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THE NEW GATE 作者:風波しのぎ

第十章『天下五剣と黒巫女の長』

37/53

【3】

 ダンジョンを出たシンたちがフジの祠の中に転移すると、待っていたのか座り込んでいた光世が駆け寄ってきた。

「早かったわね。何かあったの?」

 顔色の悪い宗近を見たからだろう、アクシデントがあったと考えたようだ。

「あったといえばあった。一応、安綱は回収できた」

 シンは歯切れ悪く答え、カード化させずにいた安綱を見せる。刀身や柄の状態は、瘴気が消えてもボロボロのままだ。

「なによ……これ……」

 安綱を見た光世が言葉を失う。

「俺たちが見つけたときは、もうこの状態だった。瘴気は浄化してあるが、意識の方がどうなってるかはわからない。カグツチなら、何かわからないか?」
「こっちよ!」

 シンの手を引っ張って光世が走り出す。その瞳からは、透明な雫が流れていた。
 ダンジョンへ転移した場所から結晶化したカグツチのある場所へ移動すると、足音を察知したのかユズハが走ってきた。その後ろには、ヒヨコカグツチと恒次もいる。

「カグツチ様、安綱が! 安綱が……」

 カグツチに詰め寄った光世が言葉に詰まる。ぽろぽろと涙を流す光世を見て、カグツチと恒次も表情が険しくなった。

「落ち着け光世。何があった?」
「説明は俺が。まずはこれを見て下さい」

 光世の後ろから移動したシンが、手に持つ安綱を見せる。

「なるほど、そういうことか」
「ぴぃ……」
「くぅ、ボロボロ」

 1人と2匹は、光世がどうして泣いているのかをすぐに察した。光世と恒次からすれば、安綱は数少ない同胞のようなもの。それがボロボロになっているのを見れば、取り乱しても仕方ない。

「俺には、この状態で安綱の意識がどうなっているのかわかりません。カグツチならわかるんじゃないかと思ったんですけど」
「ぴぃ!」
「よく見せてほしいそうだ。そうだな、そこの台の上においてくれ」

 恒次がカグツチの指示を通訳する。シンが安綱を台の上におくと、カグツチが小さな翼で刀身に触れた。

「ぴよ! ……ぴぃ」
「それはまことですか! いや、まだ希望があるだけましか」
「…………」

 数分の間黙り込んでいたカグツチが、大きく鳴いた。それを聞いた恒次から、安堵とも落胆とも取れる言葉が漏れる。光世は目を伏せたまま何も言わない。

「ユズハ、どうなんだ?」
「かなり、消耗してる。このままだと、意識、消える。でも、まだ、方法ある」

 危険な状態だとユズハは通訳する。しかし、その後に続いたのは、手遅れと言うにはまだ早いと取れる言葉だ。

「その方法って言うのは?」
「……もう1本。意識を移す器があれば、助けられるそうだ」

 ユズハに代わって、恒次が言った。武器に宿った意識は、移動させることが可能だという。

「もう1本? ああ、そういうこ――」
「お願い! あなたの持っている童子切安綱を譲って!」

 切り出すことを迷っていた様子の恒次に代わって、光世が叫んだ。
 その場で地面に手をつけ、頭を下げる。つまりは土下座だ。

「ちょ、何してんだ! 譲ってほしいって言われるのはわかってたって。この状況で譲らないなんて言わねぇよ!」

 突然土下座した光世の頭を上げさせながら、シンは言う。

「でも、古代(エンシェント)級の武器はもう手に入らないかもしれない貴重な品よ。鍛冶師であるあなたなら、どれほどの価値があるか、わからないはずがない。それを、譲ってくれるって言うの?」

 光世も古代(エンシェント)級の武器がどれほど貴重か理解している。侍なら、鍛冶師なら、決して手放すことはないだろうと思っているのだ。

「貴重だって言うのはわかってるよ。でも、現状ただコレクションしてるような状態だからな。それに、三日月宗近を強化できる俺を、そこらの鍛冶師と一緒にされちゃ困る。古代(エンシェント)級が必要になったら、新しいのを打つさ。こいつだって、俺が打ったんだぞ?」

 シンは腰に帯びていた刀を指して言う。鞘に収まっているのは、紛れもなく古代(エンシェント)級の一振り『無月』だ。

「できるんなら、すぐにやろう。一応確認してくれ」

 シンは安綱が置かれた台の上に、具現化した『童子切安綱』を置いた。ヒヨコカグツチが、すぐに翼を童子切安綱に触れさせて調べ始めた。

「ぴぃ……」

 数分かけて、念入りに調べていたヒヨコカグツチが、小さく鳴いて体を横に振る。その意味は、シンも光世たちの通訳なしで理解できた。

「そんな! なんで!?」
「ぴよ……」
「なんと……」

 ヒヨコカグツチがさらに何か言ったようで、光世と恒次がうつむいた。

「カグツチはなんて言ったんだ?」

 シンの出した童子切安綱が使えないことは、ヒヨコカグツチの仕草から誰でもわかる。しかし、その理由はわからない。

「シンの出した童子切安綱は、シンの魔力が浸透してて器としては使えないらしいの。宗近みたいに、本体は別にあって、一時的に意識を移すくらいなら大丈夫みたいだけど」
「なるほどな。つまり、必要なのはそういう余計なものが混じってない童子切安綱だと」
「ええ、そうよ。でも、そんなのどこにあるっていうのよ!!」

 光世が我慢できずに台を叩く。その強大な能力のせいで、叩かれた台は粉々に砕けた。砕けたのは台の一部だけで、安綱の乗っている部分は無事だ。安綱まで被害を出すほど、我を失ってはいないようだ。

「シン、どうにかならないの?」

 光世たちの様子に、ティエラが問うてくる。シンがそっちを向けば、シュニーたちもシンを見ていた。

「……1つ、手がないわけじゃない」
「え?」

 シンが言った言葉を聞いて、光世が呆けたように声を漏らした。真剣な表情をしているシンに、その場にいる全員の視線が集まる。
 そして、シンははっきりと告げた。

「もう1本、童子切安綱を打つんだ」
「できるのか? そんなことが」

 シンの発言に、恒次が驚きつつも懐疑的な視線を向けてくる。それだけ、古代(エンシェント)級は作成が難しく、貴重なのだ。

「正直に言って、できるかはわからない。童子切安綱はイベントアイテムで、作成レシピがないんだ。だから、一から試行錯誤することになる。他の古代(エンシェント)級のレシピがあるから、それを参考にすれば多少はましになるだろうし。なにより、俺の魔力を帯びてるってことをのぞけば、現物がある。これを分析すれば、近いものはすぐに作れるはずだ」

 事実、シンが安綱を手放すまでに、その構造をある程度読み取れたのだ。
 打ち合っただけで安綱の耐久値がわかったように、スキルの力というだけでは説明がつかないようなことは今までもあった。これはいったい何なのかという思いも少なからずあったが、今は気にしても仕方がないと、シンは深く考えることはしない。

「初めてやるから、どのくらい時間がかかるかはわからない。とりあえず、分析と試作に数日くれ」
「私たちじゃシンの手伝いはできそうにないし、アイディアを考えながら待機かしら」
「うむ、武器は門外漢なれど、何が役に立つかはわからんからな」

 シンはさっそく、月の祠を具現化して鍛冶場にこもることにした。フィルマたちは、役に立ちそうなことを考えつつ、恒次や光世とともに山頂付近の防衛に努めることになった。
 シュニーはフィルマたちとは別で、ティエラの特訓である。

「では、ティエラはレベルアップした身体能力をより把握するところからはじめましょう。スキルも検証しておいたほうがいいですね」
「え……いえ、あの、し、師匠の手をわずらわせなくても、そのくらい1人で――」

 そう言いながら、ティエラはゆっくりとシュニーから後ずさる。じわりと浮かんでくる汗は、ティエラの内心を如実に表していた。

「何を言っているのですか。いろいろと確認しなくてはいけないこともあるのですよ。さあ、まずは組み手からです」
「ひぅっ! 師匠待って! 待ってくださいぃぃぃ!!」

 エコーを残して連れて行かれるティエラに、シンたちは心の中で合掌した。


「さて、じゃあさっそくはじめるか」

 鍛冶場に来たシンは、さっそく安綱の分析から始めることにした。
 まずは安綱の柄や鍔をはずし、刀身のみの状態にする。次いで、手のひらほどの長さの小さな金槌で、軽く刀身を叩いた。キィーンという金属音が、鍛冶場に木霊する。ハウリングして耳に届く音を聞いて、シンは次の作業に移っていく。
 アイテムボックスから各種インゴットを取り出し、順番に童子切安綱を近づけていく。すると、いくつかの金属に近づけた際に、インゴットが発光した。

「耐久値回復がないから予想はしてたけど、やっぱりヒヒイロカネの割合が少ないな」

 発光の度合いから含まれる金属の種類と量をおおよそ割り出し、最後に両手の上に童子切安綱を乗せ、目を閉じる。
 これら一連の動作は、ゲーム時と同じレシピ入手方法である。武器のレシピ入手方法はいくつかあり、レシピを買うかもしくは譲ってもらう、ダンジョンで宝箱から見つける、武器を解析して自力で見つけるなどが主な方法だ。
 不思議なもので、目を閉じたシンの脳裏には、童子切安綱の素材や構造がうっすらと脳裏に浮かんでくる。ゲームなら目の前にレシピが出現するのだが、多少違いがあるようだった。

「虫食いがひどいな。いや、古代(エンシェント)級でいきなり6割わかれば、むしろ良い方か」

 武器を解析しても、完全なレシピは手に入らない。虫食い状態のレシピを、試行錯誤して埋めていくのだ。延々と同じ作業をこなす根気と、素材の割合を探すために貴重な金属やアイテムを使い捨てる資金力を必要とする作業である。

「――オリハルコン――6割……いや、6割2分? ――アダマンティンは……2割――いや3――……で数値を変えて……」

 ぶつぶつとつぶやきながら、シンはインゴットを炉に放り込んだ。使うのは月の祠の生成機で生成されたものだ。アイテムボックスに入っていたインゴットは、シンの魔力が浸透してしまっているため使用できない。
 シンはレシピをなぞりつつ、不明瞭な部分を勘と経験で埋めていった。
 作業を始めて2時間、ようやく完成の1歩手前、最終段階に入る。
 シンはアイテムボックスから『界の雫』を具現化させた。透明でありながら七色の輝きを放つ鉱石が、シンの手の中に現れる。

「やっぱり、太刀や刀タイプはコーティング処理か」

 古代(エンシェント)級を作成する際に、必須となるアイテムが『界の雫』だ。これをどのように処理するかで、武器自体のステータスが変化する。外にコーティングすれば物理重視、芯や核として使えば魔術重視、素材とともに溶かして使えばバランス重視という具合だ。
 シンの『真月』やシュニーの『蒼月』がバランス重視。フィルマの『紅月』やシュバイドの『凪月』は物理重視である。
 シンは手に持った界の雫を、特殊な液体に投下する。すると、界の雫が液体に溶け、液体自体が虹色の輝きを放ちだした。

「……問題なさそうだな」

 そう言って、シンは完成した刀身を液体に浸す。すると、輝きが刀身に吸い込まれるように変化し、液体が元の透明なものに戻った。
 輝きが収まったのを確認し、シンは刀身を液体から抜いて布で拭く。その行為が研ぎであったかのように、液体の拭われた刀身は、光を跳ね返して鈍く輝いた。
 試作第1号の完成である。

「……だめだな」

 しかし、完成した刀身を見て、シンはため息を吐く。シンの言葉を裏付けるように、鑑定で出た名前は『童子切安綱・鈍』である。
 ある程度レシピを踏襲しているので、童子切安綱だとは認識されているようだ。ただ、後につく『鈍』の文字がすべてを否定している。

「まあ、最初はこんなもんか。――――ん? 開いてるぞ!」

 タイミングよく聞こえてきたノックの音。居住区と鍛冶場を隔てている扉に鍵はかけていなかったので、シンが声を上げるとゆっくりと扉が開かれた。
 入ってきたのは、光世だ。

「……安綱に何かあったのか?」
「そうじゃないの。大丈夫よ。カグツチもだいたいひと月くらいは維持できるって言ってたから」

 その言葉に、シンは安堵した。早く作業に取り掛かったほうがいいと考えて、どのくらい猶予があるか確認していなかったのだ。

「そうか。じゃあ何か用か?」
「うん。邪魔しちゃ悪いとは思ったんだけど……その、作業は進んでるの?」
「一応、全体の6割ってところだ。大まかなところはわかったから、後は微調整だな。まあ、それが一番時間がかかるわけだが」

 どの金属をどれだけ使用しているのか。それを探るのが最も困難なのだ。作業工程については、大まかな部分は同系統の武器なら共通項が多い。なので、金属の配合率を探るのに比べればかなり早くわかる。

「時間内にきっちり仕上げてみせる。だから、もう少し時間をくれ」

 実際は、本当にこの世界で武器の再現ができるのかはわからない。しかし、それでもシンは言い切った。光世を安心させるためと、わずかではあるが、自身のプライドのために。

「……うん、もう疑ったりしないわ。じゃあ私もう行くから」

 そう言って、光世は鍛冶場の扉に手をかける。その表情には、出会った当初の胡乱げな視線はない。
 鍛冶場を出て扉を閉める間際、光世は小さく振り返ると。

「が……がんばって」

 消え入りそうな声でそう告げて、扉を閉めた。
 シンは視線を試作1号に向けていたので、気づいていないと思ったのかもしれない。しかし、とくに騒がしいわけでもない鍛冶場である。光世がこっそりと告げた激励の言葉は、しっかりとシンの耳に届いていた。

「……気合入れるか」

 やる気が出てきたと、シンは試作1号を炉にくべて鋳潰す。
 月の祠に設置された特別製の炉は、試作品とはいえ古代(エンシェント)級の太刀を溶かし、素材ごとのインゴットへと変えた。使用した量の3分の1も回収できないが、それでもしないよりはましだ。アイテムボックスや月の祠の倉庫にまだ大量の在庫があるとはいえ、再び手に入る目処はない。
 試作には大量の素材を使うのだ。節約節約と、シンは再び太刀を打つためにインゴットを手に取った。
 童子切安綱の再現に成功したのは、取り組み始めて2週間後のことだった。

「で……できた」

 試行に試行を重ね、ついにシンが満足のいく一振りが完成した。カグツチに確認は取っていないが、シンの勘が完璧だと太鼓判を押す。
 ただ、刃物をもってにやりと笑う姿は、精神的に追い詰められているようにも見えた。

「あの、大丈夫ですか……?」
「はっはっは、眠くて死にそうだ……」

 タイミングよく様子を見に来たシュニーが声をかける。すると、薄ら笑いを浮かべていた状態から一変して、ふらふらと上半身が揺れ始めた。
 シンの目元にはくっきりと隈が浮かび、明らかに無理をしていたのがわかる。

「とりあえず、これをカグツチに見せてくれ。たぶん、いけるはずだ」
「わかりました。わかりましたから、早く休んでください!」

 童子切安綱を受け取ったシュニーが、見ていられないと声を上げた。それが切っ掛けになったのか、童子切安綱が完成して緊張の糸が切れたのか、シンの意識が眠りに落ちる。

「もう、シンは無理をしすぎですよ……」

 シンにシュニーのつぶやきが聞こえたかは、定かではない。
 とっさに受け止めたシュニーの胸元に顔をうずめながら、シンは気持ち良さそうに寝息を立てていたからだ。寝食を忘れて打ちこんでいたので、眠りに落ちた今、全く起きる気配がない。

「……おやすみなさい」

 笑みを浮かべながら、シュニーは少しの間、愛おしげにシンを抱きしめ続けていた。


 ◆


「ん……?」

 日の光を感じて、シンは目を覚ます。体を起こすと、月の祠の自室にいることがわかった。
 体を起こすと、視界の隅に銀色の何かが見える。

「シュニーか……え、なんで?」

 ベッドにもたれかかる姿勢で眠っているシュニーを見て、シンの意識が一気に覚醒する。寝る前の記憶は少し曖昧だ。童子切安綱を完成させたところまでは覚えていたが、その先がよく思い出せない。何かやわらかいものに埋もれたような気がするだけだ。
 さらに数分唸って、どうにかシュニーに童子切安綱を渡したところまで思い出す。

「どうだったんだ?」

 気になるのは、童子切安綱が器として使えるかどうかだ。シンの感覚では完璧だと思ったが、カグツチに見てもらって、太鼓判を押されるまでは安心できない。
 仕方がないので、シュニーを起こして聞くことにした。

「シュニー、起きてくれ。シュニー」
「んぅ……ぅ? ――ッ!?」

 シンが名前を呼びながら肩をゆすると、シュニーが目覚める。一瞬寝ぼけたように声を漏らし、シンが起きていることを確認すると、ばねでも仕掛けていたかのように飛び起きた。

「あ、あの……か、体は大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ。だから落ち着いてくれ。俺はどのくらい眠ってたんだ?」

 鍛冶場に長時間こもっていると、昼夜の感覚が薄れてくる。シンも、童子切安綱を打っていたときが朝なのか、昼なのか、夜なのかわかっていなかった。

「ええとですね。昨日の朝方からずっと眠っていたので、ちょうど丸一日です。それと、シンが打った童子切安綱は、器として問題ないとカグツチが言っていましたよ。もう意識を移す作業に入っているはずです」
「そうか……はぁ~きつかったぜ!」

 シンは大きく息を吐きながら、ベッドに背中から倒れこむ。
 シュニーが聞きたいことを言ってくれたおかげで、シンは肩の荷が下りた気分だった。今の自分では、あの一振り以上の出来は期待できないとわかっていたからだ。
 限界まで鍛冶に打ち込んだことで、鍛冶スキルでまだ自分のものにできていない部分があることをシンは理解していた。

「ちょうど朝食の時間です。シンも食べますか?」
「そりゃありがたい。実はめちゃくちゃ腹が減ってるんだ」

 腹に手をやりながら、シンはうなずく。
 鍛冶場にいるときは気にならなかった空腹感が、今になって大攻勢をかけてきたのだ。腹がなるのも時間の問題だった。
 シンとシュニーがリビングに移動すると、光世がテーブルに皿を並べていた。シンと目が合うと、なぜか視線をそらす。

「あーっと……おはよう、でいいんだよな?」
「あってるわ――――おはよう」

 そっけなく挨拶して、光世はキッチンのほうへと歩いていってしまう。シンの頭上にはクエスチョンマークが乱舞していた。

「なんか、今までと雰囲気ちがくないか?」
「そうですね。私たちには、とくに態度を変えてはいなかったと思いますが」

 シュニーも心当たりはないようで、首をかしげていた。

「あ、シン! もう起きて大丈夫なの?」

 光世と入れ替わるように、ティエラがリビングに姿を現す。手に持った皿には、ベーコンや目玉焼きがのっていた。

「もう大丈夫だ。シュバイドたちの姿が見えないけど――」
「それなら、カグツチちゃんと一緒に意識を移す作業を見てるわ。光世ちゃんは準備を手伝ってくれてるの。向こうも、そろそろ終わるはずよ」

 リビングを見渡してシュバイドやフィルマの姿がないことに気づいたシンに、ティエラが答えた。ユズハの姿がないのも、そちらの作業に付き添っているからだとティエラは続ける。

「そうか。準備を任せて悪いが、俺もそっちに行っていいか?」
「光世ちゃんがいれば十分よ」
「では、私が案内しましょう」

 笑顔で送り出してくれたティエラを背に、シンはシュニーの案内でフジの祠に向かう。
 祠内のいくつかある分岐を経由して辿り着いたのは、10畳ほどの部屋だ。部屋の中心にはシンたちが回収したものと、シンが打ったもの、2本の童子切安綱が台の上におかれている。
 台の上には童子切安綱の他に、ヒヨコカグツチとユズハの姿も見えた。台を囲むようにして、フィルマ、シュバイド、宗近、恒次が作業の様子を見守っている。

「ぴよーーーーーーっ!!」

 作業はすでに終盤だったようだ。ヒヨコカグツチが大きく鳴くと、ボロボロの方の童子切安綱からうっすらとした光が宙に浮かぶ。光の抜けた童子切安綱は、時間を早回ししたように劣化して黒茶色の塊に変化した。
 抜け出た光はゆっくりと宙を漂いながら移動し、シンが打ったほうの童子切安綱に吸い込まれていく。

「ぴぃ~よぉ~……」

 光が完全に童子切安綱へ吸い込まれると、疲れ果てた様子でヒヨコカグツチがごろんと台の上を転がった。丸っこい体をしているので前後に揺れている。

「くぅ、がんばった」

 そんなヒヨコカグツチを労いながら、ユズハがその身を支えて揺れないようにする。シンが見た限りではあまり仲がよかったように見えなかった2匹だが、何か通じ合うものでもあったようだ。

「して、成功なのか?」
「ぴぃ……」

 恒次の質問にヒヨコカグツチが答えたとき、タイミングよく童子切安綱に変化があった。新品の童子切安綱がひとりでに宙に浮き、光に包まれる。光が晴れると、そこには具足を身に着けた黒髪の青年が立っていた。腰には、童子切安綱が吊るされている。
 優男風の風貌だが、背筋を伸ばして立つ姿勢からは武芸を嗜む者としての凛とした雰囲気が感じられた。

「安綱!」
「……ん? 宗近に恒次か。ここは……む、そちらの御仁たちは誰だ? 2人とも、カグツチ殿はどうなった?」

 宗近の呼びかけに反応して、青年安綱が目を開けた。意識ははっきりしているようで、宗近と恒次を確認した後、シンたちに鋭い視線を向けてくる。
 カグツチの心配をしたあたりで、瘴気に飲み込まれる前の記憶も残っているようだと、シンは推測した。

「落ち着け、安綱。この方たちはお前の救出に尽力してくれた恩人だ」

 宗近が安綱をなだめながら、シンたちが安綱を回収するためにダンジョンに挑んだことや、安綱を助けるために古代級の太刀の再現に挑んでくれたことなど、事情を掻い摘んで説明した。

「なんと!? 知らなかったとはいえ、恩人になんと無礼なまねを。誠に申し訳ない!」

 事情を聞いた安綱が、勢いよく頭を下げた。真面目な性格なのか、角度90度の最敬礼である。

「シン殿、シュニー殿、フィルマ殿、シュバイド殿、神獣の方々。この度は我が身と友の為、力を貸していただき感謝いたします。もしも我が力を必要としたときは、なんなりとお申し付け下され」

 頭を上げ、安綱はそう口にした。
 ちょうどそのとき、部屋にティエラと光世が入ってくる。

「成功したのね。よかったわ」
「……まったく、心配かけるんじゃないわよ」

 今まで見かけなかった人物がいるのを見て、ティエラは安綱の意識を移す作業が成功したと判断した。その隣では、光世が不機嫌そうな顔で憎まれ口を叩く。

「すまない、光世。某はもう大丈夫だ。そちらはティエラ殿ですね。此度のこと、改めて礼を言わせていただく」
「いえ、無事で何よりです」

 安綱は笑顔で2人に声をかける。シンたちの名前は伝えてあったので、消去法で光世の隣にいるのがティエラだとわかったようだ。

「ところで宗近、国綱の姿が見えないが」
「あいつはここにはいない。覚えているかはわからんが、お前と同じで瘴気に飲まれた。これから救出に向かう予定だ」
「……そうか。あのときに」

 宗近が言ったことを覚えているようで、安綱は物悲しそうに言った。

「某にも、何かできることはないか?」
「そう急くな。主はまだ新たな体に移ったばかり、まだ違和感もあろう。まずは自身の体を掌握することから始めるべきじゃろうて」

 手伝いを申し出る安綱を、恒次が諭す。意識を移したばかりでは、すぐに元通りの動きができるとは言えない。馴染ませる必要があるのだと、ヒヨコカグツチの言葉を伝えた。

「む、確かにまだ体に違和感がある。このままついていったところで足手まといか」
「問題ないわ。次は私が行くもの」

 気落ちする安綱に、光世が宣言した。

「何を言う。強化をしたのは我が分身、三日月宗近だ。次も私が行くに決まっているだろうが」
「宗近は瘴気に侵食されてた安綱に触ったせいで、調子が悪いじゃない。私の大典太光世も強化できることはわかってるんだから、私が行くわよ」

 光世がシンに強化の事を尋ねたのは、瘴気による影響を考えてのことだった。瘴気が武器を侵食することは知っていたので、宗近に何あったときのためにシンたちに無理についていかずに待機していたのだ。

「ぐ、そこをついてくるか」
「それならわしも――――」
「恒次は少し黙っててくれ()!」
「……冗談の通じんやつらじゃ」

 自分もと名乗りを上げた恒次は、2人の剣幕に押されて冷や汗をかいていた。2人から距離をとりながら「おお怖い怖い」と小声でつぶやいている。

「あー……カグツチも疲れてるみたいだし。とりあえず飯にしないか?」

 シンの提案に、一同の目がヒヨコカグツチに集中する。さすがに放っておくわけにも行かないので、話は朝食の後ということになった。
 光世と宗近の雰囲気に、ティエラが若干気圧されていたが。

「それで、どっちになったんだ?」

 食後、話し合いが終わったということで2人がシンたちのもとへやってきていた。といっても、悔しげな宗近と笑顔の光世を見れば、結論がどうなったのかはすぐにわかることだ。

「私が行くわ。図々しくて悪いけど、大典太の強化を頼みたいの」

 表情を真剣なものにして、光世は頭を下げた。
 瘴気による不調が多少残っているが、三日月宗近・真打に意識を移せば本体よりも戦闘力の高い宗近。フジ最高戦力の恒次は健在。さらに安綱が復活したことで、フジの守りは光世が抜けられるだけの余裕があった。

「わかった。宗近でだいたいの感覚は掴んでる。少し待っててくれ」

 シンも大典太を強化することに否はない。すぐに鍛冶場に向かい、大典太に強化を施した。
 真打となった大典太に光世が意識を移す。光が大典太を覆い、人型になった光世は、元の姿より少しだけ成長した姿になった。
 髪型はポニーテールに変わり、幼さの残る少女から大人の女性へと成長する一歩手前で踏み留まったような容姿だ。ふるまい方次第で、見る者の印象は大きく変わるだろう。

「な、なんで……」

 しかし、光世が期待していたほどの成長ではなかったようで、本人は胸に手を当てて複雑な表情を浮かべていた。シンの耳には「大きくなってるけど……大きくなってるけどぉ……」と言う言葉が聞こえてくる。
 体の成長に引きずられたのか、具足も少し大きくなり、デザインも一新されていた。
 宗近の具足が戦国武将が身に着けているような実用性重視だとすれば、光世は秋葉原などで見かけるコスプレに近い見た目重視のデザインだ。
 上半身はしっかりと守っているものの、下半身はスカートに近い形状をしており、足は脚甲ですねやひざを守っているのみである。足袋もハイソックス並みに長く、絶対領域がまぶしい。

「誤解がないように言っておく。その容姿と具足のデザインは俺が決めたんじゃないからな」
「ぅぅ、わかってるわよ! 能力は間違いなく上がってるし、感謝してるわよ! ありがとうございましたぁ!」

 若干やけっぱちな光世の礼に、シンは苦笑する。移動の準備をしているシュニーたちに合流するため、光世をなだめつつ鍛冶場を出て月の祠の外へ移動した。

「ふむ、無事終わったようじゃのう」
「なるほど、宗近と同じように、光世も変化したか」

 すでに準備は終わっていたようで、成長した光世の姿を見た恒次と安綱がそれぞれ思ったことを口にした。

「光世にしてみれば、少し期待外れといったところかの。しかしまあ、ずいぶんと具足の形が変わっておるな」
「気にしていた幼さはなくなっているようだし、恒次殿が言うほどではないと思うが。うむ、具足は愉快なことになっているな」
「私だって、こんなに足がスースーするような格好になるとは思ってなかったわよ!」

 身内の視線が自らの足に向かっていることに気づいた光世が、布を伸ばしてどうにか見える範囲を狭めようとする。
 顔のほてりは、間違いなく恥ずかしさからきていた。

「だがそれはそれでよかったではないか。宗近のような成熟した女の色気はなくとも、その格好ならシン殿の目を引くこともぉっとおお!!」

 恒次の言葉が終わる前に、光世の抜いた大典太が振り抜かれた。

「恒次、いきなり何を言っているのかしら?」
「冗談じゃよ。以前のおぬしならともかく、その容姿なら、シン殿も子どもとは思うまいて」
「……ごめんなさい、安綱。ここの守りは宗近と2人で頑張って」
「うお!? み、光世、落ち着くのだ!! すまぬ、シン殿。なだめるのを手伝っていただけまいか!」

 するりと斬撃をかわした恒次の軽口に、光世の顔から表情が消えていた。慌てて近くにいたシンに安綱が助けを求める。
 本気ではないだろうと思ったシンだが、光世の目が冗談を言っているようには見えなかったので、慌てて後ろから抱きついて動きを封じた。

「待て待て待て待て! 守りの要を斬ろうとするな!」
「く、放してシン! 恒次(こいつ)を斬れないわ!」
「斬っちゃダメだろ!!」
「言っていいことと悪いことが――ってどこ触ってるのよ!?」
「うおっ!?」

 落ち着かせようとしていたシンの顔面に、光世の後頭部が迫る。

「い、いくら具足を身につけてるからって、女の胸に手をやるんじゃないわよ!」

 慌てて距離を取ったシンに、光世が胸元を隠すように腕を交差させながら叫んだ。シンからすると、そんな意図は微塵もない。そもそも具足の上から触ったとして、何がわかるのかと言いたいくらいだった。

「何をやっているのですか?」
「俺が聞きたいくらいだ……」

 呆れたように言うシュニーに、シンはそう答えるしかなかった。
 そんな騒動もどうにか終息し、一行はヒヨコカグツチ、宗近、恒次、安綱に見送られてフジを下山する。
 森を抜けて馬車の走れるだけの広さのある街道に出ると、シンはさっそくアイテムカードから馬車を具現化した。そして、光世の探知能力を頼りに、まずは北へと進路をとる。
 安綱はフジのダンジョンという近場にあった。しかし、光世や宗近の話では、国綱の方はそうもいかないようだった。

「少し、涼しくなってきたわね」
「そうだな。夜はむしろ寒いといっていいくらいだ」

 北へ北へと進むうち、だんだんと気温が下がっていくのをティエラは感じていた。フジの祠は、山頂に近いにもかかわらず、さほど寒くなった。だからだろう、ティエラと同じく、シンも寒くなってきたと感じていた。

「東北とか、北海道に近い感じか」
「とーほく? ほっかど? 何を言ってるの?」

 シンのつぶやきが聞こえたようで、外の光景を眺めていた光世が問うてきた。同じように、ティエラもシンへと視線を向けてくる。

「俺が前にいた島国の言葉だよ。北に行くほど寒く、南にいくほど暖かくなる。ヒノモトに似た国だな」

 どの辺りにあるのかと聞かれても困るので、シンはかなり大雑把に日本の説明をした。場所はよく覚えていないと誤魔化す。

「たしかに、ヒノモトは北は寒くて南に行くほど暖かくなるって聞いたことがあるわね。私の場合、知ってるだけで実際に見たことはないけど」

 カグツチに聞いた知識が大半だと、光世は言う。地に縛られている都合上、各地を渡り歩くというようなことはできないからだ。

「シンの言う、雪っていうのを少し見てみたいわ。そういえば、師匠の偽名がユキだけど、関係してるの?」

 ふと気がついたように、ティエラが言う。

「シュニーはもともと雪を表す言葉が元になってるんだよ。俺は詳しい読み方を知らないけど、シュニーだったりシュネーだったりするらしい」

 シンはサポートキャラクターについてティエラに詳しく説明していないので、あくまでシュニーから聞いたことという体で話す。
 答えるシンの視界の先では、手綱を握るシュニーの耳がときおりぴくっ、ぴくっと動いていた。馬車の中なので、2人の話し声は当然シュニーにも聞こえている。
 そして、シュニーの反応を見たシンの胸中で、わずかばかりの悪戯心が生まれた。

「師匠が氷の魔術をよく使うのは、そのせいなのかしら?」
「一番最初に鍛えたのが、氷に関係する水術と、あとは雷術だからな。ライザーの方も、雷を表す言葉からきてるって話だ。俺が言うのもなんだけど、きれいな名前だろ? あの髪と瞳の色によくあってると思うんだよ」

 ティエラに答えながら、シンはちらりとシュニーに目を向ける。シュニーの耳の動きは止まっていたが、代わりに耳の先端まで真っ赤になっていた。

「そうね。そんな風に名前にも意味があるって、素敵だと思うわ」

 シンに顔を向けているせいでシュニーの変化に気づかないティエラは、シンが若干にやけているのに疑問を持ちつつも同意した。

「むぅ」
「へぇ」

 そんなシンの様子を見て、それぞれ違った反応を見せる武器が一振り、魔人が1人。
 シンの視線の先に何があるかを察して、不満げにシンへと鋭い視線を向けるのは、『大典太光世・真打』に意識を移した光世だ。その表情には、面白くないと如実に表れている。
 そんな光世と対照的なのが、面白くてたまらないという表情のフィルマだった。シュニーの隣に座っているフィルマは、シンの意図をしっかり理解しているようで、シンだけに見えるように右手でグッとサムズアップしてくる。
 そんなシンたちをシュバイドがやれやれと言いたげな表情で眺め、ユズハは喧騒に耳を向けつつシンの膝の上で丸くなっていた。


 ◆


「さ、寒い……」
「これ羽織っとけ」

 体を震わせるティエラに、シンは新たに取り出した上着を着させる。その隣では、カゲロウがティエラに寄り添って温めようとしていた。
 目に見えて景色が変わり始めたのは、移動を始めて3日目のことだ。
 カゲロウの無尽蔵の体力によって、自動車もかくやという速度で馬車は走った。そのおかげで、かなりの距離を移動したのだ。
 光世によると、フジから国綱までの距離はすでに半分を切っているという。
 北上を続けたことで、ちらほらと雪がちらつき始めたのは2日前。今となっては、進む先一面に銀世界が広がっている。

「馬車をソリ仕様にする必要があるとはな」
「雪深い場所にあるようですね」

 御者台に乗ったシンとシュニーは、それぞれ厚手の外套に身を包みながら会話をしていた。2人が着ているのは、もこもことした上着に厚手のズボン。さらに、手袋に寒冷地仕様のブーツと、外套と合わせて完全装備だった。
 いくらシンたち自身に寒さに対する耐性があり、行動に支障がなかろうと、寒いものは寒い。シュニーは平気そうだったが、見ている方が寒いと満場一致で着替えることになった。気候の変化に合わせて、わざわざ冷気耐性のあるアイテムを出すのもどうかということもあったし、見た目的に不自然というのもある。
 人とすれ違わないわけではないので、雪の中を防寒対策もせずに馬車を走らせるというのは、見ている側からすればおかしく映る。露出の多いフィルマの鎧などはとくにそうだ。
 馬車内も、再度行われた改造で温度は外よりも高いが、材料の都合で肌寒さを感じる温度だ。なので、ティエラやフィルマたちも、暖かい服装へ変更していた。
 変装用に質の落ちる全身鎧を身に着けたシュバイドは、外套を羽織っただけである。武器である光世は何もなくていいと言ったが、シンたちに押し切られ服装チェンジと外套を羽織ることを強制された。着物と外套が完全にミスマッチである。

「お、スノーファングの群れが……逃げたな」

 シンの感知範囲に現れた白い狼型モンスター『スノーファング』が、カゲロウの気配におびえて逃げていく。今までの道中もすべて同じ結果で、シンたちは全く戦うことなく一直線に目的地に向けて進むことができていた。
 雪に覆われたせいで地面が見えないが、カゲロウは問題なしと走り続けている。

「光世、方向はこっちで間違いないか?」
「ええ、このまままっすぐよ。どうかしたの?」
「森の中を進まなきゃならないみたいだ。皆一旦降りてくれ」

 森の手前で馬車を止め、シンたちは歩いて進む。
 深い雪のせいでゆっくりと進むシンたちを森の中から、雪の中から、モンスターが見つめていた。敵わないことは理解しているようで、シンたちを少し眺めて去っていく。
 そんな中、シンたちにつかず離れずついてくる反応があった。

「囲まれてるな」
「はい。包囲した状態を維持していますね。野盗の類にしては、気配の消し方や動きがよすぎます」

 歩みを止めずに、シンとシュニーは追跡者の数を確認する。フィルマやシュバイド、光世は自然体のまま、いつでも武器を抜けるように意識していた。

「この辺には、村はないって話じゃなかった?」

 他人の視線に敏感なティエラも、自分たちに向けられる視線には気づいている。息を乱さないように話しながら、握った弓の感触を確かめていた。

「目的地付近に、何かあるのか。それともただの盗賊か。その辺は行ってみてのお楽しみって感じだな。このまま進めば、そのうち反応があるだろ」

 楽観的なシンに促され、シュニーたちは道なき道を進む。
 15分ほど包囲された状態が続き、さらに山深くに進もうとしたところでシンの足元に1本の矢が突き刺さった。

「これ以上はだめらしい」
「ふん、盗賊なら切り捨てるだけよ」
「まあ、とりあえず話だけでも聞こう。1人近づいてくる」

 血気盛んな光世をなだめ、シンは近づいてくる気配のほうへ視線を向けた。
 木々と雪の間から姿を現したのは黒襦袢に緋袴という、どこかで見た服装の、まだ少女といっていい外見の女性だった。襦袢の上には、さらに一枚、羽織を身に着けている。
 整った顔立ちに、頭部にちょこんと乗っている獣耳。首の後ろで一まとめにされた薄茶色の髪と同じ色のそれは、本人の緊張をあらわしているのかぴんとたっていた。

「清明の羽織か。陰陽師はこっちじゃ初めて見た」
「やはり、ただの迷い人ではないようね」

 シンの独り言が聞こえていたようで、黒い巫女の衣装を着た少女の口からは、警戒心のにじんだ言葉が紡がれる。

 ――――竜胆(りんどう)鈴音(すずね)      Lv.210  陰陽師

 シンの分析(アナライズ)が相手の情報を提示する。レベルの高さから、包囲している者たちの中で一番の手練なのだろうとシンは予想した。

「俺たちはこの先にある、とある太刀に用があるんだ。あなたたちと敵対する気はない。先に行かせてくれないか?」
「太刀? っ!? まさか、あれを狙ってる? なら、ただで帰すわけには行かないわね」

 シンの言葉に何を連想したのか、鈴音は懐から呪符を取り出して臨戦態勢をとる。
 鈴音の反応に、シンたちは厄介ごとの気配を感じた。

「いきなり攻撃態勢とは穏やかじゃないな」
「鬼丸を狙う者が現れることは予想してたわ。でも、私たちがいる以上、好きにはさせない!」

 シンたちをよそにヒートアップしていく鈴音。鬼丸とはっきり口にしたことで、鈴音と関わるのは回避できそうにないとシンは悟る。
 包囲も狭まってきているので、仕方ないとシンは鈴音に語りかけた。

「あんた、もしかして黒巫女神社のメンバーか?」
「白々しい。この衣装を見て、それ以外に何がある!」

 鈴音の口調から、黒巫女神社の服装と名前はそれなりに広まっているようだとシンは予想する。ならばと、シンは問いかけた。

「確認だよ。違ったら困るからな。じゃあついでにもう1つ。梔子(くちなし)さんはまだいるか?」
「っ!? なぜ、その名前を知っているの?」

 鈴音の顔が驚きと警戒で険しさを増す。
 シンの口にした梔子という名前は、ゲーム時代の黒巫女神社のギルドマスターの名前だ。デスゲーム時に死亡した人物の1人で、シンはもしかしたらという思いで問いかけたのだ。鈴音の反応を見れば、少なくとも関わりがないというわけではないのがわかる。

「とりあえず、これ以上は進まない。その代わり……そうだな、デミエデンの主が配下を連れて来た、と伝えてくれ」

 そう言って、シンは武器に添えていた手を放し、敵意がないことを示す。さすがに武器をしまったりはしないが。

「……いいわ。菖蒲、聞いていたわね? 行きなさい!」
「よろしいのですか?」
「構わないわ。私の権限で許可します」

 鈴音の命令で、包囲していた者たちの中の1人が、シンたちの向かいたい方向へと走り去っていく。

「行かせていいの?」
「俺の知ってる梔子さんなら、手荒な真似はしないはずだ。ひとまず休憩しよう」
「……あなたがそう言うなら、いいけど」

 今は待つだけと、楽な体勢を取るシンに、光世は緊張して損したとため息をつく。

「では、体を冷やさないようにお茶を入れましょう」

 シュニーがそう言ってポットとティーカップをアイテムボックスから取り出す。鈴音がそれを見て驚いていたが、シュニーは気にせず土術で即席の釜を作り、火を起こしてお湯を沸かし始めた。
 シンが椅子とテーブルを出し、適当にくつろぎはじめる。ティエラだけが、まだ少し警戒していた。

「なんなのよ、あんたたち……」

 武器を向けられているにもかかわらず、お茶の準備をしだしたシンたちを見て、鈴音がわけがわからないという顔をする。

「戦う気はないって言ったろ? お前たちも飲むか? この寒さじゃ冷えるだろ」
「飲むわけないでしょ!」

 馬鹿にされていると思ったのか、鈴音が威嚇するように吼えた。
 そして、待つこと30分ほど。菖蒲と呼ばれた女性が戻ってくる。

「……ほんとに? わかった。ありがとう」

 シンたちに聞こえないように情報を伝えた菖蒲に、鈴音が礼を言って下がらせる。

「梔子様が会うそうよ。ついてらっしゃい」

 納得していないと顔に出したまま、鈴音はシンたちに背を向けて走り出す。

「案内してくれるみたいだし、行こう」
「梔子様も、こちらに来ているのでしょうか?」
「あの感じだと、たぶんな。梔子さんはシュニーと同じハイエルフだ。こっちにきたのが100年前とかでも、生きていて不思議じゃない」

 そんな会話をしながら、シンたちは鈴音についていく。森の中を移動するのは慣れているようで、シンたちが走りやすい道を進んでいるのがわかる。
 鈴音の後ろについて森を抜けると、そこには今までの景色とは一変した光景が広がっていた。

「なに、これ……」
「ギルドハウスがそのまま残ってるみたいだな」

 目の前の光景に唖然とするティエラに、シンが冷静に答える。
 ティエラが驚いたのはただ一点。鳥居を基点に、見えない壁があるかのように向こう側とこちら側で景色に違いがあったことだ。鳥居の向こう側は雪の1欠片も積もっておらず、春の陽気といった風情である。
 シンたちの視線の先には、畑や田んぼといった生産設備や、鍛冶場と思われる建物などが見て取れた。シンたちのいる場所が地上より少し高い位置であることが幸いして、奥の方に神社の本殿や拝殿が見える。
 黒巫女神社の拠点は残っているようだった。

「光世、国綱の方向は?」
「このまままっすぐよ。あの大きな建物のさらに向こうね」

 光世が神社の本殿を指しながら言う。通り道の上に偶々あっただけか? と一瞬シンは考えたが、それだけではないだろうと考えを改める。
 少なくとも、鈴音が何か知っているのは間違いないのだ。

「鳥居が入り口なのは、変わっていないようだな」
「服装も相変わらずだったしね」

 ギルドハウスを見たシュバイドとフィルマが、何とはなしに言った。シュニーも含めて、シンのサポートキャラクターはゲーム時代の黒巫女神社のギルドハウスを知っているのだ。

「くぅ、神社、いい」

 領域に神社が建っていたユズハは、どことなく嬉しそうにしている。
 鈴音に続いて鳥居をくぐると、寒さが一気に和らいた。雪国仕様の服装では暑いくらいだったので、シンたちは羽織っているものや厚手の上着を脱いで軽装になる。

「この中で梔子様が待っているわ。くれぐれも粗相のないように」

 鈴音が案内したのは、シンの予想通り神社の拝殿だった。拝殿といっても、それは見た目だけで中はほとんど別物だ。ギルドハウスである以上、外敵へのトラップや倉庫など、さまざまな施設が内包されている。
 自分たちに向けられた視線を感じながら、シンはちゃっかり拝殿内をマッピングしていた。
 いくつもの角を曲がり、迷路のような道を歩いて辿り着いたのは、ギルドハウスの最奥、ギルドマスターの部屋だった。
 鈴音が警護役の巫女に話をすると、巫女は数秒黙り、次いで扉を開けた。
 部屋の中は、和の雰囲気を感じる小物が置かれ、静寂に満たされていた。シンたちの足音や衣擦れの音がやけに大きく響く。
 そして、部屋の主は小さな机の前で書類と格闘していた。

「いらっしゃい。シン君を騙った偽者かと思ったけど、本物みたいね。見慣れない子が2人いるけど、他のサポートキャラの子たちも元気そうでよかったわ」

 書類仕事を切り上げて部屋の主たる女性、元プレイヤーにして黒巫女神社ギルドマスター・梔子はそう言った。腰ほどまである長い赤髪が、梔子が立ち上がった際にさらりと流れる。アンダーフレームの眼鏡の奥、黒曜石のような夜色の瞳でまっすぐにシンを見つめてきた。
 そんな梔子を見て、シンはもともとの肌の白さを考えても、少し顔色が悪いように感じた。

 ――――梔子 Lv.255 祓巫女

 分析(アナライズ)で表示される情報は、シンの記憶にあるものと同じだ。

「お久しぶりです。また会うことになるとは思っていませんでしたよ。少し痩せましたか?」
「そこは以前よりきれいになりましたね、と言うところよ」

 シンの言葉にわずかに眉を上げて、梔子は注意してくる。気づかれるとは思わなかった、という表情だ。

「それにしても、俺が言うのもなんですが、入れてくれてよかったんですか? あなたの知ってる俺は、けっこう危ない状態だったと思いますけど」
「そうねぇ。確かに最後に見た君はそうだった。でも、その根底にあったのは憎しみだけじゃないって、分かってたし」

 変わる前と後を見て、そう判断したと梔子は言う。

「そもそも、ギルドハウスの中で私をどうにかできるとしたら、シュニーちゃんくらいの能力がないとね。今の世界じゃ、そんな人がパーティに何人もいるなんてありえないと言っていいわ。すぐに有名になっちゃうし。それとまあ、あとは女の勘ね」

 人差し指を立てながら、梔子は小さく笑う。
 ギルドハウス内ではギルドマスターの能力が強化される。シンが本物とわかったのも、強化された分析(アナライズ)によって名前やレベルを読み取ったからだ。
 万全な状態のギルドハウス内でギルドマスターに正面から挑むのは、かなりのステータス差がなければ難しい。

「それで、太刀を探しているって聞いてるけど?」
「はい、もしかすると梔子さんも知ってるかもしれませんね。案内してくれた子は、何か知ってるみたいでしたし」

 梔子とは多少交流があり、人となりは知っていたのでシンは天下五剣がこの近くにあるとかいつまんで話す。

「なるほど、そっちの子の名前を見たときにまさかとは思ったけど。そういうことなら、私から情報提供しましょう。早い話、どこにあるかはわかっているのよ。でも、前にいろいろ失敗してしまったの。どうしようかと思ってたんだけど、君が来てくれたならどうにかなりそうね」
「そっちは任せてください。そういえば、さっき案内してくれた子も鬼丸のことを知っていたみたいですけど」

 シンは梔子の話を聞いて、鈴音が鬼丸の名を口にしていたことを思い出した。シンたちに強い敵意を向けてきたことから、何か因縁があるのではないかと考える。

「鈴音のことね。いいわ、それについても一緒に説明するから、ちょっと聞いてくれるかしら」

 梔子はシンたちに座るように言って、飲み物を持ってくるように外にいた巫女に言付ける。
 お茶と茶菓子を持ってきた巫女が退出してから、梔子は話し始めた。

「まず、天下五剣の1本、鬼丸国綱が確認されたのは今から5年ほど前。ギルドハウスの近くに出現した『骸の礫界(れきかい)』というダンジョンの最深部よ。このダンジョンは人数制限があるタイプで、1度に4人までしか同時に潜れないの」

 ゲーム時代も、人数制限や武器制限など、特定の条件下でしか挑戦できないダンジョンは存在した。
 鬼丸のあるダンジョンもそのタイプらしく、黒巫女神社のメンバーが攻略のために潜ったという。潜った当時は、鬼丸の存在は知らなかったと梔子は語った。

「シン君は選定者という言葉を知っているかしら?」
「はい、転生ボーナスを持ってるやつらのことですよね? ステータスは人によるみたいですけど」
「そう、そのとき潜ったメンバーは、全員が選定者。とくに戦巫女の琴音ちゃんって子は、STRとDEXが700を超えていたはずよ。戦力は申し分なかったはずなんだけど」

 しかし、生きて戻ったのは4人のうち1人だけ。
 生き残りによると、犠牲を出しつつも鬼丸を持っていたボスは倒したのだが、黒い靄のようなものがボスの死体からあふれ出て、鬼丸と琴音を飲み込んでしまったという。

「そのあと、メンバーを再選出してボス部屋を確認したんだけど、鬼丸を持った琴音ちゃんが部屋の中でたたずんでいたそうよ。どうも、ボス部屋の主としてダンジョンに取り込まれてるみたいなの。話しかけようとしたら、切りかかってきたそうよ」

 調査に向かったメンバーには何かあったらすぐに逃げるように言ってあったようで、すぐに撤退したそうだ。
 倒せば正気に戻るのかもしれないが、琴音の能力はそのままに、鬼丸の性能も合わさって太刀打ちできるメンバーがいないと梔子は言う。梔子自身も上級プレイヤーといって遜色ないが、装備の性能が違いすぎて挑むに挑めないようだ。
 また、琴音と同じことが梔子に起こらないともいえないので、ギルドマスターが挑むこと自体に否定的な声もあるという。

「挑ませてほしいって子はいるんだけど、能力的に大丈夫そうな子は3人しかいないの。シン君を案内してきた鈴音ちゃんは、その中でも一番の使い手よ。鈴音ちゃんは琴音ちゃんの妹だから、助けるために必死に腕を磨いていたの」
「なるほど、俺たちを包囲していた中で、あの子だけが過剰に反応してたのはそのせいですか」

 鬼丸を解放するためには琴音を倒さなければならない。事情を知らないシンたちが挑めば、ただのモンスターとして処理してしまう可能性もある。
 その危機感があの態度となって現れたのだろうと、シンは思った。

「これが私からあげられる情報よ。それで、シン君には頼みたいことがあるのだけど」
「鬼丸の回収と、可能なら琴音さんの救出、ですよね?」
「ええ、それと、鈴音ちゃんを連れていってあげてほしいの。ステータスはここでは1、2を争うくらい高いし、禍払いが使えるから救出にも役立つはずよ」

 陰陽師なので、式神を使った索敵から戦闘まで幅広く対応できる。少なくとも、ダンジョンのモンスター相手なら後れは取らないと梔子は太鼓判を押した。

「できれば4人とも、連れで固めたいんですけど」

 シンはもちろんのこと、万能タイプのシュニー、天下五剣の光世、そして安綱の瘴気を浄化したティエラ。このメンバーで行きたいと考えていたのだ。

「天下五剣は、武器枠だと思っていたのだけど」
「……どうなんですかね。そこは俺もよくわからないです。もし光世が4人のうちにカウントされないなら、連れていってもいいと思います。フィクションの世界なら、こういうときって家族の声で正気に戻ることがあるじゃないですか。自分の今の状況を考えると、ああいうのって馬鹿にできない気がするんですよね」

 ゲームそっくりの世界に来てしまう、などという体験をしているシンだ。何が起こるかわからない。だからこそ、そんな奇跡もあるかもしれない。梔子と会話していたシンは、そう考えた。

「なら、先に鈴音ちゃんが同行できるか確認しましょう。可能なら、その後連携の打ち合わせね」

 梔子が扉の外に声をかけ、シンたちをダンジョンに案内するように言う。
 案内役の巫女の先導で、シンたちが入った鳥居とは真逆の位置にある鳥居から外に出た。案内人としてきたのは、菖蒲と呼ばれていた巫女だった。
 確認に時間をかけるのもどうかということで、走って移動を始める。ダンジョンに着いたのは、その15分後だった。
 森の中に、廃墟と見紛う砦が現れる。瘴気の影響を封じるためか、周囲の木を注連縄でつなぎ、さらに御札が張ってある。

「あの砦に入って正面の道を行くと、ダンジョンの入口があります」

 詳しい場所を菖蒲に聞いて、シンたちはダンジョンの入口に近づいた。光世以外の4人ということで、梔子との会話で上げたメンバーにシュバイドを加えて1度中に入る。

「……問題なさそうだな?」
「うむ、やはり光世殿は1人としてカウントされぬようだ」

 シンの確認に、シュバイドが周囲を見ながら答える。
 メンバーは光世を加えて5人。しかし、ダンジョンの判定としては4人と1本だったようだ。

「これで連れて行くことが確定か。さて、なにがでるかな」

 ダンジョンから外へと向かいながらシンがつぶやく。
 『骸の礫界(れきかい)』の入口は、そんなシンたちを誘うように、口を開き続けていた。
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