まるで他人事のように繰り返すばかり
自分たちだけよければよい。勝つためには手段を選ばない。嘘をついても責任は取らず、傲慢なのに国民におもねり、テレビ映りを気にして、いかにすれば自分が誠実で有能に見えるかばかり考えている政治家たち。政治主導って本当は政治家が責任を取ることですよね。責任を取らないで、官僚に責任をなすりつけておいて、官僚に任せない。最近では眼がガラス玉のようになってきて、「信じてもらえないかもしれないけれど、知らなかった」とか、「なぜこんなことになったのか、私も知りたい」などと、まるで他人事のように繰り返すばかり。
と、ここまでの見解に対し、大半の方に、おぉ武田、全くその通りだよ、と思っていただけたのではないかと思うのだが、前段落は武田の見解ではなく、全て稲田朋美防衛大臣のこれまでの発言で構成されております(「~考えている政治家たち」までが稲田朋美『私は日本を守りたい』。「~官僚に任せない」までが女性国会議員9名×加藤清隆『時代が登場をうながす女性宰相待望論』。以降が『渡部昇一、「女子会」に挑む!』)。
ハチ公前に来たお前の「誤解」だ
都議会議員選挙の応援演説で「自衛隊としてもお願いしたい」などと発言した稲田大臣に批判が集中すると、その後の会見で「誤解」という言葉を35回も連発して釈明した。「防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いしたい」と発言したことに対して、「私としては、防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく、誤解を招きかねない発言であり、撤回をしたということであります」と答えてみせた。近年稀に見るパワフルな釈明である。友人から「渋谷・ハチ公前・17時集合でお願いしたい」というLINEを受け取り、その時間に合わせてハチ公前で待っていたところ、「私としては、渋谷・ハチ公前・17時集合とお願いするという意図は全くなく」と新宿のアルタ前から19時にLINEがやって来たら、おおよその友情は壊れると思う。でも、稲田理論では、それはあくまでもハチ公前に来たお前の「誤解」だというのである。
「誤解されかねない発言」という言い方を、政治家は頻繁に使う。自分の発言が間違っているわけではない、でも、理解力が無いメディアや有権者が誤解しちゃいそうだから、撤回しておきますね、というもの。受け取る側の能力不足を匂わせることで、自身の失言自体をうやむやにする。しかし、「防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いしたい」という発言を「私としては、防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく」と切り返すのは、さすがに誤解の限界を超えている。もはや、誤解の新境地である。
「『その国のために戦えるか』が国籍の本質」
説明不足ですみません、と陳謝したわけだが、説明はまったく足りている。これほど説明が100%済んでいる発言も珍しい。そもそも、誤解とはどういう状態・思案を指すのだろうか。折角なので、引き続き稲田大臣のこれまでの発言から引用してみよう。
「左翼がこれまで進めてきた教育は、戦前の反省を口にしながら、子供たちに日本人としての自覚を失わせ、国を憎ませ、父母や祖父母に軽蔑、憎悪の念を抱かせることを企図してきました」(渡部昇一・稲田朋美・八木秀次『日本を弑する人々』)
閉口する。これまでの教育は、父母や祖父母に軽蔑・憎悪の念を抱かせてきたらしい。そして、かつての日本が諸外国に対して行った行為を反省することは、彼女らにとっては「父祖の創り上げた国を弑虐する行為」なのだそう。反省することがいつの間にか弑虐(しいぎゃく)=「臣下・子など目下の者が、主君や親などを殺すこと」(デジタル大辞泉)に飛躍していく。そう、この飛躍こそが本来、「誤解」と呼ばれるものだ。「『その国のために戦えるか』が国籍の本質」(同書)なんて発言もあるけれど、もはや誤解というか曲解というか、曲芸の部類である。
「政治家ってそういうもの」という達観
持論の補強のために異なる要素を出すと「誤解」と片されるので、今回は徹底して稲田大臣の発言のみから引っ張るが、夫婦別姓運動は「秩序破壊運動に利用されている」(『私は日本を守りたい』)くらいの発言が、彼女を取り巻く人々の中ではいくらでも繰り返されてきた。闇雲に国益を優先する人達は、主張する一個人をすぐに「何でもかんでも権利を求める個人」と規定する。国の力を膨らませる・取り戻すために、個人から放たれる申し出や問いかけを「誤解」と片付ける。夫婦別姓運動を秩序破壊運動、とするスケール感は、まさしくその象徴的な例だと思う。
昨今の政治家について「まるで他人事のように繰り返すばかり」と嘆いていた稲田大臣は、まるで他人事のように「誤解だ」と35回も繰り返した。政治家の言葉が軽い、との印象はずっと続いており、ともすれば順番が逆転して、言葉が軽いのが政治家、との印象に落ち着いている感すらある。それが「政治家ってそういうもの」という達観に到達すると、今度は政治家の失言について「いちいち指摘するメディアってどうなのよ」とメディア批判に励むのが、有権者にとって少々の快感にもなってしまう。稲田大臣が「(メディアや有権者に)誤解されかねない」と連呼しとけば乗り越えられると踏んだのも、その手のメディア批判を予期してのことだったはず。ふざけるんじゃない、と思う。いちいち指摘するべきだ。なので、とってもシンプルな結論を繰り返し投げる。都議選を挟んでなぜだか議論が萎んでいるけれど、稲田朋美防衛大臣は辞めるべきだ。
(イラスト:ハセガワシオリ)
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