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ドルフィンガール! 作者:蒼井マリル

第2章 若葉マークの広報官

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歓迎会だよ、全員集合!

 陸海空の自衛隊には「5分前の精神」というものが浸透している。例えば午後8時に飲み会が始まるとしよう。部下は上官や先輩より、5分前には飲み会が開かれる店に着いていないといけないのだ。安藤2佐から歓迎会があると聞かされた晴花も、言わずもがな5分前の精神を忠実に守り、矢本駅前の通りにある居酒屋「あおい」の店前にいた。

 晴花は道に迷わず無事に着いた。ただ問題が一つだけあった。晴花は予定時間より40分も早く来てしまったのである。道に迷うかもしれないと思い、晴花は気持ち早めに基地を出たのだが、思っていたよりも簡単に居酒屋に着いてしまったというわけだ。藍色の暖簾のれんをくぐった晴花は、引き戸を開けて店内に入った。

「いらっしゃい!」

 店に入った晴花に元気良く声をかけたのは、大和撫子を絵に描いたような着物姿の女性だった。緑の黒髪を結い上げて、煌びやかな蝶のかんざしで綺麗なお団子に纏めている。着物姿の女性はまじまじと晴花を見つめてきた。

「あなた、もしかして広報班の新人さん?」

「はい、桜木晴花と言います。どうしてご存じなんですか?」

「広報班に新人隊員が来るって安藤さんから聞いていたの。それに自衛官の人はみんな姿勢が綺麗でしょう? だからもしかして! って思ったのよ。みんながいる座敷に案内するわね」

 早く来ていたのは自分だけではなかったと知り、晴花は少しだけほっとした。女性に案内されて晴花は二階に上がり、淡い橙色の照明が灯る木製の廊下を歩く。晴花が歩く廊下の左側の壁には、F‐2とT‐4の写真と部隊ワッペンに、隊員たちのサイン色紙が貼られている。航空自衛隊の基地を置く市内には必ずといっていいほど、空自隊員たちが基地クラブの他に馴染みにしている、居酒屋が一つや二つはあると聞いた。ここ「あおい」も隊員たちが馴染みにしている居酒屋なのだろう。晴花を座敷の前まで案内した女性は廊下を引き返していった。

「失礼します!」

 先に到着を告げてから晴花は襖を開け放った。班長の安藤2佐や先輩の篠田1尉、もしくは広報班の誰かが待っていると晴花は思っていたのだが。

「――おう。ずいぶんと来るのが早いじゃないか」

 晴花を出迎えたのは安藤2佐でも篠田1尉でもなかった。襖を開けた晴花に声をかけたのは、上座にどっかりと胡座をかいて座る男性だった。

 黒色の半袖シャツと迷彩柄のズボンを穿いた男性は、服の上からでも分かるくらい筋肉が隆起している。男性ほどではないが、やはり筋肉で引き締まった身体をした男性たちが、テーブルの周りに座って晴花を見ていた。まるで極道の集会のような恐ろしい光景である。――どうやら自分は違う座敷に案内されたらしい。晴花は背筋を冷たい汗が滑っていくのを感じた。

「すっ、すみません! 座敷を間違えました――ふぎゃっ!」

 コンパスのように身体を回して逃げようとした時、晴花は座敷に入ってきた誰かの胸に強くぶつかってしまった。晴花は鼻を押さえながら目線を上げる。Vネックのシャツの上に黒色のパーカーを羽織り、銀色のウォレットチェーンを提げたダメージジーンズを穿く、黒髪で長身の青年が立っていた。

 年齢は20代後半に見える。長い睫毛に縁取られた切れ長の目に形の整った唇。真っ直ぐに伸びた鼻梁が高貴な印象を与えている。目鼻立ちは猛禽類のように鋭いが、かなり端正な顔立ちの美青年だった。

「おい青井! ずいぶんと遅かったじゃねぇか! ビール貰いにいくのにどれだけかかってるんだよ! 5分前の精神はどうしたんだ!」

 と座敷の一角から抗議の声が飛んできた。見やると青年の足下にはビール瓶が入ったケースが置かれている。「今持っていきますよ」と面倒そうに答えた青年は、腰を屈めて足下のケースを持ち上げると、進路を塞いでいる晴花を押し退けて座敷に入った。

「あっ、青井って――もしかしてあなたが青井七星1等空尉ですか!?」

 晴花は思わず声を張り上げていた。晴花の大声にビール瓶をテーブルに並べていた青年が振り返った。ロシアンブルーのような色の薄い目が晴花を見つめている。前髪から覗く切れ長の瞳は、まるで夜空に輝く星のように綺麗で、晴花は思わず見惚れてしまった。

「……そうだよ。何か文句あるのか」

「えっ? えっ? えええーーっ!? 青井七星さんって女の人じゃなかったんですか!?」

 途端に大爆笑の渦が座敷を包み込んだ。天地がひっくり返ったような衝撃が晴花の頭を殴りつけた。まさか、まさか、青井七星1等空尉が女性ではなく男性だったとは――! スタイルがよくて女神のように綺麗で頭脳明晰、そして聖母のように優しい女性。晴花が思い描いていた青井七星の姿が音を立てて崩れていった。青井七星1等空尉が晴花のほうに歩いてくる。――なんだかまずい雰囲気だ。獲物に飛びかかる蛇のように、長い腕が伸びてきたかと思うと、晴花は青井七星に頬を抓られていた。

「ひゃっ、ひゃにふるんふぇふふぁぁ~! (なっ、なにするんですか!)」

「今なんて言った? この口が! この口が! こーのーくーちーがー『女の子みたいな名前』って言ったのか!」

「ふぉんなふぉふぉひっふぇまふぇん! (そんなこと言ってません!)」

 「おいおいセクハラじゃねぇか!」「女の子をいじめるなよ!」「羨ましいぞこの野郎!」など、筋肉質の男たちは笑いながら野次を飛ばしてくるが、誰一人として晴花を助けようとしない。頬を抓る指の力はますます強くなる一方である。間違いない、青井七星は超がつくドSだ。このまま頬の肉を引き千切られてしまうかもしれない。ごめんなさいお母さん。晴花はお嫁にいけなくなるかもしれません。晴花が心の中で母親に詫びた時だった。

「私の部下をいじめないでもらえるかな?」

 柔らかい声が晴花の後ろから聞こえた。晴花の頬を抓る指の動きがぴたりと止まる。私服に着替えた安藤亨2等空佐と篠田由貴1等空尉、そして広報班の隊員たちが晴花の後ろに立っていた。晴花は七星の手を振り払い、篠田1尉の後ろに避難した。

「今夜は歓迎会に来てくれてありがとう。青井くん、ブルーのみんなはもう来ているのかい?」

 七星は安藤2佐に頷いてみせると、逃げるように座敷の奥のほうへ歩いて行った。ぎこちない態度だ。これは晴花の直感だが、七星は安藤2佐に対して強い苦手意識を抱いているように思えた。七星のことも気になるが、晴花はもう一つ気になることがあった。

「安藤2佐。ブルーのみんなということは――」

「第11飛行隊ブルーインパルスのパイロットの皆さんだよ」

「ブルーインパルスの皆さんは、わたしの歓迎会にわざわざ来てくれたんですか?」

 喜ぶ晴花に安藤2佐は首を捻って「うーん」と考え込んだ。

「どうだろうねぇ。おおかたタダ飯とタダ酒目当てで来たんじゃないかな」

 ――タダ飯とタダ酒目当てかいっ!

 安藤2佐の言葉に晴花は心の中でツッコんだ。例えるなら、赤の他人のバーベキューパーティーに、「こんにちは! 僕は君のお兄さんの、従兄弟の妹の旦那さんの弟だよ!」などと親しげに言い、知り合いを装って参加したということか。美味しい料理を食べられるなら自分も喜んで馳せ参じるが。でもなんだろう。思い描いていた姿とどんどんかけ離れていくような気がした。

 ややあってあおいの店員たちが座敷に料理を運んできた。刺身の舟盛り、すき焼き、お寿司の盛り合わせなど、豪華な宴会料理がてきぱきと卓上に並べられていく。料理を目にした男たちの目の色が変わった。――今夜の歓迎会、どうやら「台風」の如く大荒れになりそうだ。そして安藤2佐の乾杯の音頭で、晴花の歓迎会が始まった。
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