渋谷の相席居酒屋に行ったことがある。去年、飲み友達のM井さんと二人で行ったことがある。でもそれっきりだった。ぼくは大いに楽しんだが、結果的には双方1万円の出費と疲労が残っただけだった。
出会いの場に男女平等はない
男女平等!男女平等!と声高に叫ぶ平成29年。だが出会いの場に平等などはない。あるのは男性がお金を払い女性は無料という現実だけだ。この逆はあり得ない。ビジネスとして成り立たない。出会いの場は未だに昭和の影を曳いている。なんということでしょうか。やれ家事を手伝え、やれ子育てを手伝え、やれやれやれ。ぼく何かは無職だから家事や子育てなどお手のものだけど、それにプラスアルファして仕事までしたら、死んでしまうでしょうね。過労死一直線に。男が金を稼いで女が奢られる図式には困ったものだ。女は自分の有利な立場によって女になったり男になったりする。女は女優だと昔からの言い伝えもある。
考え方を変えればいい
自分を人間だと思うからいけない。なら自分を働きアリだと思えばいい。女王蟻に仕える蟻だと思えばいい。死ぬまで働いて子孫を残してもらうという心を持てばいい。そう思って始めて女の求める男女平等が実現されるのだろう。男は男らしく女は女らしく。これが今は逆さまになる。空間の逆転。男も女もない。即ち、右だと思って曲がったのに左に曲がってしまい、左だと思って曲がったら右に、となる。北に歩いていたつもりが南に方角を変える。今まで自分が信仰してきた現象を改めてみる。改め過ぎるとぼくのようにわけのわからんことを口走るようになるから注意してほしい。
猫にも平等はない
散歩をしていると猫がいた。ぼくは、やあ、と手を挙げてみる。二匹の猫はぼくに興味を示してはいるが、一定の距離を保ち、近づこうとはしない。人間界でいうところの無視である。彼らは(オス猫かメス猫か知らんが)ぼくのことをどう思っているのだろうか。好きなのか嫌いなのか、それともどっちでもないのか。ぼくはこれについて考えながら歩いていた。すると突然に閃いた。平等不平等は猫社会にもあるのだろうか。という疑問が。帰って調べてみると、当たり前だが、猫社会にも上下関係はあった。ボス猫は去勢されてないオス猫がなると書いてある。なるほど。
上の写真(アイキャッチ画像)の猫は女に写真を撮られて立ち止まっている。女は猫の写真を撮ることに夢中だ。角度からすると猫の視線の先には女のパンツが見えているはずである。しかしズボンの可能性もある。ああ、けしからん。こういう去勢されてない男(ME)がいるから、相席居酒屋で女が無料で飲み食いしているのではないか。変態は去勢すべきではないか。ぼくの中の怒りにも似た性欲が今、爆発しそうである。