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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第2章 風巻が吹く

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彼女はイルカの尻尾

 ピリオドごとの飛行訓練を終えたパイロットは、飛行隊隊舎のブリーフィングルームに集合して、フライト後の振り返りと評価・反省をするデブリーフィングを行う。フライトについて特に何も言われなかったが、しいて言えばローアングル・キューバン・テイクオフの離陸高度が、少し低すぎたかもしれないと鬼熊3佐に指摘されたくらいだった。パイロットたちが退室していくなか、颯はその場に留まりデブリーフィングの復習をしていたのだが、自分の他にもう一人のパイロットが部屋に残っていることに気づいた。

「聞いたぞ聞いたぞ~。お前、あのドルフィンテールちゃんと喧嘩したんだってな!」

 薄ら笑いを浮かべながら颯に話しかけてきたのは、4番機のドルフィンライダーの、蛍木黎児ほたるぎれいじ1等空尉だ。一見すると甘く整った顔立ちの爽やかな好青年だが、好みのタイプの女性を見つけると、すぐ口説きにかかるという悪癖の持ち主でもある。

 TACネームは蛍の英語名の「ファイアフライ」だが、それでは長いから縮めて「フライ」にしたらどうだと、先輩パイロットから意見が上がった。しかし「フライ」だと蛍ではなく蠅になってしまうので、なんとかそれは避けたいと黎児が必死に懇願した結果、最初に提案されたファイアフライに落ち着いたというわけだ。

「ドルフィンテール? なんだよそれ」

「毎日欠かさずT‐4を見に来る第21飛行隊の女の子だよ。ちらっと見たけれど、すっげー可愛い子じゃないか! あんな子が松島にいたなんて知らなかったぜ!」

 ドルフィンテールなんて知らないと思っていたが、「第21飛行隊の女の子」と聞いて颯はようやく思い出した。許可もなくT‐4に触ろうとしていたから止めようとしたのだが、いろいろとアクシデントが積み重なってしまい、口論を繰り広げた生意気な学生パイロット。黎児が言うように可愛い子だったかどうかは覚えていない。なるほど、彼女が近頃部隊の中で噂になっているドルフィンテールだったのか。自分にはどうでもいいことだったが、一つだけ指摘しておきたいことがあった。

「馬鹿、イルカに尻尾はねぇよ。あれは尻尾じゃなくて尾鰭おひれだから、ドルフィンテールじゃなくて『ドルフィンフィン』だろ」

 颯の言った「ドルフィンフィン」は、どうやら黎児の笑いのツボを刺激したらしい。黎児は「ぶふっ!」と妙な声を出すと、ミーティングテーブルに突っ伏して肩を震わせ始めた。底抜けに明るい男だと颯はつくづく思う。伯父が横田基地航空総隊司令というエリート男子なのに、そのことを鼻にもかけず、誰にも気さくに接するので、黎児は基地の誰からも好かれているのだ。

 黎児が担当する4番機パイロットは、第4航空団飛行群の戦技企画班長を兼務している。展示飛行などの際の、隊員の宿泊や給食については、航空団のほうで各部署に手配してもらえるのだが、その際に航空団と部隊の間に入って調整する役割を担っているので、コミュニケーション能力が高い黎児は、まさに適職だと言えるかもしれない。

「それでだな、21飛行隊の学生にさり気なく聞いてみたところ、彼女は燕揚羽ちゃんっていうらしいぞ。顔だけじゃなくて名前も可愛いなんて最高じゃないか!」

 ついさっきまで興味なんてまったくなかったのに、黎児が言った名前に颯の意識は反応した。

「燕――? そのドルフィンテール、燕っていう名字なのか」

「そう聞いたぞ。もしかして知り合いなのか?」

「……まさか。生意気な女だったから覚えていただけさ」

「それを聞いて安心したぜ! ライバルは一人でも少ないほうがいいからな!」

 ――いったいなんのライバルだよ。と颯は心の中でガッツポーズをする黎児につっこんだ。どうやら黎児の脳内は常に恋愛スイッチがONになっているらしい。恋愛スイッチよりも仕事スイッチをONにしろと言いたい気分だ。

「鷲海、話がある。隊長室にきてくれ」

 ブリーフィングルームと隊長室を繋いでいるドアが開き、1番機のドルフィンライダーで飛行隊長の蓮華悠一2等空佐が顔を覗かせた。蓮華2佐は35歳の若さでブルーインパルスの飛行隊長の座に昇りつめた、防衛大学校出身のエリート幹部である。おまけに蓮華2佐はすらりとした長身の美丈夫なので、航空祭では彼のサインと握手と写真撮影を求める女性ファンたちで、長蛇の列ができるほどだ。蓮華2佐が颯を名字の鷲海で呼ぶ時は、決まって重要な話の場合が多い。「はい」と答えた颯は席を立って隊長室に向かい、ドアを閉めてから机の椅子に腰かけた蓮華2佐の正面に直立した。

「鷲海はMAMORを知っているか?」

「はい。防衛省が編集協力している広報誌ですよね」

「そうだ。そのMAMORからお前を取材したいと申し出があった」

「――はい?」

 なんでも広報誌MAMORは「航空自衛隊のイケメン特集!」という、見開き2ページの記事を組んでいて、どういうわけか今回自分に白羽の矢が立ったらしい。暇つぶしがてらに特集記事を何度か読んだことはあるが、ページの大半を写真が占領していて、文面はプロフィール程度だった。

 そんな内容のないふざけた企画の記事に、こともあろうにブルーインパルスの代表として自分を売り込むだって? まさに前代未聞の広報ではないか。おまけに航空幕僚監部広報室の室長は、満面の笑顔で即決したらしい。今すぐにでも広報室に乗り込んで、無責任な室長を怒鳴りつけたい思いだ。

「形はどうであれ、自衛隊に興味を持ってくれるのはいいことだ。自衛隊は国家公務員だから、敷居が高くて近寄りがたいイメージが、一般に定着している。おまけに自衛隊を毛嫌いしている人たちも少なくはない。そんななか取材をさせてくれと申し出があったんだ。お前が乗り気じゃないのは分かっているが、ここはひとつブルーインパルスの代表として、受けてくれないか?」

 第11飛行隊ブルーインパルスは、航空自衛隊の代表として、多くの人たちと接する役割を担う部隊である。それに5番機パイロットの颯は、外部からの取材や広報を担当する広報幹部だ。気が進まないから取材を受けないなんて、それこそまさに職務放棄に当てはまる。あらかじめ質問内容は決まっているというし、写真撮影もすぐに終わるだろう。そう思った颯はMAMORからの取材依頼を受けることにしたのだが、己の考えが甘かったことを思い知るのだった。
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