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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第3章 心は浮雲のように

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パイロットと救難隊

 司令部管理部広報班は、基地のホームページ・SNSの更新、メディアの取材対応、基地見学者の対応と案内などの対外広報に、新しく着隊した隊員情報、基地のイベントスケジュール、基地内報などの対内広報の仕事をしている。いわば広報班は基地と外を繋ぐ橋渡し役だ。松島基地で起きた事故はその日のうちにメディアに取り上げられ、翌日には司令部管理部広報班に電話やメールが一斉に押し寄せた。

 その多くは周辺住民からのもので、あんな事故があったのだから、今すぐ飛行訓練を止めるべきだ! という意見が大半だった。なかには税金泥棒だとか、人を殺すために訓練をしているんじゃないのかという、こちらからしてみれば理不尽なものも混ざっていた。大量に送られてくるメールや鳴り止まない電話に、わずか数名しかいない広報班は、当然ながら本来の業務なんてできるはずもなく、ほとんど一日中対応に追われていた。さらには基地前で抗議デモが起こる始末である。そして事態を重く見た第4航空団司令の斎藤一之空将補は、航空総隊司令と航空幕僚長に指示を仰ぎ、騒ぎが収束するまで救難隊を除く部隊の飛行訓練を自粛すると、広報班を通じてメディアに発表したのだった。

「なんなんですかあの態度は! ただ朝倉1尉はいるかどうか訊いただけなのに!」

 頬を膨らませた揚羽は怒りを露わに声を荒げた。この日揚羽は、事故で負った怪我の治療を終えて基地に戻った、石神瑠璃3等空尉と一緒に松島救難隊の隊舎を訪れた。その目的は瑠璃を助け出してくれた、朝倉晴登1等空尉に会ってお礼を言うためだ。しかし赴いた救難隊隊舎に、朝倉1尉の姿は見えなかったので、揚羽は適当な隊員に彼の居場所を尋ねてみた。すると尋ねられた隊員は、親の仇だと言わんばかりに顔を険しくさせると、朝倉1尉は訓練中で今は不在だと、愛想の欠片もない声音で言ってきたのだ。ゆえに揚羽はこうして河豚のように頬を膨らませているのである。

「これも全部私のせいね。……ごめんなさい」

 揚羽の隣を歩く瑠璃が暗い声で謝った。

「バードストライクなんて予測できるわけないじゃないですか。だから瑠璃さんのせいじゃありません。あれは不可抗力だったんです」

 予知能力者ではないのだから、事前にバードストライクを予測できるわけがない。揚羽は至極当然のことを口にしたのだが、瑠璃の心を覆う暗い気持ちは消せなかった。瑠璃が心から悔いているというのに、往来する隊員たちの視線はとても冷たい。まるで罪人を見るような目だ。自らに向けられる氷の視線に耐えられなくなったのか、瑠璃は学生隊舎に戻ると揚羽に告げると、猟犬から逃げる子鹿のように早足で構内を歩いていった。怪我を治して復帰したというのに、基地に戻ってみれば敵意剥き出しの態度で出迎えられた瑠璃は、気の毒としか言いようがない。

 瑠璃は山口県防府北基地・航空学生教育群にいた頃から揚羽に親切にしてくれた。いわば姉のような存在である。その瑠璃を朝倉1尉は危険を顧みず助けてくれたのだ。なんとか朝倉1尉にお礼を言うことはできないだろうか。あまり賢くない頭脳を回転させて揚羽は考えた。確か颯は朝倉1尉を航学の同期だと言っていた。であれば電話番号かメールアドレスを知っているだろう。ここはひとつ颯に頼ってみるべきか。飛行訓練は自粛しているから、11格納庫に出向いても颯には会えないだろうし、隊舎の事務室でデスクワークをしているかもしれない。それにわざわざ呼び出してもらうのも些か気が引ける。

 揚羽は腕時計の文字盤を見やった。時刻は12時を少し回っている。一日で一番食堂に人が集まる時間帯なので、颯もいるかもしれないと思った揚羽は、とりあえず隊員食堂に足を運んでみることにした。お昼時で賑わう食堂に入った揚羽は、長机が並ぶ飲食スペースの一番奥の角席に座って昼食を摂っている颯を見つけた。唐揚げ定食を食べている颯の向かい側には、ブルーインパルスの部隊ワッペンとドルフィンライダーのショルダーワッペンがついた、オリーブグリーンのパイロットスーツを着た青年が腰掛けている。颯よりも先に揚羽を見つけたのは、彼の向かい側に座って談笑していた青年だった。

「もしかして……君はドルフィンテールの燕揚羽ちゃん!?」

 席から立ち上がった青年は、目を輝かせながら真っ直ぐ揚羽のところにやってくる。見知らぬ青年に名前を呼ばれた揚羽は、もちろん戸惑ってしまった。

「えっと、あの、貴方は……?」

「俺は蛍木黎児1等空尉。地獄のポジションの4番機スロットを担当してるんだ。ずっと前から揚羽ちゃんとお話ししたかったんだよ~」

 自己紹介をした蛍木黎児1等空尉は、海辺の朝のような爽やかな笑顔を浮かべて見せた。年齢は颯と同じ20代後半だろうか。やや垂れ目がちな双眸と、片方の頬に浮かぶ笑窪が魅力的な青年だ。マッシュベースのショートヘアはミルクティーのような柔らかい茶色で、スパイラルと平巻きのミックスパーマがかかったようになっている。本人いわく髪質と髪の色は生まれつきで、伯父と母親も同じ髪の色をしているらしい。

 黎児が自ら言ったとおり、4番機はブルーインパルスのなかで地獄のポジションだと言われている。飛行機は危険な時は上に逃げるのがセオリーだが、4番機は編隊飛行をする時、隊長機の後方下部を飛行するため、上方に逃げ場がないからだ。1番機のジェット排気を直接浴びるために、気流が不安定な中でのコントロール。1番機のスモークを浴びつづけるためキャノピーが汚れ、アクロ後半では視界も悪くなっていく。さらには編隊の両側に2番機と3番機がいるのでどこにも逃げ場がない。おまけに追突の危険もある4番機は、まさに地獄のポジションだと言えるだろう。左右のバランスと先頭との距離、1番機からの後方排気を考慮しつつ、安定した飛行が要求される4番機パイロットの黎児は、優れた操縦技術を持っているにちがいない。

「俺と話したくて捜しにきてくれたんだよね? それじゃあ向こうの席でゆっくり話そうか」

 黎児は揚羽の肩にさりげなく手を回してきた。それに顔の距離も近い。下手をすれば唇が触れ合ってしまいそうだ。

「すみません、私、鷲海1尉にお話ししたいことがあって――」

「ええっ!? 俺に会いにきてくれたんじゃないの!? こんな無愛想な奴より俺と話すほうが楽しいのに~」

「……誰が無愛想な奴だって?」

 今まで黙々と唐揚げ定食を食べていた颯が、ここでようやく声を出して顔を動かした。颯と視線が重なったその瞬間、彼に抱き締められた時の記憶が揚羽の脳裡に蘇り、恥ずかしさと気まずさが胸を叩く。

「それで? 俺になんの用なんだ」

 椅子の背もたれにもたれかかって腕と脚を組んだ颯が尋ねてきた。朝倉1尉に会うために赴いた救難隊隊舎で、隊員に冷たい態度で応対されたことを話すと、颯と黎児は互いに顔を見合わせた。

「無理もないよな。俺たちパイロットとメディックは仲が悪いからね」

「仲が悪い?」

 黎児が伯父と同じ戦闘機部隊にいたパイロットの奥さんから聞いた話によると、同じ基地に属していても救難隊と飛行隊はまったくの別組織らしい。交流会や懇親会も開かれないし、一緒に訓練を行うこともほとんどない。パイロットだと分かっても、どの飛行隊に所属しているのかも分からないそうだ。おまけに戦闘機パイロットの中には救難隊や輸送隊を下に見ている者もいるらしい。そう言えば揚羽が航空学生として山口県防府北基地・航空学生教育群にいた時、防衛大出身の幹部候補生と高卒の航空学生が、反目し合っていた光景を何度か見たことがある。ファイターパイロットとメディックの関係も、それと同じ氷炭相容れずということなのか。

「ファイターパイロットは国家防衛の盾となる身を宣誓したからね。膨大な血税が投入された戦闘機に乗って、超常的な飛行の愉悦に浸るという行為が自分たちだけに許されているのは、命を捨てる覚悟に対する『反対給付』のようなものだって考えちゃうんだよ。そんなある種の特権意識を持っているから、他者を見下すような態度を取ってしまうんだろうね。大丈夫だよ、揚羽ちゃん。颯とは違って俺はそんなことしないからさ!」

「そうなんですか……。詳しいんですね」

「詳しいんですね、じゃねぇだろ。俺に話があるんじゃないのか?」

 颯はパソコンに打ち込んだ文字が誤変換された時のような苛立ちを見せた。いつの間にか話が脱線していたらしい。

「鷲海1尉は朝倉1尉と航学の同期だって言ってましたよね。朝倉1尉と連絡を取ることってできませんか?」

 揚羽が訊くと颯は片方の眉を顰めた。

「いったい晴登に――」

「もしかしてデートしてくださいって言うんじゃ――ぐふっ!?」

 会話に乱入してきた黎児の口に大量の千切りキャベツが押し込まれた。千切りキャベツで黎児の口を塞いだのは颯である。揚羽のほうを向いた颯は、娘に彼氏がいることを初めて知った父親のような顔をしていた。

「……お前、マジで晴登にデートしてくれって頼むつもりなのか?」

「ちっ、違います! 私は瑠璃さんを助けてくれたお礼を朝倉1尉に言いたいだけです!」

「瑠璃? クラッシュバリアに突っ込んだ21飛行隊のパイロットか?」

 揚羽が「そうです」と頷くと、颯はどことなく安堵したような面持ちになった。

「それならそうと早く言えよ。晴登に連絡はしてみるけれど、会えるかどうかは分からないからな」

「はい。ありがとうございます」

 ポケットからスマートフォンを引っ張り出した颯が電話番号を打ちこもうとしたその時だ。今まで大量の千切りキャベツを咀嚼していた黎児が再び割り込んできた。

「だったら今度の休みに晴登と瑠璃さんを呼んで、颯の部屋で鍋パーティーをやろうぜ! みんなで鍋をつつけばすぐに仲良くなれるぞ!」

「おい! なんで俺の部屋でやるんだよ!」

「飯食って風呂に入って寝るだけの部屋なんだから別にいいだろ! 颯は土鍋とカセットコンロ、俺は肉と野菜とお酒を準備するから、揚羽ちゃんと瑠璃さんは、お茶とジュースとお菓子を買って持ってきてくれる? それじゃあ今週土曜の午後6時ということで!」

 あっという間にスケジュールを組み込んだ黎児は席を立ち上がると、鼻歌を歌いながら上機嫌で食堂から出て行った。その場に取り残された揚羽は、恐る恐る視線を動かして颯のほうを見やる。颯は左右の目尻を吊り上げて唇をひん曲げていた。きっと颯の腹の底では出口を持たない怒りの塊が、あたかも溶岩のようにぐらぐらと煮えたぎっているに違いないと、揚羽は思ったのだった。
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