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不死鳥の如く舞い上がれ
夜が明けると真っ青な波を重ねた海のような群青色が空に広がっていく。格納庫前のエプロンでは、整備小隊が朝礼を終えてアウトハンガーに取りかかっていた。格納庫から引き出されたT‐4がエプロンに並べられる。飛行機の各所を叩いたり、コクピットに乗り込んで舵を動かしたり、パネルを開けて覗き込んだりしながら、整備員たちは手際よく飛行前点検を進めていく。颯は飛行前点検を見守るように立っていて、その姿から展示飛行という任務への強い意気込みが感じられた。
午前8時に基地の門が開放されると、早朝から開門を待っていた人たちが、まるで潮のように基地の中に押し寄せてきた。松島基地を訪れたのは応募で当選した1万人。30万人以上が訪れたという入間基地航空祭と比べるとかなり少ないが、揚羽たちに来場者の数なんて関係ない。来てくれた人たちに感謝して全力で空を飛び、航空自衛隊という組織をより多くの人たちに知ってもらう。それが揚羽たちブルーインパルスに与えられた任務。そして人々に対する感謝の気持ちが、航空自衛隊へのさらなる理解に繋がっていくのだ。
午前9時に松島基地航空祭は開幕した。まず最初に松島救難隊のU‐125AとUH‐60Jが空を飛び、続いて第21飛行隊の二機のF‐2B、最後にブルーインパルスが三機のT‐4で飛び、オープニングフライトを盛り上げる。F‐2Bの機動飛行。ベル412EPの空中消火展示。B‐747、U‐125A、千歳基地のF‐15Jによる異機種編隊飛行。ボンバル300の航過飛行で午前の展示飛行は修了した。垂直尾翼に桜の花とフェニックスのシルエットを描き、黒塗りにしたドロップタンクに、歴代運用機種のF‐2B・T‐2・T‐4・T‐33の平面形を描いた、F‐2Bの地上展示にも観客たちは目を奪われていた。
オープニングフライトとサイン会を終えた揚羽たちは、隊舎二階のブリーフィングルームでプリブリーフィングを開いていた。気象隊の報告によると、天気は崩れず快晴が続くらしいので、午後の展示飛行は第1区分で進めることになった。
飛行隊長の颯と飛行班長の北浦2佐を中心にブリーフィングは進められる。デルタ・ループとデルタ・ロールの代わりにフェニックス・ループとフェニックス・ロールを実施。ローリング・コンバット・ピッチを終えた四機は上空で待機する。5・6番機のコーク・スクリューのあとにジョインナップして、フェニックス・ローパスで、殉職者の冥福を祈るミッシングマン・フォーメーションを行い、展示飛行を終了することに決まった。ブリーフィングの最後は恒例のスティック操作とスモーク合わせだ。揚羽たちはミーティングテーブルに右手を乗せた。
「復唱よろしくお願いします」
「ちょっとちょっと! なんなんですかその言い方は! 気合いが入らないじゃないですか!」
復唱を頼んだ颯に苦情を言ってきたのは真白1尉だ。思わぬ物言いに颯はきょとんと目を丸くしていた。ただ普通に復唱を頼んだだけなのに、いきなり苦情を叩きつけられて驚いているのだろう。
「そんな気の抜けるような言い方はやめてください。ゲイルさん、あなたは誰もが認めるブルーの隊長なんですから、ここはビシッとカッコよく決めて、僕たちに気合いを入れてくださいよ」
真白1尉の言葉に北浦2佐たちは、「そうだ!」「そのとおりだ!」と揃って唱和する。颯は困ったように揚羽に視線を向けてきた。しかし揚羽も真白1尉たちと同じ思いだった。颯はもうTRパイロットではない。第11飛行隊の全員が一目置くブルーインパルスの飛行隊長だ。だからここはひとつ飛行隊長としての威厳を見せて、揚羽たちに気合いを入れてほしい。揚羽が颯に頷いてみせると彼は苦笑した。そして颯は表情を引き締めると、テーブルに右手を乗せて開口した。
「復唱よろしく!」
先程とはまるで違う力強い口調に胸が高鳴る。揚羽たちの頷きを見た颯は大きく息を吸い込んだ。
「ワン、スモーク! スモーク、ボントン・ロール! ワン、スモーク! ボントン・ロール! スモーク、ナウ! (スモークをオン! スモークをオフ! ボントン・ロールの隊形に開け! スモークをオン! ボントン・ロール用意! スモークをオフ! ロールせよ!)」
颯に続いてボントン・ロールのコールを復唱した揚羽たちは、「ナウ!」に合わせて一斉に右手を倒した。脳裡に思い描いたT‐4が同時に右ロールした瞬間、今までに感じたことがない昂ぶりが、稲妻のように肉体と精神を駆け抜けた。確かに昂ぶりを感じるのに、だが不思議と気持ちは落ち着いている。情熱と冷静の境界線に立っているような感じとでも言うべきか。ボントン・ロールのスティック操作とスモーク合わせを、阿吽の呼吸で終えた揚羽たちは視線を交わして頷き合い、ブリーフィングルームをあとにした。
★
颯を先頭にブリーフィングルームを出た揚羽たちが、エプロンに着くと同時に万雷の拍手喝采が鳴り響いた。観客たちの熱い声援に背中を押されながらエプロンの端に整列。揚羽のステップカウントで颯たちはウォークダウンでT‐4が駐機されている場所に歩く。T‐4の前で待っていた整備員と敬礼を交わし、梯子にかけられてある救命胴衣や耐Gスーツなどの装備一式を身に着ける。コクピットに乗り込んだ揚羽たちはベルトをきつく締め、メタリックブルーのヘルメットと酸素マスクを装着して、コクピットの点検を終わらせた。
エンジンスタートの準備完了。垂直尾翼のストロボライトを点滅させた揚羽たちは、正面に立つ整備員とハンドシグナルで連携をとりつつ、エンジンをスタートして各種点検を行った。鳴り響くエンジン音が揚羽たちの胸を熱くさせる。エレベータ・エルロン・ラダーの三舵面をリズミカルに動かし、操縦系統が正常に動くか確認。通信機材、航法装置、飛行計器やエンジン装置もすべて正常だ。整備員に敬礼してキャノピーを閉め、着陸灯を点灯させた揚羽たちは、観客たちに手を振りながらT‐4をタキシングさせ、滑走路の端で最終点検とスモークチェックを終わらせた。
轟然とエンジンを響かせながら、滑走路を駆け抜けて迫力満点に離陸した揚羽たちは、抜けるような純色の青に澄みきった空を全力で飛んだ。イルカが仲良く泳いでるような二機のロール。四機同時の背面飛行。ロケットのような垂直上昇。大空に輝く巨大な星。六条のスモークが描く雄大なループ。気持ちを一つにしたブルーインパルスのアクロバット飛行は、地上にいる観客たちの胸を熱くさせて感動の渦に包み込む。ローリング・コンバット・ピッチとコーク・スクリューを終えた、1番機編隊と5番機編隊は空中集合して、颯のコールでフェニックス隊形を組んだ。
『ワン、スモークオン! フェニックス・ローパス、レッツゴー!』
力強い颯のコールで揚羽たちは操縦桿のトリガーを弾く。さながら尾羽のようにスモークを曳いた六機のT‐4は、観客たちの頭上を飛んでいき、最後に編隊から離脱した1番機がスモークを切って、殉職した仲間の冥福を祈るように、青天高く真っ直ぐに上昇していった。
そして揚羽たちの誰もが、上昇していく1番機に鬼熊2佐の姿を重ねていた。たとえ肉体が朽ち果てようとも、鬼熊2佐の思いは消えることなく、これからもブルーインパルスに受け継がれていくだろう。青空を昇っていく1番機を追いかけながら揚羽は凜と敬礼をする。いつの間にか眦から零れた一筋の涙が、揚羽の頬を滑っていった。

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