心に響く歌、いいですよね!曲中に投げかけられるメッセージで心が癒されたり、勇気づけられたりした事がある方も少なくないと思います。
その反面「あのアーティストは何言ってるか分からないからダメ」「メッセージ性がない」というような意見も聞いたことはありませんか?
今回はその辺について語らせていただきます。
ある音楽マニアの友達
昔よく遊んでいた友達でテクノユニットを組んでいる2人がいたのですが、彼らはいわゆる筋金入りの『音楽オタク』で間違いなく自分の人生で出会った人の中で一番の音楽好きでした。
当時彼らは2LDKにルームシェアして住んでいましたがキッチン以外の部屋の壁はほぼ全てレコードとCDラックで覆われ、ほとんどCD屋さんみたいな状態でしたね笑。
「演歌とクラシック、アイドル以外のジャンルはけっこー聞いてる」という彼らは自分の好きなHIPHOPにも詳しく、それがきっかけでかなり仲良くなりました。
自分も彼らの影響で今まで聞かなかったジャンルも聞くようになり「これおススメだから聞いてみ」といって渡してくれたCDRは100枚以上はあるかと思います。
俺らにとって音楽は抽象的なもの
でも付き合っていくうちにだんだん分かった事があったんですよ、「ん?この2人の好きな曲って人の声が入ってないの多いな」と。
テクノやノイズ、アンビエントなどの電子音のアーティストやロックにしても演奏だけ、ヒップホップもインストだけのものが多く、歌詞のあるものにしてもメッセージ性を感じさせないものが多かったんですよ。
この事について本人に尋ねたところ「ああ、例えば〇〇(俺)の好きなラップみたいに『俺はこう思う!』みたいなのはあまり今は聞かない。自分たちにとって音楽って抽象的なものだから、意味を求めるような音楽はちょっと違うんだよね」
なるほど、言われてみれば確かに。彼ら自身もCDを何枚もリリースしているのですが、その音源はどれも『無機質』な感じがとても濃厚でした。
人の声がたまに入っていても編集で声を籠らせたり切ったりとわざと何を言ってるか分からないようにして『意味を消す』ような表現が多用されていました。
『聞く曲』と『流す曲』
自分のブログを読んで下さった事のある方はお分かりかと思いますが自分はHIPHOP大好き野郎です。
どちらかといえばラップというのはHIPHOP文化の性質上「何かに訴えかける」「主張する」という側面が強いためメッセージ性が強い曲が多いですし、そういう音楽こそがいいものだという価値観がありました。
が、彼らの影響で今は『耳を傾けて''聞く''曲』と『なんとなく後ろで流しとく曲』の双方それぞれの良さがある事に気づきました。
メッセージ性が強い『耳を傾けて''聞く''曲』は確かにいいのですが、ずっと聞いてると疲れるというか、言葉が刺さるのでどうしても聞き流せない、みたいな部分があります。
でもだからといって無音ってのもツマんないなぁ、なんて時は『何となく後ろで流しとく曲』のような曲に意味を持たせないようなものがちょうどいいんじゃないかと思います。
2人のお陰でラップの好み自体の幅も広がって昔はあまり好きじゃなかった『ただ言葉遊びをしているだけのラップ』みたいなのも好きになりました。
人間関係に似てる??
今これを書いてて思ったんですけどコレって人間関係に似てません?
確かに人としてしっかりしてて正論を言う人って尊敬できるし素晴らしいと思いますけど、ずっと一緒にいると少し疲れる時ってありますよね。
逆にのほほ~んとしている人って「おい~しっかりしろよ大丈夫か~」なんて思いますけど一緒にいると楽だしリラックスできるって部分もあります。
今のは少し極端な例えですが、魅力のある人ってこれをうまく使い分けてるんじゃないかな~なんて思ったりしました。
同じように音楽もうまく使い分けていきましょ~(^◇^)
よし!今回はうまくまとまった!