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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第3章 心は浮雲のように

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That Other May Live -他を生かすために-

 一方その頃、一足先に官舎を後にした瑠璃と晴登は、夜空に星が瞬く音も聞こえてきそうなほどの、静寂に包まれた道を並んで歩いていた。周囲は虫の声以外何も聞こえず、世界中で目を覚ましているのが二人だけのように思えてしまう。星を抱く夜の空は晴れ上がり、あたかも洗われたあとのように綺麗に澄んでいる。瑠璃と晴登が踏みしめて歩く路面も、空と同様に深い藍色に染まっていた。

「朝倉1尉」

 瑠璃は少し前を歩く晴登に声をかけた。鍛え抜かれた広い背中が動き晴登が振り返る。

「朝倉1尉に言いたいことがあるんです。少しだけいいですか?」

「もちろん構わないよ。それじゃあ場所を移そうか」

 進路を変えた瑠璃と晴登は、松島基地の正門を右に見ながら左に曲がり、次のT字路とその次の細いカーブを直進する。突き当たりを右に曲がって少し進むと、工事車両と見学者用の駐車場に着いた。駐車場の奥には11格納庫が一望できる見学用の展望台が置かれている。駐車場を進んだ二人は展望台に上がった。暗澹と横たわる宵闇の中には、隊舎の明かりや11格納庫の照明灯が浮かび上がっている。その光景はさながら夜の海に映る星明かりのようだ。しばらく夜の基地を眺めたあと瑠璃は口を開いた。

「バードストライクで事故を起こした私を助けてくれて、ありがとうございました。本当は交流会の場で言いたかったんですけれど、揚羽ちゃんと鷲海1尉の喧嘩を止めるのに夢中で忘れちゃったんです。遅くなってしまって申し訳ありませんでした」

「別に謝らなくてもいいんだよ。それにお礼なんて言わなくていい。僕はメディックとして当たり前のことをしただけだ」

 謙虚な晴登の態度を見た瑠璃は戸惑ってしまった。きょとんとする瑠璃を不思議に思った晴登が、どうかしたのかと訊いてきたので、瑠璃は思ったことを素直に言うことにした。

「この前揚羽ちゃんと一緒に、救難隊の隊舎に朝倉1尉を訪ねに行ったんですけれど、冷たく追い返されてしまったんです。パイロットとメディックはあまり仲が良くないって、航学にいた時に聞いたことがあったので、だからあんな態度をされたんだって思っていたんです。でも、朝倉1尉は、その――」

「僕は他のメディックとは違う。君たちパイロットを嫌ってはいない。石神さんはそう言いたいんだろう?」

 晴登が口にした言葉は、今まさに瑠璃が言おうとしていたものだった。気まずさを覚えながら瑠璃は首肯する。

「僕は変わり者だって思われているからね」

「変わり者?」

「花形の戦闘機パイロットを辞めて、救難隊に異動願いを出した変わり者」

 F‐15イーグル、F‐4EJ改、F‐2バイパーゼロの戦闘機を乗りこなすファイターパイロットは、航空自衛隊の花形と言われている。ゆえに戦闘機以外の輸送機・救難機パイロットや、あるいは地上職への転換を指す「F転」を通告されると、それを機に部隊を去る者もいるというほどだ。

「どうしてファイターパイロットをお辞めになったんですか?」

「――僕にはどうしても見つけたい人がいるんだ」

 夜空を仰いだ晴登は一拍おいてから語り始めた。

 三年前まで晴登は、茨城県航空自衛隊百里基地を拠点とする、第302飛行隊のF‐4EJ改2に乗るファイターパイロットだった。父の朝倉篤哉あさくらあつや2等空佐も航空自衛隊のパイロットで、松島基地第21飛行隊の教官として基地に勤務していた。晴登が二機編隊長の資格取得を目指して訓練に励んでいたある日、篤哉が消息を絶ったという一報が百里基地に届けられた。

 それは学生のソロフライトの訓練中のことだった。その日は訓練の途中で海霧が発生して、篤哉は学生を連れて基地への帰投経路を飛んでいた。しかし篤哉は突然学生に先に戻るよう伝えると、機体の方向を変えて濃い霧が漂う空の彼方に飛んでいったのだ。学生は無事基地に帰投したが、篤哉が乗るF‐2は何時間経っても基地に戻ってこない。海霧が晴れるのを待ってから、松島救難隊と石巻海上保安署の巡視艇が出動して、現場海域をくまなく捜索したが、消息を絶った篤哉とF‐2を発見することはできなかった。篤哉は死亡したとみなされたが、どうして彼が学生を先に帰して機体の方向を変えて飛んでいったのか。真実は三年経った今でも解明されていないのである。

「戦闘機に乗っていても父さんは見つけられない。だから僕は救難隊のメディックに志願したんだ」

「そうだったんですか……」

 遠く宵闇の彼方を見つめていた晴登の視線が動く。微塵の濁りも見えない澄み渡った、黒曜石のような双眸が真っ直ぐに瑠璃を映している。晴登に見つめられた瞬間、瑠璃は時間が止まって周りが透明になったような気がした。

「確かにパイロットとメディックの関係はあまり良くないと思うこともある。でも、救難隊の全員がそうじゃないということを、知っておいてほしい。君たちが国防の任務に誇りを持っているのと同じように、僕たちメディックも『他を生かすために』という任務に誇りを持っているんだ」

 晴登の声と表情は一点の曇りもなく凜としていて、彼が救難の特技を心から誇りに思っているのだと、瑠璃は確かに感じ取った。あたかも見えない絵筆で塗り重ねられていくように、夜の闇は一段と深く濃くなっていく。基地に戻ろうと晴登が言ったので、彼に続いて展望台を下りた瑠璃は、駐車場を離れて来た道を引き返す。前を歩く晴登の背中を見つめる瑠璃は、魂に刻まれた遠い憧れのように、清らかな気持ちが胸の中を静かに流れていくのを感じていた。
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