2017.07.07(Fri)
「怪物くん」の時は週末しか劇場に行けなかったけど、この度、ついに平日観覧を敢行しました♪♪
定時退勤って素晴らしい♪♪
*
「忍者」モノ、と言えばアタシの最古の記憶はたぶん「仮面の忍者 赤影」。
市川雷蔵の「忍びの者」は、さすがに見たことがない。
テレビマンガでは「カムイ外伝」があって、これは漫画家白土三平さんが原作。
原作漫画「外伝」が面白くて、よせばいいのに、兄が持っていた「カムイ伝」を読んで沈没した。
超ド級に重iい大河ドラマで、とても私ごときが太刀打ちできる代物じゃなかった。
恐ろしい場面が夢にまで出てきたよね;;;
「人に非ず」とか「穢れたもの」とか、社会の最下層で虐げられた者のイメージが、このあたりで強烈に出来上がったと思うわ。
一般庶民がひどい目に合うし、アレルギーみたいになっちゃって、久しく戦国もの忍者ものに触れる機会はなかったんです。
司馬遼太郎も、山田風太郎も避けてきて、本当に久しぶりに読んだのが「忍びの国」。
やっぱり戦国時代物は苦手だわ~~と思いながら読了し、映画を待っていました。
結果…
嬉しいことに、ほんッッッとに私好みの映画になっていました。監督ありがとうございます!!
原作と映画、一番うれしかった違いはラストシーンでした。
原作は乾いたほこりが舞う京の大路。宿敵と相まみえる殺伐としたシーンで終わりますけど…。
映画では細い一本道が海へ伸びる美しい草原。無門がお国さんの「忘れ形見」と思い定めた忍びの子を連れてゆっくり歩いて行く。
大切な人を失った無門が2年の間にどんなに苦しんだかわからないけど、生きる縁を得たことが、本当にうれしかったです。
手をつなごうとするなんて、まさに鬼の攪乱(笑)
伊賀の皆さんが見たら、仰天して腰を抜かすわ♪
*
無門のその後がとても気になりますけど、とにかくナレーターを務めた「ネズミ」が老成していることを考えれば、養父である無門も戦国の世を生き抜いたのだと思いたい。
天正伊賀の乱が1578年。関ヶ原1600年を経て大阪城落城1615年まで。乱世は延々と続くけど;;;
お国さんの亡骸を抱いて立ち去る無門に、評定衆は追っ手をかけなかったし、ぐずぐずと腑抜けて、本堂へ、それも宴席に戻っていった。
あの場で無門の処遇を相談するようには見えなかったんだけど…上忍を殺害したとなれば、やはりただでは済まないのかしら。
嫌気がさした無門は伊賀を捨て…たよね。きっと。
おきて破りの「抜け忍」として、厳しい逃亡生活を2年過ごして、第二次伊賀の乱に乗じて「ねずみ」を探しに来たという事なのかな。
最後の最後でようやく無門から「信雄」と名前で呼ばれて嬉しそうだった織田の小倅(笑)
調べてみたら、これがしたたかに乱世を渡り歩いて、ちゃんと天寿を全うしているんですね~~。信長の子孫でただ一人なんですって!
この映画の後、本能寺の変、豊臣の天下取り、関ヶ原合戦、豊臣の滅亡…と、めまぐるしく風向きが変わる戦国時代を、現在もあまり評価が高くない信雄がいったいどうやって乗り切ったのだろうと思います。
よい家臣に恵まれて、情報戦に長けて…って、と考えると?
第二次天正伊賀の乱で無門の首を探していた信雄だけど…巡り巡って無門が力を貸していたらいいと思いません??
甘いかなあ(^^;)
一度、自分の首を取ると言った下忍を許すことはないのかな。
でも、大膳や信雄は、無門の理解者になりえると思うんだけどなあ。
いわゆる「主従」とはひと味違う、プロフェッショナルな関係が築けそうなのに。
と、映画を見る度、果てしなくグルグルしています。
*
見るたびに、ぐっと胸に来る場面も新しくなりますね♪
最新は、胸を深々とえぐられて力尽きる瞬間、平兵衛が小刀の鞘を無門の右こめかみに叩きつける場面。
もう避けようともしない無門の表情に、ぐらぐらする~~~;;;
髪についた鞘の破片とか、「ここしかない!」ってポジションだと思うわ!!
さあ。
この週末は東京なのですが…どうなんだろう…あちらの劇場で「忍びの国」を見るのも楽しいかも♪
定時退勤って素晴らしい♪♪
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「忍者」モノ、と言えばアタシの最古の記憶はたぶん「仮面の忍者 赤影」。
市川雷蔵の「忍びの者」は、さすがに見たことがない。
テレビマンガでは「カムイ外伝」があって、これは漫画家白土三平さんが原作。
原作漫画「外伝」が面白くて、よせばいいのに、兄が持っていた「カムイ伝」を読んで沈没した。
超ド級に重iい大河ドラマで、とても私ごときが太刀打ちできる代物じゃなかった。
恐ろしい場面が夢にまで出てきたよね;;;
「人に非ず」とか「穢れたもの」とか、社会の最下層で虐げられた者のイメージが、このあたりで強烈に出来上がったと思うわ。
一般庶民がひどい目に合うし、アレルギーみたいになっちゃって、久しく戦国もの忍者ものに触れる機会はなかったんです。
司馬遼太郎も、山田風太郎も避けてきて、本当に久しぶりに読んだのが「忍びの国」。
やっぱり戦国時代物は苦手だわ~~と思いながら読了し、映画を待っていました。
結果…
嬉しいことに、ほんッッッとに私好みの映画になっていました。監督ありがとうございます!!
原作と映画、一番うれしかった違いはラストシーンでした。
原作は乾いたほこりが舞う京の大路。宿敵と相まみえる殺伐としたシーンで終わりますけど…。
映画では細い一本道が海へ伸びる美しい草原。無門がお国さんの「忘れ形見」と思い定めた忍びの子を連れてゆっくり歩いて行く。
大切な人を失った無門が2年の間にどんなに苦しんだかわからないけど、生きる縁を得たことが、本当にうれしかったです。
手をつなごうとするなんて、まさに鬼の攪乱(笑)
伊賀の皆さんが見たら、仰天して腰を抜かすわ♪
*
無門のその後がとても気になりますけど、とにかくナレーターを務めた「ネズミ」が老成していることを考えれば、養父である無門も戦国の世を生き抜いたのだと思いたい。
天正伊賀の乱が1578年。関ヶ原1600年を経て大阪城落城1615年まで。乱世は延々と続くけど;;;
お国さんの亡骸を抱いて立ち去る無門に、評定衆は追っ手をかけなかったし、ぐずぐずと腑抜けて、本堂へ、それも宴席に戻っていった。
あの場で無門の処遇を相談するようには見えなかったんだけど…上忍を殺害したとなれば、やはりただでは済まないのかしら。
嫌気がさした無門は伊賀を捨て…たよね。きっと。
おきて破りの「抜け忍」として、厳しい逃亡生活を2年過ごして、第二次伊賀の乱に乗じて「ねずみ」を探しに来たという事なのかな。
最後の最後でようやく無門から「信雄」と名前で呼ばれて嬉しそうだった織田の小倅(笑)
調べてみたら、これがしたたかに乱世を渡り歩いて、ちゃんと天寿を全うしているんですね~~。信長の子孫でただ一人なんですって!
この映画の後、本能寺の変、豊臣の天下取り、関ヶ原合戦、豊臣の滅亡…と、めまぐるしく風向きが変わる戦国時代を、現在もあまり評価が高くない信雄がいったいどうやって乗り切ったのだろうと思います。
よい家臣に恵まれて、情報戦に長けて…って、と考えると?
第二次天正伊賀の乱で無門の首を探していた信雄だけど…巡り巡って無門が力を貸していたらいいと思いません??
甘いかなあ(^^;)
一度、自分の首を取ると言った下忍を許すことはないのかな。
でも、大膳や信雄は、無門の理解者になりえると思うんだけどなあ。
いわゆる「主従」とはひと味違う、プロフェッショナルな関係が築けそうなのに。
と、映画を見る度、果てしなくグルグルしています。
*
見るたびに、ぐっと胸に来る場面も新しくなりますね♪
最新は、胸を深々とえぐられて力尽きる瞬間、平兵衛が小刀の鞘を無門の右こめかみに叩きつける場面。
もう避けようともしない無門の表情に、ぐらぐらする~~~;;;
髪についた鞘の破片とか、「ここしかない!」ってポジションだと思うわ!!
さあ。
この週末は東京なのですが…どうなんだろう…あちらの劇場で「忍びの国」を見るのも楽しいかも♪