挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第5章 彩雲の昊

33/56

親子の絆

 休暇の最終日。「話がある」と父にメールで呼び出された揚羽は、喫茶店で彼が来るのを待っていた。ショートケーキとベイクドチーズケーキ、苺のタルトにモンブランやガトーショコラなど、レジカウンター近くのショーケースに並べられたケーキやお菓子は、さながら宝石箱の中の宝石のようだ。揚羽の父も自衛官だが、今はパイロットの職を辞して事務方の仕事に就いている。なかなか会えない父とゆっくり寛げるなんて、揚羽の胸は嬉しい気持ちでいっぱいだった。この場に颯がいたら、「ファザコンかよ」とからかわれるに違いない。

 胸を躍らせながら父が来るのを待っていると、出入り口のドア上部に付けられている、金色のドアベルが「チリリン」と可愛く鳴った。揚羽はドアのほうを見やる。残念ながら来店者は父ではない。細身のダークスーツを着て、細いフレームの眼鏡をかけた黒髪の中年男性だ。応対に来た店員と二言三言交わした男性は、揚羽が座る席のほうに歩いて来た。そのまま通り過ぎると思っていたが、男性はなぜか揚羽の前で足を止めた。もしかしたら相席するつもりなのだろうか。しかし店内は数人の客しかいないので、当然席は充分すぎるほど空いている。まさか揚羽に危害を加える目的か。緊張する揚羽の前で男性は開口した。

「あなたが燕揚羽さん、ですか?」

 いきなり名前を呼ばれた揚羽は目を丸くする。

「えっ? はっ、はい、そうですけれど……あなたは?」

「航空幕僚監部広報室室長、鷲海貴彦と申します」

「鷲海? それじゃあ、あなたは――」

「鷲海颯の父です。確か一度、松島でお会いしたことがありますよね」

 瞬間揚羽の脳髄の記憶を司る部分は一気に活性化した。正門を入ってすぐ、往年の名機が置かれている所で、颯と言い争っていた男性だ。殴られて倒れた彼を介抱しようとしたから、その顔はよく覚えているはずなのに、彼が自己紹介をするまで忘れていたとは情けない。相席してもいいかと訊かれたので揚羽は頷いた。鷲海貴彦は椅子を引いて、揚羽の真向かいに腰掛ける。店員が注文を訊きにきたので、揚羽はレモンティー、貴彦はカフェオレを注文した。

 貴彦は年齢を感じさせない整った顔立ちの人だが、あまり他人にプレッシャーを与えるタイプではない。気がつくとすぐ側で優しく微笑んでいるようなそんな感じだ。対して颯は遠くから歩いて来るだけで、それが彼だと分かるような独特の存在感がある。颯が年齢を重ねたら貴彦みたいな男性になるのだろうか。いろいろ考えながら貴彦を見ていたら、揚羽はにっこりと微笑み返された。

「実は私が揚羽さんのお父さんに頼んで、ここに呼び出してもらったんです。あなたにどうしても話したいことがあったものですから。失礼な真似をしてすみません」

「いえ、お気になさらないでください。広報室の室長ということは、MAMORの取材は鷲海室長が取り計らったんですか?」

「ええ、そうです。雪村君には悪いことをしたなと思いましたが、少しでも颯のためになることをしたかったんですよ」

 貴彦は脇に置いている鞄から雑誌を出すと、テーブルの上に置いた。置かれた雑誌は広報誌MAMORの4月号だ。貴彦は雑誌を開くと揚羽に見せてきた。

「あっ! その写真は――」

 貴彦が開いたのは「航空自衛隊のイケメン特集!」の記事が載った見開きページだ。颯の写真と簡単なプロフィールが書かれている。もちろん全開の笑顔の写真も掲載されていた。貴彦は苦笑しながら揚羽を見た。

「T‐4のコクピットに座らせたら、すぐに笑ってくれたと雪村君から聞きました。揚羽さんが提案してくれたそうですね。お陰で息子が笑う顔を久しぶりに見られましたよ」

 店員が注文の品を銀色のトレイに乗せて運んできた。レモンティーとカフェオレを置いた店員が立ち去ると、貴彦は一拍おいてから話を続けた。

「息子が――颯が生まれた日は強い風が吹いていましてね、病院中の窓がガタガタ揺れていたんですよ。普通泣き喚いて怖がるはずなのに、結衣に抱かれる颯は嬉しそうに笑っていました。あの風のように、強く勇敢になってほしいと願いを込めて、私が『颯』と名付けたんです」

 届けられたカフェオレを一口飲んだ貴彦は言葉を継ぐ。

「昨日、颯が久しぶりに家に帰って来ましてね、彼からすべて聞きました。誰にも言えずに一人で苦しんでいたことに気づけなかったなんて、私は父親失格です。ですが揚羽さんの真っ直ぐな思いが、颯の心を救ってくれた、再び空を飛ぶ勇気を与えてくれた。感謝してもしきれないくらいですよ。……本当にありがとうございました」

 席から立ち上がった貴彦は、揚羽に向けて深く頭を下げた。

「そっ、そんな! 私も鷲海さんに命を救ってもらいました、強さと勇気を教えてもらいました! だから感謝したいのは私のほうです! ありがとうございました!」

 慌てて揚羽も立ち上がり、ハニーベージュの髪を揺らして貴彦に頭を下げる。年齢も異なる二人の男女が、席から立って互いに頭を下げ続ける様子は、他の客から見ればきっと、奇妙な光景に映っているだろう。見上げると気の遠くなるほど高い空は、青く明るく晴れていて、銀粉を撒いたように輝いていた。
cont_access.php?citi_cont_id=112120920&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ