映画「私の中のあなた」の感想です。
先日こちら記事を書いてから(特に「わたしを離さないで」を観てから)ずっと気になっていた作品でした。
【関連記事】
www.yumekichi-blog.com
概要・あらすじ
- 監督:ニック・カサヴェテス
- 製作:アメリカ
- 公開:2009年
- 原作:ジョディ・ピコー
アナ・フィッツジェラルドの姉ケイトは2歳のとき、急性前骨髄球性白血病を患う。しかし両親や兄の白血球の血液型であるHLA型は、ケイトと適合しない。ドナーを必要とするケイトのために、受精卵の段階で遺伝子操作を行ない、デザイナーベビーとして生まれてきたのがアナであった。
まずはドナーへの負担がない臍帯血移植を行うが、その後もケイトが輸血や骨髄移植などを必要とするたびに、幼いアナは過酷な犠牲を強いられてきた。13歳を過ぎたアナは、ついに片方の腎臓の提供を求められる。ところがアナは提供を拒み、辣腕弁護士キャンベルを雇い、両親を相手取って訴訟を起こす。
姉のドナーとなるために"産み出された"妹、という中々に重たさを感じさせるあらすじですね。
現実の世界におけるデザイナーベビーといえば、日本では法整備もなくまだまだ未来の技術といったイメージのようですね。アメリカでは一部の技術に特許が認められていて、すでに10年ほど前から、病気などのリスクや、目の色や筋肉のタイプなどを判定する事業を展開されています。
(本記事のためにざっと調べた内容のため間違っていたり古い情報があったらごめんなさい)
そして、そのデザイナーベビーであるアナは、ドナーになることを拒否するために11歳の娘が両親を相手に訴訟をおこす。
となればどれだけ重たい話になるのか。二時間で収まるのか。などと色々邪推しながら鑑賞しました。
ところがどっこい。お互いを思い合う家族の深い愛の話だったのです。
ネタバレあり感想
※ここからストーリーの展開や結末に関わるネタバレが含まれます。ご覧になる際は予めご了承下さい。
全体の感想
僕が鑑賞前に本作の主題になるとイメージしていたものは以下の通り。
- 「臓器提供のために生み出された子供」についての倫理的・社会的な問題
- ケイトのためにアナを生んだ両親にとって彼女は娘なのかという葛藤
- 臓器提供(=姉の命を救う)を拒否したアナと家族の間にできる溝は埋まるのか?
鑑賞前にあらすじを見て浮かんだのが主に上記のポイントです。「わたしを離さないで」を見た後だったというのもあるかもしれませんが。
ストレートに言えばあまりその辺は重要じゃなかった。裁判のシーンもあったけれどそこもあまり重要には感じなかった。この話はそこを主題にはしていない、もっと純粋な家族愛の話だと。
アナが両親を訴えた理由がわかったところもとりたてて衝撃は感じませんでした。だってずっとその方向に話は進んでいたから(いくつかのミスリードぽいものは感じたけど)。「やっぱその理由なんだね」というのが正直なところ。
「姉のために過酷な犠牲を強いられる妹の主張について、大人たちに是非を問う話」ではなく、「難病の少女と、彼女の愛する家族が残された時間を精一杯生きる話」だった。
だからこそ最期にケイトが母親と一緒に自分が作ったアルバムをめくるシーンでは色々なものが胸に来て泣けてしまうんだと思う。
母親役のキャメロン・ディアス
非常に存在感を放っていたのが母親役のキャメロン・ディアス。もう彼女が母親役がしっくり来るようになったのか…。(しかも本作は8年ほど前の作品)
強くそして娘への愛に溢れながらも、しかしそれ故にか盲目的になってしまいがちな母親を熱演していました。
キャストという意味では、キャメロン・ディアスも、アナ役のアビゲイル・ブレスリンも、ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァも素晴らしかった。
個人的にはキャメロン・ディアスといえば、「バニラ・スカイ」のちょっとヤバい女の役が一番印象に残っています。
原作の小説
原作の小説は未読ですが、あらすじを見るとなかり違いがあるようです。特にラストの展開。
正直絶句するレベルで違っていました。中身を読んでいないのではっきりしたことは言えませんが、原作の流れだと話の主軸・主題も変わってくるのかな。
今回映画版を見て受けた印象がかなり覆りそうな、むしろ僕が鑑賞前にイメージしていたのに近い流れになるのかな。
近所の書店では見当たらないのですが、機会があったら原作も読んでみたいと思います。
さいごに
ということで、良くも悪くも色々と鑑賞前の思惑を裏切る映画だったと思います。
あまり深く考えずに、フラットな気持ちで観ればいいのかなと思います。
【他にこんな映画の感想も書いています】
www.yumekichi-blog.comwww.yumekichi-blog.comwww.yumekichi-blog.com