外国人材交流推進議員連盟時代の思い出を語る

坂中提案

2013年5月22日、自民党新議員連盟が結成された。その名は国際人材議員連盟(小池百合子会長、中村博彦幹事長)。今の時代にぴったりのいい名だ。この議員連盟は、2008年に大きな実績を残した「外国人材交流推進議員連盟」(中川秀直会長、中村博彦事務局長)の遺伝子を引き継いだものである。新議連誕生の話を聞き、新しい国づくりに燃えた5年前のことがよみがえった。
以下、新議連の発展と飛躍を願って、その前身の外国人材交流推進議員連盟と私の関わりについて述べる。
私は2008年2月、日本の将来は外国人材の導入にかかると考える自民党の国会議員約80人が参加した「外国人材交流推進議員連盟」の第1回勉強会に講師として呼ばれた。
私の移民国家日本への熱い思いを政治家に伝えるため、十分練ったスピーチ原稿「日本国の百年の計を立てる時が来たー外国人材交流推進議員連盟の発足に当たって」を用意し、スピーチに臨んだ。その結びで、「日本国の百年の計を立てる時を迎えて、日本の行く末を真剣に考える政治家が結成した新議員連盟が、『移民国家日本プロジェクト』を推し進める機関車の役割を果たすことを期待してやまない」と檄を飛ばした。
続いて3月に開催された第2回勉強会でも講師役を務めた。「移民受け入れに舵を切るとき」の表題で、日本独自の「育成型移民受け入れ制度」を提案した。その中で、なぜ「外国人労働者」ではなく「移民」なのかについて、「国家の構成員(国民)が減ってゆく国のとるべき外国人政策は、将来国民になってもらう外国人を確保する『移民の受け入れ』しか考えられない」と強調した。
私が提案した「移民1千万人構想」について出席の国会議員から多くの質問や問題提起が出された。しかし、移民の受け入れに反対の意見は出なかった。逆に、外国人材の受け入れの拡大を求める意見が大勢を占めた。その時、持論の日本型移民政策への確かな手応えを感じた。
同議連は、合計7回の勉強会を立て続けに開き、同年6月、移民立国で日本の活性化を図る立場から「日本型移民政策の提言」をとりまとめ、公表した。
さらに、この提言は自由民主党国家戦略本部「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」が取り入れ、最終的には「人材開国!日本型移民国家への道」という名の報告書が当時の福田康夫首相に提出された。こうして日本の外国人政策史上初めての体系的な移民政策が政治の舞台に躍り出た。
移民政策は日本の国の形を決める国家政策そのものである。言うまでもなく国家政策を立てるのは政治家の仕事だ。しかし、「日本型移民政策の提言」の素案は、移民政策一筋の道を歩んできた私が、人口危機の日本を救う起死回生の策として書いたものである。元行政官が出過ぎたことをしてくれたとしかられるかもしれないが、先見の明がある政治家から頼まれ、自然の成り行きで先駆的な役割をはたす立場になったとしかいいようがない。
むろん、それをどう評価し、どのように使うかは政治家の判断である。幸いにも、革命的な移民政策に理解のある中川秀直衆議院議員(当時)と中村博彦参議院議員(当時)とめぐりあい、私の唱える「日本型移民国家構想」が政治課題にのぼった。          以上のとおり、自民党議連と私の絶妙の連係プレーで歴史的成果をあげることができた。そのことが私に大きな自信と使命感を与えてくれた。それを土台として私は移民国家構想の理論を完成させるため研鑽に励み、『日本型移民国家の構想』(移民政策研究所、初版2009年6月、増補版同年9月)、『日本型移民国家への道』(東信堂、初版2011年6月、増補版2013年1月)、『人口崩壊と移民革命―坂中英徳の移民国家宣言』(日本加除出版、2012年3月)など、一連の論文を発表することができた。
外国人材交流推進議員連盟、国際人材議員連盟を設立し、日本再生への道を歩まれた中村博彦先生が、本年7月31日、道半ばにして永眠された。闘魂の政治家と会い、その引き立てがあったからこそ今の私がある。
中村博彦氏の恩義を受けた私は、故人の志を引き継ぎ、「日本型移民国家への道」を全うする決意を新たにしている。

13-11-7-1

13-11-7-2

« »