この度は『迷ったら 楽しい方を えらぶのが いいと思う』にお越し下さり誠にありがとうございます。KIKUと申します。

2017年5月から、徒然な日常を拙い文章ながら綴っております。更新は不定期です。

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書籍『哲学的な何か、あと数学とか』

この度、ご縁があって、本が好き!というサイトで書評(?)を書かせて頂くことになりました。(正直KIKUは簡単な"まとめ"ないし"感想"くらいしか書けません。)

 今回はお友達にお譲りする予定の書籍について、書評と言う名の備忘録を作成いたしました。長文で恐縮ですが、もしご興味がございましたら、ご覧いただけたら幸いでございます。

最近、二見文庫から出版された『哲学的な何か、あと科学とか』の文庫本をお読みになって大変面白かったとのことだったので、同著者の以下の書籍をお薦めしてみました! 実は、もし気に入っていただけたら、今度は秘かにサイモン・シンの書かれた『フェルマーの最終定理』もお薦めしてみる予定を立てております。楽しみです!

哲学的な何か、あと数学とか

哲学的な何か、あと数学とか

 

数学の世界には、証明されていない未解決問題がたくさんございます。
リーマン予想」「P≠NP予想」「BSD予想」「ホッジ予想」など、懸賞金までかけられている問題もいくつかあります。
1995年2月13日にイギリスの数学者"アンドリュー・ワイルズ"によって解かれたフェルマーの最終定理もそのような未解決問題のひとつでした。

この「フェルマーの最終定理」を残した"ピエール・ド・フェルマー"は、1600年代のフランスの法律家でした。数学はただの趣味にすぎないものでした。
しかし、彼が正真正銘の天才であることは、数々の逸話から知ることができます。
「確率論の父」と呼ばれる"ブレーズ・パスカル"は数学における確率論の創設者です。しかし、彼の確率論は全てフェルマーとの文通で作られたものだと言われております。
また、数学の微分積分"アイザック・ニュートン"が発明したとされておりますが、彼の書簡にははっきりと「フェルマー氏からアイデアを得た」と書き残しております。

しかしながら、フェルマーにはとても悪い癖がありました。それは、証明を書き残さないというものでした。彼は数学界への貢献や名誉に頓着せず、ただ静かに美しい数学の世界を堪能できればよかったようです。
(さらに、もうひとつ彼には悪い癖がありました。多くの数学者たちに新発見の定理を送りつけて、挑発を繰り返しておりました。そしてそれらは、全て正しかったのでした。)

フェルマーの死去後、彼がメモとして書き留めていた内容を、彼の息子がとりまとめて出版致しました。
そちらには、彼が証明したメモが残されているけれど、その肝心の証明方法が残っていない48個の定理が載せられていたことで、脚光を浴びることになりました。
これらのひとつに、100余の第2巻第8問に後に「フェルマーの最終定理」と呼ばれることになる注釈が記載されておりました。

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第8問はピタゴラス数に関するもので、上の式のnに2を代入すればおなじみのピタゴラスの定理になります。これについて論じた数論に対してフェルマーは2以上の数字を代入した場合を考え、以下の注釈をメモとして書き留めていたと言われております。

Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.
立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

 

そして、こちらが後にフェルマーの最終定理と呼ばれるようになります。

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1700年代に入り、当時、最大最高の数学者であった"レオンハルトオイラー"全ての整数は、素数の倍数で表現できるという定理よりnが素数のときに、「フェルマーの最終定理」が成り立つことさえ証明できればよいことを突き止めました。
そこで、彼は n=3 の場合と n=4 の場合について、証明方法を見つけました。加えて、n=3, n=4 のそれぞれの倍数についても自動的に「フェルマーの最終定理」が成り立つことを証明いたしました。

オイラーの死去から半世紀が過ぎた頃、"ソフィ・ジェルマン"というフランスの裕福な商人の娘が女性数学者となりました。
彼女は、nが素数の時に方程式がどのような性質を持つかを調べた結果、ドイツの数学者"ペーター・グスタフ・ディリクレ"は n=5 のとき、フランスの数学者"ガブリエル・ラメ"は n=7 のときに「フェルマーの最終定理」が成り立つことの証明に成功しました。

それぞれの素数(n=3, n=5, n=7)についての証明方法が確立されたことに加え、フランス科学アカデミーが「フェルマーの最終定理」の証明に金メダルと莫大な懸賞金をかけることを発表したことで、多くの優秀な数学者たちが、すべての素数のときについて成り立つように改良を重ねる挑戦を始めました。
n=7 のときについて定理が成り立つことを証明したラメや、「フランスのガウス」とまで呼ばれた数学者"オーギュスタン=ルイ・コーシー"も争うように証明の完成に勤しんでおりました。
しかし、証明の完成が間近と思われていた矢先に、ドイツからディリクレの弟子"エルンスト・クンマー"から彼らの証明方法に致命的な欠陥があることを指摘する手紙が送られてきました。
ラメとコーシーの方法では、証明の過程で虚数を使っているため、素因数分解の一意性(どのような数字でも素数かけ算として表すことができる。そして、その組み合わせは1通りしかない)を満たすことができなかったのです。彼らの証明方法では、この一意性が前提となっていたため、その前提が満たされなければ、証明は意味を成しませんでした。

そこで、クンマー素因数分解の一意性を満たせるような理想数(理想の素数)が存在すると仮定しました。そして、一意性を満たさない素数を偽物の素数と考えることで、ラメとコーシーの証明方法の問題を回避しました。
しかしながら、彼はこの理想数を導入する方法でも一意性を回避できない n=37, n=59, n=67という奇妙な素数を発見しました。彼はこれらは非正規素数と名付けました。彼は100以下の非正規素数についてはそれぞれ個別に研究して解決できたものの、問題はこの非正規素数が無限に存在することにありました。
つまり、nが非正規素数の場合には、素因数分解の一意性を回避できず、かつこの非正規素数を取り扱う方法は当時の数学には存在しないため、ラメとコーシーの証明方法では「フェルマーの最終定理」についての証明が絶望的という結論に達しました。
結局、「フェルマーの最終定理」にかけられたメダル懸賞金は、該当者なしとして取り下げられ、代わりに立派な研究結果を残したクンマーにメダルが授与されることとなりました。

ラメとコーシーの証明失敗からさらに半世紀が過ぎた1900年頃、資本家のパウル・ヴォルフスケールがひとつの驚くべき遺言状を残しました。それは、「フェルマーの最終定理」を証明したものに、国立科学アカデミー・レオポルディーナを通して10万マルクを与えるというものでした。

ところで、1955年の日光で"谷山豊"が発表した内容を、志村五郎によって洗練され正確に定式化された仮説を谷山=志村予想(当時はまだ証明はなされていなかった)と呼びます。この数学の命題はすべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラー形式であるというものです。
楕円曲線とは直線、2次曲線(円,楕円,放物線,双曲線)の次に基本的な曲線です。
3次式 y^2 = x^3 + ax + b で定義された非特異(グラフが尖点を持ったり、自分自身と交叉したりはしない)な曲線を指します。
2000年以上前の古代ギリシアの時代からあり、惑星の軌道を計算するときなどに用いられます。世界の中にしばしば現れるような、いわゆる自然で美しい曲線であると言われております。(多くの数学者により深く研究されてきましたが、まだまだ分からないことも多いとのことです。)
一方のモジュラー形式とは、複素平面上で非常に多くの対称性を持つ、つまりある一定の操作を行っても何も変化が起きない(図形的に形が変わらない)不思議な性質をもった関数のことです。1900年頃に"ジュール=アンリ・ポアンカレ"によって考え出されたものです。
これらは、どちらも"ゼータ関数"と呼ばれる数式を作り出すことができます。
そのため彼らは、まったく異なる概念である楕円曲線モジュラー形式の2つの数式は、共通の構造(ゼータ関数)を通じて繋がっており、見方を変えることによって楕円曲線と呼ばれるものになったり、モジュラー形式と呼ばれるものになったりするだけで、それらは同時に存在すると考えました。

クンマーが正規素数についての証明を解決したことで、「フェルマーの最終定理」は非正規素数の証明を残すのみとなりました。そして、ドイツの数学者"ゲルハルト・フライ"は数論幾何(整数に関する問題を幾何学的手法を使って研究)による観点からアプローチを試みました。
ある小さな街で開かれた数学の講演会での出来事です。彼は「フェルマーの最終定理」に対する反例を足掛かりに、谷村=志村予想を証明することは、フェルマーの最終定理を証明することに繋がっていると結論付けました。しかし、彼の証明にはミスがありました。アメリカ合衆国の数学者"ケン・リベット"がこの問題を解決したことにより、伝説の未解決問題フェルマーの最終定理と最新の未解決問題「谷山=志村予想」が完全に結びつきました

そして、遂に1995年、ワイルズが弟子の"リチャード・テイラー"の助けなども借りてフェルマーの最終定理の証明を完成させました。実に360年に渡る歴史に決着を付けました。