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ドルフィンガール! 作者:蒼井マリル

第1章 少女よ、大志を抱け!

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わたし、諦めたくないの!

「父さん、母さん。わたし、もう一度自衛官の採用試験を受けようと思うの」

 地方協力本部から帰ったその夜。晴花が両親に決意を告げた時、今まで和やかだったリビングの雰囲気は一変した。テーブルのカセットコンロに乗せられた、鉄鍋のすき焼きがぐつぐつと煮える音だけが聞こえている。小鉢に入れた卵の黄身を掻き混ぜていた栄子は、箸を動かしていた手を止めると晴花を見やった。硬い表情だ。晴花には栄子が無理をして平静を装っているように見えた。

「もう一度採用試験を受けたいって……どういうこと? 試験に落ちたらパイロットになるのは諦めるって、お母さんと約束したわよね?」

「母さんとした約束は覚えてる。わたしが受けようと思っているのは――」

「――駄目よ」

 晴花の言葉の続きは、ばっさりと一刀両断された。

「もう一度試験を受けたいだなんて、いったい何を考えているの? 自衛官はあなたが思っているよりも危険な職業なのよ? この前だって自衛官の人が、駅の階段から突き落とされた事件があったじゃない。私は晴花を危険な目に遭わせたくないの。お願いだから考え直してちょうだい」

 栄子が不安に思うのも当然だ。国防の任務に就く自衛隊は「日陰者」に近い存在。自衛官だと分かると過激な議論を吹っかけられたり、「人殺し!」や「税金泥棒!」などの罵声を浴びせられる。過去には自衛隊を嫌悪する集団が自衛官を襲撃する事件もあった。

 ゆえにトラブルを未然に防ぐため、制服で出勤することを控えたり、誰かに職業を訊かれても自衛官だと答えず、「会社員です」と嘘をつく隊員が数多くいるという。災害派遣などで自衛隊の印象はよくなってきているが、それでもまだ自衛隊や自衛官は世間に攻撃される対象なのだ。

「わたしが受けたいのは航空学生の試験じゃないの。約束したとおりパイロットになるのは諦める。でも、わたしは航空自衛隊の自衛官になりたい。自分に合った特技を見つけたい。夢を持ち続けていれば、いつかきっと別の形で叶うって、篠田さんが教えてくれたわ。だからわたしはもう一度頑張りたいの。次の試験に落ちたら諦めるから。お願い、母さん。わたしに最後のチャンスをください」

 立ち上がった晴花は栄子の目を真っ直ぐ見つめて言った。栄子の気持ちも願いも分かっている。浪人してもいいから大学入り、一流企業に就職して恋人と結婚し、子供を授かって安らかに老いていく。それが栄子が望む未来だ。でも晴花は夢を捨てきれなかった。それにここで諦めたら絶対に後悔する。しかし栄子は硬い表情のままだった。

「――許してやってもいいんじゃないか?」

 ここで初めて父親の和久かずひさが声を出した。新聞を畳んだ和久は呆気にとられた栄子を見やった。

「自衛官が危ない職業だということは分かっているよ。でも晴花はもう一度頑張りたいと言ってるんだ。子供の夢を応援するのが親じゃないか。人生は一度きりなんだから、やりたいことをやらせてあげてもいいだろう?」

 海の中に潜っているような沈黙が流れていく。晴花は栄子が口を開くのを黙って待ち続ける。長い時間が経ったあと栄子は根負けしたように溜息をついた。

「……分かったわ。あなたの好きなようにしなさい。あれだけ大言壮語を言ったんだから、あとで後悔しないように全力で頑張るのよ」

「母さん――」

 ようやく笑顔を見せた栄子は、今にも泣き出しそうな晴花の肩を叩くと、すき焼きの具材を小鉢に盛り始めた。晴花が食べたすき焼きは、ちょっぴり辛かったけれど格別に美味しかった。
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