挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
RIDERS ON THE SKY 作者:蒼井マリル

第7章 絆の翼

68/72

流星の秘め事

 時刻は夜と朝の境界線の午前5時。夜明け前の静かなる漆黒の帳に包まれた、松島基地のエプロン地区は、まだ朝を迎えていないにもかかわらず活気づいていた。航空祭会場となる場所の中央に並べられた七機のT‐4を飛行前点検しているのは、フラッシュライトを装備した整備員たちだ。本来なら点検作業は昼日中に実施されるのだが、航空祭の来場者が会場に入る前に点検作業や整備を済ませておくため、夜が明けきらない時間帯から作業が行われているのである。

 午前6時を過ぎると金色の黎明が東雲を美しく彩り始めた。身支度を整えた小鳥は独身幹部宿舎を出て、第11飛行隊専用のハンガーに向かっていた。幼さが色濃く残る可憐な顔には嬉々とした微笑みが浮かんでいる。吐いた息が瞬く間に白く凍る極寒の世界だが、空は何も描かれていないキャンバスのように一点の曇りもない。しばらくすれば目を覚ました神様が筆を執り、青い絵の具で空を綺麗に塗り潰してくれるだろう。

 エプロンの暗闇を穿つのは星雲のような光の群れ。整備員たちが機体に電源を入れて、各種系統が正常に作動するか確認しているのだ。整備員たちはフラッシュライトを相棒にして、エアインテークの内部やエンジンのブレード類の状態を念入りにチェックしている。石神たちは小鳥より先に到着しており、エプロンの片隅で円陣を組み、とても真剣な面持ちで何やら話しこんでいた。

「おいおい! 冗談だろう? そんな取引をするなんて馬鹿げているぞ!」

「……石神隊長の言うとおりだ。どうして俺たちに相談してくれなかったんだ?」

 納得できないという表情で石神が声を荒げ、彼に同意するように真由人が頷く。里桜も圭麻も二人と同様に顔を曇らせていた。松島基地に戻る前に流星が秘密裡で「彼」と交わした密約が、彼らの反感を買ってしまったのだ。反対されるのは話す前から分かりきっていた。だが自分を許し受け入れてくれた石神たちに隠し事はしたくなかった。だから流星は包み隠さず全てを話したのである。

「……燕君、貴方はそれでいいの? これを知ったらきっと小鳥ちゃんは悲しむわ」

「そうですよ。夕城さんにも話したほうがいいと思います」

「夕城には言わないでください。……あいつの泣き顔はもう見たくないんだ」

 微かな悲哀を帯びた流星の言葉を最後に会話の幔幕は静かに下りた。そこに身支度を終えた小鳥が弾むような足取りでエプロンにやってくる。小鳥の笑顔につられて流星の口元は自然に綻ぶ。なんて素晴らしいタイミングなんだろうと流星は思った。きっと空の上の神様が今日だけ特別に取り計らってくれたのだろう。小鳥が石神たちと合流すると同時に、流星は彼女を避けるようにその場を離れていった。

「おはようございます。あの……燕さんは機嫌が悪いんですか?」

「いや、いつもどおりだ。点検作業が終わるまでまだ時間があるし、燕と話してきたらどうだ?」

「それがいいわ。展示飛行の前に絆を深めておかないとね」

 なぜか石神たちは流星と会話を交わしてこいとやけに強く勧めてきた。小鳥はセールスマン並みの強引さに些か不信感を抱いたが、自分もそうしたいと思っていたので、踵を回し流星のところに向かった。ハンガーの外壁に背中を預けた流星は腕を組み、太陽の熱で青く溶け始めた東雲の片隅を、静かな眼差しで眺めていた。

「おはようございます、燕さん」

「……ああ」

「いよいよ本番ですね。うまく飛べるかどうか緊張します」

「そうだな」

 短く淡白な会話は続かず重い沈黙が空気を押し潰す。小鳥が始めた会話のキャッチボールはうまく続かずに終了してしまった。それに流星は心ここに在らずといった様子だ。小鳥が再び会話のボールを投げたとしても、流星は受け留めずに敬遠するだろう。だから小鳥はこれ以上流星の舌を動かすことは不可能だと判断した。そこに機体の点検作業が終わったと担当の整備員から連絡が届く。

「先に皆さんのところに戻りますね。燕さんもきてくださいよ」

「夕城」

 踵を返した小鳥を流星が呼び止める。小鳥が振り向くと空から視線を外した流星が彼女を見ていた。

「なんですか?」

「お前は一人前のドルフィンライダーだ。……オレがいなくなっても飛べるよな?」

「えっ? それはどういう意味ですか?」

「……いや、なんでもない。忘れてくれ」

 流星は謎に包まれた言葉を口にしたあと再び空を見上げた。不意に小鳥は流星が忽然といなくなってしまいそうな不安に襲われ、去り際にもう一度だけ振り向いた。視線の先に流星は確かに存在していた。だが小鳥の視界に映る流星の端正な横顔は、無数の泡になって消えていく人魚姫のような、儚い憂いを色濃く帯びていたのだった。
cont_access.php?citi_cont_id=588120919&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ