都議選は、自民党の歴史的な大敗北となりました。
この敗北の原因はいくつかあげられていますが、1.都民ファーストを生む理由となった豊洲市場の移転を巡る初期のいざこざ。2. 国政に関しての自民党の失態(森友・加計問題、豊田議員、下村議員、稲田議員など)。そして、3.公明党との選挙協力を維持できなかったこと、の3点に絞られると思います。
このエントリーでは、3番目にあげた「公明党との選挙協力を失ったことの影響」をデータから推定してみます。推定の結果、自民党都議団は、公明党との選挙協力があれば、議席を10つ獲得できたはずで、さらに都議会でも公明党と協力することで、都議会の最大派閥を維持できた可能性が明らかになりました。
自民党が失った公明党の票の推定
公明党は強力な支持基盤を持ち、強い動員力を持つことで知られています。今回の選挙のように、トップダウン的に、上層部から都民ファーストを支援するように指示された場合には自分の選挙区に公明党候補がいない場合は公明党支持層が都民ファーストを支援したはずです。
そこで、分析対象としたのは、公明党候補者が出馬せず都民ファーストの会が出馬していた、千代田区・港区・文京区・台東区・渋谷区・武蔵野市・三鷹市・府中市・青梅市・昭島市・小金井・西東京市・南多摩選挙区・北多摩2・北多摩4の15の選挙区です。
これらの選挙では、前回の選挙でも公明党の候補者はいなかったため、公明党支持層は選挙協力していた自民党に投票していたはず。そこで、これらの選挙に注目すれば、自民党から都民ファーストに流れた票の全容と、何人の候補が公明党の票によって当選/落選したかが推定できます。
では、各選挙区の公明党の支持層の票数をどうやって推定したらよいでしょうか。ここで、都議会議員選挙ではなく、前回の「区/市議会議員選挙」に注目しました。これらの選挙区では、都議の候補は出馬していませんが、区議・市議選挙には公明党議員が出馬しています。つまり、それぞれの選挙区での公明党の区/市議会議員の得票数を合計すれば、その選挙区での公明党の潜在的な集票力が推定できるというわけです。
公明党が自民党と選挙協力していた場合の得票数ですが、都民ファースト候補から公明票を引き、自民党の候補に上乗せしました。都民ファースト候補(推薦含む)が二人の場合は均等に票を引きました。
公明党の協力があれば、11議席増やせたはず
実際の選挙結果では14の選挙区のうち自民党が議席を獲得できていたのは2議席のみでした。試算の結果、公明党との選挙協力が維持できていれば、このうち13の選挙区で自民党が議席を獲得できていたことがわかりました。11議席の増加です。一方、都民ファーストは、議席を10つ減らしていました。以下に、代表的な選挙区の推定結果を示しています。
この推定結果は、毎日新聞が試算したものと大きく異なっていません(推定方法が若干違いますが)。ある程度信頼できる結果と言えると思います。
自公協力があれば、都議会の最大派閥になれた
結果をまとめます。
自公の協力が維持できていれば、都民ファーストは54議席→44議席に、自民党は23議席から34議席になっていたはずです。さらに、選挙協力のまま自公が都議会で連立を維持すれば、自公の議席は57議席(自民34+公明23)となり、過半数には届かないものの最大派閥となります(下図参照)。
つまり、自民党都議団は公明党と選挙協力を維持できていれば、選挙での惨敗は免れないものの、都議会の最大派閥として一定の影響力は維持できていたと推察されます。
まとめ:公明党が最重要プレイヤーだった。
都議選の結果をデータから解釈すると、公明党の影響力が際立ちます。自民党惨敗の最大の要因は、公明党との選挙協力を維持できなったことであると言えますし、都民ファーストの驚異的な当選率は公明党の協力なしにはあり得ませんでした。都議選のカギを握っていたのは、公明党と言えるでしょう。
まさにこのエントリーで言及されていることが、データの上からも示されたと思います。都議選の結果で見えるものは公明党の時代か: 極東ブログ
公明党との選挙協力を維持できなかった自民党都連の執行部は、選挙戦術上の大きな失態を犯したと言えます。
また、公明党が凄まじいのは、その影響力が、東京都だけでなく日本全国津々浦々の地方議会にまで及んでいる事です。今後、本ブログでは、公明党の凄さをデータ解析によって解明していく特集エントリーを予定しています。