「こんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない」「電話番をするために入社したんじゃない」「雑用をするために就職したんじゃない」
最近はこのように主張する若者や、こう言って辞めてしまう新入社員がいるのだという。こんな近頃の若者にどう対応したら良いのかわからないと嘆く先輩社員や上司もいる。
初めは私も、40~50代の先輩社員らと大体同じ意見を持っていた。
雑用をこなしてわかること・身につくことも多いだろうし、電話応対で得られるものはきっと大きいだろう。何事においても「基礎固め」はつまらないものだ。でも最初にしっかりと土台を作ることは大切であるし、それが後々力を発揮するのだ。
これらの経験は将来自分がやりたい仕事に就いたり、希望する部署で働くためにも欠かせないと考えていた(もちろん確かにそういう面はある)。
でも今は、「こんな仕事をするために」と言って辞める若者には一理も二理もある、むしろ真っ当な判断だと思うようになった。
一昔前までは、入社したら会社組織の一員として「何でもやります!」というのが一般的だった。会社の言いなりで、上から言われたことは何でもやるのが普通だった。これはメンバーシップ型の雇用をする日本企業のシステム上の問題でもあり、ある程度仕方のないことだった。
実際に、企業が何から何までやらせても、表向きには文句は出なかった。違法残業だってまかり通っていた。忌引以外で有給休暇が使えなくても、理不尽でおかしなことだらけでも、企業の権力には勝てなかった。年功序列と終身雇用という保障と引き換えに、社員は滅私奉公したのである。言わば御恩と奉公の関係である。それが当然だったのだ。
会社に文句はある、上司にも言いたいことはある。だが結局は会社に面倒を見てもらうしかない。最終的には反抗することも辞めることも無く、部下を引き連れてお酒を飲んでは愚痴をこぼす。そんなサラリーマンが多くいたことだろう。
だが今の世代は、おかしいものはおかしいと言い、嫌なものは嫌だと言う。それは「自分」というものをしっかりと持ち、企業優位でなく自らの人生や生き方を優先して考えている証拠でもある。
メンバーシップへの拒絶であり、時代錯誤の日本企業に突き付けた「NO」とも言えるかもしれない。もはや会社の庇護のもとに生きる我々ではない。会社と自分とは対等なのだ。会社や仕事が何よりも優先されるような「企業重視、個人軽視」の価値観は、既に崩壊している。
このように、「こんな仕事をするために、この会社に入ったんじゃない」という言葉は、日本人の骨の髄まで浸透している昭和的価値観を否定した、象徴的な言葉でもあるように思うのだ。
昭和的な価値観とは、多くの先輩社員や上司が今でも大事に持っている「会社第一」「滅私奉公」「仕事優先」などの当たり前の価値観のことを指している。私にとってこれらは、非常に会社に都合の良い、企業側の理論で構築された価値観であり一種の洗脳でもあるように思える。それが日本人にこれほど浸透し根付いている状況を異常に感じる。
だが今の若者の多くは、仕事を人生のすべてだとは思っていないだろう。仕事優先、滅私奉公なんてまっぴらごめんだ。自分がどう生きるか、納得できる生き方、好きな生き方(働き方)を模索しているのだ。組織の馬鹿馬鹿しさを馬鹿馬鹿しいと感じる感覚もしっかりと持ち合わせている。大勢に惑わされず、騙されることなく考えることができると思う。
また新卒から定年まで同じ会社で働き続けたい、それが素晴らしいことだと思っている若者も少ないと思う。今の時代、勤続年数と共に確実に向上するといえるスキルや知識が、どれほどあるだろうか。
一つの会社にずっと勤めたところで、会社独自の文化やルール、社内政治等、役に立たない「企業ガラパゴス」に詳しくなるだけだ。それらは会社から一歩外に出たら何の価値も無いものばかり。勤続年数がものを言う時代はとっくの昔に終わっているのだ。
これほど時代が変わり、価値観が変わり、多様性を極めた中で、職場の先輩たちは今もなお「俺たち(私たち)の若い頃は~」と話し出す。確かにあなたたちの時代はそうだったかもしれない。会社と仕事が何よりも大事で、苦しみの先にだけ幸せがあって、入社当時から頑張ってきたのだろう。
「それはそうでしょうね」「はいそうですか、よかったですね」。
でも、「だから?」「それで?」という話なのだ(いささか挑発的ではあるが)。呆れるほどに、彼らのマインドはその頃から全く変わっていない。今でも昭和的な価値観が全てであり、同じ価値観が通用するという幻想を抱いているのだ。
会社にとって新しい価値観を持った今の若者は、それはそれは使いにくくなったことだろう。今までは会社優先で働き、何でも言うことを聞いて、会社が決めた枠内で自己実現して喜んでくれていた社員が、おかしさに気づき、自分を大事にし、主体性を持つようになったのだから。
「こんなことをするために入社したんじゃない」と辞めていく若者を見て、「最近の若者は常識がない」「さすがゆとり世代」「本当に今の若者は…」なんて言って、いつまで呆れていられるだろうか。
現状を見て開いた口が塞がらないのは、私たち若者の方なのだ。