11年前の夫、やっと安静度が緩和され 一転して 離床を勧められても 自分の頭さえ上げ続けることさえできず、立てず、まして歩けず、眩暈で吐いてばかり…これからどうなるんだろう???の毎日だった
今 毎日PCの前で「お仕事」と称して ブログにいそしむ彼の姿など 想像もできなかった
夫が倒れ そのまま私も仕事を辞め付き添ったのは 命の危険があったから…?
…いや、冷静な判断などできなかったからだ、と認めざるを得ない
その後、後遺症が残り、どうやって生活をしていくか、と不安でいっぱいな時期に、病院から転院をほのめかされた時も 家へ連れ帰る、と決めた
病院でも対応に かなりの不信感もあったから
当時のこと、すぐ胃がんの手術を受け、労災認定が決まるまでの長い時間 思い出したくもないから なおさら記憶があいまいになっていく
仕事を辞める事はなかったのではないかしら…などと 今なら 現実的な考えもできるが こうして二人で ゆっくり旅できることに 心からありがたいことだと思っている
ということで 東北から帰ってひと月というのに 『ダブルパンチからの生還11年目記念旅』の計画を実行した
さすがに 毎日忙しい娘たちにさえ言いづらく コッソリ…のはずが ふだんウンともスーとも言ってこないのに 間が悪く メールやら電話があり バレバレになった
今回は ジパングを使って 高山から平湯へ
平湯は こども達とキャンプを2度した所だ
が 車旅では味わえなかったことも 今回 歩いてみて へぇ~そうだったんだと思う事ばかりだ
安房峠が出来て 平湯から上高地へは バスでたった25分!これってすごい!
30分おきに朝早くから出ている
あの、上高地に!
あいにくの雨で 大正池の散策路は歩けなかったが
当初の計画では 天気予報は最悪で 直前に行くのをためらった程だが 人生どこで何が変わるかは 分からない
上高地も せっかくこんな近くにいて、明日は天気が回復するというのだから ちょっと予算オーバーしても 美味しい料理食べたと思えば 断然行くべきだね、と 急きょ予定変更した
何度来ても いい景色
今回は いつも清らかな梓川も 少し白濁し 今までに見たことのない水量で 音を立てて流れていた
バスから見た 大正池も いつもの感じとは違って見えた
乗鞍にも新穂高にも 平湯からアクセスできる
それにここ 奥飛騨の温泉はとても湯あたりのいい湯だ
ここ平湯でも 外国の観光客の姿ばかり目についた(団体というより個人や小グループでの)
こんな良い所、孫たちにも 見せてやりたいと思う
宿泊した所にも 露天風呂がたくさんあり 温泉好きの夫には たまらない
旅に出ると 生き生きして 何事にも大げさなほど感動しまくる夫の姿に よくぞここまで生きて来られたと しみじみしていたのにぃ~~~~
またまた!
やっちゃったのです
どうしたら こんなにすり傷だらけになるのさ❕ ヽ(`Д´)ノプンプン
夫によると ここは手すりがないので 浴槽に入る時や出る時 立ち上がりには 平衡障害があるので 倒れないように手をつき足をつき
他人から見れば かなり変なおじさん風に立ち上がらざるを得ないので 必然的にこうなるのだと…
それにしてもだ、こんなにケガしても 風呂につかって痛くはなかったのか?
「痛くない」即答する
ま、ここの風呂で傷を治したという伝説もあるくらいだから…いやいやそういう事ではないのだ
こんなケガしたことを わたしに隠そうとしていたことに わたしは怒っているのだ!
大判のガーゼを 予備に持って来てなかった(これは 次回からの反省事項)
もぉ~~11年目
障碍は まだあの時のまま、良くはならないが 慣れたともいえる
キョンシーみたいに わたしに手を引かれていた人が こうして旅にでている
ありがたいことだと つくづく思う