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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第5章 彩雲の昊

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It' a Beautiful Sky

 キャノピーの外に広がる水色に澄んだ秋の空は、気が遠くなるほど高く晴れ上がり、薄い雲が斜めに流れ去っていく。まるで世界中の秋晴れを、全部ここに持ってきたかのような、素晴らしい秋日和である。眼下に見える海では淡い秋の陽光が踊るように輝いていた。どうしても流星に話したいことがあった颯は、インターコムを繋いで後席の彼に話しかけた。

『燕空幕長』

『なんだね?』

『あなたにお話ししたいことがあるんです。聞いてくれますか?』

『ああ、構わない』

 レギュレータから酸素マスクに送られる、航空用の酸素を吸い込んだ颯は口を開いた。

『俺、あいつの――揚羽さんの前で、あなたを人殺し呼ばわりしたんです。その時、俺は疎遠になっていた父と喧嘩して、凄く怒って苛々していた。俺はなんの関係もないあなたを出汁にして、自分の怒りや苛立ちを解消しようとしたんです。俺も目の前で母親を亡くしました。だから大切な人を失った人の気持ちを知っているはずなのに、俺はあなたの気持ちを全然考えていなかった。……俺は最低な人間です』

 果たして流星はどのような言葉を返してくるのだろうか。股間の操縦桿を握り締めた颯は唇を噛んだ。

『――君を見ていると、昔の自分を思い出すな』

『えっ?』

『私がブルーインパルスのパイロットだった頃、妻に――小鳥に酷いことをしたんだよ』

 一拍おいたあと流星は静かに語り始めた。

 それは今から29年前、流星がブルーインパルスの5番機パイロットを務めていた時のことだ。流星には心から信頼するパイロットがいた。パイロットの名前は夕城荒鷹3等空佐といい、6番機のパイロットを務めていた小鳥の父親である。当時の流星は、目の前で仲間を失った時に負った心の傷が、完全には癒えておらず、他人と常に一定の距離を置いていた。仲間との交流を断ち続ける孤独な流星に、親身になって接したのが荒鷹だった。

 浴場でいきなり背中を流されたり、休日寝ているところを叩き起こされて、無理矢理ドライブに連れ出されたり、奥さんの佐緒里に「小鳥のお婿さんだ!」と勝手に紹介されたり、流星は自由奔放な荒鷹に何度も振り回された。もちろん最初は激しく口論を繰り広げ、掴み合いの喧嘩もした。だがいつの間にか流星は荒鷹の人柄に惹かれていたのだ。そして少しずつだが、閉ざされていた心は開かれていき、流星は笑顔や喜びの感情を取り戻していった。

 航空祭で荒鷹とデュアルソロを飛ぶ。それを目標に流星はT‐4に乗り松島の空を飛んだ。TRパイロットの時には、各基地の航空祭で展示飛行のナレーションを務め、苦手なサイン会やファンとの写真撮影も頑張った。毎日の鍛錬と努力を積み重ねた流星は、最終検定フライトに無事合格して、晴れて5番機のORパイロットに昇格することができた。

 流星のアクロデビューは9月に開催される三沢基地航空祭に決まった。流星は指折り数えてアクロデビューの日を楽しみにしていた。しかし8月に開催された松島基地航空祭で、ブルーインパルスは事故を起こしてしまう。第1区分8課目サンライズのブレイクに失敗した荒鷹は、6番機に乗ったまま地上に墜落して、その命を空に散らしてしまったのだ。

 荒鷹の死は流星に大きな衝撃を与え、心の瘡蓋を引き剥がして、傷口から悲しみの血を流させた。信頼する者をまた失い、華やかな夢を奪い去られた流星は再び心を閉ざし、悲しさで胸を空っぽにしながら空を飛んだ。そして荒鷹の死から1年後、彼の娘の小鳥が第11飛行隊ブルーインパルスに着隊して、流星は6番機パイロットの彼女と、デュアルソロを飛ぶことになったのである。

『私は6番機にわざとジェット後流を浴びせたり、時には小鳥を罵って頬を叩いたりしたんだ。私は小鳥とどう向き合えばいいのか分からなかった、もしもまた置いていかれたらと思うと、彼女を信頼するのが怖かったんだよ』

 流星はそこで言葉をとめた。流星が感じている後悔と悲しみが颯にも伝わってくる。流星が喋るたびに、過去の欠片が鋭利な刃物となり、彼の心に突き刺さっているのだ。

『でも小鳥は諦めなかった。彼女は私と飛びたいという思いを真っ直ぐにぶつけてきた、私を信じると言ってくれた。真っ直ぐで純粋な小鳥の思いが、私の心を救ってくれたんだ。翼がなくても綺麗に飛べる、心に翼を持っているから自由に飛べる。心の中に翼があれば、誰だって空を飛べる。小鳥が教えてくれた大切な言葉は、1日たりとも忘れたことはないよ』

 流星の言葉が颯の胸を貫く。聖書のように静謐な言葉は、颯の心にゆっくりと沁みこんでいった。

『揚羽さんは俺に言いました。悲しい思いをして、たくさん悩んで苦しんで、傷ついてきた。だからこれ以上俺を苦しませたくない、悲しい思いをしてほしくない。俺が気持ちよく空を飛べるように、笑顔で松島に戻ってほしい。彼女はそう言ってくれたんです。真っ直ぐで純粋な揚羽さんに、俺も心を救われたんです』

 勇気と決意が泉のように湧き動く。「だから」と大きく呼吸をして、颯は溢れ出る熱い思いを言葉に変えた。

『俺は二度と空から逃げません。あなたと約束したように、青空を目指して真っ直ぐに翔け上がってみせます。流星さん、見ていてください。俺はいつか必ず、あなたを超える空自パイロットになってみせますよ』

『――生意気に言ってくれるじゃないか。それなら手始めに、君が飛ぶ空を私に見せてみろ』

『はい!』

 蓮華2佐が訓練開始を告げる。1・2・3・4番機が飛んでいくのを見やりながら、颯はスロットルレバーを押し上げた。回転数を上げた双発のターボファンエンジンが、大空の賛歌を高らかに歌う。ブルーインパルス05、クリアード・フォー・テイクオフ。超低空飛行で飛んだ5番機は一気に上昇して、ローアングル・キューバン・テイクオフで青空を翔ける。気づけば颯は流星と声を合わせて笑っていた。鱗雲が泳ぐ淡い青空が、颯の視界いっぱいに広がった。
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