ポン・ジュノの映画は、その構造でもって見る者の常識や価値観をひっくり返しにかかる。陰惨な未解決事件の捜査では刑事たちが何度も失敗し、すっきりと解決しない。もし巨大な怪物が、なんの準備もできていない人々の前に現れたらどうなるかを可能な限りリアルに描写する。「こういう映画ならこういう展開になるだろう」というこちらの予想をひっくり返すのが本当にうまく、しかも見ている側の欺瞞や油断を突くので観客にとっては居心地が悪い。でも、面白いから見てしまう。
「食べられるトトロ」が暴く、食肉と人間の関係
『オクジャ』の物語は2007年から始まる。世界的な畜産企業であるミランド社は遺伝子組換えによって生み出された巨大で味のいい豚である「スーパーピッグ」を発表。世界各国のオーガニックな畜産農家にこのスーパーピッグを預け、10年間育てた後にコンペを開き、最もうまく育ったものを表彰するキャンペーンを展開する。
10年後の2017年。韓国の山奥の小さな農家で、少女ミジャと「オクジャ」と名付けられたスーパーピッグ、それにミジャの祖父は平和に暮らしていた。しかしそこにミランド社に務める叔父とアメリカからの取材チームが現れ、オクジャはコンペで最優秀を獲得したのでニューヨークへ移送され、食肉に加工されることを告げる。オクジャはミランドから買い取ったと祖父から聞かされていたミジャだが、それが嘘だったことに激怒する。
連れ去られたオクジャを追い、単身ソウルへ行くミジャ。しかし大企業であるミランドには相手にされない。オクジャを乗せたトラックに追い縋り、ソウル市街で大騒動を繰り広げるミジャ。そこに介入してきたのが、過激な動物愛護団体ALFのメンバーたちだった。ALFとミランド社、さらにミランド社内部の勢力争いに巻き込まれたミジャとオクジャは、果たして無事に平和な日常を取り戻すことができるのか。
前半でのオクジャとミジャの仲の良さは丁寧に描写されており、それがいきなり大企業の手によって引き裂かれるところは胸が痛む。しかし、そもそもオクジャは食用であり、この前半の内容は要するに「食べられるトトロ」だ。ストレートな少女と巨大な動物の心の交流ではないのである。意地の悪い設定だ。…
今度もパクリか?