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RIDERS ON THE SKY 作者:蒼井マリル

第7章 絆の翼

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第1区分アクロエリア・SKC

『ご来場の皆様、本日はようこそ松島基地航空祭にお出でくださいました。今日はブルーインパルスが活動を再開してから、初の本格的な展示飛行の日となります。この記念すべき日に、皆様にお会いできることをとても嬉しく思います。ブルーインパルスの展示飛行の前に、ブルーインパルスJrによる二次元アクロをお楽しみください』

 雲の影一つ見当たらない快晴に恵まれた松島基地に響き渡るのは、航空祭会場が一望できる基地内のナレーター席から発信された、第11飛行隊隊員のナレーションだ。青天を仰ぐ石神の精悍な顔はとても満足そうである。この天気なら文句なしに第1区分の展示飛行が実施できるからだろう。

 ブルーインパルスジュニアは松島基地の整備員有志で構成されたチームで、T‐4を模した改造バイクで地上アクロを披露する。六台のバイクによる走行アクロは、人知れず練習を積み重ねた隊員の意気込みと、長年の工夫とユーモアが詰まった見応えのある内容となっており、子供から大人までファンの数はとても多いのだ。

 T‐4と同じ青と白のツートンカラーに塗り分けられた、六台の50ccスクーターが会場に颯爽と現れた。大地に咲き誇るひまわりの花。5番機バイクの後ろに取りつけられたミニチュアの6番機が、手動で回転するコーク・スクリュー。花火を使ったカラースモークの演出。舞台を地上に移した展示飛行が次々と披露されていく。ブルーインパルスジュニアはその高い走行技術をいかんなく発揮して、ファンを熱狂させ退場していった。

『ブルーインパルスジュニアの演技はお楽しみいただけましたでしょうか? ただいまからブルーインパルスの展示飛行を開催いたします。これから約35分間、ダイナミックなアクロバット飛行と、美しい編隊飛行の妙技をお楽しみください。会場左手では、本日の展示飛行を実施するパイロットが航空機へと向かいます。整斉としたパイロットの動きにご注目ください』

 航空中央音楽隊の演奏する「Dolphin In The Sky 」が、スピーカーから会場全体に伝播していく。編隊長の石神の号令で小鳥たちは一斉にウォークダウンを開始した。小鳥がステップをカウントして石神たちは歩幅を合わせ行進する。ステップをカウントする小鳥の声は熱い歓声に掻き消されて聞こえないが、心を一つにした石神たちの耳朶にははっきりと届いていた。

『ここで本日展示飛行を行うパイロットを紹介します。1番機、フライトリーダー、3等空佐、石神焚琉。2番機、レフトウイング、1等空尉、鷹瀬真由人。3番機、ライトウイング、1等空尉、雪村里桜。4番機、スロット、2等空尉、朱鷺野圭麻。5番機、リードソロ、1等空尉、燕流星。6番機、オポージングソロ、2等空尉、夕城小鳥。以上六名のパイロットが本日の展示飛行を行います』

 小鳥たちはぴんと背筋を伸ばし、凜とした眼差しで前方を見据えながら、一糸乱れぬ見事なウォークダウンで搭乗機の前に辿り着いた。

 機付き整備員と敬礼を交わした小鳥たちは、梯子に掛けられているGスーツをその身に纏った。小鳥たちが機体に搭乗したのを確認した整備員たちは所定の位置に移動していく。赤い座席に座り頑丈なハーネスとベルトで身体を固定する。腰回りを固定するベルトは特にきつく締めなければいけない。背面飛行の際に身体が浮き上がらないようにするためだ。

 メタリックブルーのヘルメットを頭部に被り、通信用マスクと酸素マスクを装着する。機器に異常はない。垂直尾翼のストロボライトを点滅させ、エンジンスタートの準備が整った合図を出す。小鳥たちは担当の整備員とハンドシグナルを交わしながら連携を取り、息の合った動作で各種点検作業を終えた。

 エンジンスタート完了。各システム、コンディション・オールグリーン。エルロン・ラダー・エレベータの三舵もアイスクリームのように滑らかに動いている。通信機材・航法装置に飛行計器・エンジン計器など、機体に搭載されている全ての計器に不備は見当たらなかった。寝る間を惜しんで整備してくれた整備員たちのお陰だ。

 1番機から順番にタキシングで滑走路へ向かう。残るは離陸前の最終点検だ。操縦桿やスロットルレバーを操作、エンジンを始め各システムが正常に作動するか入念に確認した。操縦桿のトリガーを弾きスモークを放出。風と手を繋いだスモークが四方へ拡散していく。シート・セイフティ・ハンドル、ダウン。地上での作業は終了した。あとは青い高みを目指し翼を広げて舞い上がるだけだ。

『まずは四機の編隊離陸をご覧いただきましょう。離陸するとすぐに4番機は1番機の真後ろに移動して、菱形のダイヤモンドと呼ばれる隊形を作ります』

 フィンガー・チップ隊形を組んだ四機は、石神のコールで離陸滑走を開始する。圭麻が操る4番機は浮揚してすぐに2番機と滑走路の僅かな空間をくぐり抜けると、1番機の真後ろに占位してダイヤモンド隊形に移行した。主翼のフラップ・ダウン。フラップと脚を降ろしたままの、ダーティー形態で60度のバンク。高度700フィートまで上昇、270度の旋回。最後にロールアウトをした四機は会場正面から進入した。

 ダイヤモンド・テイクオフ&ダーティー・ターンは、T‐4の低速域による優れた運動性能が際立つ課目である。正面からランディング・ライトを点滅させながら、太いスモークを曳いて進入してくる様子は、期待感溢れるオープニングに相応しい曲技だといえるだろう。先行して離陸した四機の軌跡を追いかける小鳥の耳元で無線が響いた。

『スワローからバード。聞こえるか?』

『バード、ボイスクリア』

『空の上で待っているからな。すぐにこいよ』

 凜とした涼やかな低音の声は間違いなく流星のもの。5番機が発進する直前、肩越しに振り向いた流星が小鳥に向けて片手を上げた。小鳥は敬礼で返事を返す。下ろされたバイザーと酸素マスクで見えないが、遠ざかっていく流星の横顔は微笑んでいたように思えた。

『ファイブ、スモーク・オン! ローアングル・キューバン・テイクオフ、レッツゴー!』

 ランディング開始。5番機はエアボーン直後にピッチ角を低く抑えながら脚とフラップを上げた。一気に240ノットまで加速した5番機は、滑走路のエンド付近でエレベータ・アップしてループ機動を継続する。次いで背面姿勢から一回転半のロール。エレベータ・ダウン、離陸方向とは反対側へ。300フィートでレベルオフした5番機は課目を終えた。

 超低空飛行で加速して急上昇したのち、そのまま宙返りを半分行って観客の前に戻ってくる、ローアングル・キューバン・テイクオフ。展示飛行のオープニングから、T‐4の高い機動性をアピールできる最初のリードソロ課目である。そして小鳥が乗る6番機が離陸する時がやってきた。

『シックス、スモーク・オン! ロールオン・テイクオフ、レッツゴー!』

 スロットル・ハイで滑走路を駆けて上昇。速度計を確認、機速は170ノットを維持する。ピッチ角を30度に合わせてエレベータを引き、小鳥は右へ360度のバレル・ロールを打つ。素晴らしいロールオン・テイクオフの軌跡が天空のキャンバスに描かれた。エネルギーが少ない低空・低速度の領域においても運動性能が高く、素直な操縦特性を有するT‐4だからこそ、安全に課目が実施できるのだ。地上の観客たちは低速ならではの太いスモークが描くアーチに目を奪われているだろう。

 ダイヤモンド隊形を組んだ石神たちが会場左手方向から進入してきた。会場を中心にした3Gの旋回が開始される。青い空に純白の機体の姿を刻みながら、四機は右手方向に翔け抜けていく。ファン・ブレイクは機体同士の最短距離が約1メートルという、全課目の中でも密集した隊形が見られる課目だ。それぞれのパイロットの卓越した技術と、互いを信頼し合う心があるからこそ行える課目である。

 雲隠れしていた5番機は再び姿を見せると、右に90度の四回に区切ったテンポの良いロールで抜けていった。ナイフの如き鋭いロールが青天を切り裂く。静と動の対比が美しい課目であるフォー・ポイント・ロールだ。流星と5番機の踊りに見惚れている場合ではない。次は小鳥も参加する編隊課目なので、すぐに石神たちとジョインナップした。

 これから始まるのは、連続した二種類の隊形変換と、躍動感溢れる課目チェンジ・オーバー・ターン。まず縦一列のトレール隊形で進入した五機が、観客の眼前で360度の水平旋回を披露する。旋回の開始と同時に左右に大きく開いた傘型の隊形に変わり、会場を一周している間に更に密集した傘型隊形へと変化させるのだ。

 縦一列のトレール隊形を組んで一斉にトリガーを弾く。石神のコールで右旋回を開始。真由人と里桜、圭麻と小鳥は、花火が弾けるように大きなデルタ隊形に移行した。180度のターン、1200フィートまでアップ。メイク・デルタのコールで寄り添うように間隔を詰め密集したデルタ隊形へ移行する。700フィートまで降下、370度の旋回で会場右手にフェードアウト。小鳥たちはチェンジ・オーバー・ターンを終えた。

 会場左手方向から進入してきた5番機はハーフ・ロールを打ち、背面姿勢で滑走路上空を右手方向に通過していく。左ロールで水平に復帰した直後に引き起こしを開始、上昇姿勢を確立した後に右ロールで再び背面姿勢に移る。そのまま2分の1ループを実施して滑走路上空に再度進入。今度は三回連続の右ロールを実施した。T‐4の優れた背面飛行性能と、高いロールレートによる連続横転を一度に見られるリードソロ課目、インバーテッド&コンティニュアス・ロール。正確な背面飛行と連続横転は誰にも真似できないだろう。

 インバーテッド&コンティニュアス・ロールの次は、黄金色の朝日が昇る姿を想定して作られた五機編隊課目サンライズだ。ブルーインパルス創設50周年を記念して創作された新課目の一つである。操縦桿を手前に引いてエレベータ・アップ、ループ軌道で6000フィートまで昇る。頂点に到達、機首を下げてスモーク・オン。五機はループを継続しながら500フィートでレベルオフした。

『ロビン、ハミングバード! ブレイク・レディー、ナウ!』

 小鳥と圭麻はそれぞれ左右に60度ブレイクした。次いで2・3番機が左右に30度の旋回を行い、1番機は20度ピッチアップのブレイクを実施して、五方向に隊形を開く。五つの方向に散開した小鳥たちの航跡は雄大かつ美しく、まさに名前の通り黄金色の光を纏いながら顔を出す朝日のようだった。

 朝日は沈み垂直急上昇のバーティカル・クライム・ロールが始まる。時速800キロの高速で進入してきた5番機は、会場正面で90度の急上昇を開始し、横転を繰り返しながら上空3000メートルまで一気に翔け上がっていく。スモークで螺旋を描きながら荒々しくも優雅に上昇していく姿に誰もが圧倒されていた。

『シックス・スモーク・オン! スロー・ロール、レッツゴー!』

 小鳥は高度300フィートを保ちつつ会場左方向から進入を開始した。極めて緩やかなレートで360度の右ロールを10秒かけて打つ。小鳥は四肢を駆使して機体をコントロールする。かけがえのない仲間と共に飛んだ空で培われた、空中感覚と操縦技術を存分に発揮して、小鳥は完璧なスロー・ロールを終えた。

 続いて会場後方から、トレール隊形を組んだ1番機から4番機が進入した。滑走路を通過後に3・5Gで機首を引き起こしループ機動へ。30度ピッチになった時点で、2・3・4番機は編隊長のコールによりダイヤモンド隊形への移行を開始する。

 5500フィートの天頂に達した編隊は、降下を続けながらマイナス60度ピッチで右ロールを開始、会場右方向に抜けていった。チェンジ・オーバー・ループ。素早い隊形変換と正面直上で繰り広げられる三次元機動が際立つ課目である。次はいよいよ最初のデュアルソロ課目ハーフ・スロー・ロールだ。

『ファイブ、スモーク・オン! ハーフ・スロー・ロール、レッツゴー!』

『ラジャー!』

 流星のコールを合図に小鳥は操縦桿を右に倒し、180度のロールで背面姿勢に入った。

『レフト・ロール、ナウ!』

 小鳥はゆっくりと操縦桿を左に倒した。まるで一本の芯で繋がっているかのように5・6番機は美しい225度のロールを打つ。緩急をつけたロールと、二頭のイルカが仲良く青空を泳ぐような完璧に同調した機動は、観客たちの心を一瞬で魅了した。

 会場後方から進入してくるのは1・2・3・4番機だ。次に行われるのは四機編隊課目のレター・エイト。その名の通り横向きに8の字を描く課目で、進入してきた四機編隊は二つに分かれて旋回を始めると、それぞれが水平に円を描き、二つの円を組み合わせて8の字を空に描くのである。

『ワン、スモーク・オン! レター・エイト、レッツゴー!』

 四機は上空を通過したのち右旋回を始めるのだが、4番機だけは別行動をとりタイトな左旋回を実施する。360度の旋回を終えた4番機は開始地点に戻った。圭麻は即座に右に切り返して先行する編隊を追いかけた。三機が円を描き終わるまでに合流しないといけないのだが、ここで無理をすればオーバーGする可能性もあるので、慎重かつ確実に圭麻は機体を操縦する。会場正面でジョインナップ。四機はダイヤモンド隊形に復帰した。

 左方向に旋回した小鳥は右方向に旋回した流星と向かい合う。これからソロの二機によるオポジット・コンティニュアス・ロールが始まるのだ。会場の左右から5・6番機が進入して、それぞれが連続横転しながら約50メートルの間隔で交差するという、スパイアクション映画のようにスピーディでスリリングな、迫力あるデュアルソロ課目である。

『ファイブ、スモーク・オン! オポジット・コンティニュアス・ロール、レッツゴー!』

『ラジャー!』

 フルスロットルで青天を翔ける。小鳥は操縦桿を右に倒して運命の輪のように回り続けた。反対側から5番機が横転しながら飛んでくる。そして小鳥と流星は50メートルの間隔で交差した。その速度はとても速く挨拶を交わす暇もない。少しでも機体の操縦を誤れば空中衝突しかねないが、小鳥は流星の呼吸を感じ、流星も小鳥の呼吸を感じていた。

 会場上空約100メートルの低高度を全機背面飛行の四機編隊が、精密なダイヤモンド隊形を保ったまま飛んでいく。ブルーインパルスでしか見ることができない四機の背面飛行、第1区分15課目のフォー・シップ・インバート。会場を通過した2番機から4番機は背面のまま間隔を開き、四機同時にリカバリーのためのハーフ・ロールを実施した。マイナスGがかかる過酷な環境下において、限られた時間内で隊形を完成させるには、極めて高度な技量と精神力が要求されるのだ。

 横一列のアブレスト隊形を組んだ小鳥と流星は、会場正面から進入して急上昇に移った。85度ピッチを確立、流星のコールで左右にブレイク。エレベータを引いてループ機動を継続する。マイナス30度ピッチで引き起こしのレートを緩め、二機は高度2500フィートで交差した。

 一方で二機が描き出したハートの左下から進入した4番機は、30度ピッチで7000フィートまで上昇を続けていた。途中でスモーク・オフ。ハートを愛の矢が貫いているように見せるためである。大空に巨大なハートが完成した。ラブ・アンド・ピース、皆で愛と平和の賛歌を歌おう。松島基地を訪れている恋人たちは、寄り添い合って愛の言葉を囁き合っているに違いない。

『――随分と成長したもんだな』

 キューピッドを描き終えた5番機と6番機を見守っていた石神は、感慨深く呟き卒業式で教え子を送り出す教師の心境を実感していた。今の自分がどんな顔をしているのか分からないが、最愛の娘を嫁に出す父親のような顔をしているに違いない。荒鷹の死と早見昶の死。辛い過去を乗り越えた小鳥と流星は大きく成長した。この二人にならば安心してブルーインパルスの未来を託せるだろう。

『ええ、そうね。……小鳥ちゃんも燕君も強くなったわ』

『流星は最高の相棒を見つけましたね。まったく羨ましいですよ。……ところで石神隊長、まさか引退を考えているんじゃないでしょうね』

 石神は驚愕した。真由人に己の思考の内側を完璧に読まれたからである。酸素マスクの奥で石神は苦笑した。だがそれを誤魔化すための嘘をつく気はなかった。美しい空を灰色の嘘で空を汚したくなかったからだ。それに心に重いものを抱えたままでは青い空を自由に飛べないのだから。

『――俺もそろそろ年だからな。若い奴らに未来を託して引退するのが当たり前だろう? 明日すぐに引退するわけじゃない。お前たちにブルーインパルスの全てを叩きこんでから辞めるつもりさ』

 石神の告白を聞いた里桜と真由人は、黙したまま何も言わなかった。石神は涙に声を詰まらせた真由人と里桜が、自分を引き留めようとする言葉は聞きたくなかった。聞いてしまったら最後、鋼の如き決心が揺らいでしまいそうだったからだ。

『……私も鷹瀬君も誰も何も言わないわ。だって貴方が決めたことだから』

『俺もです。石神隊長が言っていたように、俺たちは同じ空で繋がっています。これだけは忘れないでください』

 里桜と真由人の言葉が涙腺を柔らかく解いていく。石神は不覚にも泣きそうになった。だが地上に戻るまでは飛行隊長としての威厳を保ちたい。石神は緩んでいた涙腺を引き締める。

『さあ、行くぞ! たまには俺たちも存在をアピールしないと、皆に忘れられてしまうからな! ライン・アブレスト・ロール、ゴーポジション!』

『スリー!』

 石神が隊形を指示する。三機のもっとも後番の里桜が機番を送り指示確認の返信をした。

『レディー!』

 里桜は編隊を見回して隊形が整ったことを報告した。

『ワン、スモーク・オン! ライン・アブレスト・ロール、レッツゴー!』

 ライン・アブレスト・ロールは、全課目の中で唯一アブレスト隊形で機動する課目である。三機のT‐4が運命の赤い糸で結ばれているように、正確に隊形を維持しながら横転を行うのだ。1・2・3番機はアブレスト隊形で、会場正面のやや右方向から進入を開始した。

 エレベータ・アップ。30度ピッチを確立後、緩やかなレートで右ロールを打つ。1番機を真横に見ながら隊形を維持する真由人と里桜はふと思う。さながら石神は二人を正しい方向に導くジャイロコンパスのようだと。20秒のロールを終え500フィートでレベルオフ、三機は会場右手後方へ離脱する。会場正面の上空には折り重なったスモークによる美しく雄大なアーチが描かれていた。

 300ノットまで増速した5番機が会場正面で80度バンクした。次いで5Gのハードな360度旋回が始まる。直径は900メートルの円を描くのに要する時間は約20秒。この間流星には6倍もの重力加速度がのしかかっている。重力は容赦なく肺腑を圧迫し呼吸をするのも困難だ。だが流星の精密機械の如き正確なコントロールは決して崩れない。ここから一気に高度3500フィートまでエレベータ・アップ。最後に宙返りを打ち、5番機はスリー・シックスティ&ループを終えた。

 一辺約230メートルの大きなデルタ隊形を組んだ、五機のT‐4は会場後方から進入した。上空を通過後、石神のコールの合図と共に各機が隊形を維持したままループに入る。ここから徐々に間隔を詰め、より密集したデルタ隊形へと形を変化させていく。

 五条のスモークがバランスよく収束していく様子はとても美しい。上方に向かって収束する五条のスモークが、遠近感をより一層強調し壮大なスケールを感じさせ、そしてまるで自分がループ機動の中にいるかのような一体感を味わえる課目。それがワイド・トゥ・デルタ・ループだ。

 先程会場上空を通過した小鳥たちは5番機を加え、再びデルタ隊形で会場正面から進入を開始した。エレベータ・アップ、大きなバレル・ロール機動に入る。厳しい訓練で磨いた編隊飛行技術と集中力で、隊形を保ちながらデルタ・ロールを終え、次は右手方向から進入してデルタ・ループに入った。その名が示すとおり、デルタ隊形を維持したまま宙返りを行う課目である。六機の密集隊形によるループは、直前に行われたワイド・トゥ・デルタ・ループとは一味違った迫力感があるのだ。

 エレベータを引いて上昇を開始。半円を描くように5500フィートまで昇っていく。隊形変換や目を見張るような特別な機動を実施するわけではない。六人のパイロットが心を一つにして、アクロの原点ともいえるループ機動に挑戦する姿に価値があるのだ。一糸乱れぬ見事なループで小鳥たちは青天に真昼の満月を描く。ループの頂点を越えて急降下してくる際の、六機揃った背面姿はとても美しい。そしてT‐4の尾部から伸びる六条のスモークは、あたかも小鳥たちの強い絆を体現しているかのように一つに収束していた。

 少し間隔を開いた小鳥たちは会場左前方から進入した。スモーク・オフと同時に360度の右ロールを打つ。六機全機がデルタ隊形を維持したまま、一斉にロールを打つボントン・ロール。マナーにうるさい家庭教師も、これを見れば金色に輝く星の合格点をくれるだろう。ちなみに「Bon ton」とはフランス語で良いマナーという意味があり、フランス空軍のアクロバットチーム「パトルイユ・ド・フランス」発祥の課目だと言われているのだ。

 編隊から離れ単独となった5番機が会場正面に回り込む。ミリタリーパワーで右手方向から突進して上昇に入る。背面姿勢で右にハーフ・ロール。二回目の上昇から一気に9000フィートまで翔け上っていく。頂点を通過して降下。水平に回復すると同時にハーフ・ロールを打ち再び背面降下に移る。1000フィートでレベルオフしてフィニッシュだ。

 連続する二回のインメルマン・ターンとスプリットSを実施することで、空に巨大な8の字を描くリードソロ課目バーティカル・キューバン・エイト。ダブル・インメルマンは本来ならF‐15やF‐2クラスの戦闘機にしかできない機動なのだが、T‐4はアフターバーナーを使用することなく実施できるのだ。T‐4の優れた機動性とパイロットの正確な操縦技術が融合して、初めて8の字が描かれるのかもしれない。

 バーティカル・キューバン・エイトを見届けた小鳥たちは会場後方から進入した。会場正面で急上昇。五つの方向に散開しながら青空に大きな花を咲かせる。蒼茫たる天空に花を描いた各機は一斉にスプリットSを実施、会場上空に再度進入を開始した。

 石神のコールで15度の右旋回、次いでスモーク・オン。小鳥たちは互いのスモーク開始点を目指して真っ直ぐに飛行する。それぞれのスモーク開始点に到着した瞬間、上空に雄大かつ巨大な星が現れた。ブルーインパルスのオリジナル課目スター・クロス。キューピッドと並んで人気の高い課目である。

 松島の空に描かれた巨大な星を熱い思いで見上げる者たちがいた。尾白1曹や彩芽たち第11飛行隊の整備員――ドルフィンキーパーだ。尾白1曹たちは精魂込めて整備してきたT‐4の晴れ姿を見て心の底から感動していた。例え空と地上に分かれていても、パイロットと整備員の心は青い絆で強く繋がっているのだ。なかでも彩芽は圭麻が乗る4番機の航跡を熱い眼差しで追いかけていた。そんな彩芽に尾白1曹が声をかける。

「鶴丸。お前もそろそろ鷹瀬を追いかけるのはやめて、朱鷺野に目を向けてやったらどうだ?」

「うっ――うっさいわ! 美人の奥さんがいるおっさんには関係ないやないか!」

 顔を真っ赤に爆発させた彩芽をからかうように、他の整備員たちがにやけながら口笛を吹く。「若いとはいいものだな」と呟いた尾白1曹は、再度真昼の星を見上げた。些か不愉快に思いながら彩芽も空の星を仰ぎ見る。尾白1曹に言われなくともそれは自分自身がいちばんよく分かっていたからだ。2年前から憧れていた真由人が小鳥に淡い恋心を抱いていたことも、そして自分が圭麻を一人の男性として意識していたことも――。

「……圭麻。T‐4に乗ってる時のあんたは、誰よりも一番カッコええよ」

 尾白1曹たちに聞こえないことを願いながら、彩芽は遥か上空を翔ける4番機に向けて呟いた。
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