『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

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怒りの一因としての「期待」について

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先日、子どもちゃんの誕生日前後のこと。

絶縁中の私のパパが、子どもちゃんの誕生日プレゼントを宅急便で送りつけてきたことがあった(何の事前連絡もなく、ただ宅急便が来た)。

それを受け取った私は、ワナワナと怒りが湧いてきた。

で、受取拒否して、パパにプレゼントを送り返してやった😅

(受け取ってメルカリにでも出せばよかったかな💦)

 

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私のパパが不倫をしていることについての奥さまの感想 

以前も何度か書いているけれども、私のパパは不倫をしていて、それが元で私が一方的に連絡を断っている。

 

私のパパが不倫をしていることについて、私の奥さまは

「ふ~ん。別にいいんじゃない❓」

というあっけない感想もっている😅

 

配偶者の親が不倫をしていると聞いたら、気持ちわるいと思ったり、イヤだという感情が湧くもんじゃない?と思っていたんだけど、奥さまに言わせると

 

「そりゃいい気持ちはしないけれども、私たちの今の生活に実害もないしね」

という合理的なご回答。

 

まあ……たしかにそうなんだけど、私は当事者だからなのか、パパの不倫に対しては「私の存在をないがしろにされた!」という強い怒りしかないのよね。

 

怒りの一因としての「期待」

怒りという感情はあくまでも表面化した感情であり、その背後にある不安や恥といった感情が、怒りの真因だ、という話を以前したことがある。

www.utsu-joso.com

 

この怒りの一因に「期待」というものがあるんじゃないかと思っている。

図示するとこんな感じかな?

 

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私には、パパに対して「父親として私や家族を愛してほしい」という期待がある。

ところが、期待に反するような出来事(父親の不倫)が起きる。

すると期待を裏切られそうになった(愛してもらうという機会、あるいは利益を失いそうになった)私は、怒りを表出する。

そしてその怒りをパパにぶつけることによって、不倫を止めさせようとする。

 

この期待というものがなければ、不倫をしていても怒りが起きることはないのよ。

例えばイギリス・チューダー朝のヘンリ8世は、不倫から離婚問題を起こし、こともあろうかカトリックを抜けて、イギリス国教会まで立ち上げた王様なんだけど、私は別にヘンリ8世には怒りは沸かない。

だって、ヘンリ8世には個人的に何の期待もないからね😅

 

なので、怒りを起こすのは「不倫」という出来事そのものではなく「期待」なのだろう。

不倫は、そのトリガーに過ぎない。

 

私の奥さまが、私のパパの不倫にあまり関心がないのも、奥さまはパパに「期待」してないから、で説明がつく。

 

※よく芸能人の不倫問題で、無関係である一般人までが批判をして炎上することがあるけど、あれはもうちょい違った理由だと思う。そういうケースでは、私の態度は「無関心」だね。

 

「期待」をなくすことはできるか❓

私がパパに対しては「不倫は止めろ!💢」と怒っても、パパはガン無視なのよ。

私の期待に反する出来事(不倫)を、怒りによって変えることができなければ、私は怒りっぱなしの状態で苦しいだけ。

 

怒りの出処が期待なのであれば「そもそもパパには期待しない」というようになれば、怒りは収まるはず。理屈ではね。

 

結論を言うと、私の中でのパパに対する期待はそれほど下がっていない。

 

パパから唐突に子どもちゃんへのプレゼントが来た時、私は怒りで自分の身体が震えるのがわかった。

「期待しない」ように自己暗示をかけてはいたけれども、やっぱり染み付いた「親に対する期待」というのは、そう簡単には解けないのね😫

 

この染み付いた親への期待にどう向かい合うかは、私のこれからの課題かもしれない。

いや、もしかしたら意志でなんとかできる問題ではないのかもしれない。

別にこのままでもいいのかもしれない。

よくわからない、というのが正直なところ。

 

まあどちらにせよ、今のところは「やっぱり親に期待してしまって、怒りが止められないね、私」と、そのまま受容するしかないか、と思っているところだけどね😉

 

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