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青空のスワローテール 作者:蒼井マリル

第1章 雲の湊、始まりの出会い

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スワローガール、テイクオフ!

 青空を真っ直ぐに伸びる雲に、直交する波状の雲が重なっている。白い筋や帯に見えるもの、釣り針のようなもの、鳥の羽根や馬の尻尾を連想させるもの、ほつれた絹糸を思わせる形の雲が浮いている。きっと夕焼けの時は最後まで美しく輝くだろう。

 穏やかに晴れ渡る青空を一機の航空機が飛んでいた。濃い青色の海上迷彩塗装。左右にぴんと伸びた主翼。曲線的な風防キャノピーと胴体下面に配置された半月型のエアインテーク。翼に描かれた白い縁取りと赤い円の国籍記号。直立する垂直尾翼は槍のように高く鋭い。全長15メートルの航空機の名前は、平成の零戦ことF‐2バイパーゼロ。「対艦番長」という勇ましい呼び名を持つ航空自衛隊の戦闘機である。前後に座席が並ぶ複座型のF‐2Bには二人のパイロットが乗っていた。

『今日も空は綺麗だなぁ……』

『おい! スワローガール! 訓練は着陸するまで終わっていないんだぞ! ぼけっと呟いてる暇があったら着陸の準備をしろ!』

 操縦席のパイロットが呟く。すると棘のある声が前後席通話装置を通じて届けられた。頭で思ったことを呟いてしまっただけではないか――と「スワローガール」と呼ばれたパイロットは心の中で反駁する。

 堂々と反駁できないのは相手が教官だからでもあるし、彼が言ったことがぐうの音も出ない正論であるからだ。飛行訓練は基地に帰投するまでが訓練。空の上では何が起こるか予測できない。ゆえに一秒たりとも気を抜いてはいけないのだ。「ラジャー」と返したパイロットは気を引き締めて飛行を続ける。ややあって視界前方に管制塔が見えてきたので、パイロットは無線のチャンネルをTWRタワーに合わせた。

『アポロ15、松島タワー。15マイル、ノースストレート、インフルストップ』

『松島タワー、アポロ15。チェックギアダウン、ランウェイ25L。クリアード・トゥ・ランド、ウインド、ツー・スリー・ゼロ、アット、ゼロワン』

『アポロ15、ラジャー。ランウェイ25L。インフルストップ』

 管制塔に応えたパイロットはHUDヘッド・アップ・ディスプレイに視線を向けた。縦の緑色のラインはグライドスロープニードルといい、滑走路ランウェイの位置を示している。まずはこのラインと、現在の速度・方向で飛行を続けた場合の到達地点を示す、ベロシティベクトルを重ねなければならない。ラダーペダルを踏んだパイロットは、左右に機首を振ってグライドスロープニードルをベロシティベクトルに重ねた。

 横の緑色のラインのローカライザーニードルは、理想の進入角度を示している。次はベロシティベクトルをローカライザーニードルに合わせつつ、スロットルを落として300キロ前後まで減速だ。雲の波が断ち切れ指示されたランウェイ25が近づいてくる。機首を起こしながら200キロ前後まで減速。左右の主脚とメインギアが滑走路に接地した。そのまま減速を続けたF‐2Bは綺麗に停止した。

『アポロ15、ナイスランディング』

『えっ? やった! 褒められましたよ!』

『ぼけっとするなって言っただろうが! さっさと駐機場エプロンに行け! アイハブするぞこら!』

 褒められたかと思ったらすかさず教官に怒鳴られた。まさに飴と鞭である。もしかしたら管制官にも今の会話を聞かれたかもしれない。管制官の皆さんに大爆笑されているであろう光景を脳裡に浮かべながら、パイロットはタキシングでF‐2Bを誘導路タキシーウェイからエプロンに走らせた。誘導係の整備員のパドルに従いながら、慎重にタキシングを続ける。赤色のパドルが交差した瞬間にブレーキを踏み込む。お辞儀をするように機首を上下させたF‐2Bは、決められた位置で停止した。

 帰投を待ち構えていた担当の機付き整備員たちがすぐさま走ってきた。機体胴体左側に乗降用の梯子ラダーが固定される。梯子を上った整備員は、キャノピーを開放したパイロットと教官を座席に固定している、ベルトとショルダーハーネスを手際よく外していく。束縛から解放された二人は、順番に梯子を伝って地面に下りた。空調が効いているとはいえやはり密閉空間のコクピットの中は蒸し暑い。だからパイロットは基地の空気がいつもより綺麗に感じられたのだった。

「装備を脱いだらすぐブリーフィングルームに来い。――徹底的に指導してやるから覚悟しとけよ、スワローガール」

 ドスの効いた声音で言った担当教官の遠藤龍二えんどうりゅうじ3等空佐は、エプロンを去って格納庫の救命装備室に姿を消した。遠藤3佐の背中を見送ったパイロットは、大きく嘆息するとフックからベルトを外して、灰色塗装のヘルメットを脱いだ。春風にたなびくふんわりとしたハニーベージュのショートヘアは、ランダムに重なり合うカールがついていて、ところどころが元気よくぴんと跳ねている。幼さが色濃く残る可憐な顔立ちには、酸素マスクの跡がくっきりと残っていた。

「……私はスワローガールじゃないもん。何度言ったら分かってくれるのかしら」

 桜色の唇を不満そうに尖らせる彼女の名前は燕揚羽つばめあげは1等空曹。宮城県航空自衛隊松島基地・第21飛行隊で、日々訓練に励む元気いっぱいの航空学生だ。そんな揚羽の夢はもちろん一人前のファイターパイロットになることだ。そして憧れのパイロットが飛んでいた、第11飛行隊ブルーインパルスのドルフィンライダーになるのが最終目標である。いきなり救命装備室から顔を突き出した、遠藤3佐に呼ばわれた揚羽は、「はい!」と返事を返して、ヘルメットバッグとビデオテープを両手に持つと、地面を蹴り飛ばし大慌てで走っていった。
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