表現の自由も、理解と共感で解決できると思いますか? 小学生の虹エロでオナニーすることに、理解や共感が得られると思いますか?
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理解と共感で解決せよと言っているのではなく、対立者への理解と共感と批判は両立するものだということです。私たちは、規制派の「小学生の虹エロ」への嫌悪感を理解することができます。しかしそのうえで、「それを表現する権利や、それを享受する自由を守ろう」と批判することは可能なはずです。
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どうして批判にいちいち「理解や共感」を付与しなければならないのでしょうか? それは文章的には「気持ちはわかる。しかし」と書くだけの小手先のテクニックでしか無く、そうして結果差別を肯定する人たちのやり口に、僕はうんざりしているのですよ。
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批判を受ける側も人間だからです。自由と権利を有する、人間だからです。
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借金玉のポエムというか、今回のバニラエアの問題というのは、本来は「バニラエア側が、障害者を運搬できる設備を怠った」という問題であるにも関わらず、それを「障害者が傍若無人に、周囲の係員や乗客に対して振る舞った問題」とすげ替えられているわけですよ。
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? 挿げ替えられているようには思いませんが。
会話の終了
新しい会話 -
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理解と共感で解決するなら、今回のバニラエアみたいな問題はそもそも発生していない。ポエムに酔っ払いすぎでしょ。
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