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二人で歩む未来
松島基地航空祭は大歓声に包まれて閉幕した。来場者たちが帰って行くと熱気は波のように引いていき、あれだけ混雑していたエプロンはがらんどうになった。デブリーフィングを終えた揚羽は格納庫の前に立ち、展示飛行の任務を終えた愛機を感慨深い眼差しで眺めていた。
「……わたしと一緒に飛んでくれてありがとう。今日は最高の展示飛行だったよ」
6番機の機首にそっと触れた揚羽は呟いた。キャノピーに反射した陽光が涙のように見えて、なんとも言えない感情が胸に込み上げてきた。機体番号725の6番機は、揚羽が第11飛行隊に着隊してから、今までずっと一緒に空を飛んできた。晴れ上がった群青の空。橙色に燃えた夕焼け空。幾千の星が煌めく夜空。北海道から沖縄まで日本全国の空を一緒に飛んだ、いわば家族のような存在だ。そんなかけがえのない相棒との別れの日は近づいている。新しく入ってきたTRパイロットを一人前に育てたら、揚羽はラストアクロを飛んで第11飛行隊を去るのだ。そろそろ隊舎に戻ろうと動きかけた時、揚羽は後ろから静かに声をかけられる。振り向いた先にいたのは颯だった。
「展示飛行、お疲れ様でした」
「俺がうまく飛べたのは揚羽とみんなのお陰だよ。本当にありがとう」
互いに労いの言葉をかけたあと、揚羽はエプロンに連れ出された。
「揚羽に渡したい物があるんだ」
と前置きした颯はポケットから掌サイズの小さな箱を取り出した。藍色の箱を受け取った揚羽に颯は「開けてみて」と目で促す。箱を開けた揚羽は目を瞬かせて瞠目する。上下に配した二頭のイルカの中央に、ダイヤモンドを嵌め込んだデザインの、銀色の指輪が台座に挟まっていたのだ。驚きで見開いた両目を元の形に戻せないまま、揚羽は颯を見つめた。
「颯さん、これは――」
颯は大きく深呼吸すると、真摯な表情になって揚羽を見つめ返した。
「俺は見てのとおり飛行機馬鹿で不器用な男だ。この先も揚羽を不安にさせたり恐怖で泣かせたりすると思う。でも揚羽を想う気持ちは誰にも負けないし、揚羽と生まれてくる子供を絶対に幸せにしてみせる。何があっても最大多数の幸福を信じて必ず生きて帰ってくる。俺は大好きな揚羽と一緒に、幸せな未来を作っていきたいんだ。だから俺と結婚してほしい、俺の花嫁になってくれないか?」
颯に結婚を申し込まれたその瞬間、居心地のいい陽だまりを見つけた鳥のように、揚羽の心は溢れんばかりの幸福感でいっぱいになった。まるで心に虹と星と太陽がいっぺんに現れたような気分だ。喜びはあとからあとから心の底から溢れ出し、歓喜の涙となって揚羽の眦と頬を濡らす。しゃくりあげながら揚羽は何度も頷いた。颯は箱の台座から指輪を外すと揚羽の左手を取った。シンデレラが履いた硝子の靴のように、銀色の指輪は揚羽の指にぴったりと嵌まる。指輪が放つ輝きは太陽や星の光よりも尊くて美しかった。
「せーのっ!」
「うわっ!?」
後ろからかけ声が聞こえたその瞬間、いきなり颯が驚きの声を上げた。見やると颯は全身ずぶ濡れの状態になっているではないか。空は快晴、雨が降りそうな気配はない。訳が分からないまま視線を動かすと、笑いながらホースを握った北浦2佐と真白1尉たちに、三舟1曹や花菜たち整備小隊の整備員など、パイロットとグランドクルーの全員が集合していた。ホースを握っているのは北浦2佐だから、彼が颯に水を浴びせたに違いない。全身から水を滴らせた颯は茫然自失としていたが、なんとか我に返ると暴挙に走った北浦2佐を睨みつけた。
「ノースさん! いきなり水をかけるなんて、いったい何を考えて――」
ホースの先端から放たれた二回目の砲撃が颯の顔面に直撃する。また水を浴びせられた颯は言葉も出ない様子だ。
「これは俺に敬語を使ったペナルティーで、さっきのは隊長の苦労を洗い流す水かけだ」
咳払いをした北浦2佐が颯を見やる。まるで子供の晴れ姿を喜ぶ親のような面持ちだった。
「俺たちはな、隊長がいつスワローテールにプロポーズするのか、首を長くして待っていたんだぞ! 無事にプロポーズも成功したことだし、みんなで結婚の前祝いといこうじゃないか! それっ! 隊長を胴上げだ!」
北浦2佐の号令で駆け出した真白1尉たちは、さながらお菓子に群がる蟻の如く颯の周りに集まると、「結婚おめでとう!」と祝福しながら、彼の身体を持ち上げて宙に放り投げた。204のイーグルドライバー、そしてブルーインパルスの1番機パイロットとして空を飛んできた颯が、目を白黒させる様子があまりにも面白くて、気づけば揚羽は鈴を転がしたような笑い声を奏でていた。揚羽に続くように北浦2佐たちも笑い出す。いつしか重なり合った笑い声は、風に乗って羽のように舞い上がり、青く高く広がる空に吸い込まれていった。

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