃料がビンゴになったのか、あるいは深追いは避けるようにと中国本土から指示が下ったのかもしれない。

 防空司令所に2番機の事故と自機の位置を伝えた流星は、急いで1番機を上昇させて2番機と並走させた。コクピットの昶はぐったりとした様子で操縦席に沈みこんでいる。それに2番機は振り子のように揺れ続けていた。コクピットから機体後方に視線を滑らせた流星は愕然とする。2番機は垂直尾翼を失っただけでなく、片方のエンジンにも被弾していたのだ。

『お前、被弾したのか! どこをやられた!?』

『後方から撃たれてエンジンと胴体に被弾したようです』

『コントロールは!? 舵は利くのか!?』

『舵は……大丈夫です。片方だけですけれどエンジンも動きます。でも――』

 昶の声は途中でぷつりと断ち切られる。次の瞬間2番機の高度が急激に落ちた。2番機は右に大きく傾き、そのまま空を滑るように墜ちていく。気圧の急変が翼端に白い霧を生み出す。凝結した水分が航跡となり白い尾を曳いていく。白い航跡は機体の降下速度が増した証。地上から見ればそれを彗星の軌跡だと間違えるのだろうか。違う。あれは彗星のように綺麗で神秘的なものじゃない。今にも失われようとしている一人の人間の命の輝きだ。

『オータム! このままじゃ墜落するぞ! すぐにエレベータを引け! アップだ! アップしろ!』

 斜めに滑空を続ける2番機を追いかけながら流星は必死に呼びかけた。

『……駄目です。さっきから手に力が入らないんですよ。脇腹に穴が空いています。どうやら僕も被弾したみたいです』

『馬鹿野郎! 諦めるな! ベイルアウトしろ!』

『お願いがあります。……生きて帰れなくてごめん、って母さんに伝えてください』

『馬鹿なことを言うな!! オレたちファイターパイロットの任務は日本の空を守ることだけじゃない!! 生きて地上に帰ることも任務なんだよ!! オレが必ず助けてやる!! だから諦めるな!! 最大多数の幸福を信じろ!! 一緒に小松に帰ろう!! 一緒に空を飛ぼう!!』

『燕さんと一緒に空を飛べて……嬉しかったです』

 まるで遺言とも思える昶の言葉が耳朶に届いたその直後、被弾して破損していた2番機のエンジンが激しく爆発炎上した。あたかも蛇の如く炎は機体を這い回る。業火の牙が尾翼と主翼を噛み砕く。そして流星の眼前で鮮烈な炎を纏った2番機は、回転しながら垂直に近い角度で墜ちていき、眼下に広がる雲海の中に消えていった。顕微鏡で覗いてみても二度と見つからないだろう。

『昶……返事をしろよ……』

 流星は無線を繋ぎ震える声で呼びかける。だが無線は静かだった。

『部隊の皆でお祝いの飲み会を開いてくれるんだろう? 可愛い女の子も連れてきてくれるんだろう? オレが好きなのは、泣き虫で守ってやりたいって思える、年下の女の子だ。そんな子をたくさん連れてきてくれよ。なあ、昶、頼むから返事をしてくれよ。頼むから――』

 シュガートーストのように甘く柔らかな声が返ってくることを強く願い、流星は上空を旋回しながら無線で呼びかけ続ける。だが耳朶を揺らす柔らかな声が返ってくることはなかった。2番機は墜ちていった雲の下から上昇してこなかったからだ。

 人間の生死など歯牙にもかけない、冷酷で無慈悲な青が網膜に突き刺さる。

 青く広大な静寂の世界に、流星はただ独り取り残されたのだった。
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