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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第6章 疾風の荒鷲

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コールサイン・ワルキューレ

 光を受けて透明感のあるエメラルドグリーンの海が彼方まで広がり、真っ白な入道雲が沸き立つ夏空は、目も覚めるような鮮やかな群青色だ。自然が造形した美しい青色の世界を、雷鳴の如き音を響かせながら、翼から白い筋を曳いた鋼鉄の猛禽が飛んでいく。空を飛翔するのはF‐15イーグル戦闘機。近接格闘戦に優れた機体として設計・開発された、117対0の撃墜対被撃墜比率を誇る、西側要撃戦闘機の代表格だ。イーグルの垂直尾翼には、九つのたてがみを持つ白頭鷲イーグルヘッドの、部隊マークが描かれている。

 バレルロール、スプリットS、インメルマンターン。二機のイーグルはあらゆる機動で相手の背後を狙い、時には海面すれすれまで急降下して、蒼穹の舞台で組んずほぐれつの空中戦を繰り広げる。ドッグファイトの由来となった、犬が相手の尻尾を追いかけ合う間抜けな姿ではない。さながら翼を広げて鉤爪を振り回しながら戦う、勇猛果敢な二羽の鷲と言い表しても、過言ではないだろう。

 急角度でブレイクしたイーグルは、ループとロールを組み合わせて、縦方向に旋回する機動のインメルマンターンで上昇を始めた。上昇すれば当然ながら機速は落ちる。それにこの局面で軌道を変えれば、どのように飛行しても真後ろから追う相手の前方で、自機の背中を無防備に晒すことになる。

 敵機はハイGヨーヨーからのロールを組み合わせた、ラグ追跡で追いかけてきた。高G機動で機速が落ちているはずだから、あとは射程に捉えさえすれば、敵機は弾頭シーカーを冷却されたミサイルを、すぐに発射して撃墜できるだろう。まさに絶体絶命の状況に追い込まれたというのに、1番機イーグルのパイロットは、レギュレーターから送られる航空用の酸素を吸い込むと、不敵な笑みを満面に浮かべたのだった。

『サイレン! ゴーアヘッド!』

 斜め後方上空に現れたのは、彼とエレメントを組む三機目のイーグルだった。太陽を背にした三機目のイーグルは、アフターバーナー全開の前進で、相対距離を一気に縮める。脅威となる存在に気がついた敵機は、翼を傾けてブレイクしようとした。だが三機目のイーグルは電子の網を展開して、敵機がブレイクする前に、AAM‐5・04式空対空誘導弾の射程に捉えた。

『ワルキューレ04、スプラッシュ・ワン!』

『――っ!? マジかよっ!』

 撃墜宣言と愕然する声が重なり合う。打てば響くように要撃管制官が、空域からの離脱を撃墜されたパイロットに指示する。撃墜認定されたパイロットは戦うことを許されない。悔しさを滲ませた声で返答したパイロットは、機首を回頭させると訓練空域から離れていった。残る敵は一機だ。状況は2対1。圧倒的にこちらが有利である。

 どのように料理してやろうか愉しげに考えながら、1番機イーグルのパイロット――鷲海颯1等空尉は、「サイレン」と呼んだウイングマンに、後方上空を防御するよう指示を出した。颯は二つのスロットルレバーを力強く押し上げて、エンジンの回転数を一気に上げる。さながら天空に閃く稲妻の如く、イーグルは勇猛果敢に大空を翔けていき、最後のイーグルをロックオンした。



 訓練空域を離れて20分ほど巡航速度で飛行を続けていると、エメラルドグリーンの美しい海を背景にした、沖縄県航空自衛隊那覇基地が見えてきた。本土の基地とはまた違う広大とした敷地だ。ぴんと直立する椰子の木を、ジェットエンジンの風圧で揺らしながら、先頭を飛ぶ颯は無線の周波数を変えて、那覇基地の管制塔に呼びかけた。

『ワルキューレ01、那覇タワー。ウィズフォー、ピッチアウト、フルストップ』

『那覇タワー、ワルキューレ01。チェック・ギアダウン、ランウェイ36、クリアード・トゥ・ランド』

 着陸許可が下りたので、斜め一列のエシュロン隊形になった四機のイーグルは、比較的高い高度と速度で滑走路上空に接近した。滑走路上で大きく旋回を行い減速、高度を下げつつトラフィックパターンに進入する。オーバーヘッド・アプローチ。戦闘機で代表的な飛行場への着陸方法だ。滑走路に平行するダウンウインドレグに向かって、180度の水平旋回。ダウンウインドレグに入ったイーグル編隊は、等間隔で一直線に並ぶトレール隊形に変わった。

 イーグル編隊は、さらに180度旋回のベースレグ経由で、着陸態勢に移行した。颯は左右の主脚と両翼のフラップを下ろし、胴体上部のスピードブレーキも開放して機速を落とす。四人のパイロットたちが乗るF‐15イーグルJは、一機ずつ順番にランウェイ36に着陸していく。着陸した四機のイーグルは、タキシングで誘導路を通過して、駐機場の決められた場所に停止した。

 右サイドコンソールの燃料コントロールスイッチを切ると、双発のエンジンの唸り声は鳴りやんだ。すぐに担当の整備員が駆け寄ってきて、機体の胴体左側に梯子をしっかりと固定する。キャノピーが開放されると、整備員は梯子を素早く上り、パイロットを座席に固定している、ベルトとショルダーハーネスを外していった。

 整備員にベルトとショルダーハーネスを外してもらった颯は、胴体左側に掛けられた梯子でエプロン下りると、フックを外してヘルメットを脱いだ。汗ばんだ肌にパイロットスーツが張りついている。早く熱いシャワーを浴びて不快な汗を流したい。しかしフライトの反省と振り返りをするデブリーフィングが待っている。なので熱いシャワーはしばらくおあずけだ。嘆息してビデオテープとヘルメットバッグを持った颯は、からりとした南国の風が吹くエプロンを歩いていった。



「まったく! ゴルゴの奴、何回同じことを言ったら分かるんだよ!」

 デブリーフィングを終わらせたあとの隊員食堂。不愉快極まりない表情で大声を出したのは、TACネームはファイアフライの、蛍木黎児1等空尉だ。ドルフィンライダーの任期を終えた黎児は、どういうわけか颯と同じ戦闘機部隊に配属されたのである。黎児は鼻息荒く、昼食のカツ丼を一気に完食した。

 「ゴルゴ」とは今日のACM訓練で、黎児のウイングマンを務めたパイロットのTACネームだ。極太の眉毛と瓦のような四角い顔で、「スナイパーライフルを持たせたら、まんまゴルゴ13じゃねぇか!」と先輩パイロットが歓迎会で言ったので、そのまま「ゴルゴ」がTACネームになったというわけだ。

 ゴルゴは後先考えずにアフターバーナーを連発する癖があった。数回訓練をした颯は、すぐにゴルゴの癖を見抜いていた。できるだけゴルゴを引きつけて、アフターバーナーを乱発させ、燃料が残り少なくなった頃を見計らって一気に引き離すよう、颯はウイングマンの和泉拓海いずみたくみ3等空尉に、あらかじめ指示を出しておいたのだ。そして颯の策にまんまとはまったゴルゴは、和泉にロックオンされた、黎児の援護に向かうことができず、結果黎児とゴルゴは颯と和泉に敗北したのである。

「それにしてもお前は凄いよな。このぶんだとフライトリーダーどころかマスリーダーの資格も、すぐに取得できるんじゃないか? 鷲海颯3等空佐殿」

「馬鹿、茶化すなよ。俺はまだ1等空尉だぞ」

 ドルフィンライダーの任期を終えた颯は、新田原基地第23飛行隊でF‐15の操縦訓練を受けたあと、沖縄県航空自衛隊那覇基地・第9航空団第204飛行隊に着隊した。部隊のコールサインはワルキューレ。「MYSTIC EAGLE」と名付けられた、北欧神話に登場するワルキューレとグリフォンを描いた、芸術的なノーズアートがコールサインの由来となっている。卓越した操縦技術で空を飛ぶ颯は一目置かれ、いずれ204の飛行隊長になるのではないかと、密かに期待されているのだ。

 テーブルに円を描いて拗ねる黎児を呆れた目で見ていると、テーブルに置いているスマートフォンが短く鳴った。箸を置いた颯はスマートフォンを手に取り、ホーム画面を開く。どうやらメールが届いたらしい。メールのアイコンを叩いて起動、受信ボックスを確認する。差出人の名前を見た颯は唇をほころばせた。

【今週末お休みが取れたので、土曜日朝一番の飛行機に乗って、沖縄に行きますね。お昼頃に空港に着くと思いますので、到着ロビーで待っていてください。――早く颯さんに会いたいです】

 颯は微笑みを広げた。差出人の名前は燕揚羽2等空尉。颯と交際している自衛官だ。築城基地の第8飛行隊で飛んでいた揚羽は、現在松島基地所属の第11飛行隊ブルーインパルスに在籍している。努力を積み重ねた揚羽は、ドルフィンライダーになる夢を叶えたのだ。確か祖父と母親と同じ、6番機パイロットだったはずだが。ふと気づくと右手に持っていたスマートフォンが消えている。いつの間にか黎児が颯のスマートフォンを持っていて、両手の指を高速で動かして、画面に文字を打ちこんでいた。

「愛しい揚羽。俺も早く君に会いたいよ。裸にした君を抱き締めて、熱いキスをして、ベッドに押し倒したい――」

「なっ――!? 黎児! なに勝手に人のスマホをいじってるんだよ!」

「ほい、送信っと!」

 颯がスマートフォンを奪い返すよりも早く、黎児はメールを送信してしまった。まったくなんてことをしてくれたのだ。エッチなことしか考えていない、ドスケベ変態野郎と揚羽に思われてしまったかもしれない。すぐに颯は黎児が勝手に送ったメールだと、大慌てで揚羽に送信した。
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