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松島基地航空祭、開幕!
午前8時。朝の魔法が閉ざされていた正門を開く。正門が開放されるや否や、松島基地航空祭を心待ちにしていた人々が雪崩の如く一気に敷地内に押し寄せる。警務隊の軽装甲機動車や消防小隊の救難車に、各隊の装備品など、松島基地のブースに置かれている展示品の中で一際目を惹くのが、T‐4の射出座席ステンセルS‐3S‐3だ。貸し出しのフライトギアを装備して座ればハーネスなどの装着も可能で、パイロット気分を満喫できるということもありとても好評だった。
ブルーインパルスの展示飛行は午後13時20分から開催されるので、午前中はファンサービスとサイン会に費やされる。サイン会の会場となるテントの前に小鳥たちは横一列のアブレスト隊形で並び、その正面にはお目当てのパイロットのサインを求めるファンたちが、長蛇の列を作っていた。サインはもとより友好の握手を交わし時には写真撮影に応じる。こうしたファンと直接触れ合う機会が設けられているからこそ、ブルーインパルスは根強い人気を誇っているのである。
石神の列には中年の男性が多く並び、里桜の列には鼻の下を伸ばした若い男性たちが列を成している。親しみやすい雰囲気を覚えるのか、小鳥と圭麻の列には家族連れや子供が多い。そして流星と真由人の列にはやはりと言うべきか、灼熱の闘争心を剥き出しにした幅広い年代の女性たちが並んでいた。次から次へと訪れるファンの対応をするのは非常に根気のいる作業だったが、ファンの数が多いのはブルーインパルスがそれだけ愛されている証拠。だから小鳥は苦に思うどころか楽しみながら応じることができた。
午前11時前に熱気に包まれたファンサービスは惜しまれながらも終了した。少し早い昼食を食べ終えた小鳥たちは、飛行隊隊舎二階のブリーフィングルームで、本番の飛行に向けたプリブリーフィングを開いていた。昼食後のリラックスタイムは終わり、全員が真剣な表情の展示モードにスイッチを切り替えている。
プリブリーフィングは約1時間にも及んだ。一通りの確認が終わると最後は全員でアクロバット飛行のタイミングを合わせる。これはいつも訓練前に行っている仕来りのようなものだ。小鳥たちは机の上に右手を伸ばすと、T‐4の操縦桿を握る姿勢を模倣した。
「ワン、スモーク。スモーク。ボントン・ロール。ワン、スモーク。ボントン・ロール。スモーク。ナウ! (スモークをオン。スモークをオフ。ボントン・ロールの隊形に開け。スモークをオン。ボントン・ロール用意。スモークをオフ。ロールせよ!)」
決められた無線の手順に合わせ、操縦桿前部のスモークトリガーを脳裡に描く。人差し指でトリガーを握る仕草が六人全員重なる。石神の「ナウ!」の声に合わせ小鳥たちは一斉に右方向へ手首を倒した。小鳥たちが脳裡に描いた幻想のT‐4は、非の打ちどころのない完璧なロールでくるりと一回転した。静まる余韻のなかノックの音が室内に鳴り響く。席を立った圭麻がオペレーションルームを出ていった。
ややあって満面の笑みを浮かべた圭麻が一人の男性を連れて戻ってくる。圭麻が連れてきたのは、ピンストライプ模様のカッターシャツの上に、紺色のジャケットを羽織り、細身のチノパンを穿いた、緩く波打つ淡い栗色の髪をした男性だった。間違いない。小鳥に6番目の翼を託して芦屋基地に旅立った鷺沼伊月3等空佐その人だ。変わらない優しい微笑みは小鳥たちに向けられている。思わぬ邂逅で喜びに心を満たされた小鳥たちは、席を立つと全員で鷺沼を出迎えた。
「私たちの展示飛行を観に、わざわざ松島まできてくれたんですか?」
「ブルーインパルスで飛んでいた僕には、君たちのフライトを最後まで見届ける義務があるからね。これはお土産だ。芦屋で美味しいと評判のプリンだよ」
鷺沼は右手に提げていた紙袋をテーブルの上に置いた。次に鷺沼は優しく力強い笑顔を添えた握手を小鳥たちと交わして肩を叩き、一人一人に激励の言葉を送ってくれた。いちばん最後に鷺沼と握手を交わした流星は、表情を固く引き締めると彼に向けて深く頭を下げた。
「とてもいい顔と目だ。どうやら過去を乗り越えることができたようだね」
「鷺沼さん。今まで迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「僕は迷惑だとは思っていない。本当の意味で君がブルーインパルスの一員になれたことを喜ばしく思うよ」
「……はい」
そして最後に鷺沼は凜とした眼差しで一同を見回した。
「緊張しなくてもいい、気負わなくていい。仲間との絆と自分を信じて、思う存分君たちの空を飛ぶんだ」
鷺沼の熱い激励の言葉は小鳥たちの心に強く響き渡り、彼女たちの肉体と精神を縛っていた緊張の鎖を引き千切ってくれた。小鳥たちに敬礼を捧げて鷺沼は退室する。鷺沼との再会は、どれだけ遠く離れていても、築かれた青い絆は決して断ち切られることはないということを、小鳥たちに教えてくれた。そして視線を重ね合わせ頷き合った六人は、ブリーフィングルームを後にした。

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