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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第6章 疾風の荒鷲

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恋人はドルフィンライダー ★

 週末の土曜日。那覇基地をあとにした颯は、レンタカーを運転して那覇空港に赴いた。颯は立体駐車場に車を停め、車種と駐車時間を設定して、料金システムが計算した駐車料金を払う。立体駐車場を出た颯は空港ターミナルに入り、一階の到着ロビーに視線を巡らせて揚羽の姿を捜した。数分前に届いたメールによると、彼女は飛行機を降りて到着ロビーで待っているらしいのだが。

 色彩豊かな熱帯魚が泳ぐ水槽の前に揚羽は立っていた。背中にリボンがついたクリーム色のフレンチスリーブのトップスと、ベージュのキュロットスカート、両足にアンクルストラップのサンダルを履いている。脇に置かれているのは水色のスーツケースだ。揚羽はきょろきょろと周囲を見回していた。揚羽は颯を見つけられないでいるようだ。ちょっとした悪戯心が芽生える。揚羽の視界に入らないようにロビーを進んだ颯は、彼女のすぐ後ろで足を止めた。

「――チェック・シックス」

「ひゃっ!?」

 颯は揚羽を後ろから抱き締めると、耳元に唇を寄せて甘く囁いた。からかうように熱い吐息を耳に吹きかける。すると揚羽は尻尾を掴まれた猫のように飛び上がった。ハニーベージュの髪を揺らした揚羽はこちらを振り返ると、唇を犀の角のように尖らせて颯を見上げてきた。

「もうっ! 驚いちゃったじゃないですか! 普通に声をかけてください!」

「ついからかいたくなったんだ。悪かったよ」

 視線を感じた颯は振り返る。するとロビーに立つ数人の若者が、揃って揚羽のほうを見ていることに気づいた。若者たちは揚羽の脚と胸と臀部を、上から下まで舐めるように凝視している。鼻の下を伸ばした嫌らしい笑みだ。彼らは脳内で猥褻な妄想をしているに違いない。颯は揚羽の肩を抱いて引き寄せると、若者たちに見せつけるように彼女にキスをした。

 衆人環視の前でいきなりキスされた揚羽は抵抗してきたが、舌を絡めながら腰を撫でると、身悶えしておとなしくなった。唇を離した颯は軟派どもをぎろりと睨みつける。颯に睨まれた若者たちは、そそくさとロビーを出て行った。――俺の女に手を出すんじゃねぇよ、馬鹿野郎どもが。心の中で悪態をついていると揚羽に背中を叩かれた。

「いっ、いきなり、キスするなんて! 場所を考えてくださいよ! 颯さんの馬鹿! もう知りません! あのエッチなメール、蛍木さんじゃなくて、やっぱり颯さんが送ったんでしょ!」

 よっぽど恥ずかしかったらしく、揚羽はうっすらとだが涙ぐんでいた。怒る揚羽が可愛くて、もう一度キスをしたくなったが、きっと火に油を注いでしまうだろうから、颯は我慢することにした。怒りが収まらない揚羽は松島に帰ると言いだした。なんとしてでも阻止しなければ。颯は平謝りしてなんとか怒りの矛を収めさせる。揚羽を連れた颯は、立体駐車場に停めていた車に乗り込み那覇空港を出発した。

 那覇空港から小禄バイパスに入り、南下して豊見城道路を15分ほど走り続ける。ややあって椰子並木の先に、「ちゅらSUNビーチ」が見えてきた。全長700メートルの県内最大級の美しい人工ビーチには、ハブクラゲネットが設置され、ビーチ監視員も常駐している。施設も充実している美らSUNビーチは、誰でも安心・快適に利用できるのだ。なぎさ橋を渡って巨大駐車場に車を停める。管理棟に向かった颯は、揚羽と別れて男子ロッカールームに入り、荷物をロッカーに預けて服を脱ぎ、持ってきたハーフパンツの水着に着替えた。

 先に着替えた颯は管理棟の前で揚羽が出てくるのを待つ。爽やかに晴れた青空を見ていると、サンダルの踵が地面を叩く音が聞こえた。ビーチバッグを提げた揚羽がこちらに歩いてくる。桃色の布地と白い水玉模様の、セパレートタイプの水着姿だ。赤いリボンが揺れるトップスに、オーロラのようなフリルのパティオを合わせている。大胆なビキニではなかったが、肌の露出面積は多い。柔らかな曲線を描く膨らみが布地を押し上げている。

「どうですか? やっぱりちょっと子供っぽいですよね」

 苦笑した揚羽はアイスダンスをするように、くるりと軽やかに一回転した。パティオが風に踊り、桃の果実のような臀部が露わになる。颯の心臓は高鳴り身体が熱くなった。子供っぽいなんてとんでもない。アイドルさながらの可憐な水着姿ではないか。

「颯さん、顔が赤いですよ。大丈夫ですか?」

 首を傾げた揚羽が横から覗き込んできた。水着の胸がぷるんと揺れ、全開になった胸の谷間が、颯の視界に飛び込んでくる。全身の熱が下半身の真ん中に一極集中した。

「あ、ああ! 大丈夫、大丈夫だ! 早く泳ぎに行くぞ!」

 深呼吸して気持ちを落ち着かせ、揚羽の手を引いた颯は北浜の遊泳ビーチエリアに向かった。白い砂浜と南国の風に揺れる椰子の木。紺碧の大海原が見渡す限り広がっている。透明な波が砂浜を優しく撫でながら、寄せては返していく。珊瑚の欠片が陽光を弾いて煌めいていた。人工とはとても思えない。自然の美しさに満ちた風景だ。

 サンダルを脱ぎ捨てた揚羽は、全身で夏の陽光を受けとめながら、透き通った紺碧の海を目指して走っていく。軽く準備運動をした揚羽が海に飛び込んだ。虹色に光る水飛沫が跳ねる。綺麗なクロールで揚羽は波を掻き分けながら、沖に向かって突き進んでいく。あんまり張り切ると足が攣ると思うのだが。準備運動をして颯は揚羽のあとを追いかけた。



 沖縄の海を思う存分満喫した颯は遊泳ビーチを離れ、三角屋根の共有スペースの東屋で、疲れた身体を休めていた。揚羽は飲み物と軽食を買いにパーラーまで行っている。海で遊ぶ家族。ジェットスキーに乗って海を走る若者たち。仲睦まじく砂浜を散歩する恋人。ごくありふれた日常の風景が広がっていた。

ふと颯は思った。自分は安寧に満ち溢れる彼らの日常を、この手で守ることができるのだろうかと。世界情勢が大きく変わりつつある今、安全保障関連法案の国際支援平和法の新設、10の関連法制と事態対処法の一部改正など、自衛隊を取り巻く環境も、大きな転換点を迎えようとしている。

 基地をスクランブル発進して侵入機を発見したとする。仮に侵入機が攻撃してきたとならば、それは「武力攻撃事態等」に当てはまり、パイロットは武力行使が可能となる。つまりミサイルおよび機関砲で、相手を撃墜できるということだ。不測の事態に備えて日々訓練しているが、それはあくまでも訓練。現場でそうなった時、自分は撃てるのだろうか? 血の通った生身の人間が乗る航空機を、この手で撃墜できるのだろうか? いくら考えても納得できる答えは出てこない。いや、納得できる答えなどないのかもしれない。

(それにしても遅いな……)

 颯は揚羽の帰りが遅いことに気づいた。パーラーに行ってくると言ってから、30分は経っているだろう。東屋からパーラーまでは目と鼻の距離だ。まさか道に迷ったわけではあるまい。嘆息した颯は東屋を離れてパーラーに向かう。パーラーの前に揚羽はいた。レジ袋を提げているから買い物は済ませているのだろう。であればなぜ東屋に戻ってこないのか。その「原因」は揚羽の前にあった。

「ごめんなさい、私、急いでるんです」

「そんなつれないこと言わないでさ、俺と一緒にバナナボートに乗って遊ぼうよ~」

 揚羽は金髪男にしつこくナンパされているようだった。金髪男が揚羽の腕を掴んだ。男のもう片方の手が揚羽の肩に回される。男の指は揚羽の二の腕を滑るように撫でていき、そのまま胸のほうに這っていった。怯える揚羽を見た颯は当然怒りをみなぎらせる。颯は地面を蹴って走り、二人の間に割り込んだ。

「なんだテメェは。部外者は引っ込んでろよ」

「部外者はお前のほうだと思うが? こいつは俺の彼女だ。文句があるなら那覇基地まで来い」

「那覇基地? まさか、テメェは――」

「那覇基地所属の自衛官、航空自衛隊の戦闘機パイロットだ」

 颯は金髪男を見据えると強い口調で言った。途端に金髪男の顔は一気に青褪めた。まさに百獣の王に牙を剥く小さな鼠。これは勝てない相手だと判断したらしい。悔しまぎれに舌打ちして颯を一瞥した金髪男は、ポケットから取り出したスマートフォンを、乱暴に操作しながらパーラーを離れていった。ゴミ箱に無理矢理顔を突っ込まされたような気分だ。

「……帰るぞ」

「えっ? せっかく海に来たのに、もう帰るんですか?」

 肩を落とした揚羽はおとなしく後ろをついてきた。着替えて駐車場に停めてある車に乗り込む。運転席に座ってシートベルトを締めていると、助手席に座る揚羽が話しかけてきた。

「どうして怒っているんですか?」

「……別に怒ってねぇよ」

「ビーチから駐車場に来るまで一言も喋らないんだもの。それに顔も怖いです」

 沈黙を反抗と思ったらしく、揚羽の表情は険しくなっていた。

「私と一緒にいるのがそんなに嫌なんですか? それなら私が沖縄に行く前に、お前なんか大嫌いだって、メールか電話で言えばいいじゃない! 颯さんの馬鹿! 私は一人で帰りますから、沖縄の可愛い女の子と楽しくやってなさいよ!」

 シートベルトを外した揚羽が、車から降りるよりも早く、颯は彼女を抱き寄せてキスをした。颯は唇を重ねたまま、揚羽の身体の隅々をまさぐるように愛撫する。空港でキスした時と同じく、揚羽は身を捩らせ、首を振ったり颯の胸を叩いたりして、必死に抵抗してきた。だが颯はやめなかった。爆発した感情が理性を吹き飛ばしていたのである。舌を絡めて胸を揉みしだき、キュロットスカートの中に手を入れて奥を掻き回す。颯の愛撫から解放された揚羽は、ぐったりと座席に崩れ落ちた。

「どうして、どうして、いきなりこんなことを――」

「――腹が立ったんだよ」

「えっ?」

「自分だって、航空祭に来た男にちやほやされて、まんざらでもないくせに、よくもそんなことが言えるよな。俺はお前が他の男と一緒にいるところなんか見たくないんだよ。そんな俺の気持ちも知らないで、沖縄の女とよろしくやってろだって? ふざけるなって思ったら、抑えていたいろいろなものが爆発したんだ」

「私に腹が立ったっていうだけで、こんな場所で、その、エッチしたんですか?」

「ああ、そうだ! だいたい揚羽も悪いんだぞ! お前は他の男がほうっておかないくらい可愛いんだから、もう少し露出の少ない服を着たり、男に声をかけられても無視したりなんなりして、ちょっとは防衛策を取れよ! 俺はお前が悪い男に傷つけられるところなんて見たくない、耐えられないんだよ!」

 半ばやけくそ気味に叫んで颯は黒髪を掻き混ぜる。何が言いたいのか自分でも分からない。揚羽は呆気にとられた表情で颯を見つめていた。目を瞬かせた揚羽が唇をほどく。

「それは私も同じです。お互い忙しくてなかなか会えないから、颯さんは私のことなんか忘れて、他の女の子と仲良くしてるんじゃないかって、最近よく思ってたんです。でもそれは違いましたね。私のことを心配して、思ってくれていたなんて、知らなかった。……ごめんなさい、颯さん」

 揚羽は頭を下げてきた。意地らしいまでの純粋な姿に颯は胸を打たれる。比べて自分は怒りと欲望に任せて愛を押しつけた大馬鹿者。己の器の小ささに溜息が出る。小鳥と流星は自分を信頼して揚羽を託してくれたのに、もう少しで颯は二人の信頼を裏切るところだった。揚羽に謝らせて事を終わらせるのは卑怯だ。颯は黒髪を揺らして頭を下げた。

「……ごめん、揚羽。今のは俺が悪かった。俺が好きなのは揚羽だけだ。だから他の女になんか興味ねぇよ。真っ直ぐで純粋な揚羽に、俺は恋をしたんだ」

 はっと目を見張った揚羽は、はにかみながら短く頷いた。伸びてきた揚羽の手が颯のジャケットを掴んだ。頬を赤く染めた揚羽は、眉尻を下げて上目遣いに颯を見ている。哀切な目をしているから、生理現象に襲われたのだろうと颯は思ったのだが。

「あの、颯さん。私、官舎に着くまで、我慢できそうにないです……」

 瞬間颯の思考は凍結したが、すぐに再び回転を始めて、揚羽が言った言葉の意味を理解した。つまり揚羽はこの場で颯に愛してほしいと言っているのだ。あまりにも突拍子なお願いに、颯は苦笑してしまった。

「お前って、意外と大胆なんだな」

「だっ、だって、凄く気持ちよかったんだもの。あんなに気持ちよかったら、誰だって我慢できないです。……やっぱり駄目ですよね。変なことを言ってごめんなさい。官舎に着くまで我慢します」

「馬鹿、駄目じゃねぇよ。……俺だって我慢できないんだ」

 身体を傾けた颯は、揚羽の頬を両手で挟んで顔を近づけ、今度は蝶の羽ばたきのように優しく唇にキスをした。颯は座席のシートを後ろに倒して横たわり、引力の代わりに手を伸ばして、揚羽を引き寄せる。揚羽はふわりとかぶさってきた。甘い香り、心臓の鼓動、柔らかな感触が、颯の全身に広がっていく。アイハブコントロール、ユーハブコントロール。遠く彼方に広がる海の歌声を聞きながら、颯と揚羽は心と身体を一つに重ね合った。
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