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RIDERS ON THE SKY 作者:蒼井マリル

第6章 ターンアラウンド

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貴方を待っています

「……ごめんなさい」

 桜色に染まった小鳥の唇から小さく儚い声の雫が零れ落ちる。唐突に謝られた流星は些か驚いたらしく、片眉を顰めた顔で小鳥を見ていた。

「そんな辛い過去を背負っていたとも知らずに、私は燕さんに酷いことを――仲間を墜としたんじゃないかって、空から逃げた臆病者だって言いました。でもそれは違ったんですね。燕さんは最後まで諦めなかった、最大多数の幸福を信じ続けた、空から逃げなかった。……私は最低な人間だわ。父さんと同じ空を飛ぶ資格がないのは私のほうです」

 流星はどんな顔をして自分を見ているのだろうか――。それを知るのが怖い。俯いた小鳥は垂れ下がった明るい栗色の髪で己の表情を隠す。小鳥は覚悟を決めて瞑目し唇を真一文字に引き結ぶ。流星の平手が顔面を打ち、罵りの言葉が鼓膜を引き裂く時を待つ。

 だが流星は小鳥の顔面を殴打することも、苛烈な言葉で彼女の鼓膜を裂くこともしなかった。ややあって固く引き結ばれていた流星の唇がゆっくりと解かれていく。そして開いた唇から放たれたのは、小鳥を罵倒する怒声ではなく意外なほどに穏やかな声だった。

「……謝るのはオレのほうだ。オレは今までお前に酷いことをしてきた。危険な目に遭わせて、罵って頬を叩いた。オレをここまで導いてくれた荒鷹さんがいなくなって、どうしたらいいのか分からなくなって、荒鷹さんがいなくなった悲しみや憤りをお前にぶつけていたんだ。簡単に許してくれるとは思っていない。謝れと言うのならいくらでも謝る。殴りたいのなら気が済むまで殴ってくれて構わない。……本当に悪かった」

 伏せていた顔を上げた小鳥の眼前で、流星は藍色が混じった黒髪を揺らし頭を下げた。白い布団の上に置かれた流星の拳は小刻みに震えている。伸ばした手を流星の震える拳に重ね、掌に指を絡ませて強く握ると、冷たくも温かい不思議な温もりが小鳥の手に染み込んだ。重なり合った手から流星の鼓動が小鳥に伝わってくる。

 演奏者の指に弾かれて奏でられた竪琴のように繊細な鼓動を感じ取った瞬間、あの時分け合った互いの心は、確かに繋がっているのだと小鳥は気づいた。だから自分には分かる。流星の心の痛みや悲しみが手に取るように分かる。そして流星が抱く空への思いが――痛いほど心に伝わってくるのだ。

 絡めていた指を解いた小鳥は、流星の掌の上に小さなお守り袋を置いた。桜色の布地に「安全祈願」と刺繍されたお守り袋は、2年前の松島基地航空祭で小鳥が佐緒里から貰った物だ。流星は小鳥にお守り袋を渡された理由が理解できていないようだった。

「このお守り袋に、燕さんが元気になって空に戻れますようにって、私の思いを込めておきました。だから……だから……絶対に松島に戻ってきてください、ブルーインパルスに戻ってきてください」

 小鳥はまた泣いていた。できることなら笑顔でお守り袋を手渡したかった。流星が気持ち良く怪我を治せるように笑顔でいたかった。でも気持ちとは裏腹に涙が溢れてしまう。次の瞬間前方に引き寄せられた小鳥は流星の胸に抱かれていた。小鳥が見上げると流星は今にも泣き出しそうな顔をしていた。そして小鳥は強く優しく抱き締められる。密着する身体。絡み合う体温。溶け合い一つの旋律となる鼓動。互いに分け合った心の半分が流星の思いを小鳥に伝える。

「……約束するよ。オレは必ず松島に戻る、ブルーインパルスに戻る。もう『死ぬ』なんて言わない。だから――信じて待っていてくれるか?」

「……はい」

 流星の胸に頬を寄せた小鳥は静かに瞑目する。

 閉じた瞼の裏側に、永遠の彼方まで続く青空が広がっていた。
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