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国家・民族 哲学

安倍政権はもう詰んでいる!? 国家が腐るときに起こりがちなこと

たそがれる国家(9)

国家が崩壊する時

歴史を振り返ってみると、ひとつの国家のかたちが崩壊する要因としてはいくつかのケースがあることがわかる。

そのひとつは大災害や疫病の大流行によって国家が衰弱したときで、古くはこのケースが何度となくあった。

第二は戦争の敗北によって占領され、それまでの国家の体制が終焉を迎えたときであり、1945年の日本の敗戦もそのひとつだった。

さらに第三の要因としては、これまでの国家体制が時代の変化に合わなくなったという問題がある。たとえば日本の歴史をみるなら、荘園制の衰退と武士の台頭が古代社会のかたちと合わなくなり、それは古代国家を崩壊させた。

第四のケースとしては、開発独裁型の政治が行き詰まり社会が不安定化したときで、このときは暴動などによって国家は内部崩壊することが多い。

独裁的な権力によって経済開発が強引にすすめられ、それが旧来の社会の安定をも崩壊させながら、経済開発の果実を国民に行き渡らせることができないときに起こるもので、清潔な政治がおこなわれたにもかかわらずこのような事態を招くことも、一部の人たちに利権が集中し腐敗を伴いながら行き詰まるときもあるが、途上国ではしばしば起こるかたちである。

第五に社会のさまざまなシステムが国家の下で統制され、その結果として国家依存型の社会がつくられることから生じる国家の崩壊がある。

国民が国家に依存し、いわば国家にぶら下がるかたちで生きるがゆえに、国家があたかも共同利益構造であるかのごとく体制がつくられ、そのことが国家に対する批判機能やチェック機能を麻痺させるときである。

このケースではいっとき独裁的な国家権力がつくられるが、「共同利益構造」がうまく機能しなくなったときにその国家は崩壊する。1991年のソ連崩壊にいたるソ連、東欧諸国で起こった事態は、これにあたると考えてよい。

第六の要因は国家が内部から腐っていくケースで、国が国民の信頼を失っていくときである。このケースでは国民の国家に対する虚無感が広がり、しばらくは静かな国家離れがつづくが、何らかのきっかけが生じると大きな社会変革運動が起こる。

 

だが実際には、このように整理しただけでは不完全なのである。なぜなら国家が崩壊していくときには、ひとつの要因だけでそれが起こるわけではなく、いくつかの要因が複合的に発生して起こることがほとんどだからである。

さらに述べれば、国家と国民という構図自体のなかに、国家が腐っていく要因が潜んでいるといってもよい。

ワルシャワ発の車内で見た衝撃の光景

1980年代後半のある日、私はベルリンからパリに向かう特急列車に乗ったことがあった。

この路線はそれまでも何度か乗っていたのだが、この日の列車内の様子には驚かされた。床はそこら中にゴミが散乱している。それも食べかけのパンが多い。端を少し食べただけのパンがいたるところに投げ捨てられているのである。

食べ物を捨てることには私たちは多少は抵抗感があるものだが、この列車内の捨てられ方はすさまじい。

驚いている私の表情をみて、近くの席にいた人が「ひどいですね」と話しかけてきた。そしてつづけた。

「この列車はワルシャワ発なのですよ」