これにそろそろ立ち向かわなければ、コンテが完成しない。
昨日寝倒してしまったので、今日ガチで読み込む。
今までは口にしなかったが、今日は読んで、覚悟して語る。
刊行は2012年8月、執筆時はまだ民主党政権の時だ。
当時のよしりん先生の民主党への態度もうかがえる。
あらかじめ言っておくが、僕がでしゃばるまでもなく、人間の常識としては「脱原発」、これが当たり前だ。
どんどん事故って、どんどん住めない地域を増やしてどうする?
それは経済以前に、日本のアイデンティティの問題だ。
「美しい国」を穢したにもかかわらず、一瞥だにせず原発推進する連中は国賊に等しい。
この一点だけ見ても、今の保守は余程「国賊」「売国」である。
今やドイツもフランスも「脱原発」だ。当たり前だ。アメリカのようにまったく必要ない広大な空き地などないからだ。
アメリカとかロシアとかには向いてると思うよ、原発。
「エネルギー安全保障」とか言ってる某ローゼン閣下に前から「はぁ??」と思っていたが、よしりん先生、
「そもそもウランだって100%輸入品だ!」おっしゃる通り。
まぁそんなこんなを、単純明快に書いている本でした。安心。
安心している場合でもないが・・・。
5年経っても色褪せない。
しかし、この書もやっぱりかぁ、と思ったが、この事故における最大の「謎」に対しては、かなり主観的な論調で、ややもすれば(意図的に?)誤解を与えている。
僕が全論者、全国民に訴えたいのは、「じゃあ放射線量がいくらなら危険なの?」ということだ。
実はこれも既に長きにわたって調べてある。結論から言えば、
「良く解らない」
のだ。
(適当なことしか言わない)ICRPからの勧告は、平時は「年間1ミリシーベルト」というものだった。
それが「緊急時」すなわち震災直後、「被曝基準は20~100ミリシーベルトで考えて」、つまり「最大100ミリまで大丈夫にしましょう!」という勧告を行っている。
放射線防護の重要文書「ICRP勧告111」の解説 — 規制の「最適化」「正当化」「住民の関与」が必要
しかし当時の政府は、この勧告の一番低い値を採用し、一時避難に適応した。
(当時の民主党政権は可能な限りの対応をしているのだ!)
それ以前の被曝基準は、所謂「2007年勧告」において定められている。
(http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3487580_po_20110408.pdf?contentNo=1)
これらを総合的に精査、判断する中で、「年間50ミリシーベルト」という数値がひとつの基準となって、今の「帰還困難区域」も、この数値で設定している(かなりざっくりした説明なので、あとは各自で調べてちょ)。
しかしこの数値、そもそもどこまで信用できるのだろう?
それが「福島」の、今も抱える問題にまさに直結するのだ。
一時期「脱原発」の中でも急進的、いや熱狂的な方々が「年間1ミリシーベルトを超えた福島から避難せよ!そこで採れる食物は食うな!」とワーキャー騒いでいたが(今もか)、そりゃICRPは「平時」は年間1ミリシーベルト以下!とは謳っているよ?(この数値意味あるのかな?)でもこれが現実的ではない数字なのはみんな理解しているのだろうか?
実は震災直後から、僕はガイガーカウンター(ロシア製なので電池の蓋がしょっちゅうパッカーと開いて困った品)を買って、定期的に調べている。
この数値だけを信じて言うならば、東京も、大阪でさえも、年間1ミリはゆうに超えている。
日本はICRPにとっては、とっくの昔に「住めない国」になっているのだ!(ババーン!!)
その辺をみんな知ってか知らいでか、ビミョーにごまかして議論を進める。気持ち悪い。
「みんな、日本は全土にわたって危険だ!日本から出ていこう!」と言い出す人間がいないのが本当不思議だ。
まぁもちろん、そんなこと言い出してもなんのリアリティもないからなのだろうが・・・。
http://www.kangenkon.org/houshasen/health02.html
原子力団体のHPだから胡散臭く見えるかも知れないが、この表を見たら一目瞭然。
年間100ミリシーベルト以下は、正直「良く解らない」のだ。
ていうか、これを信じてたら、日本の平均自然放射線量は2.1ミリ。
もうダメじゃん!
じゃあ安全なのか?んな訳ねぇべ!今も6号線には警官がびっしり配置されている!
本当に安全だとほざくなら今すぐ全域避難解除してみろや!
僕は放射線を、良く火にたとえる。
火に直接身体を当てたら、もちろん焼ける。火傷する。
場合によっては死ぬ。
でもある程度身体を離せば、あら、あったかい。
それは体内にものを入れる時も一緒である。
熱いものを食べたら舌を火傷する。
火も放射線も自然界に普通にあるものだ。だから、その量と、それとの「距離感」の問題になる。
その「距離感」が難しいのだ。
火と違って、体感できないから、解らない。
何も解らないのだ。
そういう、科学的には全くの無根拠である状態で、安全だ!危険だ!と声高に語るのは、極めてナンセンス。
不毛だということを強調しておきたい。
みんなインテリぶりたいところすんませんが、「解らない」ところは「解らない」と、素直に言おう。
「脱原発」を語るのは、極めて簡単。
しかし、「福島」を語るには、てめぇはどこまで知ってるの?どこまで正確な情報を知ってるの?とだけは、ちょっと脅し口調で言っておきたい。
怖いと感じるのも、余計なお節介かけるのも、それからにしてもらいたい。
もちろん僕も完璧に知っている訳ではない。だからこそ、今後も勉強し、取材し続ける。
因みに震災以後、家で炊く米はずっと福島米にしています。