最近、中国北西部の人里離れた場所で、3000年前の太陽の祭壇が発掘された。この遺跡は、何千年も前にこの地に住んでいた人々の文化や宗教を知る手がかりとなっている。
実は、この遺跡が中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で見つかったのは1993年である。しかし、2016年になるまで発掘されなかった。考古学者たちは発見当初から、この遺跡が青銅器時代の太陽の祭壇だとにらんでいたが、ようやくそれが確かめられることになった。(参考記事:「色鮮やかによみがえる兵馬俑」)
遺跡があるのはカザフスタンとモンゴルに挟まれた草原地帯で、かつては遊牧民が支配した場所だ。似たような太陽の祭壇は中国東部からも見つかっているものの、新疆のものは独特だ。
祭壇は3重に並べられた石の輪からできている。最も外側の輪の直径は約100メートルある。これだけの規模があるということは、石を運ぶために人や馬が使われたと考古学者はみる。(参考記事:「古代人は巨石をいかにして運んだか」)
祭壇は、遊牧地帯と古代中国を支配した王朝との間に強い文化的なつながりがあることを示していることから、考古学者たちはこの発見を非常に重要なものと受けとめている。(参考記事:「黄河に古代の大洪水跡、伝説の王朝が実在?」)
「天山山脈のふもとにあたるバインブルク草原は、シルクロードの要衝として知られています。この祭壇は、黄河中下流域の中原地方の文化がバインブルク草原まで到達していたことを証明するものです」。遺跡の研究にあたった考古学者の一人、劉傳銘(リウ・チャンミン)氏は、中国国営テレビ局、中国中央電視台の動画でそう語った。
北京の史跡、天壇とも類似
シルクロードが歴史に登場するのは、紀元前2世紀から1世紀にかけての漢王朝の時代だ。漢の外交官だった張騫(ちょうけん)が西域を旅したときに始まるとも言われ、15世紀ごろまで使われて、貿易、経済、文化の発展に大きく貢献した。(参考記事:「兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か」)
遺跡が築かれた当時、多くの文化では、太陽が信仰されていた。(参考記事:「沈黙の巨石 ストーンヘンジの謎])
「古代より、ユーラシア大陸の文明はすべて円を太陽の象徴としてきました。ゲルと呼ばれるモンゴル伝統のテントも、この祭壇と同じ構造になっています」。同じ動画で、考古学者の巫新華(ウー・シンファ)氏は述べている。(参考記事:「草原を去るモンゴルの遊牧民」)
この動画には、ゲルの内部が映っている。巫氏は、天井から吊された3枚の布は、それぞれ天、光、太陽への信仰を象徴していると言う。
さらに巫氏は、北京の史跡、天壇との類似点も指摘した。天壇も3層をなす円形の構造で、天や太陽信仰のための祭壇である。(参考記事:「中国の死者の世界」)
「天」に対する崇拝は、中国でも最古の部類に属する宗教だと考えられている。儀式や人間以外の生贄を捧げる際には、土を盛り上げた塚がよく使われていた。とはいえ、新疆で見つかった太陽の祭壇の正確な目的はまだわからない。太陽信仰は、アフリカやインド・ヨーロッパ地域の文明でも一般的に行われていた。
考古学者たちは、古代シルクロードの歴史を紐解くため、この太陽の祭壇の発掘を続ける予定だ。