第2話 人生で一番最悪な日

 航空学生の操縦適正検査から数週間が過ぎ去り、晴花の心は悲しみと絶望で沈んでいた。晴花は自信満々で受けた操縦適正検査に、あろうことか落ちてしまったのだ。


 静まりかえった部屋にぽつぽつと雨音が聞こえてきたので、ベッドに寝転んでいた晴花は枕に埋めていた顔を上げた。篠突くような豪雨で、窓の外は灰色に濡れている。まさにバケツをひっくり返したような大雨だ。降り出した大量の雨は晴花の気持ちをさらに憂鬱にしていく。「いっけなーい! うっかりバケツをひっくり返しちゃったよ~! てへぺろ☆」と、空の上の神様はお茶目に反省していることだろう。


(どうしてなんだろう――)


 晴花はこれで何度目なのか忘れた言葉を心の中で呟いた。だが合点できる答えは浮かばない。教官のアドバイスをきちんと理解し、実行に移していったはず。合格する自信だってあった。それなのにどうして不合格の判子を押されたのかまるっきり分からない。不合格の電話連絡だけで「はい、そうですか」と納得できるほど、憧れと夢は簡単には諦められないのだから。


「晴花、あなたに電話よ」


 ノックされたドアの外から母親の栄子の声が届いた。


「……今は誰にも会いたくないの。出かけてるとか適当に言っといてよ」


地本ちほん篠田由貴しのだゆきさんって、いろいろと相談にのってくださった方でしょう? わざわざ電話をかけてきてくださったのに、居留守を使うなんて失礼じゃないの。ほら、早く下りてきて電話に出なさい」


 栄子の足音は遠ざかっていった。確かに栄子の言うとおりだ。いろいろと世話してくれたのだから、電話に出るのが礼儀だろう。亀のように起き上がった晴花は、のろのろと部屋を出て階段を下り、リビングに入って電話の受話器を耳に当てた。


「……桜木です」


『晴花さん? 覚えているかしら、東京地方協力本部の篠田由貴です。晴花さんの様子が気になって電話したの。いきなりごめんなさいね。迷惑じゃなかった?』


 「そんなことはないです」と晴花は適当に返事をする。電話口から聞こえた声は、沈んだ晴花の声とは対照的に明るかった。彼女の明るい声は晴花を苛立たせた。晴花に不合格の連絡を寄越したのは、何を隠そう彼女の担当広報官だった篠田由貴なのである。こちらは夢を絶たれて落ち込んでいるというのに、無神経にも程があるのではないだろうか。「迷惑ですよ!」と大声を出して受話器を叩きつけたい衝動を、晴花はギリギリのところで押し留めた。


「わたしになんの用ですか?」


『実は晴花さんにお話ししたいことがあるの。それで今から地本に来てほしいのだけれど――構わない?』


 晴花は迷った。憂鬱な気持ちだから、どこにも出かけたくないし、誰とも顔を合わせたくなかった。だがこんな豪雨の中、わざわざ地方協力本部まで来てほしいと頼むくらいだから、篠田由貴はよほど重要な話があるに違いない。「今から行きます」と言って電話を切り、一度部屋に戻って着替えた晴花は、栄子に出かけてくると伝えて家を出た。

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