ひまわりのような女の子なんていない

先日、カラオケに行ったんですが、ひさびさだったので、声が出なくなっていました。最近の曲もぜんぜん知らないし、これじゃダメだなー、と思って、歌の練習をはじめたんです。

せっかく練習するなら、女の子にモテる曲がいいなー、っと思って、選んだのが、秦基博さんの「ひまわりの約束」という曲です。こちら、ちょっとまえの曲ですが、女の子に大人気で、異例のロングセラーを記録するヒット曲らしいです。

さっそくGooglePlayでダウンロードして、聞いてみると、ナルホド、ナルホド、これが最近のモテ曲なのかーって感じでした。

テンポもゆっくりで、僕の声が秦基博さんと似てるから、うまく歌えそうでした。

ところが、歌っているうちに、だんだん微妙な違和感を覚えるようになったんですよ。どこかどう、というワケじゃなく、ちょっと歌い辛いというか。

初めは、歌詞と声が合ってないのか、それとも、歌詞の語呂がわるいのかな?、と思いました。それで気がついたのは、語呂じゃなくて、歌詞そのものなんですよ。

ひまわりのような女の子

ひまわりですよ?

「ひまわり」のような真っ直ぐな優しさとか、「ひまわり」のような温もりを持った女の子なんて、実在しないじゃないですか。

いや、そりゃ、探せばいるでしょうよ。僕もゼロとは言いません。でも、かなり希少であることは確かなんです。

しかし、ひまわりの約束は人気なんです。共感して支持されるから、女子に大人気なんです。

つまり、このファンタジーみたいな女性像に、自分を重ねて、共感してる女子が大勢いるってことです。調子にのるなって思います。アサガオなら、まだ許すけど、ひまわりは無い。

子供ならあり得ますよ。でも、この曲自体は、結婚や恋愛の対象になる、成人女性をモチーフにしてるでしょう。

ひまわり?

あなたが?

あなた達が?

ご冗談でしょう(笑)

ある種の地獄です。勘違いの極地ですよ。

その全体像をイメージしたとき、僕には、違和感の正体がハッキリ見えてきました。

要するに「ひまわりの約束」という曲は、ひまわりにはほど遠い、ドクダミ草女子が、自分がひまわりなんだと勘違いして、共感してしまってる曲ってことなんです。

タンスの角で小指が骨折するくらいの痛さですよ。

マジで。

現実の女の子って、もっと移り気で温室育ちでしょう。キレイな子、かわいい子は、いっぱいいますけど、ひまわりじゃない。

その辺がどうも、この曲を好きになれない理由です。ありきたりというか、小奇麗なイメージの上澄みをすくったような。

いや、練習はしますよ。何と言ってもモテ曲ですからね。

うまく歌えるようになったら、YouTubeへアップしようと思ってます。お楽しみに。


今日はそんな感じです。