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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第8章 虹の架け橋

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新しいフライトリーダー

 ブルーインパルスは空自の花形部隊と言われているが、創設から現在に至るまで、数多くの墜落事故を起こしている。鬼熊2佐が墜落した事故を引き金に、ブルーインパルスの存在自体が危険視され、取り返しのつかない事態が起こる前に、部隊を解体するべきではないかと声が上がり始めた。流星と斎藤空将補の尽力によって部隊解体の危機は免れたが、ブルーインパルスが活動再開をするにあたって、航空幕僚監部から一つの条件が提示された。提示されたその条件とは、新しい飛行隊長を迅速に見つけて着任させるという内容だった。

 しかしそんな簡単に飛行隊長が見つかるのだろうか。揚羽たちは一様に危惧の念を抱いたが、しばらくして幸運なことに、新しい飛行隊長が決まったと北浦2佐から聞かされた。なんでも3等空佐に昇任したばかりの彼は、1番機パイロットに必要なマスリーダーの資格を取得してまだ日が浅いものの、部隊の誰もが認める優れた操縦技術の持ち主らしい。そして今日、市ヶ谷の航空幕僚監部で、新任飛行隊長教育を終えた飛行隊長が、第11飛行隊に着任する。揚羽たちはブリーフィングルームで、北浦2佐が迎えに行った飛行隊長が来るのを待っていた。

「入ります!」

 明瞭とした声が到着を告げる。次いでブリーフィングルームのドアが開き、北浦2佐に続いて男性が入ってきた。帽章がついた制帽を被り、引き締まった長身に紺色の制服を着た男性が入室した瞬間、彼を見た揚羽たちは限界まで目を見開き、耳のすぐ側で大砲を撃たれたように驚いたのだった。

「……颯さん?」

 一番に開口した揚羽の声は驚きのあまり震えていた。北浦2佐が連れてきた新しい飛行隊長は、なんと那覇基地の第204飛行隊で飛んでいるはずの颯だったのだ。

「みんなもよく知っていると思うが、今日から1番機パイロットとして飛んでもらうことになった、鷲海颯3等空佐だ。しばらくは俺に師事して技術を学んでもらう。鷲海3佐、みんなに挨拶をしてくれ」

 北浦2佐に頷いた颯は背筋を真っ直ぐに伸ばすと、右手をこめかみに当てて敬礼した。

「那覇基地より着隊しました、TACネームはゲイルの鷲海颯3等空佐であります! よろしくお願いします!」

 淀みなく着隊の報告をした颯は敬礼の構えを解き、驚きで夢現になっている真白1尉たちと、順番に握手を交わしていく。最後に揚羽のところにきた颯は、同じく握手をしたあとみんなに一言断ると、彼女だけをブリーフィングルームの隣にある隊長室に連れていった。

「驚かせて悪かったな」

「どうして、どうして颯さんが、ブルーの飛行隊長に――?」

 まだ声に震えが残る揚羽の問いかけに、颯は一拍おいてから口を開いた。

「……本当は自分の力でここまできたかった。でもそれだと間に合わない。揚羽の心が先に壊れてしまうと思った。だから流星さんに頼んで、いろいろと手配してもらったんだ。流星さんの権力を利用したって、悪く言われるかもしれない。俺は大好きな揚羽を守りたい、側で揚羽を支えたい。俺の心を救ってくれた揚羽のために全力を尽くしたい。ベアーさんの死を無駄にしたくない。みんながいるブルーインパルスを守りたいんだ」

 颯の声と眼差しは静かだが力強かった。颯の堅固たる決意と真情が込められた言葉は、引き潮のあとの潮鳴りの響きのように、揚羽の心を強く打った。颯に返す言葉は出なかった。溢れた涙と嗚咽が喉を詰まらせて、揚羽は泣きながら頷くことしかできなかったのだ。静かに涙を流す揚羽を颯が抱き寄せようとしたその時だった。

「ゲイルさん!」

「ゲイル!」

 揚羽と颯はぎょっとした。いきなり隊長室とブリーフィングルームを繋ぐドアが開き、真白1尉たちが駆け込んできたのだ。全員が涙目でしきりに鼻を啜っている。恐らくドアの向こうで揚羽と颯の会話を聞いていたのだろう。真白1尉たちはこちらに走り寄ってくると、全員で揚羽と颯を抱き締めた。その光景といったらまるで押しくらまんじゅうのようだ。

 「戻ってきてくれてありがとう!」や、「ゲイルさんとまた一緒に飛べるなんて嬉しいです!」など、感謝感激の大合唱が始まる。やがて一人が笑い出すと、連鎖するように笑い声が広がっていく。振幅する笑いの響きの中で、揚羽は無邪気な子供らしい表情を顔一面に溢れさせ、負けじと声を立てて笑った。歓喜の鐘をつくような晴れやかな笑い声は、揚羽たちが心の底から笑っている証拠。鬼熊2佐が亡くなってから初めて、揚羽たちは心の底から笑うことができたのだった。



 冷たい雪が溶けて桃色の桜が満開に咲き誇り、桜が咲き終わると木蓮が花を咲かせ、暗い紫色の大きな花が散ると空の青は濃く深まり、山野を埋める草木は目に沁みるばかりの鮮やかな緑色に色づいていく。そういう具合に、色合いと匂いに微かな日々の変化によって、季節は凍える冬から穏やかな春に変わり、そして春から暑い夏に移り変わっていくのが感じられた。

 颯が第11飛行隊に着隊してから数日後、航空幕僚監部から飛行訓練再開の許可が下り、最初に行う展示飛行は8月下旬に開催される松島基地航空祭に決まった。飛行隊長に颯を迎えて気持ちを新たにした揚羽たちは、松島基地航空祭に向けて飛行訓練に励んでいた。なかでも北浦2佐に師事する颯は、誰よりも真剣かつ精力的に訓練に励み、その成長の早さには誰もが舌を巻く思いだった。そして颯は7ヶ月という短い期間で、1番機のORパイロットに昇格したのである。最低でも1年4ヶ月は費やす教育課程シラバスを颯は7ヶ月で修了した。心髄に強い意志があるからこそ、颯は成し遂げることができたのだ。

 松島基地航空祭を明日に控えたその日の夜。揚羽は独り飛行隊隊舎屋上の観覧席に座っていた。見上げる夜空には水晶の欠片のように輝く星が敷き詰められていて、密集したその姿はあたかも天の川が夜空に流れているようだ。夏には珍しく空気が澄み切っているため、大空を彩る星の輝きは大きい。まるで宇宙に渦巻く巨大な銀河が、そっくりそのまま顕現したかのような圧巻の夜空だった。鉄の扉が開く音が聞こえて揚羽は肩越しに振り返る。涼しげな第二種夏服を着た颯がそこに立っていた。

「こんな所にいたのか。早く寝ないと身体に悪いぞ」

 そう言った颯はこちらに歩いてくると、揚羽の隣のベンチに腰を落ち着けた。二人はしばらく無言で宇宙のような星が渦巻く夜空を眺める。大きな音が聞こえない静かな空間に佇んでいると、まるで宇宙空間に浮かんでいるような錯覚に陥りそうだ。

「颯さんには感謝してもしきれないですね。わたしがまだ学生だった時、バーディゴから助けてくれて、死のうとしていたわたしを全力で止めてくれて、今度はわたしたちブルーインパルスのために松島に来てくれた。本当になんて言ったらいいのか分からないです」

「……いや、感謝したいのは俺のほうだよ。あの時揚羽が教えてくれたから、俺は父さんと分かり合えることができた、真っ直ぐで純粋な揚羽が、俺の心を変えてくれたから、俺は過去を乗り越えることができたんだ」

 いったん言葉をとめた颯は、「でも」と言ってから続きを話した。

「俺が感謝したいのは揚羽だけじゃない。父さんと母さん、揚羽を生んで育ててくれた小鳥さんと流星さん、そして俺を支えてくれたブルーインパルスのみんなに感謝したい。今まで出会った人たちの思いが胸にあるからこそ、俺はこうやって空を飛んでいられるんだ」

 揚羽の手の上に颯の大きな掌が重ねられる。星空から視線を下ろして見つめ合った二人の唇は自然に重なり合った。

「揚羽と出会えてよかった。心の底からそう思うよ」

「……わたしも颯さんと出会えて幸せです」

 無限に広がる宇宙の片隅で、運命の相手と巡り会えた奇跡に感謝しながら、揚羽と颯は肩を寄せ合って手を繋ぎ、時間を超えて届いた星の輝きをいつまでも眺めていた。
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