牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』
本屋で見かけてからずっと気になっていた牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(講談社)を昨晩から一気に読み上げました。
本書は国鉄が崩壊、消滅に向けて突き進んだ二十年余の歴史に再検証を試みたものである。昭和が平成に変わる直前の二十年余という歳月は、薩長の下級武士たちが決起、さまざまな歴史上の人物を巻き込んで徳川幕藩体制を崩壊に追い込んだあの「明治維新」にも似た昭和の時代の「国鉄維新」であったのかもしれない。少なくとも「分割・民営化」は、百年以上も続いた日本国有鉄道の「解体」であり、それはまた、敗戦そして占領から始まった「戦後」という時間と空間である「昭和」の解体をも意味していた。
この30年の間に、様々な立場の人々による回想録も多く出されましたが、その前史も含め、ここまで包括的に国鉄の解体を描き出した本は初めてでしょう。国鉄という経営体の中の暗闘も、政治家の思惑も生々しく描き出され、思わず引き込まれますが、やはり一番興味深いのは国労、動労といった労働組合の動き、というよりもむしろ、本書のはじめの2章で詳しく書き込まれている、国鉄の現場の労使関係のあり方です。
なまじ政治のレベルでは、中曽根元首相が明言しているように、総評、ひいては社会党を潰すための手段であったという「説明」が分かり易すぎるために、かつての国労や動労の運動路線は単純に「左派」と片付けられてしまいがちですが、しかしここに描き出されている現場の姿は、少なくとも欧米の労使関係の枠組みに慣れた者の目にはあまりにも「異様」です。
その出発点は「現場協議制」。ふつう、労働条件における労使対立を前提にした「団体交渉」に対し、業務運営における労使協力を前提に行われる「現場協議」が、駅長をはじめとする現場管理者を吊し上げる仕組みと化し、それを改善しようとして始められた生産性向上運動が不当労働行為として批判を浴びた結果、後の富塚三夫氏の言葉では「一部の職場では、当局も組合の中央指導部も、コントロールしがたい状況が生まれたのです」。
皮肉なことに、この現場協議制の導入は、公労委の「現場に発生する紛争は,なるべくその現場に近い労使のレベルにおいて迅遠かつ実清に即した解決をはかることが望ましいという労使関係の一般的な考え方は,国鉄の場合にもあてはまるとい べきである」という、それ自体としてはまことにもっともな勧告に基づいて導入されているのです。
今では、かつて国鉄の現場にそんな状態があったということ自体歴史になりつつありますが(だから本書が歴史書として出るわけですが)、しかしその姿は日本型雇用、日本型労使関係というものが、条件がいくつか異なればこういうものにもなりうるという警告でもあるように思います。
全てをトップで決めて下に従わせるのではなく、現場に権限を下ろし、現場でヒラの労働者も管理職と同様に創意工夫をこらして、現場レベルで自主的に仕事を進めていくから、日本型労使関係は強いのだ、日本型雇用が強靱なのだ、というのは、ある時期までの日本型雇用礼賛における定番の議論の筋道でしたが、その「現場の強さ」「現場力」が、経営体、事業体としての国鉄にとってかくも逆機能的に作用してしまったことの皮肉の意味は、実は今日に至るまで必ずしもきちんと総括されきっているわけではないように思います。
実は、本書では使われていませんが、国鉄改革が始動し始めた頃の1983年に出されたある本が興味深い視点を見せています。それは、占部都美・大村喜平『日本的労使関係の探求』(中央経済社)です。同書は実に奇妙な本で、第1部の「日本的労使関係の成立」は戦前から戦後の歴史をひもときながら、労使協議中心の労使関係を「先進性と近代性」を持っていることを強調しています。当時の労働研究の主流の議論で、素直に読んでいくと、第2部の「日本的労使関係の崩壊」で、当時の国鉄の現場の惨状がこれでもかこれでもかと描き出されていくのです。
日本的労使関係が素晴らしいというその代表選手のはずの現場レベルの労使協議制と、国鉄の現場をずたずたにしてしまった現場協議制は、一体何がどう違うのか、どこで歯車が狂ってこうなってしまったのか、同書は当時の国労や動労の使っている言葉に沿って、それを簡単に「階級闘争主義」と称していますが、そういうできあいの言葉で簡単に理解してしまってはいけない何かがあるように思います。
実は、日本型雇用の原点の一つには終戦直後の生産管理闘争があります。日本の労使関係を深くその本質まで突っ込んで考えるということは、実はそれほどキチンとされてきていないのではないか。というようなことまでいろいろ考えさせられました。
戦前から経営家族主義の伝統を持ち、民間企業に先駆けて工場委員会を設置するなど、日本型雇用のある意味で先進選手であった国鉄の労務史は、もっといろいろなことを検討すべきではないかと語りかけているように思われます。そういう感想を抱かせてくれた本書は、やはり名著と言えましょう。
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